シノハラ
2024-10-22 23:20:12
2228文字
Public ルムメ
 

先輩に枕にされてるメラックを救出する後輩の話


 書斎でこれ以上文字を追うなら明かりを灯さねばならなかった。無精をして卓上の明かりだけで済ませても今のアルハイゼンとしては構わなかったが、未来の自分は文句を言う可能性がある。
 少しでも長く知識に触れ続けるためには入力装置を大事にする必要があると教えてくれたのは祖母だったか。彼女はアルハイゼンへの指導の通り過ごしており、晩年にあっても目の力を失うことはなかった。偶然の部分はもちろんあるだろうが、ある程度意識して暮らしておいて損はない。
 根が生えかかっていた椅子から立ち上がり、アルハイゼンは書斎の入り口に向かう。そうすれば、近づいた居間の方からかすかな音が聞こえた気がした。
 一人で暮らしているわけではないのだから、生活音の一つや二つ珍しくもなんともない。というより、共に暮らすひとはどちらかというと騒音を出すタイプに分類される人間だった。
 静と動がはっきりしていると言ってやりたかったが、静かに仕事をしていると思えるときですらぶつぶつと何かを言っている。カーヴェというひとは思考を頭の内側に留めきれない人間なのだ。
 だから、そういうものであればアルハイゼンだって気にも止めなかった。今回聞こえて来たものはうっかり手の甲をぶつけて物を落としてしまったとか、ああでもないこうでもないと思案するものとは違っている。
 かすかにアルハイゼンの聴覚を刺激したのは彼のうめき声だった。仕事に行き詰まって悲観したようなそれとはまた違う、純粋な苦痛を帯びる音。
 彼はアルハイゼンを利己主義の権現だと思い込んでいる節があり、そういう側面も皆無ではなかろうとアルハイゼンはカーヴェからの評価を強く訂正するつもりはない。その『利己主義者』であるアルハイゼンのこれからの行動をカーヴェはどう評価するだろうか。
 もしかしたら体に異常があるかもしれない者を放っておいて、自分の家で死者が出るような事があると色々と厄介だから? たしかにそれはそれで事実ではあるが。
 アルハイゼンは書斎の明かりを灯すのを後回しにして、居間に足を向けることにする。居間も明かりは灯っておらず、天井のステンドグラスからうっすらと差し込む太陽の忘れ物が部屋の輪郭を浮かび上がらせていた。
 おそらく一番カーヴェがいる可能性が高いカウチの一つに視線をやると、まず足らしきものがあるのが見て取れる。どうやら眠っているらしい。
 であれば、ただ魘されているだけの可能性が高い。小さく息を吐いてから、自身の内に強張りがあったことにアルハイゼンはようやく気づいた。
「ピポ……
…………
 カーヴェの顔があるはずの辺りを覗き込めば、緑の光がぱちぱちと瞬きをしてきてアルハイゼンの目が一瞬眩む。刺激をいなすために瞼を落とすうちに、どうにかアルハイゼンの耳に届く程度の微かな声に助けを求められた。
 つまるところ。カーヴェは居間で仮眠を取ろうとして、カウチに身を横たえたは良いもののうつらうつらしながらクッションではなくメラックを引き寄せてしまったらしい。メラックがいかほど抵抗したかはアルハイゼンにはあずかり知らぬことであるが、結果としてメラックは主人の頬に挟まれる事になっている。 
 メラックは彼の優秀な右腕ではあるが、メラックの役割はあくまで工具箱である。枕にするには当然ながら硬すぎて、当然ながらカーヴェは情けなく呻き声を上げているわけだ。自業自得が過ぎる。
 ぴ、と再び小さな声でメラックがアルハイゼンに助けを求めてきて、思わず憐憫の眼差しを向けてしまう。この工具箱はせめて主人を起こしてしまわぬよう、息を潜めて過ごしていたらしい。
 自分で痛い思いをしながら寝ているカーヴェはともかくとして、メラックは何とかしてやった方がいい。カーヴェの足元に転がっているクッションを掴んでからカーヴェの頭を持ち上げると、不愉快そうな声がカーヴェから上がる。主人に与えられる重さがなくなったのに気がついたのか、メラックが慌ててカウチから逃げ出した。
 メラックがいた場所にクッションを挟み込んで頭を下ろしてやればカーヴェはむぐむぐと埋もれていって、もぞもぞと動き出してしまいには仰向けになる。それからすぐに落ち着いたのを見るにそもそもこうやって眠りたかったものの、メラックが硬すぎて行動に移せずにいたらしい。
 カーヴェの頬を見ると、メラックに乗せていた辺りにくっきりと跡がついていた。深さを確かめたくなってその跡をなぞれば、背後から申し訳なさそうな電子音が聞こえてくる。君のせいではないだろう、と囁きかけてカーヴェを撫でた指でアルハイゼンはメラックに触れた。
 そうすれば、まだしょぼしょぼとしてはいるようだったが、ひとまず主人に寄り添うつもりになったらしい。そういう健気な仕草が先程の苦難を生んだわけだが、さすがに立て続けで起こるものでもないだろうから放っておくことにする。
 本を読みに戻ろうと踵を返した瞬間、今度はくしゅりと小さなくしゃみが響く。ほとんどうつ伏せで眠っていた関係で温まっていた腹が寝返りをして関係で急に冷えたせいだろう。一貫して眠っているだけのくせに、異様に注文が多い男である。
 これ以上世話をしてやるべきか少々悩んだが、アルハイゼンはすでに彼のために足を止めてしまっている。そう気がついたアルハイゼンは観念して足の向ける先を変え、ブランケットを探しにいくことにした。