らん
2024-10-23 08:52:59
6082文字
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さくこと&すおにれ

未来if どっちも付き合ってる

「買いすぎた」
 ついごちたくなるほどに両の手で抱えた手提げ袋は重い。唯一授業が五限までの今日を見計らってスーパーに来たが、結局手持ちのエコバッグには収まらず、袋を追加で買った始末だ。張り切りすぎてしまった自分に苦笑し、ことはは重さと向き合うようにいざ一歩を踏み出した。
 最寄り駅近くにしかないスーパーで食材を買い込み、少しだけ遠くに足を伸ばして精肉店に赴く。今日ばかりは奮発して、いいお肉を食べさせてやりたい。誰に?と問われれば、高校卒業後から同棲を始めた彼氏、桜にだ。
 交際は高校在学中からだったが、高校認定試験を経て調理の専門に進んだ自分と卒業後は短大に進んだ桜は忙しさが互いに同じくらいだった。いろんな意味を内包した独り者同士なので、桜が卒業して成人すると同時にその前から社会人をやっていたことはの名義でふたり暮らし用の安いマンションに住むようになり、そろそろ一年が経つ。
 見た目や過去の素行もろもろを加味してもなかなかバイト先が決まらなかった桜は、現在その身体能力を活かしてスタントのバイトに夏頃決まった。そこでちょっと大きめのスタント役を貰ったというので、ことははお祝いにいつもは食べられないご馳走を作ってやる気だったのだ。
 お腹いっぱいにはならないかもしれないが満足できるだろう量分の霜の降る牛肉を買うと、それだけで毎月の食費の三分の一程度が飛んでしまったが、どうせ今月も残り半分の折り返し。遣り繰りだけは上手なのでこれぐらいは痛手にならないだろう。
 大事にエコバッグの一番上に乗せ、ついでに牛脂も頂き、さて帰宅しようと歩き出すと両手は悲鳴を上げる。あまりにも重い。やっぱり桜を家から呼ぶべきだったかとここで後悔するも、そわそわと家で自分の帰りを待っているであろう顔がちょっと――いや、かなり見たかったので、呼ぶという選択肢はすぐに消えた。
 普段よりも二倍は遅いスピードで帰路を辿る。平坦な道ばかりで助かった。暮らしているマンションも一応小さなエレベーターがあるので、とにかく着いてしまえばこちらのものだ。ことはは桜の無邪気に喜ぶ顔見たさにこの苦労を堪えているが、重いものは重い。
一度帰って自転車で来るべきだったと思えど、もう買ってしまったのでどうにも出来ない。それにあと十分もしないくらいで帰れるだろう。
 ひたすら無言で重さと向き合いながら夜闇に呑まれた住宅路をひた歩く。目線はどうしても前に向かず、足下しか見れない。ポトスでの買い出しより重いんじゃないかと思うレベルの重量を手に、調子に乗りすぎた約一時間前の自分を恨んだ。
 バカじゃないの、呟きたかったものは息に代わり、せめて胸は張ろうとことはが背筋を正したところでふと手前からやってくる男性に声をかけられた。
「お嬢さん、お手伝いしましょうか」
 聞き覚えのある声に、ずっと足下を見ていた顔を上げる。すると、やはり見慣れた眼帯とタッセルのついたピアスが目に入った。しゃらりとタッセルが揺れる様は高校生の時となんら変わりない。甘いマスクと優しい声色なのに、どこか得体の知れなさが滲む彼の名をことはは呼んだ。
「蘇枋!」
「こんばんは。大荷物だね、両方持とうか?」
「お気持ちだけ有難くいただくわ。……うーん、こっちの袋持ってくれない?卵が入ってるの」
「責任重大だ」
 たった今来たばかりの道を連れ戻してしまう事を謝れば、蘇枋は気にしないでと柔く笑む。
「困ってる女性を放っておけないよ」
「あんた、その顔でそういうこと言うの良くないわよ」
「ことはさんだから言うんだよ」
 絶対オレになびかないって分かってるから。そう事も無げに言いのける蘇枋を見、ことはは察しが良すぎるのも考えものだと溜息をついた。大学でもそれなりに女性から言い寄られているのだろう。彼の優しさはある程度誰にでも向けられるが、この男は優しいだけではないので線引きも綺麗だ。
 自分の帰路と逆方面に向かっていたということは、桜とことはの住むマンションから帰る所だったのだろうと推察出来る。風鈴のメンバーはよく彼女達の家に遊びにくるので、ことはも互いに用がある時以外は好きに呼べと桜に言ってある。
「今日にれーは一緒じゃないの?」
「にれ君は今日授業のコマが多い日なんだ。それでひとまずオレだけ遊びに来たんだよ」
「ふーん。付き合い始めてから全然ふたりで来ないじゃない」
……そんなことないよ?」
「べつに桜がそんな事気にするわけないから、好きに来たらいいのに」
 どういう事情があって今に至るのかはことはも、そして、蘇枋と楡井の親友である桜も知らないが、付き合い始めたと報告に来た一ヶ月前からふたりが一緒に来る事はめっきりなくなってしまった。前は週に一度は来ているのではないかという頻度だっただけに、桜も何も言いはしないが少し寂しそうに見えるくらいだ。
「いや、こちらの問題というか……。にれ君もあんまり気にしてないんだけどね」
「え、あんたが気にしてんの? のらりくらりしてそうなのにねー」
「ことはさんもオレのこと、そこそこ辛辣に言うよね」
 荷物を持たせ、更に帰りを遅くさせている手前言いたくないが、あの蘇枋が交際を始めてから初心な面を見せるとは到底思えず、ことははただただ驚きの顔で蘇枋の横顔を眺めていた。
「蘇枋なら付き合ってる雰囲気すら感じさせないか、むしろ溺愛!って感じの両極端っぽそうだなって……
「アハハ、オレってそんなイメージなんだ。桜君には前者っぽいって言われたけど」
「だって、にれーの師匠もやってたじゃない。そうだって吹聴?ではないか……こう、分かるようにはさせてたしね。付き合い始めましたって報告に来たのも牽制とかなのかなって」
「ええ?そう思われてたのか……いや、うん、……今となってはそうなのかな?そうなのかも」
 遠くを見つめる蘇枋の顔はどこか浮かない。ことはは住宅路に点在する電灯に照らされる美しいかんばせの青年の横顔から目を逸らさずにいると、ふと目がかち合った。
「意識的にそうしてた事もそれなりにあったけど、最近はちょっとね」
……それ、私が聞いていい話?桜じゃなくていい?」
「うん。桜君にも少し話したけど、ほら、桜君はバカみたいに心が広いから、これは理解しがたいと思うんだ」
 それもそうだとことはがクスクス笑うのを見て、蘇枋は少し気分が晴れたのか疑問を口にした。
「ことはさんは、桜君のこと、独占したいって思う?」
 そこですぐにことはは悟る。独占欲、ということであれば、成る程。確かに桜には荷が重い話題であろう。恋人であることはから見ても彼にはそういう欲が薄い。他人に期待はするが、それは過度なものではなく、自分に与えられてるものだけでも充分だと笑えてしまうからだ。
 ことはは両手で抱えられるようになったエコバッグをガサゴソと揺らしながら、蘇枋の質問に迷いなく答えた。
「桜自身を独占したいとは思わないかな。独占出来るとも思えないし。……でも、そうね、……うーん、桜に近い人間にこういうこと言うのはちょっと恥ずかしいけど……私と居る時はそりゃ独占したいわよ。今は私のだもん」
「ことはさんらしいなぁ」
「蘇枋は、にれーのこと独占したいの?」
「前なら『そんなことないよ』って即答したんだけど」
 最近、自分の感情の変化を目の当たりにすることが多くて嫌になっちゃうよ。
 苦笑した蘇枋は溜息こそつかなかったが、その顔はやはり浮かない。ことははようやく彼から目線を外し、残り幾ばくもない距離を見つめた。まだマンションは見えないが、二つ先の角を左へ曲がればすぐだ。
 ことはは悪い事ではないと思う、と素直にこぼした。
「それだけにれーの事が好きなんでしょ。おかしくないわよ」
……オレ、前までお揃いとか、アクセサリーをあげたりすること、正直寒いなって思ってた」
 互いの持つ荷物が揺れて音を立て続ける。ガサガサと鳴るコーラスに時折かき消えそうなほど小さな声で、蘇枋は自身の心中を吐露した。
「そういう独占欲を曝け出す行為に対して冷笑したくなるというか……本人達が満足しているならそれで良いんだろうけど、少なくともオレには出来ないなって」
「いつもはノリが良いのにね」
「ハハ、うん。楽しい事は好きだから。それが友人なら苦でもない。ただ、恋人としては湿っぽいでしょう。でも、……どうしてかにれ君は引き止めたいと思うから……アクセサリーとか渡したいって、オレがあげたんだって分かるものを身につけてほしいって思っちゃうんだ。そういう自分の心の狭さに辟易してる」
 やけに饒舌な蘇枋を横目に、ことはは前を向き続けて表情は見ない。そうであった方がいいと思ったからだ。
 きっと、誰にも話せなかったのだろう。真に話すべき相手はこんな事を聞いてしまえば感情の露出を躊躇うようになるかもしれないと踏んで、それでも近しい人にしかこんな事を話せるわけもなく、ずっと抱えていたのかもしれない。桜には理解しがたい、というのもやはり頷けた。
「ことはさんは桜君にアクセサリー貰った事があるでしょ?」
 今一度振ってきた質問に対し、ことはは肯定した。
「今付けてるピアス」
「それ、にれ君が桜君に頼まれて一緒に探してたんだよ。……桜君は、自分のためじゃなくて、ことはさんのためにちゃんと選べるんだ。自分が選んだ事が重要じゃなくて、ことはさんに似合うかどうかが重要で、いつ付けても違和感がないものを選べる。そういう選択が出来る。……でも、オレには出来ない。自分が選んだものを付けてほしいし、オレを思い出せる物にしたい。にれ君を考えてるんじゃなくて、オレのためでさ」
「そんなの、誰だってスプーン一杯くらいは自分のためじゃないの?」
「そういう君だって、だいたい桜君にあげるものは消化出来るものじゃないか」
 言われてみるとそうである。今日のご馳走だって手間暇や時間をかけた上で作って出しても、美味しいという言葉と引き換えに胃の中で消化して終わるだけであり、物として残るものではない。桜が喜ぶから作りたくて、でも、あの笑顔が見たくて作っているからやっぱり自分のためでもあるのだ。
 そっくりそのまま伝えてみるけれど、本人にさえ伝わればいいと思う事だけで満足出来るのが羨ましいと蘇枋は納得しなかった。
 そこでことはは薄々勘付いていた蘇枋の心境に名前をつけてやる。
「あんた、ただ不安なだけじゃない?」
「不安?」
「自信がないのかもね。自信があれば気にしない些細な事ばっかり気にしてる。相手が許せば独占したっていいのよ。お揃いだって、アクセサリーみたいな小さな束縛だって、たとえ自分のためだとしても、渡す相手が嬉しいと思えばそれだけで良いのに……そう思ってもらえる自信がないから不安になってる」
 虚を突かれたような顔とともに蘇枋の歩幅は狭くなる。相変わらずカンフーシューズを履いている彼の足は、ことはよりもひと回り以上大きかった。
「オレと付き合って良かったって思ってもらう自信、ないの?」
……分からない」
「にれーに好きって言われた事は?」
「ある、けど」
「その言葉、信じてやれないの?」
「それは信じてるよ」
「じゃあやっぱり、あんたが許せてないのは『変わった自分』でしょ」
 自分を信じられない。同じ感情を確認して交際をはじめて、相手を信じているのならば、自分が相手を幸せにしてやれる自信もなければ、不安でもあるのだろう。幸せにしたいという気概があっても、それを行動にどう移せばいいのか分からないのかもしれない。
 何が蘇枋を躊躇させているのか本質は読めないが、ことはは桜と仲良くしてきた蘇枋と楡井のことを第三者としてよく識っている。
「にれーは話せばちゃんと聞いてくれる。蘇枋はどんな事だってまずは寄り添おうとしてくれる。それだから、桜はあんた達とずっと一緒に居るんだから。……あんたが変わったって、誰も笑いやしないわ」
 角を曲がれば住まいが見えた。あと数十メートルの距離はそのまま無言で終えたが、エントランスで持ってもらっていたビニール袋を受け取るとまた地獄のような重さがことはの両肩にのしかかった。
「ここまでありがとね。助かりました」
「こちらこそ、お悩み相談に乗ってくれてありがとう」
「自分で解決できそうなのにねえ。やっぱりちょっと変わったんじゃない?年相応で良いと思うわよ」
「ことはさんも同い年なんだけどなあ。……桜くん、すごく楽しみにしてたよ。すき焼きなんだって?」
 責任重大な卵を任せてくれてありがとう。そう言って帰路より明らかに晴れやかな顔で笑う蘇枋に、ことはも笑い返す。
「そう。桜が食べてみたいって言うから美味しいやつ作るの。……にれーはね、蘇枋が選べばなんでも喜ぶと思うわ。なんだかんだ桜もそうだから」
……そうだといいな」
「またふたりで来てね」
 答えは曖昧に濁されたまま蘇枋は改めて駅へと向かってしまったが、次はきっとふたりでやってきてくれるだろう。
 姿が見えなくなるまで見送り、視認できなくなると、ことはは気合を入れ直して両手の重りみたいな食材達と共に我が家へと急いだ。
 エレベーターで三階まで上がり、いくつか扉を通り越し、もはやバッグを開けて鍵を取り出す事は出来ないのでどうにか離せた指でインターホンを押す。数秒後ノイズが走ったかと思えば、桜の声がする前に通信は切れ、ついでバタバタとドアロックを外す音が響いた。
 開けてもらえるだろうと身を横にずらすと望み通り玄関ドアが開き、恋人が顔を出す。
「そんなに買い込むならオレ呼べよ!」
「ごめん、こんな買うつもりなかったのよ」
 躊躇なく両手の荷物は桜に渡り、先に室内へ戻っていく桜の背を見ながらことはは笑った。
「ただいま」
「おかえり!長ねぎってどこに保存すんだ?」
 彼女が靴を脱いでいる間に既に荷物を片付け始めたようで、まず手につけたのが飛び出していた長ねぎだったようだ。ソワソワしている雰囲気が伝わり、ことはは笑いが抑えられない。
「もー、あんたがちゃんと鍵閉められるようになったこと褒めようと思ったのに……
「前から閉めてるし……
「はいはい、そうねー。ありがとねー。……おなかすいた?」
 煌めく黒と金の瞳がことはの見たかったものだ。家に帰ってきてまず見れた恋人の表情は、今は自分だけが独占している。それが嬉しい。この感情に対して悩める桜の親友は、本人が思っているほど諦観とは無縁だということにそろそろ気づくだろうか。
「あんたの周りは優しい人ばっかりね」
 ついまろび出たそれに、桜は首を傾げながらもにっと口角を上げた。
「お前が向き合えって教えてくれたから」
 その結果だとばかりに言いたげな桜をどうしようもなく抱きしめたくなった事は秘密にしておこう。