【小説】フィルムレッドEND後のお話

グランドラインだからね、なんだってあり得る。
ピクシブからの再録。

 エレジアを発って……娘の最期を看取ってからも赤髪海賊団は今日もグランドラインを突き進む。
 いつもは陽気な赤髪海賊団が昼も夜も涙に暮れようとも日は昇るし、明日はやってくるのだ。
 まるで12年前のあの日々に戻ったかのように、娘の残り香を見つけては泣き、喧嘩をふっかけてきた海賊船へは新人より前に古参クルーが飛び出して八つ当たりのように暴れ回った。
 この世界からあの子が居なくなった事実に耐えかねるように心はずっと叫んだまま。

 そんな日々が続いたあくる日、船はずいぶんと長い嵐の中を航海していた。
 ずっと続く長い嵐は長年の航海にも耐えてきた帆や甲板を軋ませていく。
 ──トントン、タンタン。
 日の光を見なくなって何日が過ぎたのか、シャンクスは覚えていないし、数えもしなかった。
 ただ、続く長雨に甲板へと出なくなった反面、自室たる船長室で時間を費やしていた。

 記憶の中の幼い娘とともに過ごした部屋だ。

 抱き上げた体の重さもぬくもりも片時たりとも忘れたことがなかったはずなのに、最期に抱えた娘の冷たくなっていく体の重さばかりが残された右腕に残っている。
 机に転がる無数の酒瓶が嵐に揺れる船にあわせて音を立てても、耳に残るのは最期のあの子の歌声だった。
 ──トントン、タンタン。
 後悔ばかりが胸を突く。
 ぽっかりと胸に穴が空いてしまったかのように、そこに風がビュービューと音を立てて吹き込んでいる。
 胸が苦しい。
 何故、何故と思い返しても時間はもう二度と戻ることはない。
 冷静にそれを理解する理性と、知ったことかと叫ぶ心にヤケ酒を呷ろうと伸ばした右腕も、ぐらり、と大きく船体が揺れたことで指先は瓶に触れもせずに宙をかすっただけだった。
 まるで、あの子を掬い上げられなかったのを比喩しているようじゃないか。
 ──トントン、タンタン。
 ずっと嵐の中で響く音に、シャンクスはむしゃくしゃして立ち上がった。
 きっと長く続く嵐に船大工達が走り回っているに違いないが、この音が無性に癪に障って、誰でもいいから「うるせェ!!」と声を荒げてしまいたかった。
 シャンクスという男はとても大人げない男である。
 それはこの船に乗る船員全員が知っていることで、古参メンバーならうまいこと取り扱ってくれるだろうとミジンコ並みの理性がこの鬱憤を晴らすためにはけ口を求めていた。

 バン! と勢い任せに扉を開いたものの嵐の中のせいか音は全くといっていいほどに響かない。
 踏み出した廊下が揺れているのは嵐のせいなのか、はたまた飲み過ぎた酒のせいか。
 ──トントン、タンタン。
 やけに頭に響くその音が煩わしい。
 それだけがシャンクスの苛立ちを助長させる原因だった。
 その音の発生源を求めて酔った男はふらふらと船内を歩き回る。
 どこを修理しているのか、わからなくなっては響くその音に、それほど船の損傷箇所があるのか? とやけに冷静な思考が頭をもたげ始めたのは、酔いが覚め始めたからか、はたまたまるで追いかけっこでもしているかのように感じてしまったからか。
 ──トントン、タンタン。
 近づけば遠ざかる。
 それを何度くり返したか、不意にぐらりと船がひときわ大きく揺れた。
「おっと」と思わずたたらを踏んだシャンクスは、支えを求めて曲がり角を残った右手で掴む。
 その視界の端で木槌とレインコートが見えた。
 ムッとした感情が息を吹き返し、シャンクスは大きく口を開いたものの言葉が口からこぼれることはなかった。
 見やった先、そこに12年前までの娘の成長が刻まれた板目があったから。
 ──トントン、タンタン。
 どこからともなく音が響く。
 まるで幼かった娘がこの船をステージにするときのような靴音で、その音のように聞こえてシャンクスの感情はずっと逆なでされていたのだ。
 ──トントン、タンタン。
 待ってくれ。
 思わず呟くようにシャンクスはその音を追いかけていた。
 まるで追いかけっこでもしているかのように。
 追いかければ嬉しそうにきゃあきゃあ笑いながら振り返る、あの遠い日の記憶が呼んでいる。

 飛び込んだのは宝物庫だった。
 嵐でとっちらかった部屋は大層な荒れ具合でシャンクスは思わず「あちゃー」と額に手を当てた。
 酔いなんて吹き飛ばすような有り様だったからだ。
 足の踏み場なんてないほどに溢れた財宝と木箱、そして半開きの宝箱が四散していた。
 それほどまでに酷い嵐だったのかと、状況を把握するために巡らせた視線の中で、シャンクスは思わず息を詰まらせた。

 ──トントン、タンタン。

 暗がりが深い部屋の隅に転がった一つの宝箱。
 大きく開いた口からは中に納められていたはずのモノ達があふれ出ている。
 あれは、そう、あれは。
 遠い昔、喧嘩をふっかけてきた海賊船からの戦利品。
 その財宝の山で聞こえてきた微かな声。
 そっと開いた中から飛び出してきた──

 ……ウタ。

 喉の奥からかすれたような音しか出なかった。
 その宝箱はあの子が入っていたもので、納められていたのはあの子に与えた宝物ばかりだった。
 あの子がこの船を降りてから手放すことも、そして触ることも出来ずに大事に大事に仕舞ったままにしていた宝箱。
 本当に大切だった宝物はここにはもう無いのだと、ツラさから目をそらしていた記憶の宝箱。
 俺の、俺たちの宝物。

 ──トントン、タンタン。

 その宝箱がぶつかって出来たであろう壁の傷を前に、木槌を片手に身を屈める船乗りのレインコートの背中は──クラバウターマンだ。
 手には木槌を持ち船乗りのレインコートを着て、船の凶事に船内をかけずり回ってそれを知らせるという、船乗りに語り継がれる伝説のひとつ、本当に大切に乗られた船にのみ宿る妖精、船の化身。
 ロジャーの船を造ったトムに聞かされたおとぎ話。
 眠るのがイヤだと駄々をこねる娘に聴かせた寝物語。
 それが、今、シャンクスの目の前にあった。
 けれども、それよりも衝撃だったのは。

 レインコートからはみ出した黄色いワンピースの裾、茶色のブーツは。

 それは12年前の愛娘へ最後に買ってあげた衣服。

 年の近いルフィと年相応に走り回るようになったことで傷むのが早くなって、次の島でまた新しいものを買ってやろうと思っていた。

 あの島で降りることを拒んだあの子の機嫌を宥めるために、朝一で新しいものをともに選ぼうと思っていた。

「ウタ」

 次はするりと声が出た。
 けれどもそれは酒に焼けてかすれ、窓一枚向こうでごうごうと吹き荒れる嵐にはかき消されてしまうように小さかったはずだ。
 それでも、聞こえたのだろう。
 リズムカルに刻まれていた木槌の音は途切れ、ぱっと立ち上がった小さなレインコート。
 深くかぶったレインコートで顔は窺い知れないものの、振り返ったときの仕草も何もかも娘とそっくりで。
 最期に棺に納めたのはこの船だった。
 最後まで別れることを惜しんだ亡骸だって、傷む前に、綺麗なうちに送ってやろうと泣きっ面の仲間達に諭された。

 ならば、魂は?

 肉体という束縛から解放されたあの子の魂は何処へ?

 あの炎に包まれたエレジアから立ち去った時、背後から聞こえたのは自分を呼ぶ叫び声だった。
 ずいぶん離れた場所でも、船の間近に砲弾が落ちて豪快に水飛沫が散ろうとも、見聞色の覇気なんてものがなくとも、その声は聞こえていた。
 自分の娘の声だ。
 自分たちの娘の、泣き声だ。
 この世が終わったかのようなその慟哭を、背に、何故今すぐ引き返してあの小さな体を抱き締めてあげられないのかと自分自身に絶望したあの日を忘れられるものか。

 置いていかないで、と叫んだあの子を置き去りにして、今では自分こそがあの子に置き去りにされたのだと思っていたのに。

 ここに、ずっと一緒に居てくれたっていうのか。

 声にならないシャンクスの問いに、唯一見ることの出来る口元に大きな笑み刻まれた。
『もちろん』と頭に直接響くような声が聞こえる。

『私は赤髪海賊団の音楽家、ウタだよ!』

 幼いあの日の声で、彼女が笑う。
 音楽家だと胸を張るその手には不釣り合いな木槌が握られたままで、あまりのちぐはぐさにシャンクスは思わず笑った。
 あの日からようやく、笑うことが出来た。