シノハラ
2024-10-22 23:01:25
1813文字
Public 戦パ
 

辺境にて


 仰々しい巻物をくるくると巻き戻し封をしてから、アベンチュリンはさして大きくもないそれを握りしめた。そう長くもないくせに、アベンチュリンに必要だったらしいことが全部書かれているやたら的確な処方箋。それを書いた人が今のここにいないことが何よりの幸いだと、アベンチュリンは思う。
 下手をすれば彼はもう夢から目覚めてプールからも出て、濡れた服が肌に貼り付く感触に辟易した後かもしれない。アベンチュリンの賭けに付き合って、サンデーとの取り引きの条件を完遂した時点で、彼の仕事は一旦は終わっているはずだから。
 夢から醒めた後にトパーズやジェイドからの聞き取りと協力要請はあるかもしれないが、それまでは短いながらも休憩になる。その時間を惜しんで早々に彼が夢から醒めるものだとアベンチュリンは思い込んでいたのだ。
 最後に彼が手渡してくれた処方箋を、レイシオはいつから持ち歩いていたのだろう。いつからこうなると確信して、アベンチュリンに頓服を与える必要性を感じていたのだろうか。アベンチュリンにはちっとも分からないのだけれど、それは適切なタイミングで作用した。
 彼と仕事をするようになってから、それなりに時間が経ったように思う。当初は欠片も信用されていなかった自分の――もしくは地母神の――力を、認めてもらえるくらいの時間ではあったのだろう。
 ピノコニーでの危なっかしい綱渡りにずっと眉を顰めながらも、彼はアベンチュリンに仕事を任せてくれている。そうして、アベンチュリンがすべてを賭ける瞬間に、傍にいない選択をしてくれた。
 アベンチュリンは誰も守れない。三度目を閉じて祝福してくれたであろう女神は、どうやらアベンチュリンにしか興味がないらしい。ついでに言えば、アベンチュリンの平穏とかいうものにもこれっぽっちも関心がないようである。
 かつて、█████の傍らにいてくれたひと。アベンチュリンに賭けてくれたひと。自分を助けようとしてくれたひと。そういう人達はみんないなくなってしまった。
 そんな人達に結局自分は何も返せなかった。彼らにとってのアベンチュリンは、人の命を踏みつけて生き残る事しかできなかった裏切り者のろくでなしでしかない。
 彼らからすればこの身に注がれる地母神の愛こそが害悪であっただろうに、いまだにアベンチュリンはその力をひけらかして生きている。自分はもうどこまで行っても、最後の瞬間までそうやって生きていくことしかできないのだ。そうやって、すべてを踏み躙りながら証明を続けるしかアベンチュリンには手だてがない。
 そういうどうしようもない男なのだと知っていて、彼は舞台の端っこのスポットライトの外側でアベンチュリンの勝負の結果を待っている。そこであれば安全だと、聡明なんて陳腐な言葉で評価するのも躊躇うくらいの頭脳でもって弾き出しているのだろう。
 女神がアベンチュリンから払いのけた災禍はきっとレイシオには届かない。アベンチュリンを通じて彼女が見せる、アベンチュリンだけに注がれるそれの煌びやかさを彼が拒否したと言ってもいい。その蠱惑的な光に惑わされた者がぼろきれに身を包んだ少年に様々な形で希望を見い出し、そうして一人残らずいなくなった。
 だから、レイシオはここにいない。アベンチュリンにとってこれ以上の果報があるだろうか。
 いつの間にか浅くなっていた呼吸を意識的に深くしてから、なんとなく酸素が薄いらしい事に気づく。そろそろ、体に影響が出てくる頃なのかもしれない。このあとどんなことが起こるのか、もしかしたらあの指令だって判然としていないのかもしれなかった。
 自身に与えられた力を証明したいと思う。いつか、そのさなかにおしまいを迎えたいとも思う。彼らに会いたい。もう十分なのではないだろうか。もうずっと、ずっとアベンチュリンは女神に問い続けている。
 それなのに、アベンチュリンを待っているはずの彼に報いたいとも願わずにはいられなかった。
「やりたいことがいっぱいだ。虚無に立ち向かうにはなかなか良いコンディションじゃないか?」
 手元にある処方箋に視線を落として口にしてから、アベンチュリンは意識的に右足を大きく前に出した。そのまま歩幅を保ちながら、同時に左手の指先に力を込める。手の感覚を失ったとしても手の内に収まるそれが抜け落ちてしまわぬよう、それが己の幸いなのだと女神に祈りながら。