いを
2024-10-23 18:08:19
2257文字
Public 祝福の花束
 

星の欠けないところ

アンヘル・ハーヴェスト
・サヴァさん【gatewale2】
お借りしています。

 昼に空を見上げても山の中だからいつも暗かった。埋め込まれた鉱石が腰のランプに輝くものを、アンヘルは星と呼んでいた。夜は家に帰って死んだように眠って、朝早くに出て鉱山でひたすら石を掘っていた。あの石たちは魔法使いに高く売れると綺麗なスーツを着た男たちが言っていた。片方の羽をむしられたとき、アンヘルの中で納得がいった。弱いものを狩るものがこの世にやはり存在していたのだと。なら、弱くならなければいいと思った。恐怖も苦痛も、怒りがすべて押しやった。そして彼が言った。――弱者は淘汰される、と。そうだ、弱いままではすべてむしりとられる。人外にも人権というものがあるのなら人権を、心を、感情を、言葉を、行動を。考えることでさえ制限されて排除される。それなら自分が強くなるしかない。

 こぽ、と沸騰する寸前の音が聞こえてから、手の甲で目を擦った。切ったりんごがティーポットに浮いている。蒸らしたティーカップにアップルティーを注いで、サヴァがいる部屋に足を運んだ。
 彼は「美味い」と言ってくれた。その言葉だけで、まるで「ここにいていい」と言ってくれているように思えた。
 先刻回収した手紙を彼に預ける。一通はいつもサヴァに手紙を書きつづけているフィリベールからだった。
 送り主によると、ハロウィーンの精霊があちこちに出没しているらしい。ハロウィーンのことは聞いたことはある。お菓子を要求する代わりに悪戯はしないでくれるらしい。アンヘルがその精霊に会ったとしても、精霊の悪戯なんて碌なものではないだろうから結局、渡してしまうのだろう。チョコレートや、飴玉。そういったものを。けれど今なら手が出てしまうかもしれない。
 もう一通の封筒には、家主のサヴァ――そして、アンヘルの名前が見えた。黒いシャツから伸びた自分の手が不穏に揺れる。なんとなく、嫌な予感がした。
 彼が読んだ直後に、異変を察知したサヴァが後ろ手でアンヘルに伸びたあと、耳に強烈で暴力的な音が鳴り響いた。
 両手で耳を押さえて、それが楽器の音だと知る。音楽に明るくないが、その音楽は甲高い悲鳴のようにも聞こえた。
 となりにいるサヴァが舌打ちをした。彼にも想定外の出来事らしい。この場を破壊することを提案したが、ここにいる存在の安全を考えればやめたほうがいいとのことだった。
 ちら、とサヴァが料理に目を向ける。
 見るものすべてを魅了するような、豪華な品々だった。そしてその料理を勧める給仕服をまとったものたちがあちらこちらにいる。
「アンヘル、あの料理だけは食うなよ」
「あれにも魔法が?」
「可能性は大いにある。何があるかわから――
「おいおい、俺がせっかく用意したメシが食えねーって?」
 ふと、知らぬ声が聞こえた。反射的にサヴァの顔を見ると、今まで見たことのないような、緊張した――という言葉だけでは片付けられないような表情をしていた。だからこそ、アンヘルはなにも言えなかった。知り合いなのだろう。それだけは察した。
「ったく、知らない間に味覚音痴も治ったのかよ」
 そういうと、名前の知らない男性はサヴァの肩を掴んで向き合わせた。
 赤い髪の毛をもつ男性ひとだった。
 サヴァの呼吸がすこし浅く感じた。こわばる顔は間違いなく、〝見たくないもの〟を見るときの表情だった。けれども目をそらせないほど、サヴァはひどく動揺しているのだと知る。
「なぁ師匠、相変わらず文句が多いんじゃねーの?」
 そして、青ざめたサヴァは「ユーゴ」とつぶやき、輝くほど磨かれた床に膝をついた。彼は――赤髪の青年は彼を〝師匠〟と呼んだ。
……サヴァさま!」
 頭のなかの疑問をなげうって、サヴァのとなりに膝を折った。
「大丈夫ですか。……あなたは」
 サヴァがユーゴと呼んだ男性を見上げる。「誰」という疑問はふさわしくない。もう答えは出ているからだ。赤髪の彼が師匠と呼ぶのなら、サヴァの弟子なのだろう。

 アンヘルは昔と変わらないサヴァに、すこし安心した。幼いアンヘルを助け、そして優しくはない言葉をかけた。だからこそサヴァに憧れた。強かったからだ。力を力でねじ伏せる姿を覚えている。それがたとえ「暴力」という名であろうと、間違いなくアンヘルの命を救った。気紛れだとしても、見苦しかったから、見るに堪えないものだったからだとしても。なんでもいい。けれど彼は〝それ〟だけではなかった。紅茶を淹れれば「美味い」と言ってくれる。料理をつくったら食べてくれる。それが嬉しかった。命を救われたこととおなじくらい嬉しかった。とてもとても寒い日、寝床を分け合って一緒に寝た日もある。久しぶりに触れたひとの温もりというものを、目の当たりにした。強くて優しい人だと思った。だから触れてみたいと、そう思った。憧れだけではなく――一種の、感情表現として。――目の当たりにすると言えなかった。あなたのことを知りたいと。怖かったのかもしれない。そう、きっと怖かったのだ。サヴァを知ることが。それでも、彼と過ごす毎日はゆっくりと流れていった。魔法使いにとっては、ほんのひと呼吸くらいの時間だっただろうけれど、アンヘルにとってはきれいな花束のような日々だ。これからもそんな日々が続くと思っていた。彼の弟子となることをまだ諦めていないからだ。魔法使いの弟子。その肩書きに興味はない。アンヘルは、サヴァの弟子になりたいのだから。

 それでもアンヘルは問いかけたかった。
「あなたは、誰ですか?」