来羅
2024-10-23 09:44:36
2605文字
Public グオメ
 

with (クロアジ)

コテシェア直後。じわじわ実感するしあわせ。

「クロウリー、聞いてくれ!」
 目をキラキラとさせたアジラフェルが飛んできたのは、ある昼下がりのことだった。
 これ見て、と渡されたのは水道代の請求書の束。
 頭の中に疑問符を浮かべながら、クロウリーは水やりの手を止めてホースを投げ捨てる。
「これが先月の本屋ので、こっちがここに引っ越してきてからの分」
 指し示された今月の金額は先月の倍近くになっている。今までロンドンのフラットにいた頃、シャックスが持ってきた請求書はそのままゴミ箱に捨てていてろくに見たことはなかった。もちろん『普通』に支払ったこともない。そのため相場というものもよくわからないのだが、さすがに倍も違えば高すぎるということくらいはクロウリーにだってわかる。
「それは……
 思い当たるとすれば、それはまさに今の『これ』だ。
 アジラフェルの本屋とこのコテージの大きな違いは庭があるか否かで、広い庭に植えた植物の世話は主にクロウリーの趣味といってもよかった。
 ということは、つまり。
「俺が使いすぎてるせいだな。すまない、アジラフェル」
「え?」
 水の使いすぎだと言いたいのだろうと謝れば、何を言われたのかわからないといった呆けた顔が返ってきた。
「もっと節約して、」
「えっ、違う! そうじゃない!」
「? 庭の植物を枯らすか?」
「何てこと言うんだ!」
 良かれと思った提案は怒られた。
 両手を腰に当てて、アジラフェルが頬を膨らませる。怒っていますよとアピールする仕草は残念ながら可愛いだけだ。
「水道代が高くなったってことが言いたいんじゃないのか?」
「そんなのは住んでるのが『ひとり』から『ふたり』になったんだから、当たり前だろう」
「つまり?」
「つまり、そういうことだ!」
 胸を張るアジラフェルだが、何が言いたいのかさっぱりわからないクロウリーは早々に白旗を上げて首を傾げた。
 そんなクロウリーに、アジラフェルは再び目をキラキラとさせて顔を寄せる。
「ふたり分なんだ!」
 そうして、そっと秘密を打ち上けるように声を顰めた。
「君と、一緒に住んでるんだって、実感するだろう!」



 そんなことがあったからかもしれない。
「ありがとうねぇ」
 舗装されていない道をゆっくりと車椅子を押しながら、クロウリーはたいしたことはないと口角を上げる。
 道を歩いていたらオレンジが落ちていた、など映画の中だけの話かと思っていたら、現実だった。危なっかしい手つきで車椅子を動かす老婦人が、膝の上に抱えた紙袋からオレンジを次々落として途方に暮れているところに行き当たったのは、アジラフェルの打ち明け話に完敗した翌日のことだ。
 今までのクロウリーだったならば、もしかしたらそのまま通り過ぎたかもしれない。もしくはスナップひとつでなかったことにしただろう。けれどもこれがアジラフェルだったら、と一瞬頭を掠めた。
「まったく、危なくて見てられないな。家はどこだ?」
 足元に転がるオレンジを拾ってやり、車椅子に手をかける。普通の『悪魔』なら車椅子を壊して笑ってやるべきなのだが、そこまで陰険にはなりたくない。
 クロウリーを見上げて目を丸くした老婦人はまぁと手を口に当てた。とても人助けするような見てくれじゃないのはわかっている。けれども眉を顰めたクロウリーとは対照的に老婦人はにこにこと笑った。
「貴方、最近新しく来た人ね? クロウリーさん! もうひとりの、なんて言ったかしら、あの人と一緒に住んでる……
「アジラフェル」
「そうそう、フェルさん!」
 すでに近所の住人たちとコミュニケーションを取っているアジラフェルはさすがだ。
「最初は怖い人なのかと思ったけど、フェルさんの友達ならいい人にきまってるわよね」
「それはどうかな」
「だって、フェルさんがたくさん貴方のこと自慢してるもの」
 ぽん、と手を打って笑う老婦人に今度はクロウリーの方が目を丸くした。
 なんだって、と聞き返そうとすれば、老婦人に私の家はあの赤い屋根の家よと指差されてしまってやむを得ず黙ったまま車椅子を押す。
 アジラフェルが。
 自慢。
 そういうのは面と向かって言ってほしいものだが、精一杯顔を顰めて頬に上がった熱を誤魔化そうとするクロウリーにはまだ直接聞く心構えはできていない。
 君は優しいから。
 想像の中のアジラフェルが頬を緩めた。違う、と言いたいけれども、アジラフェルにはそうありたいと思う。
「ありがとう、クロウリーさん」
 聞き慣れない言葉にむず痒くなりながら、頷く。
「お礼にどうぞ。帰ったらフェルさんと一緒に食べてちょうだいね」
 そう言って微笑む老婦人から渡されたオレンジはふたつ。
 当たり前のようにクロウリーのこともカウントされたことに、少しだけ驚いてクロウリーは目を瞬いた。
 ロンドンでは顔馴染みに渡されるのはアジラフェルへの伝言だったり、贈り物だったりで、俺はメッセンジャーボーイじゃないぞと口にするまでがセットだ。
 右手に提げたビニール袋にオレンジふたつ。
 随分と重いそれを持って、コテージへの道を帰る。
 『帰る』
 アジラフェルのところへ『行く』のではなく、アジラフェルの待つ家へ『帰る』。
 そう思った途端に胸がぎゅっと締め付けられるようだった。あふれんばかりの温かさに鼻の奥がつんとする。

『君と、一緒に住んでるんだって、実感するだろう!』

 請求書の束が。
 ふたつのオレンジが。
 いつもは気にならない些細な違いが日常を形作っていき、そして『ふたり』であることがいつか当たり前になるのかもしれない。
 それが、幸せだと、そう思う。
「あ、おかえり、クロウリー!」
 甘い匂いをさせてキッチンから出てきたアジラフェルが笑う。この匂いはスコーンだろう。これもきっと、ふたり分。
 それならこのオレンジはジャムにでもしようか。日頃作るジャムにするには少なすぎるオレンジも、ふたり分ならば問題ない。
「オレンジ! どうしたんだい?」
「もらった」
 オレンジを手渡しながら脱いだジャケットを、アジラフェルは自然に受け取り壁のハンガーにかける。隣にはベージュのトレンチコートと帽子。玄関先にふたつ並んだ服が今さらながらにくすぐったい。
「アジラフェル」
 ここは『ふたり』が住む家だ。
「ただいま」