溶けかけ。
2024-10-22 18:09:00
1497文字
Public ほぼ日刊
 

はじめてのもちやき

初デートを邪魔されてムッてなるヌヴィレットとムッてされて嬉しいフリーナの話。


その日、ヌヴィレットは浮足立っていた。買ったばかりの真新しいシャツを着込み、ベストもジャケットも新品を。靴だけは履き慣れた革靴だが、下ろしたてと見まごう程に磨き上げられてぴかぴかと太陽を反射している。
 鏡の前でループ帯の紐の長さを揃えたら、財布とハンカチをもって、いざ、準備は万端。深呼吸を一つしてから家の扉を開けた。

「お待たせ! ……その、待たせてしまったかい?」
 フリーナが不安げにヌヴィレットを見上げた。彼女も堅苦しい正装を脱ぎ、白いブラウスに青い宝石の嵌め込まれたカメオと白いジャボ。足首を隠すほど長い青のフレアスカートにはレースで縁取りがされている。王冠を模したシルクハットがいるべき頭部には亜麻色のクロッシェが乗っていた。編み上げのブーツと同色で落ち着いた印象を受ける。懐中時計を取り出し、時間を確認すれば約束の時間は十分後といったところか。
「いやなに……私が楽しみで早く着きすぎてしまったのだ」
 ヌヴィレットが正直に自身の心情を述べれば、フリーナがきょとんとした顔をした後、頬を染めて微笑んだ。
「ふふっ……お出かけ前の小さい子みたいだね。なんて、僕も同じだけど。ほら、行こう!」
 フリーナはスカートを翻しながらヌヴィレットの手を引く。そう、何を隠そうこの二人、初めてのデートなのだ。

「フリーナ様! 今日は良い野菜が採れたんです! 少しですが持って行ってください! いいんです! 遠慮なんてしないで」
「フリーナ様! 今度、演技指導を……
「フリーナ様! この間はありがとうございます! おかげで新作ケーキが大人気でして……!」
 右を歩けばフリーナ様、左を歩けばフリーナ様。ヌヴィレットはすっかり寂しくなってしまった手を見つめた。人々の輪の真ん中で幸せそうに声を立てて笑うフリーナの姿はヌヴィレットとて、何百年も望んでいたものだ。なのに────、
…………気に入らないな」
 転び出た言の葉に思わず、口に手を当てた。ヌヴィレットの中で暗雲が広がるかのように黒雲が渦巻く。知らない感情に吐き気を催した。
「フリーナ様、この後、お暇なら……

 太陽が翳った。おかしいな、ヌヴィレットが言うには雨が降るのはもっとずっと後の筈なのに────フリーナは疑問に思いながら上を見上げた。
……ヌヴィレット?」
「君は、私とのデートの途中であろう……?」
 ヌヴィレットがフリーナの肩に手を置き、覗き込めば、フリーナを覆うようにして銀のカーテンが垂らされた。銀糸が空気をかき乱す音はウインドチャイムを彷彿とさせる。
「ヌヴィレット、もしかして────寂しかった……?」
 フリーナはハの字を描くヌヴィレットの眉に彼自身の困惑を感じ取る。それもそうだろう、ヌヴィレットがフリーナと誰かが会話しているところに割り込むなど初めてのことであったのだから。
「ヤキモチを焼いてくれるなんて可愛いところもあるんだね」
 精一杯、爪先を伸ばして彼の唇にキスを落とす。触れるだけのキスでも周囲の者たちを阿鼻叫喚に陥れるには十分であった。フリーナは銀のカーテンから抜け出すと、演者じみた動きで民衆たちに向き直る。
「と、言う訳でごめんよ! 今は彼とデートの途中なんだ! ファンサービスは売り切れ!」
 フリーナは満面の笑みでそう言うと、驚きで固まったままのヌヴィレットの腕に自身の腕を絡めた。
「それじゃあ、みんな! またね!」
 あまりにも鮮やかなまでの逃亡に、民衆は疎か、本来であれば大々的にスキャンダルを追いかけるはずの記者たちですら、暫しその場に立ち尽くしていた。