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yn
2024-10-24 00:39:34
2627文字
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拳コユ
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落下する夕方
没にしてましたが再録集にはいれてたやつ。加筆済み。既婚拳コユです。ケンの嘔吐描写あり
〝ケンさん
……
いえ、おじさん、わたしね、やっぱり気の迷いだったみたいなの〟
〝ごめんね、おじさん〟
〝
……
ばいばい〟
「ぅ、あ゙ッ!?」
汗だくで起き上がり、慌てて腕の中にあったはずのぬくもりを探す。空っぽだった。
もはや理由も忘れたが、久しぶりに陽にやられ、頭痛と吐き気で寝込んでいた。ベッドに入った時、確かにあの娘は俺と共にいたはずだ。あなたが眠るまでそばにいます。そう言って俺を抱きしめ、小さな手で背中を撫でて笑ったはずだった。香りも感触も覚えている。
なのに、いない。何故だ。いると言ったのに。言ったはずなのに。
「あれ、は」
夢じゃないのか。
では、今俺がいるのはどこで、今はどっちだ。俺は、俺か?
一気に血の気が引き、もつれながらベッドを這い出る。間取りは記憶に違わず、慣れた部屋のものだ。リビング、キッチン、風呂場、トイレ。クロゼットまで開けて探し回った。どこにもいない。おかしい。あの子の鞄もない。財布も、スマートフォンも、靴もない。
頭痛と吐き気と眠気が混ざり合い、胃から何かがせりあがってきた。
(もしかして、あれは正夢か。それとも今まで全部が夢か)
「み、ミカエラ、トオル
……
」
今は居を別れた弟達を呼ぶ。いや、もしかしたら弟達すら幻なのではないだろうか。俺はただここで、馬鹿みたいに一人芝居してるだけなのかもしれない。
荒唐無稽だ、そんな馬鹿なと否定できない理由がある。
全てを塗りつぶし、上から好きに絵を描いてそれを本物だと信じ込ませる。
俺はそれが可能な女を、知っている。
「ゔ」
口を押えてトイレへ駆け込む。見覚えのある小部屋に少しだけ安堵しつつ、みっともなく膝をついて、上がってきたものを便器へ吐き出した。
「っお、ぇ、ゔ、げほっげほっ
……
!」
びちゃびちゃと落ちるのは半透明の液体だけだった。気持ち悪い。口の中の酸っぱさが不快だ。腹が減った。血が飲みたい。そう、血を飲みさえすれば、少しは冷静に──
〝あれ? もしかして起きてます?〟
聞きたくて、聞きたくなかった声がした。
玄関が閉まり、廊下を歩いてくる音がする。笑う膝を叱咤するが立ち上がれない。あんなに探した女がすぐ近くにいるというのに、顔を見たくなかった。
もしあの娘そのものが嘘だったら。俺の聞いている足音も、感じる気配も全てが夢幻だったら。そうでなくともこんな無様なところを見せてそれこそあの夢が、いや、こちらが夢だったか。わからない。わからない。今俺がいるのはどこだ。
〝ケンさん
……
? えっ? わ、わあっ!〟
俺の背中を小さな手が摩る感触。あたたかい。横目で様子を伺うと膨れたエコバッグが見えた。細腕に似合わぬ力で俺の身体をを引っ張り上げたコユキが、よいしょ、と腕を肩にかけてトイレから出た。ずりずり、半ば引き摺られながら短い廊下を進む。小さな身体に似合わぬ膂力である。
コユキは俺をせっせとベッドまで運んで転がし、寝室からすっ飛んで出て行ったかと思うと濡れタオルを持って帰ってきた。吐しゃ物で汚れた口元と顎を拭かれる。赤ん坊のような扱いだ。
目が見られないまま、どこへ行ってたと尋ねた。自分でも笑えるほど覇気のない声だった。
〝血液パックがもう無かったので。飲んだらだいぶマシになるって、前に仰っていたでしょ? 飲めます?〟
いつものやつですと言ってエコバックから取り出されたのは俺が愛飲している人工血液のパックだった。温度も人肌、いつも買っているものと同じだ。パックをつかむ指先には、おもちゃみたいな小さな爪が乗っている。
ようやく、コユキの顔を見た。栗色の目がじいっとこちらを見つめている。
心配そうに眉を下げて、ケンさん、と小さく名を呼んでくれる。
途端、俺の頭にかかっていた黒いモヤみたいなものぶわりと霧散して現実に帰ってきた。同時、悟りを開いたみたいに納得する。
(
……
ああ、そうか)
この子がずーっと俺を好きでいる保証なんて一切無い。
自分の心から目を逸らし、お為ごかしに躱していなしてあしらっていた頃、この子が本当に諦めて背を向けて他の誰かと結ばれていたら。というか普通はその可能性の方が高いのだ。
たまたまこの子が、稀に見る馬鹿で阿呆で頑固で諦め悪く、それでいて悪食な娘だから、今こうして、ここにいる。一緒に探して一緒に住んだ、この1LDKのアパートに。
この暮らしは、奇跡なのだ。
自覚する同時に、「俺結構自惚れてたじゃん恥ずかしッ!」という自己嫌悪と「改めて俺はこの子に酷い真似をしていたなあ」という申し訳なさに襲われる。
俺は本当に、この子の広くて深ぁい懐に頭のてっぺんからつま先まで甘えっぱなしなのだ。情けない。何が大人、何が年上、何が永きを生きる吸血鬼か。
ただでさえ痛い頭がさらに痛む。深く深く息を吐いて、柔らかな身体を引き寄せて抱きしめた。急に抱きすくめられたコユキはきゃあ、と一声上げつつも、俺の身体に腕を回してぎゅっとしたあと、頭を撫でてきた。
意味も解らず慰めて、意味も解らず甘やかしているのだろう。こういうところだよな。熱い体に顔を沈めてすん、と息を吸うと、甘ったるい汗の匂いがした。この血、売ってる自販機は少しばかり遠い。顔馴染みのいるドラッグストアで買ってきたとしたら、きっと走って行ってきたんだろう。
俺みたいなチャランポランの為に、この娘は必死こいて血液を買ってきたんだ。
「お前さんが世紀の大馬鹿野郎でよかったァ
……
」
〝なんで急に貶してくるんですか! せっかく買ってきてあげたのに!〟
「わるいわるい」
〝もう! ほらまだ顔が青白いですよ! 寝ててください!〟
腕から抜けたコユキが勝ってきた血液パックを枕元に並べてくれた。のそのそ上体を起こし、適当なA型パックの蓋を捻る。ふわりと血の香りが漂って、急にぐう、と腹が鳴った。初めて空腹を自覚する。
コユキが眉を上げ、嬉しそうに立ち上がった。
〝お腹空いてるんですね! 食欲が戻ってよかった! ちょっと待っててください、おかゆ作りますから!〟
「
………………
うん
……
ありがと
……
」
ここで断れるかと言えばその度胸はない。
愛おしい女の満面の笑みが見られる上に、奇跡みたいなこの暮らしが続くなら──一時の胃痛くらいは安いものだろう。
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