【小説】逆転裁判5/特別製の言葉

クリア当初の勢いで書いた葵大地のお話。
ピクシブからの再録。
・偽者注意報!
・葵大地の死に際描写あり
・もはや捏造状態

 ラウンジの床はひどく冷たかった。

 防寒機能を備えた宇宙服を着てるのに何故だなんて考えて、わずかに鈍った脳がようやくそれに気付く。
 そうだ、自分は刺されたのだ、と。
 刺された場所を中心に火傷のようなあつさをうったえていた身体は、打って変わったようにガタガタと寒さに震えている。決してラウンジの床が冷たい訳ではなかったのだ。身体の熱が消えていく。それもすぐにわからなくなったのだけれど。
 震えていた身体も、噛み合わずカチカチと音を立て続けた歯も静かなもので。痛みなんて、もうとっくに感じていなかった。この状況がとても危険なものだとわかっていても、身体は重く、指一本たりとて動かない。この服がとても重いからだ。いいや、違う。違う。本当はどうしてこんなにも身体が重いのかなんて、ちゃんとわかっていた。わかって、いるのだ。横たわった暗い床の上で、今にも自分の命が消えていく。

 ドッと押し寄せてきた恐怖に我知らず口を開いていた。

 ――オドロキ。

 声に出したつもりのそれは音にもならず、ヒューヒューと情けない空気とともに喉を震わせただけだった。それでも葵は黙らなかった。オドロキ、なあ、オドロキ。何度もここには居ない親友の名を繰り返す。

「だ、……じょ、ぶ」

 途切れ途切れに漏れた声はひどく擦れて小さかった。葵を知る人物が聞けば誰もが驚くほどに、その声は弱々しく、まだ近くにいるであろう『誰か』にすら届かないほどで。ヘルメットの内側で聞いたであろう己自身の声の弱さにも気付かず、自分を刺した人物のことさえ既に意識の外へと追いやっていた青年は、更に繰り返した。大丈夫。大丈夫だ、と。

 ――葵大地は大丈夫。
 だから、王泥喜法介も――

 ふと、気付いた。気付いてしまった。葵は一瞬、たった一瞬だったけれど呆然とした。なんてことだと思った。そしてそれはすぐ、言い様のないほどの悔しさへとかわる。
 大丈夫、口癖のように繰り返してきた言葉だった。実際に口癖だったし、合い言葉でもあった。それは昔、葵が貰ったもの。泣いていた自分に「大声で叫ぶと本当に大丈夫な気がしないか?」と笑って言った親友が教えてくれた魔法の言葉。その言葉に何度救われただろう。きっと彼は知らない。その言葉だけではなく、親友の存在こそが自分を強く導いてくれていたことを。そんな彼が言ってくれた「大丈夫」がどんなに自分を支えてくれていたのかを。だから、葵は同じくらいに彼を支えたくて、その言葉を彼へと贈るのだ。どんなに心強かったのかを知っているから。あの言葉をはじめて貰ったとき、どれほど救われて感謝したのかを伝えたくて。かけがえのない親友と同じように、胸を張れる自分でいたかった。

 親友の「大丈夫」は特別だった。
 親友にとっても、葵の「大丈夫」は特別なのだと笑っていた。
 嬉しかった。誇らしかった。いつまでも続くと信じきっていた。当たり前のように言葉にできると思っていた。

 けれど、もう、言えないのだ。二度と言ってやれない。自分はもう。
 次々に押し寄せる悔しさに、葵は無性に叫びたくてたまらなくなる。

 まだだ。まだ死ねない。夢は叶っていない。宇宙に行けてない。星成さんとあの空の向こうへ行けていない。親友の後輩にも会えてない。久しぶりに会うはずだったオドロキとの約束を破ってしまう。だから、まだ――。次々と溢れて止まないそれは未練だった。当たり前に続く明日を唐突に取り上げられた青年の、心の叫びでもあった。悔しくて悲しくて仕方がなかった。
 けれど。それでも。

 親友を信じていた。

 彼なら大丈夫だと葵は知っていた。わかっていた。自分の親友はとても強いヤツなのだと。どんな壁にぶつかっても、苦悩しても、立ち止まることをしない。みっともなかろうとも足掻いて、自分の信じたものを貫き通す為に真実に向き合おうとする、諦めないヤツなんだ。そんな親友が誇らしかった。そんなヤツのライバルであれる自分が嬉しかった。
だから、大丈夫。王泥喜法介は大丈夫だ。
 ただ、一番にその言葉を言ってあげれないことが。二度と伝えれないことが何よりも悔しいだけなんだ。
 急激に霞みだした思考のなかで、葵は思い出していた。
 あの校庭での親友の言葉を。二人で通いつめた宇宙センターでのこと。互いにとってヒーローだった星成さんのこと。弁護士バッチを突き付けてきた親友の笑顔。念願であるHAT-2の飛行士に選ばれて手にしたジャケットの感触に、我がことのように喜んだ彼の――
 一瞬のように感じてしまう思い出のなかを駆け抜けて、葵はまぶしげに目を細める。

 自然と口元には笑みが浮かんでいた。

 楽しかった。そう、楽しかったのだ。つらいことだってあったし、きれいな思い出ばかりではない。けれど、楽しかったと、そう思える人生であったことは自分が一番わかっているから。

 思い出の中の親友が笑っている。

 声が聞きたかった。
 顔が見たかった。
 逢いたかった。
 今すぐ彼の元に飛んでいって、いつものように「大丈夫だ」と言ってあげたかった。
 同じように彼の「大丈夫」を聞きたかった。
 それはもう無理なのだとわかっている。
 どう足掻いたって自分はここで死ぬんだ。
 やり残したことは山ほどある。
 言えなかったことだって。
 それでも、ごめん、は言わないでおきたい。きっと彼は怒る。
 悲しむな、なんてことは言えない。でも、太陽みたいに笑う親友のほうがずっといい。

 だから、何度だって言うよ。オドロキに届くように、ずっと。ずっとだ。

 ――王泥喜法介は、オレの親友は、いつまでも。いつまでも、大丈夫です!

 暗転した世界が跡切れる直前、確かに、親友が頷いた気がした。