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溶けかけ。
2024-10-23 20:48:23
3633文字
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ほぼ日刊
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瓶詰めの湖水
ボトルシップを壊しちゃったフリーナのお話。
終幕後すぐくらいの時間軸です。
「今日も手をつけなかったか
……
」
出発時と変わらない様子のワゴンを見ながらヌヴィレットが呟く。
「はい
……
私どもが言って、水だけは飲んでいただけたのですが
……
」
「お力になれず申し訳ありません
……
」
配膳係の女性が頭を下げた。そんな彼女たちに首を振る。
「いや、君たちは十分によくやってくれている
……
もう遅い時間だ。ワゴンを返したら帰宅してくれて構わない」
バブルオレンジのゼリーとスプーンを取るとヌヴィレットは執務室を後にすると昇降機に乗って、最上階のボタンを押した。
「フリーナ殿、私だ」
最上階に着き、スイートルームの扉越しに声をかけて待つこと数分。返事はない。
いつものことだ、と懐から鍵を取り出し無遠慮に扉を開けた。
「フリーナ殿?」
常ならばベッドにいるはずの姿はない。
薄暗い部屋の中、雨音と強風に揺られるカーテンに心臓が早鐘を打った。
「フリーナ!」
普段のヌヴィレットからは考えられないほどの声量でフリーナの名を呼びながら部屋を進む。窓の下を確認して、そこにフリーナがいないことに安堵して鍵を閉めた。
――
ここではないのなら、彼女はどこに?
ヌヴィレットが顎に手を当てて考えているとガタン、と大きな音がクローゼットの中から響いた。
「フリーナ殿
……
?」
クローゼットを開ければ中で呻き声を上げながら喉元を押さえているフリーナがいた。色とりどりの衣装の中、彼女だけが異物のように見える。
「フリーナ殿!」
ヌヴィレットがフリーナを抱き起こす。騒動を聞きつけて、数人の職員が扉の前に集まっていた。
「シグウィン殿を呼んでくれ!」
ヌヴィレットの言葉に返事をした男性が走り去って行くのを見送りながら苦しそうなフリーナの背を優しく擦る。
「大丈夫だ
……
もう少ししたらシグウィンが来る」
「今回は何が原因だった
……
?」
処置が終わり、ベッドに眠るフリーナを眺めながらヌヴィレットが途方に暮れたように聞けば、シグウィンは、悲しげな顔をしながら首を振った。
「分からないのよ。ヌヴィレットさん、お力になれなくてごめんなさい
……
」
「いや、君が謝ることではない。むしろ、君には感謝している」
ヌヴィレットの態度にシグウィンが困ったように眉を下げた。
「今のフリーナさんには何が刺激になってフラッシュバックを起こすのか分からないわ
……
この間は嵐だったのよね?」
ヌヴィレットが静かに頷く。
「水に関係しているとは思うの。ただ、注がれた水には無反応だったり、かと思えば注いでいる最中に気を失ったり
……
」
「この間はバケツの水を見て極度に怯えていた」
「フリーナさんから水を遠ざけているのに
……
この部屋のなかで水に関係するものがわからないの」
フリーナがフラッシュバックを起こすたびに原因をこの部屋から取り除いてきた。今では、彼女の前で水を注いではいけない、だとかバケツは視界に入らない位置に置く、などの細々とした取り決めがなされている。
「日中、フリーナさんはどう?会話が出来てる?」
「いや
……
歩いたりはするが、ほぼ1日中ベッドの上で寝ているか、天井を見ているか、だと言って差し支えないだろう。私たちの声には殆ど反応を示さない」
「そう
……
まだ駄目なのね
……
」
それから数日後、ヌヴィレットの執務室に慌てた様子のフリーナの世話係の女性がノックもせずに入って来た。
「ヌヴィレット様!フリーナ様が
……
っ!」
その言葉一つでヌヴィレットは立ち上がり脇目も振らずに走り出す。エントランスに出れば、呼ばれたのであろう、シグウィンと鉢合わせた。二人は頷き合うと共に昇降機へと乗る。
昇降機が止まり、転がるように彼女の部屋へと駆けつける。
大きく開け放たれた扉の前には数人の世話係が青褪めた顔をして立ち尽くしていた。世話係たちを早足で追い越し、部屋へと入れば、血溜まりを作り、ぼんやりと虚空を見上げるフリーナの姿があった。
「フリーナ殿
……
?」
フリーナは割れたガラスの上に座り込み、壊れた船の模型を持っていた。白いネグリジェは血で汚れ、船の模型を持つ手からも血が流れているのが分かる。
「はーい、どいて、どいてちょうだいねー。あらあら」
シグウィンがメリュジーヌ特有の歩きで人々をかき分け部屋へと入ってくる。彼女はヌヴィレットを通り過ぎると焦点の合わない瞳で船の模型を見つめるフリーナの前にしゃがみ込んで目線を合わせた。
「フリーナさん、素敵な模型ね。元はボトルシップかしら?」
フリーナは答えない。船の模型を見つめたまま微動だにしない彼女にシグウィンはどこ吹く風で話を続ける。
「ちょっと壊れちゃってるけど
……
うん、大丈夫ね。これくらいなら、お店に持っていけばすぐに直してくれるのよ」
フリーナの目蓋が僅かに上がり、唇が小さく動いた。音にならない言葉でもシグウィンは正確に拾い上げて言葉を返す。
「ええ、本当なのよ。
――
お店に行く前に怪我の手当をしましょ。お店の人がびっくりしちゃうから」
シグウィンの言葉にフリーナが小さく頷いた。シグウィンは小さな手を差し出してフリーナをベッドへと誘うとゆっくりと座らせた。
「痛いかもしれないけど、我慢してね。これもフリーナさんの為なのよ」
シグウィンは持っていた往診キットから消毒薬を取り出すとフリーナの足の傷を治療していった。ヌヴィレットの目から見て、深そうな傷であってもフリーナは眉一つ動かさなかった。
「はい、足の怪我はこれでよしっと
……
後は手の怪我なんだけど
……
ありがとう、フリーナさん」
フリーナが船の模型をシグウィンへと手渡す。シグウィンは模型を受け取ると慎重にナイトテーブルへと置いた。
「民からの
……
」
不意にフリーナが言の葉を紡いだ。あの日以来、初めてのことだった。
「うん」
「民からの贈り物だったんだ
……
職人になって初めての作品を僕に、って
……
けど、僕は中にある海が怖くて
……
気がつけば、下に叩きつけてしまっていた
……
」
懺悔するかのように震える声で言ったフリーナにシグウィンが目を細めた。
「大事なものなのね」
「どうだろう
……
彼は『水神フリーナ』に献上しただけで
……
ただの人間に
……
贈るつもりは
……
なかった、んじゃない
……
かな
……
」
「フリーナさん」
シグウィンがフリーナの血で汚れた手を包み込む。
「その人がどう思うかは置いておきましょう? 大事なのはフリーナさんの心の方よ。壊れた模型を見ていたフリーナさんは直さなきゃ、って思ったでしょ? だから、とっても大事な物だと思ったんだけど
……
どうかしら?」
ほろりとフリーナの瞳から雫が一粒落ちた。
「ああ
……
そうか
……
そうだね
……
きっと、大事だった
……
んだ
……
」
それきり、室内は静寂に包まれた。ずっと無気力だったフリーナが話す切っ掛けになったもの、それが愛する民に関することであったのは皮肉なものだ、とヌヴィレットは自嘲した。結局、彼女を突き動かすのは常に民なのだと。ヌヴィレットが幾ら言葉を尽くしても、フリーナには届かなかったというのに。
「ヌヴィレット! 見てくれ! 美しいだろう?」
応接用のテーブルの上にボトルシップが置かれる。ノックもせずに入ってきた侵入者の後ろには作り主であろう青年が申し訳無さそうな顔をして扉の前に立っていた。
「そうか、よかったな」
「もっと、何かあるだろう!? こんなにも正確かつ精緻な模型、中々見ないんだぞ!」
ヌヴィレットが億劫そうな顔をしながら書類から顔を上げる。鋭い瞳に射抜かれてフリーナはたじろいだ。
「仕事の途中に乱入してきた君の話に付き合うのも最高審判官の仕事なのかね?」
「そ、そんな言い方ないだろう? ふ、ふんっ、今に見ていたまえ。彼はきっと腕のいい模型師になるはずさ。その時になって、後悔しても知らないからな」
フリーナはボトルシップを回収すると青年と連れ立って帰っていった。
後に、彼は後世にまで名を遺すほどの職人となった。競売に彼の作品が出品されれば、テイワット中のマニアが挙って入札をし、その手のコレクター達や同業者を以てして、彼以上の模型師は居ないと現在まで言わしめるほどだ。
「持って行かなかったのか
……
」
主なき部屋でヌヴィレットは独り言ちた。彼は戸棚に飾られたボトルシップを撫でる。てっきり、引っ越しの際に持って行くものだと思っていたのだが。
「もう少し、自慢話を聞いてやればよかったのだろうか
……
?」
ボトルシップを持って少女のようにはしゃいでいた姿を思い出す。当時のヌヴィレットは、なにも初めて民から贈られたわけではなかろうに、と少しばかり馬鹿馬鹿しく思いながらフリーナを追い出した。それは今では後悔という形でヌヴィレットの心の奥底で蟠っている。
「あぁ
……
君の言う通り、美しいな
……
」
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