もし、この村にまだ人が住んでいたのなら、この場所には見晴らしのいい丘にふさわしい椅子や東屋があったのかもしれない。あるいは、竜の襲撃に備えた物見台が建てられていたのだろうか。
しかし、今残っているのはわずかな石組みの跡だけだ。黒々とした石はこの土地ならではのものなのだろう、これまで訪れた砦や村にも似たような色合いの建物はあった。
「……でも、こうしてみると少し寂しい色に見えてしまいますね」
オデットが振り返った先、小高い丘の上から広がる村落――否、かつては村落だったものが広がっている。点々と残る石組みに刻まれているのは、明確な破壊の痕跡。ここで戦闘があったことの証だ。
「オデット。こんな所まで来ていたのか」
寒冷化で葉を落とした木々の影から声が聞こえて、オデットは視線をそちらに向ける。影の向こうからは、影の中に溶け込みそうな暗色の者――オランローが姿を見せた。
その向こうに、崩れかけていながらも唯一屋根が残っていた建物がある。かつては集会場として使われていたと思しきそこは、今のオデットたちの仮の宿でもある。
「小高い場所があるようだったので、遠くに何が見えるんだろうって思ったんです」
「あいにく、そちらには雪原が広がっているばかりだ。先ほど、ルーシャンが向こうからなら街が見えると話していた。次に向かうとしたらそこだろう」
オデットは頷き返し、高台からオランローの元へと駆け寄る。なかなか戻ってこないオデットを心配して、わざわざ探しに来てくれたのだろう。
あの後、オデットたちは異端者に追われていた少女と共に、寝床としていた洞穴を後にした。まだ日が昇る前だったが、幸い天気は悪くなかったので、出立した勢いで次の目的地として定めていた集落に一行は向かうことにしたのだ。
その集落は、先だって寄り道した要塞にて近くにある街や村について尋ねた時、親切な行商人が教えてくれた場所だった。
だが、教えてくれた行商人も、最近は行ってないから竜の襲撃を受けずに無事な姿を保てているかわからない、と話していた。
そして、そのあやふやな前置き通りだったと言うべきか。
一行がたどり着いたとき、そこにあったのは、人の暮らす場所だった頃の名残を残しただけの廃村であった。
保護した少女は、帰る場所もなければ、ここに行きたいという目的地も特に定めていないという話だったので、ノエたちはひとまずその場所で此度の強行軍の疲労を取ることにした。
朝昼と休む間もなく走れば、流石にチョコボも音を上げる。騎乗者であるノエたちとて同じだ。
着いて早々、ヤルマルとオランローが見張り番を受け持つと決めたら、他の四人はすぐさま溶けるように仮眠に移ったのだった。同様に、逃げる最中に体力を使い果たしていたらしい少女も、しばしの休息を取っていた。
そして、数時間後。浅い眠りから覚めたオデットは、ヤルマルたちの許可をとって周囲の様子を見てまわることにしたのだった。
「兄さんたちは起きましたか」
「先ほど目を覚ましていた。代わりに、今夜はオレたちが休ませてもらうからな」
「はい。お疲れ様でした、オランローさん」
強行軍に参加したのはオランローたちも一緒だ。けれども、彼らは見張り番をすすんで引き受けてくれた。そのことに感謝して、オデットは軽く頭を下げる。
下げた頭を上げて、そこでオデットは気がつく。普段は鉄面皮を見せているオランローが、何やら奥歯に物が挟まったような、もの言いたげな表情を見せていたからだ。
「何かあったのですか」
「あったといえば、あった。あの娘の名前を聞いたんだが」
「よかった、目を覚ましたんですね」
誰かに追われている、身元不明の年若い娘。その境遇は、自分がノエに助けられた状況をオデットに思い出させていた。
彼女は己のように記憶喪失ではないだろうが、それでもひとりぼっちで雪原を彷徨っているときに、親切な誰かに助けられることがどれほどホッとするかは、オデットが一番よく知っている。
「目は覚ました。怪我も特にしていない。だが……少し、問題があってな」
「問題……?」
「ああ。オレが説明するより、本人の言葉を聞いたほうがいいだろう。そのために、あんたを探しにきたんだ」
どうやら、込み入った話になっているらしい。ちょうどよく、オデットたちは仮宿である建物の前にたどり着いた。
襲撃の爪痕を受けながらも、どうにか完全な破壊を免れた鉄の扉を開くと、中には見慣れた四人と、まだ見慣れない顔ぶれに当たる救出した少女がいた。
かつては集会場として使われたと思しき広い空間の真ん中で、建物の中にあった破壊された家具を薪代わりに用いた焚き火がおこされている。空気を温めるカラクリは、今回も活躍しているようだ。
しかし、焚き火や肌に触れる空気の温もりとは裏腹に、どこか張り詰めた気配が一行を包んでいた。普段なら誰からともなく雑談をしているのに、今はそれすらない。
「あの……何かあったのですか」
「待たせて悪かった。オデットを連れてきた。これで、先ほどの話の続きを進められるだろう」
建物に入って開口一番、オランローが言う。その言葉が合図であったかのように、ノエが少女へと視線を向ける。
「それでは、もう一度聞いても良いでしょうか。あなたの名前のことを。それと、今まで、どこで何をしていたのかを」
「うん。私の名前はゲルダ。お兄さんがさっき聞いてたように、最近までは異端者って言われる人と一緒にいたんだ」
*
朝昼問わずの強行軍で疲れ果てて眠っていたノエが目を覚ましたのは、すでに日が暮れかけた頃だった。
睡眠時間としては短いほうだったので、本当ならもっと安全な場所でぐっすり眠りたいが、そうも言っていられない。寝床への誘惑をどうにか振り切り、かぶりを振っていると、同じようにノエたちが貸した仮初の寝床から身を起こす影に気がついた。
それは、オデットとそう変わらない年頃の少女だった。ノエたちが異端者の魔手から救出した娘だ。ちょうど、彼女も今目を覚ましたらしい。
太陽すら覆い隠す曇天のせいで、出会った直後から今までよくわからなかった目や髪の色が、焚き火に赤々と照らされて今度こそはっきりと見える。
少し吊り目がかった瞳は、焚き火とは異なる暗赤を帯びている。一方、肩を流れ落ちる髪の毛は透き通るように白い。銀世界の冴え冴えとした白ではなく、ふかふかの羊を思わせる柔らかな風合いの白だ。
白い髪に赤の瞳の少女。その取り合わせを、どこかで聞いたような覚えがある。一体どこだっただろうかと内心首を傾げながら、ノエは「あの」と声をかけた。
「先ほどは、慌ただしくて聞けなかったのですが。本当に、こんな場所まで連れてきてしまってよかったのでしょうか」
「うん。どこに行こうか、特に決めてなかったから」
この雪原の只中で、行く先も決めずに彷徨うのは自殺行為と言ってもいい。オデットのように、何か事情があるのだろうかと、ノエは覚醒したばかりの思考を巡らせる。
「では、まずはあなたの名前を聞いてもいいでしょうか。僕はノエといいます。訳あって、今はイシュガルドの各地を仲間と共に巡っているところなんです」
「私はゲルダ。よろしくね、ノエ」
さらりと、彼女は自分の名前を名乗った。
その名前自体は、ヒューラン族の女性ならばそこまで珍しいものではない。
だが、ノエはそこで気づく。その名前を持つ少女。白い髪に赤い瞳。そして、昨晩目にした異端者という存在。
「あなたは、もしかして……異端者の仲間として街から人を攫い、攫った人に竜の血を飲ませた『ゲルダ』さんですか」
間違っていたら、とどこかで願っていた。同時に、ノエは今度こそはっきりと思い出していた。
飛竜に攫われた人々の中にいた少年――コーディが、唯一自分に親しげに声をかけてくれた少女がいた、と話していた。その少女の名前がゲルダだ。
果たして、少女は少し驚いたように目を見開いた。
そこには、真相を見抜かれて慌てる犯人のような、分かりやすい動揺はない。単純に「どうしてあなたが知っているんだろう」という疑問が色濃く現れていた。
「うん。そうだよ。でも、どうしてお兄さんがそのことを知ってるの? もしかして、あの街の衛兵さん?」
不思議そうに尋ねる少女は、そこで一度唇をぎゅっと結んでから、
「……もしかして、あの人たちのことを詳しく知っている人? 飛竜が攫ってきた人たちのなかにいたけれど、皆についてこなかった人たちのこと」
「それは、コーディさん、マルコさん、クララさんのことですね」
ノエが救出した三人の名前を出すと、ゲルダは驚きとは異なる感情を表層に浮かばせた。今までひたすらに押し隠していたその感情は――。
(……喜んでいる?)
ゲルダが異端者たちの仲間ならば、三人については自分たちが不要であると残してきた存在のはずだ。もっとも、コーディの話では、ゲルダは異端者たちと完全に意見を同じくしていたわけではないようだったが。
「三人のこと、どうして知っているの? ねえ、あなたはどうして――」
「どうして、僕が彼らのことを知っているか、説明する時間をとることはできます。ですから、まずはあなたの事情を話してもらえないでしょうか」
ノエとゲルダが会話をしている声は、いつのまにか大きく響いていたらしい。不寝番をしていたオランローとヤルマルも、怪訝そうな顔で二人のやり取りを見守っている。ノエの声に起こされる形になったサルヒとて、同じような静観の姿勢を見せていた。
「ノエ。少し待ってくれ。話をする前に、オレはオデットを探してくる。さきほど、先に起きて少し周りを見てくると言っていたんだ」
「分かった。頼んでもいいかな、オランロー」
「ああ。獣よけの薬は周囲に撒いてある。そこまで遠くには行っていないだろう」
「じゃあ、オランロー。ついでに、旦那様も探してきてくれる?」
オランローが先に起きて散策に出掛けているオデットを探すことを請け負っていると、横からサルヒが空になっている寝床を指さして、もう一人の捜索を彼に託した。ルーシャンも、早くに起きて偵察に出かけて不在だったようだ。
「任された。それまでに、二人は夕食の準備をしておいてくれ」
「うん。……そこのあなたも、今はそれでいい?」
サルヒに急に話を振られて、ゲルダはこくりと頷いた。異端者の仲間という肩書きには似合わない素直な振る舞いに、ノエもサルヒも面食らって思わず顔を見合わせたのだった。
*
かくして、最後に皆のもとに合流したオデットを前にして、ゲルダは再度自己紹介をした。己の名前と、自分はかつて異端者と呼ばれる人たちにいた側だ、と。
(……そんな話を聞きながら、こうして一緒に食事をしているのは、なんだか変な気分です)
すでに旅の糧食としてはお馴染みの干し肉を齧り、固く焼き締めた黒パンで塩気を中和する。空腹は最大のスパイスだ。おかげで、このお馴染みの食事も、それなりにおいしく感じられる。
そして、ゲルダもまた、ノエたちが分けた保存食をリスのように齧っていた。
たとえ相手が、直接刃を交えたことはほとんどなくとも、敵と見做していた相手であったとしても、飢えた子供をその場に放置しておくほど非道になれる人物はこの中にはいない。
幸い、近くに街も見えている。補給の当てがあるのなら、尚更だ。
「それで、私は何からお話しすればいいのかな」
温めてもらった白湯に味をつけただけのような薄い茶を飲んだ後、ゲルダは会話を再開する。
「そうだね。それでは、まずはボクたちの事情を先に話してしまおう」
普段は場を取り仕切ることもあるノエもルーシャンも、この時ばかりは言葉を選ぶ時間が長かった。代わりに、今回はヤルマルが手を挙げて自ら話の主導権を握ると主張する。
イシュガルド出身の彼らにとって、いくら年端もいかぬ娘とはいえ、異端者の一味だったという相手に対して、冷静に話を進めることは難しいと思ったからだ。
ともすれば、相手を萎縮させるような敵対心が滲み出てしまうのを、自覚していたが故に、二人もヤルマルに話の手綱を任せることにした。
「ボクたちは、訳あってイシュガルドの各地を旅している旅人でね。この前、とある街に滞在していたときに、偶然ドラゴン族の襲撃を受けた。その時に、何名かの住民は飛竜に拉致されたという話を聞いたんだ」
自分たちの経緯はざっくりと省略し、ヤルマルは経緯の要点だけを拾っていく。
「住民の中には、滞在中に親しくさせてもらっている人もいたからね。だけど、領主はドラゴン族の被害を受けた街の復興に忙しく、攫われた人々を助けるまで手が回らない。だから、代わりにボクたちが彼らの捜索を引き受けたのさ」
「そして、首尾よくオレたちは山奥に残された被害者たちを見つけ出した。彼らは、自分たちも含めて、攫われた者は竜の血を飲まされたと説明した。そして、残った三名以外の者は、異端者たちと共に山を降りた、と」
後を引き取ったのは、ヤルマル同様、イシュガルド出身ではない故に冷静に話を運べる人物――オランローだった。
「ボクたちは、三人を連れて山を降り、街に戻った。領主も彼らの扱いには悩んだようだったが、結局は砦や占星台のような公的かつ武力を持つ人物が滞在している場所に留め置く、という形で結論を出したということさ」
彼らのうち、マルコについてはノエたちも一度再会している。ニ
ヴェール領の境にある要塞で、雑用係として働く彼は、どこか楽しそうだった。かつて衛兵だった頃の血が疼くと冗談めかして笑う様子から、決して悪い扱いを受けているわけでないと分かり、ホッとしたものだ。
「その三人が、異端者の中でも他の大人の異端者と異なる意見を持つ少女がいたと教えてくれた。その子の名前が、ゲルダっていうこともね」
ヤルマルは、そこで一度説明を区切る。果たして、ゲルダは何度も瞬きをした後、胸に手を当て、
「……よかった」
心底、安堵したように息を吐き出した。
「よかった、というのは?」
ヤルマルが、ごくさりげない調子を装って言葉を投げる。ゲルダはゆっくりと顔をあげると、
「あの三人が無事に見つかって、今も生きているって聞いて、よかったって思ったの。前に、彼らが生きてるんじゃないかって予想できるような話は聞いていたけれど、確信は持てなかったから」
「それは随分な物言いだな。お前の仲間が三人を攫ったうえで、あんな僻地に置き去りにしたんじゃないのか」
棘がはっきりと見える言葉が飛び込んでくる。それを放ったのは、ルーシャンだった。
「自分たちが攫っておいて、助かっておいてよかったなんて言うのは、流石に悲劇のヒロインを気取るにしては一人芝居が過ぎるんじゃないか?」
「……旦那様」
サルヒが軽く牽制をしているが、似たような感情は誰もが持っているものだった。
ゲルダは、他の異端者たちと違う意見を持っているという話だった。少なくとも彼女は、他の異端者のように現体制への反抗などのような、政治的な考えは持っておらず、純粋にドラゴン族を信奉しているかのようだったと、ノエたちは聞いている。
しかし、竜の血を飲まされたことで帰る場所を失った人々を目の当たりにしている一行としては、いくら意見が違っていたと言われても、素直に頷けるものではない。
「……それは、そこの怖い顔したおじさんが言う通りだと思う。私がそうしたいって言ったわけじゃないけれど、竜の血を飲んで竜に近い体になれば……竜のことをもっと肌身で知るきっかけがあれば、竜について知りたいと考える人が増えるかもってあの人たちに言われたとき、私もそうかもしれないって思ったもの」
「そこまでして、あんたはどうして竜のことを皆に知ってもらいたいなどと思うんだ」
「ボクはイシュガルド人ではないけれど、竜のことは純粋に恐ろしい存在だと思うよ。彼らがヒトを襲う場面を何度も見た。彼らの力を自分の利益のために行使したい、というのならまだわかるけどね」
先だっての異端者たちの真の目的は、現在の体制に対する反逆であった。そのために、自分たちの協力者を増やしたいと考えていた。
竜の血を飲むことにより、竜に変化するということも考えているのかもしれないが、彼らの目的はあくまで『自分たちを裏切らない同胞』を確保することにあった。
竜の血を飲んだことは、単に帰る場所を断つための覚悟を無理矢理でも決めさせるためだ。それは非道ではあるが、合理的で理解が可能な考え方だ。
だが、この娘は以前コーディに「竜が全て悪いわけではない」と語ったという。
「私は大人の人たちの難しい話はわからない。ただ、ドラゴン族のことを知りたいと思う機会が増やしたかった。それだけだった。……あんなふうに、血を飲んだだけでもう家に帰れなくなって悲しい思いをする人がいるなんて、知らなかった」
震えるような声で付け足された弁解は、しかしその場にいる者の感情を宥める材料にはつながらなかった。
(知らなかった、なんて……)
オデットですら、それが言い訳としては最低の部類に値するだろうと分かった。イシュガルドという国で竜と関係を交わらせて何が起きるか、たった数ヶ月いるオデットにすらわかるのに。
「君はイシュガルドの人間なんだよね。どうしてそんなふうに思えるんだい」
異端者の中には、竜の圧倒的な強さを前にして心が折れてしまい、現実逃避の一つとして竜を崇拝するように考える者もいるらしい。あるいは、竜と敵対する教会や貴族の在り方に反発するために、竜を旗頭にするケースもあるようだ。
だが、どちらにせよ目の前の少女からは、前者のような狂信的な逃避の様子もなければ、後者のように政治的な打算もないように見えた。
「どうしてって……私は、竜と物心ついたときからずっと一緒にいたから」
当然のこと話すかのように、ゲルダは言う。だが、それは他ならともかく、イシュガルドではついぞ聞いたことのない話であった。
「あんなに凶暴な生き物と、幼い頃から一緒に過ごしていたというのか?」
オランローが懐疑の視線を送る。それに対し、ゲルダはムッとしたように「凶暴じゃないもの」と反論の姿勢を見せる。まるで、子供が叱られたときのような、あどけなさすら覚える反射的な反論だった。
「ちょっと信じられないね。竜には多少の知性はあるようだが、子供を育てるようなことができるとは」
「あの……その件と少し関係があることなのですが。念のため、知っておくべきことがあると思うんです」
ヤルマルの聴取を中断して、ノエが手を挙げる。一同の視線を浴びたのを確かめてから、
「……竜は、人と会話する程度の知性はあるようでした。もしかすると、ヒトと同等か、それ以上の思考能力がある個体もいるかもしれません」
「――ノエ」
「ルーシャンさん、分かっています。他で言いふらすつもりはありません。皆さんも、そうしてもらえると助かります」
ルーシャンから飛んできた厳しい制止の声。その理由を知っていても、ノエは言葉を止めなかった。
「どういうことだ、ノエ。あんたは、竜と会話をした経験があるのか?」
「はい。正しくは、彼らは僕らとは違う言語を使っていました。ですが、確かに僕の言葉に応じて意味のある返答をしていました」
「そうだったのですか、兄さん」
オデットが驚いて尋ねると、ノエはゆっくりと頷き返した。
「僕は、あの領地にいた竜――ランドンと何度か言葉を交わした。会話をしたというより、向こうが一方的に話しかけてきたという形だったけれど、少なくともあの竜は誰かと会話をして交流をした経験があったらしい」
流石に、それが自分の祖先であるとまでは言えなかった。ノエ自身、ランドンと自分の祖先である男と具体的にどのようなやり取りがあったかは、想像するしかないのだから。
「もちろん、イシュガルド正教を信じる方にそのような話はできません。そんなことを言ったら、異端者と誤解されてしまうかもしれない。なので、これについては、この場だけの秘密としておいてほしいんです」
「もちろん、そのつもりだよ。それに、たとえ竜と対話ができたところで、彼らがヒトに対して敵意だけを向ける存在ならば、結局は大した問題にはならないだろうからね」
ノエが人差し指をたてて、秘密であることを強調する。彼の意図を理解し、ヤルマルが代表して同意の言葉を返した。
ヒトという存在のみに敵意を抱き、集中的に攻撃する知性があるならば、言葉を交わすぐらいのことはして見せても不思議ではない。竜が言葉を発するという情報は、言われてみればすんなり納得できるものでもあった。
「だけど、中には例外もいた……そういうこと?」
サルヒが話を本筋に戻す。サルヒの黄金色の瞳を向けられ、少女は首を傾げていた。
「私には、何が普通で何が普通じゃないかは分からない。でも、私と一緒にいてくれたお母さんは、ヒトじゃなくて竜って呼ばれるものだった。お母さんが姿を見せると、ヒトはお母さんを傷つけようとするし、私が『お母さんは怖くないよ』って言おうとしても、異端者だって追い返されてしまった」
ゲルダの説明を聞いて、一同はしばし言葉を失っていた。
竜は知性を持つ生き物である。知性を持つのならば、弱い子供を守ろうと考えることもあるかもしれない。だが、竜がヒトの子供を育てるなどと、そんなことがあり得るのだろうか。
ノエを育てたウヴィルトータはエレゼン族ではなくルガディン族であるが、それとは訳が違う。竜は、そもそも『ヒト』ではない。
「私、お母さんがヒトに虐められないようにしたかった。お母さんのお友達も同じようにヒトのせいで大変な目に遭っていた。お母さんは、いつもヒトに虐められるって悲しんでいた。だから、私と同じ異端者だっていう人たちが来たとき、お母さんの血を分けてくれたら、皆が虐められない場所を作る手助けができるかもって言ってくれたから……あの人たちの手伝いをしてもいいかって、思ったの」
「だけど、その血を飲んだヒトは、今までの生活を捨てなければならなかった。お前もあの山にいたなら、それを飲んだって知った連中がどんな反応をしたのか、見たんじゃないか」
ルーシャンが、ゲルダの告解に被せるように冷然と事実を告げる。
「……うん。私は、外で生きる他の人たちのことはよく知らない。知らないけど……でも、あんな風にすごく悲しそうだったり、怒ったりするようなことになるのなら、あの人たちに血を渡しちゃだめだと思った。だから、今晩、見張りが少なくなっている隙に逃げることにしたの」
母と呼んでいる竜を逃亡の手段として使わなかったのは、万が一彼女が傷つけられる可能性を危惧したからだとゲルダは言った。
竜に対して、怪我をさせてしまうかも、などという言葉を使う時点で、ゲルダがノエたちとは異なる考え方をしていることは明らかだ。
「……ランドンを唆したのも、あなたなのですか」
ひとまずの情報が出揃い、話がまとめに差し掛かったところで、ノエが最後に問う。
周りの仲間たちにとって、それは単に父の治める土地をいたずらに苦しめた原因を問うものに聞こえたかもしれない。だが、事実は少し違う。
(この子があの竜から事情を聞いていたなら……僕は、それを知りたいと思っている)
あの竜も、ノエが殺してしまったものだ。たとえ、あの竜はすでに多くの犠牲を出しており、止めるためには言葉ではなく剣が必要であったと今でも確信していたとしても。
「唆した……って、街を襲えって言ったかってこと? それを言ったのは別の大人の人。私は、ランドンが『友達に会いたいのに、街に近づいても追い払われる』って言っていたことを、他の人に伝えただけだよ」
どこか他人事のような物言いなのは、自分がランドンに人を襲えと実際に言っていないからか。
確かに、ノエもあの竜の発言の中で、ゲルダが唆したと明言されていないことは知っている。ただ、異端者たちがゲルダを経由して得た情報でランドンに取り入ったのは事実だ。
「あなたは直に言わなかったかもしれませんが、ランドンが今までのように領主の住まう街を直接襲わずに、周辺の村にまで被害をもたらした原因の一端は、異端者の入れ知恵にあったようです。僕が、ランドン自身からそう聞いています」
責めたところで、滅びた村が返ってくるわけでもない。何より、ノエたちは直接の被害者ではない。故に、事実を提示しながらの糾弾めいた説明はひとまずここまでにして、ノエは一呼吸を置いた。
「……ゲルダさんが、母親のように慕って育った竜のために、他の異端者たちに利用されるような結果になったことはわかりました」
「それで、どうするつもりだい。ノエ」
聴取役を受け持っていたヤルマルが、ノエへと問いかける。
殊更に彼をリーダーと決めたわけではないが、元々イシュガルド行きはノエの父親の一件から始まったことだ。そのため、一行の中で自然とノエが中心の位置に収まっていた。
「僕たちが彼女を批難したところで、竜の血を飲んだ人が、飲む前の状態に戻るわけではありません。彼女自身、それが無謀な案だったとは理解しているようですし――」
ノエがちらりと見やった先、ゲルダは目を伏せて頷いた。
彼女は自分なりの意見を持って行動し、その上で己の行動は誤りだったと認めて異端者から離反した。それを、偽善だと責める舌はノエは持ち合わせていない。
「彼女が受け入れてくれるなら、ひとまずは次の街に到着するまでは行動を共にしてもいいと思っています」
「異端者とつるんでいたやつと枕を共にしろってことか?」
ルーシャンの声は、いつにも増して硬い。
共すると、お人好しのノエやヤルマルが見失いそうになる最悪の可能性を示すために、彼は敢えて耳の痛い忠告をする立ち位置を選ぶ。今の発言も同様の意味合いのものだろう。
「いつ敵が襲ってくるかという意味では、野営の時と変わりません。それに、これが罠だとしたら流石に周到すぎます」
「異端者が寝首をかきたいと思うほど、ボクらは有名人ではないからね」
強いて言うなら、ノエがラペイレット領主の隠し子という称号を持っているが、彼とて公的には死亡扱いとなっている身だ。今更、異端者たちが目の色を変えて襲うとも思えない。
それに、ゲルダを追いかける男たちが彼女に向けた敵意は本物だった。あれが演技だと言うなら、相当の役者である。
「……乗りかかった船ってことか」
降参、とルーシャンは両手をゆるゆるとあげる。いくらゲルダがかつて異端者たちの一派に竜の血を渡したからといって、年端もいかぬ娘を魔物が彷徨く雪原に放り出すほど彼も薄情にはなれなかったようだ。
ゲルダも話の結論が出たのを察して、ぺこりと頭を下げた。
「あなたは、特に行くところは決めてなかったと言っていた。じゃあ、私たちと会わなかったらどうするつもりだったの」
当面のゲルダの扱いが決まったところで、サルヒが至極もっともな質問をする。折よくノエたちが合流できたから良いものを、首尾よく逃げおおせたとして、彼女は旅装らしい格好もしていない。身につけているのは、防寒具とクルザス地方の人々が愛用してる簡素な厚手の衣服のみだ。
「待っていたら、そのうちお母さんが来るかなって思ってたの」
「どこかで待ち合わせを?」
「ううん。でも、お母さんはいつも私を見つけてくれるから」
何の疑いも持たない、純粋な信頼を笑みとして浮かべるゲルダ。
ノエたちには到底想像もつかないことだが、一人と一頭の間にはかなり深い絆があるのだろう。竜ならば、雪原にいる一人の人の子を見つけることくらい、容易いことなのかもしれない。
「……そういうことなら、街に着いた後に誰かに預けるってわけにもいかないか」
「事情を知らなければ、間違いなくそのうち異端者として吊し上げられるだろうからな」
ルーシャンとオランローの会話を聞いて、ゲルダは顔を曇らせる。彼女も、街で暮らす『普通の』人々にとって自分と母の関係がどう思われているかは理解しているようだ。
彼女が街で暮らしているときに、竜が迎えに来ようものなら、大変な騒動になる。そうなると、流石にゲルダを連れてきた自分たちが知らんぷりを決め込むと言うわけにはいかない。
「それで、我らがお人好しのリーダーはどうお考えだ?」
「僕はリーダーになったつもりはないのですが……ゲルダさん、お母さんの竜が近づいたらあなたには分かりますか」
「うん。体がぴりぴりーってする感覚があるから、すぐにわかるよ」
「では、その接近を感知したときに街に滞在していたなら、あなたを街から離れたところに連れて行く、というのはどうでしょうか。それなら、周りへの影響を最小限に済ませることができます」
ゲルダはこくこくと頷き、他の面々もそれが妥当な落とし所として肩をすくめたり、小さく息を吐いたりした。
ここまで事情を知ってしまった以上、流石に素知らぬ顔はできない。ノエとて、竜と人の余計な接触や軋轢は望むところではなかった。
(もし、その竜が特別にヒトに対して友好的な考えを持っているなら……誤解からその竜を傷つけるような結果にはしたくない)
思い出すのは、ノエの祖先――ナタロアを愛おしげに呼んでいたあの竜の声だ。
あれだけのことで竜の全てに絆されたわけではないが、ランドンの言葉は少なくともノエの竜に対する考えに新たな波紋を与えていた。
「ただ、ゲルダさん。僕たちは道中で竜に襲われたなら、それを迎撃し、ときに……殺すかもしれません。それについては、受け入れてもらいます」
自分の中にある揺らぎのせいで、己や仲間の命を危険に晒すわけにはいかない。ノエは半ば自分に言い聞かせるようにして、決然とした面持ちで告げる。
「うん。それはいいよ。私、お母さん以外のドラゴン族とは、そこまで仲良しってわけじゃないから」
「じゃあ、君は飛竜の襲撃についても関係なかったのかい」
先だって、ノエの父が治める街が苦戦を強いられた飛竜との一戦を思い出し、ヤルマルは問いかける。ランドンとは全く違う形態の竜であったので、もしかしたらとは思ってのヤルマルからの質問だった。
「うーん……ランドンは大人の人たちに言われて何かやってたみたいだけど、お母さんにも頼み事をしてたみたい。だから、あの飛竜はお母さんの知り合いだと思うけど、私が連れてきてって頼んだわけじゃないよ」
「娘の仲間の頼みなら、聞かないわけにはいかないってところか。放任主義というか過保護というか……」
やれやれという声が聞こえてきそうな呟きは、ルーシャンのものだった。
彼はゲルダが異端者の一派だったことを知ってから、どこか苦味のある言葉を選びがちだ。イシュガルドで長く生きた者として、それも当然の反応かと、ノエは口に出さずそう思う。
「話がまとまったなら、俺は少し席を外す。街に向かうまでの道を見ておきたいんでね」
「もう夜も深い時間ですから、気を付けてください」
「おう。すぐに戻るから、今日の不寝番の順番、決めておいてくれ」
次は自分たちかノエたちからだろうと言い置いてから、ルーシャンは立ち上がり、団欒の輪から外れて入り口へと向かう。
話がひと段落して、気が抜けたのだろう。ヤルマルは大きく欠伸をして、目を擦っていた。実質、ほぼ徹夜のようなものだったのだから、そろそろ休みたい頃合いなのだろう。
「では、夕飯の片付けが終わったら、僕が見張り番を引き受けます」
「じゃあ、私も。旦那様は、後で一人で頑張ってもらう」
「あ、あの、わたしは……」
オデットは自分もと周りを見渡すが、サルヒもノエも口々に「疲れただろうから、休んでいていいよ」と言う。だが、そう言われて大人しく休息をとるほどオデットは聞き分けがよくない。
「わたしは、後でルーシャンさんと一緒に見張り番をします。そのこと、伝えてきますね」
彼女は防寒具の前を合わせると、先に行ったルーシャンの後を追いかけてその場を後にした。
入り口に向かう直前、思いがけず新たに加わった少女と目が合う。だが、オデットは居心地の悪さを覚えて、ふい、と視線を断ち切った。
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