【カブミス】小夜啼鳥の調べ

連絡用妖精を使って執務室と自宅でやりとりをする、カブルーとミスルンの話。

 ミスルンさんの深い黒い瞳を見る時、俺は言いようのないくすぐったさと、やっぱり言いようのない喜びを感じる。愛しい人が俺を見ている、それだけで嬉しくてたまらなくて、でも恥ずかしくてしょうがなくて、上手く喋ることができない。見つめあってしまうと、彼に触れたくなって、心の底にあるはずの思いを、伝えることができない。
 でも、それくらいでいいのかもしれない。俺の心の奥底にある彼への独占欲は褒められたものじゃないし、彼を愛する悲しみなんかも、あの人には伝わってほしくなかったから。
 あぁ、こんな夜はあの人に会いたい。こんな夜くらいは、あなたとともにありたい。
 
 
 それはミスルンさんの邸宅を辞して、そのまま黄金城に向かう、ちょっとだけ甘ったるい朝のことだった。
 俺が馬車に乗る前に、彼は小さな箱をさりげなく渡してきた。俺はプレゼントかと嬉しくなったが、それは西方エルフの女王の紋章が彫られた、格調高そうな木箱だった。美しいそれはちょっと不穏である。だから俺は一体なんですかと尋ねたのだが、かすれた声で部屋についてから開けろとしかミスルンさんは言わず、だから俺はそう言われたとおり、多分魔術をかけられているのだろうそれを大事に手のひらにのせ、馬車に揺られて黄金城を目指したのだった。
(なんだろう……これ)
 俺は耳元で木箱を揺らす。重みは少々あったが、それが木箱の重みなのか、中身のそれなのかは分からなかった。こういうものをもらった時、おとぎ話じゃあすぐに箱を開けてしまって大変なことになるのだろうけれど、俺は教訓に素直だったので、城に着くまで、宰相補佐に与えられる執務室にたどり着くまでその木箱を開けなかった。けれども部屋について開けた時、俺はいっそう驚く羽目になってしまうのだが。
 執務室に入ると、あたりはしんとしていた。部屋付きの侍女が持ち込んだピッチャーに入った水がガラス窓から入る光に輝いて、水面はきらきらと光っていた。それはいつもの光景で、ただ、机の上に置いた、ミスルンさんが寄越した木箱だけが異質だった。
 もう、いいだろうか? まだ一日の始まりの鐘は鳴っていないが、その前に木箱を開けてしまってもいいだろうか? ――ミスルンさんは時間を指定していなかったし、まぁ、いいだろう。俺はそう考え、女王の紋章をひと撫でしてから箱を開ける、箱の中を覗き込む。だが、箱の中から何かが勢いよく飛び出して、俺は咄嗟に目を覆う。
「えっ、なんだ?」
 小さな翅がぱたぱたと騒ぐ音、何かが飛び回る音、それはぐるりと俺の部屋を飛び回って、最後に机の上にたどり着く。甘味が欲しい時用のカラフルな飴が入ったガラス瓶の横に、たどり着く。俺はそれを見て目を丸くする。これは、まさか、いやそんな。
「連絡用妖精?」
「そうだ、案外城に着くのは早かったな」
 迷宮で散々見たそれの口から、ミスルンさんの声が聞こえる。話の内容から俺の声も通じていることが分かったが、どこかフレキに似ている妖精の口から発せられる恋人の言葉は、なぜだか素直に受け取れなかった。もしかしてこれ、フレキから奪ったんですか? いや、借りたのかな。連絡用妖精にはペット程度の知能があると言うけれど、俺たちの言葉を理解するのかな? だったらあんまり詳しいことは喋れないな。いや、何を喋るって話だけれど。
「馬車を走らせたらすぐですから。それより、ミスルンさんは体調大丈夫なんですか? 今朝、ちょっと声が枯れてましたけど」
「あれはお前に昨日喘がされたからだ。もうマシになっただろう?」
「あーあーあー。そうですね、もうこの話はやめましょう!」
 連絡用妖精が、不思議そうに俺を見る。彼女は(彼は?)ぱたぱたと飛び回り、俺の肩にたどり着く。
「どうして?」
 耳元でミスルンさんの声が聞こえる。遠いところから連絡用妖精を通じて、ミスルンさんの声が聞こえる。ということは今日は一人じゃないってことだ。俺はそれが嬉しかったけれど、彼の疑問には「どうしてでもです!」と、断固とした態度で臨んだ。
 というわけで、今日はミスルンさんとともに仕事にあたることになるので、俺はいつものようにぶつぶつつぶやかず、文書の整理にあたることにした。肩の上にはずっと連絡用妖精がいて、時折飴をねだられたらそれをやって、俺は彼女を可愛がった。だってそこからは、本を読んでいるミスルンさんが思いつきで喋る声や、彼なりに俺を気遣う声が聞こえたから。俺は嬉しかったのだ。仕事はあまり進まなかったけれど(何せ連絡用妖精が何を見ているか分からないので、重要な書状は開けなかったのだ)、ミスルンさんが俺の声を聞きたがっていることが嬉しくて、俺にささやく言葉が嬉しくて、そんなことどうでも良かった。恋人が寂しがりだってことはこんなに嬉しいんだって思って、俺はとても嬉しかった。
 
 
 虫の音が聞こえる。部屋にはさっき侍女が来て、ランプを置いて行った。あたりは大分暗くなった。夕暮れ時が終わり、執務室の窓からは、家路を急ぐ役人たちの馬車が見えた。俺もそろそろ帰らねばならない。さっきもミスルンさんは今日は食事はどうすると聞いてきた。俺は急ぎます、と答えたけれど、書類の整理を始めてしまっては、どうもそれに熱中してしまう。
「ミスルンさん、あと少しで終わりますから。あ、でもお腹が空いたんなら先に食べていてくださいね。あとちょっとなんですが……
「私だって少しくらい待てる。元々食欲なんてあまりないのだし」
 お前と食べなければ、味もあまりしないのだし。そんな嬉しいけれど、ちょっと寂しい言葉を口にして、ミスルンさんは安楽椅子に座り込んだ。そんな音がした。
 それからしばらくして、俺はようやく書類を整頓するのをやめ、ミスルンさんに声をかけた。でもその時、甲高いが耳馴染みのよい、どこか歌を歌うような鳥の声が聞こえた。あぁ、と俺は思う。これがミスルンさんにも聞こえていたらいいのにって俺は思う。
「ミスルンさん、聞こえますか? 小夜啼鳥ですよ」
「聞こえない」
「今、窓の方に行きます。どうですか?」
……あぁ、聞こえた。こんなところで珍しいな」
 ミスルンさんが静かに言う。俺はそれが嬉しくて、連絡用妖精を窓辺に置き、涼やかな声で鳴く小夜啼鳥の、連続する音を意識する。森の中で、お休みと鳴く鳥たち。軽やかに飛ぶ彼らは、夜に鳴く、歌うものと呼ばれてきた。ある学者などは、小夜啼鳥を『絶え間なく、甲高い調べを甘く囀りながら死に果てる鳥』と言い、多くの詩人たちは『甘ったるい生活に浸かって死に絶える恋人たち』の比喩として使ったらしい。そんなこと、博識なこの人は知っているだろうけれど。
「迷宮からモンスターが飛び出して、生態系が変わりましたからね」
 俺は書類を収めた扉を閉じ、ミスルンさんに語りかける。
 俺たちはさっきからずっと、検閲されるさだめの手紙のやりとりをするように、普通の話ばかりしている。誰かが聞いているかもしれないので、愛しているとは言えないのだ。でも、今すぐあなたを抱きたい。抱きしめて、息もできないくらいにして、甘ったるい生活に浸かって死に絶えてしまいたい。小夜啼鳥が歌うように、甘く、甘く。
「ミスルンさん、今すぐあなたに会いたいな」
「なんだ、ようやく素直になったのか?」
……あなたには敵わないな」
 結局、俺はこの妖精を使って告白をしてしまった。対するミスルンさんは心を秘密にして、何も語らない。悔しかったけれど、とても嬉しかった。彼とともにいられることが、離れていてもともにいられることが、とても嬉しかった。
 俺は愛しい人の声を聞きながら、薄暗い執務室の中で、女王から下賜されたのだろう木箱の中に、連絡用妖精をそっと入れる。そうして最後に妖精に向かって「愛してますよ」と、ささやく。
 彼がこれにどう返してくれるかは、再び会ってからのお楽しみだ。俺はそう思い、忙しなく侍女たちが歩き回る廊下を進み、愛しい男が待つ邸宅へと走る馬車へと歩みを進めたのだった。
 あぁ、こんな夜はあなたに会いたい。こんな夜くらいは、あなたとともにありたい。小夜啼鳥が焦がれて鳴くように、あなたへの愛を囁きたい。