千代里
2024-10-22 12:55:06
14435文字
Public リーブラ14話
 

リーブラの針は問う・14話・その3


 ぱちん、と薪の中で火花が爆ぜる。それにつられて、オデットはふと意識を浮上させた。
 今夜は二人一組で見張り番をしていたはずなのに、いつのまにか眠ってしまっていたらしい。
 不寝番は、野営において大事な役割だ。交代の時まで寝ていてはいけないのに、何という体たらく。オデットは己を叱咤しながら、目を擦り、傾きかけていた頭を無理やり上に向ける。
 まだ眠気の残る視界に映るのは、四人分の黒い塊。それぞれ、焚き火のそばで暖をとりながら眠りについた仲間たちだ。
 そして、いっとう近くに感じる温もりが誰のものかは、わざわざ考えるまでもない。
「兄さん、すみません。わたし、寝てしまったみたいで……
「大丈夫、特に危険な生き物が近くに来た様子もないから。それに、前も言ったような気がするんだけど、不寝番は一人でも大丈夫だから、オデットはしっかり寝ておいた方がいいよ」
「う……でも、兄さんを一人にしたくありません」
 オデットはごしごしと目を擦り、寝ている間に少し解けていた布団がわりの大判の布を体に巻き付ける。
 占星台を旅立って、すでに五日が経過している。ニヴェール領についた頃に借りたチョコボにもすっかり慣れて、村から村、砦から砦を渡り歩くような旅路を一行は続けていた。
 彼らの旅の目的は、オデットの身内を知る者や、オデット自身の記憶につながる手がかりを探すため、となっている。目下、捜索しているのは、オデットが従事させられていた教会主導の復興事業について、監査を受け持ち、不正を暴くのに一役買っていたというミラベル司祭。ならびに、オデットが占星台で過ごしていた頃に世話になっていたという老齢の女性だ。
 もっとも、彼女の関係者であるならばその二人に限らず、情報は広く得ようとしている。そのため、彼らはなるべく多くの砦や村を経由しようとしていたのだが、都合よく村が定期的に姿を見せてくれるわけでもない。
 イシュガルドの旅路で何よりも注意すべきは寒波と魔物だ。だからこそ、オデットの記憶の件がなくとも、一行は野営はなるべく避けるようにしていた。
 しかし、今日は想像以上に気温が下がり、天気も悪く、降雪量も今までの旅路において屈指の規模であることが素人目でもすぐに分かった。故に、手ごろな洞穴を見つけた時点で進むのを中断するという運びになったのだった。
 オデットが見つめている焚き火の向こう側では、ヤルマルが暖を求めてオランローに密着するようにして眠っている。布にくるまり、壁にもたれているが、まだ少し寒そうにオランローにもたれていた。ほぼのしかかっていると言ってもいいかもしれない。一方、オランローはというと、同じように厚手の布で体を覆っているが、どこか居心地悪そうに身を縮めている。ヤルマルに押し潰される夢でも見ているのかもしれない。
 ルーシャンとサルヒも同じように布に包まって眠っているが、こちらはいくらかリラックスしているように感じられた。彼らは長らくクルザス地方で傭兵をしていたという話だったから、寒い場所での野営にもある程度慣れているのかもしれない。
 暖を取るために使っているのは、焚き火だけではない。ルーシャンが行商のものから買い取った、火属性のクリスタルを入れるとかすかに熱を発するカンテラに似た道具も役に立っている。オランロー曰く「帝国軍で使っている魔導具に似ている」とのことだ。そのおかげで焚き火を大きくせずとも、六人は比較的暖かな空間で夜を過ごすことができていた。
……兄さん」
 このままではまたうたた寝をしてしまいそうだと、オデットは話を続けることにする。
「兄さんが、少し元気になったみたいでよかったです」
 話の切り出しは、ありきたりかつやや唐突ではあった。しかし、それはオデットとしては無視できない大事な話でもあった。
「元気なさそうに、見えていたかな」
「はい。……と言っても、わたしが個人的にそう思っていた、というだけなんですが」
 だから、勘違いかとも思っていた。自分の心配はあくまで杞憂ではないのか、とも思った。
「でも、ルーシャンさんと魔物を討伐して帰ってきたあの日から。兄さんは少し元気になったように見えました。やっぱり、兄さんが感じていた悲しい気持ちはわたしが想像していた以上に大きかったのかなって思ったんです」
 あの日から。オデットが自らその日がいつかを示さなくとも、ノエも理解したようだった。少し照れくさそうに視線を逸らし、曖昧な苦笑を交えている。
「あの日のから、兄さんは以前より前を向いて歩いていると、そう感じるんです。あの、別に前は俯いて歩いていた、というわけでもないのですけれど」
「そうだね。……少しだけ、溜まっていたものを吐き出してきたんだ。ルーシャンさんには、それを手伝ってもらった」
 この理不尽な世界に向けての怒り。そんな形のない、どうしようもない激情を、ルーシャンは外へと引き摺り出してくれた。
「こんなもの、口にしても仕方ないって思っていたんだろうな。でも、やっぱり内側に溜め込んでいても、苦しくなるだけだった。だから、吐き出して、ぶつけて、受け止めてもらって……今は、少し心が落ち着いているのかもしれない」
 グレンの命の鼓動を止めたいう事実は、今もノエの中に刻まれている。それでも、まだ今は前を向ける。刻まれた痛みへの怒りを振りまいた後、自分はまだ俯かずに歩いていけている。今は、歩かなければならないときだから。
 己の気持ちを説明する羞恥を感じつつも、ノエは正直に自分の状態を語る。オデットはそれを聞いた後、静かに頷いてから、
……兄さんの心のモヤモヤをルーシャンさんが拭ってくれたのは、いいことなんでしょうけど……ちょっと悔しいです」
 ぷ、と頬を膨らませてみせるオデット。それは、重く沈みそうになる空気を払うためのパフォーマンスではあったのだろう。
「そうなのかい」
「だって、兄さんのお悩み解決係は、わたしが良かったんですもの」
「じゃあ、次はオデットに頼もうかな」
 冗句のやり取りのように、ノエも笑みの形に瞳を撓めて応じる。
「じゃあ、なんていう兄さんは知りません」
「ごめんよ。それに……本当に全部綺麗に解決できるってことは、きっとオデットでもルーシャンさんでも難しいことだろうから」
 ノエは焚き火の火の粉を見つめながら、瞳を伏せる。瞼の裏側には、どこか見慣れた帽子を鱗にぶら下げて荒れ狂っていた竜の姿と、自分の稽古を真摯に受け止めていた少年が交互に映る。
「本当は、もっとグレンさんと話をしたかった。彼が何を考え、どう思っているかをもっと聞きたかった」
 ノエと話をしていると楽だ。そう言ってくれた少年は、裏を返せばあの孤児院に居場所がないと感じていたところもあったのだろう。
 本人とって無自覚であったのか、あるいは自覚的な孤独だったのか、それともその孤独すらも周囲への当てつけとして己に言い聞かせたものだったのか。今となっては、それもわからない。ノエが少年に言葉を投げかけることは、もう二度とできないのだから。
「本当はもっと……って。何度も何度も、そう思っていたんだ」
 何か一つでも運命のボタンが違う形で嵌っていたら。そう願わずにはいられない。
「だけど、そんなことは今までも何度もあった。今が嘘で、本当はもっと理想的な違う形があったらってことは、何度も」
 妖異に命を奪われ、ノエが伸ばした手を掴まずに消えた女性がいた。
 ノエが手を差し伸べても、すでにその身は妖異となってしまい、いっそ死んでしまいたいと嘆く青年がいた。
 あるいは、今が嘘であってほしいと願う場面はもっと前からもあった。
(ウヴィルトータさんが、あの朝、冷たくなっていなかったら。父さんが……僕を異端者として突き出していなかったら。お母様が、竜に変じた正妻に殺されていなかったら。師匠が存命だったなら)
 たくさんのもしもがあり、そのどれもが叶わなかった現実が今ここにある。どれだけ願っても、今が嘘になることはない。全てが報われる本当の世界は、あくまで理想のうちにしか存在しない。
「でも、僕が本当になってほしいと願う理想が叶ったら、僕は今こうしてここにいることもなかったんだろうな」
……そうですね。それは、わたしとしてはちょっと困ります。それはもちろん、わたしも……本当はこうだったら、どうなっただろうとは思うことはあります。記憶を取り戻しかけてからは、特に」
 オデットの記憶には、まだ欠けた部分がある。それでも、自分の母親との日々を薄ら思い出したときは、もし母が死なずにいたらと思った日はあった。
 そうしたら、自分はまだ救貧院で暮らしていたのだろうか。それとも、母と一緒に復興事業に連れ出されていたのだろうか。自分の中にある記憶の欠落は、その時代に集中している。もし、母がいたら、そのような記憶が失われるようなこともなかったのだろうか。
「だけど、わたしが記憶を失うこともなく、平穏無事に過ごしていたら兄さんと出会うことはなかったと思います。それは、わたしにはちょっと寂しいことなんです」
 母が死んでいてよかった、とは流石に言わない。けれども、今がどうしようも嫌で捨て去りたいと思っているわけでもない。
 自分たちの関係は、本当はこうだったら、という願いの墓場が生み出した産物だとしても。
「僕も、同じ気持ちだよ」
 言葉少なではあったが、ノエもまたオデットの意見に頷いてくれた。互いが自分の今の境遇を確かめ合うように、しばし静かな時間が流れる。
 ノエが沈黙に耐えかねたように、薪を放る。火花が微かに爆ぜる音が、二人の間に響く。
 ゆらゆらと揺らめく炎は、無情にも再びオデットの眠気を誘い始めた。だが、流石に二度目の居眠りは許さじと、オデットは数度かぶりを振った。
「に、兄さん。わたし、眠気覚ましに外の空気を吸ってきます」
「眠いなら、寝ていてもいいんだよ。そろそろ、ルーシャンさんたちに交代する時間なんだから」
「いえ、大丈夫です! 起きてます! それに、ほら。チョコボの様子を見ておかなきゃいけない頃合いではないでしょうか!」
 オデットの提案は、どう聞いても無理やりな様子が拭えなかったが、ノエは苦笑しつつも頷いてくれた。
 オデットの言う通り、外に繋いでいるチョコボは定期的に様子を見ておく必要がある。さすがイシュガルドが原産地のチョコボだけあって、外の寒さには強いようだが、万が一獣に襲われでもしたら目もあてられない。もっとも、イシュガルドのチョコボは、野生化した個体は小さな魔物ぐらいは容易に蹴り殺すほどの脚力を持っているので、それこそ杞憂かもしれないが。
 オデットは毛布代わりに使っていた布を体に巻き付けて、立ち上がる。焚き火から少し離れるだけで、じわりと肌に忍び寄った冷気が、オデットの頭をしゃんと覚醒させてくれた。
「夜は、昼以上にぐっと冷え込んでいますね。うう、寒い……
 寒い、とは言っているもののオデットはコートを羽織ったまま、不寝番をしていた。焚き火にあたっていたため気づかなかったが、体を動かしてなかったせいで、いつのまにか体全体が強張ってしまっていたらしい。
 手首や足首を軽く振ったり回したりして、固まった体をほぐすようにしてオデットは洞穴の入り口付近へと到着する。洞穴の外につながる部分の少し手前では、チョコボたちが岩に繋がれて、羽を畳んで座って思い思いの形にくつろいでいた。
(いつも思うんですが、チョコボってあたたかいんですよね……
 体が大きい個体が多いため、流石に湯たんぽ代わりに洞穴の奥にまで連れていくことはできなかったが、広い場所が見つかれば、野営の際にチョコボに埋もれるようにして眠るときもある。大きな生き物は、それだけで十分暖かいものだ。
 オデットは自分が乗っているチョコボの背中を撫でて、誰知らず笑みをこぼす。太陽を思わせる黄金色の羽は、予想通りふかふかのぽかぽかで、そのまま抱きついて眠ってしまいたくなる。
「いけません、このまま寝ている場合ではないのでした」
 ちゃんと建前の理由であるチョコボの確認もしておかねばと、オデットはチョコボたちの様子を観察する。どの個体も目を瞑ってじっとしており、特段苦しそうにしているものも見当たらない。明日も問題なく走ってくれると太鼓判を押して問題あるまい。
「今日はよく冷えていますよね。明日も冷えるのでしょうか……
 雪はすでに止んだようだが、先ほどまで積雪は続いていたらしい。オデットが洞穴の入り口から目にした景色は、文字通り、一面の銀世界だった。
 鏡を地面に置いたと言っても違和感がないほどに、積雪の上には足跡一つない。夜行性の生き物の足跡がないということは、雪がつい先ほどまで降っていた証拠だ。
 空を見上げれば、予想通り、濃紺の天蓋ではなく白く濁った雪雲の群れが見える。イシュガルドの天気は、大体この濁った雪雲が七割がたを占めているのだと、オデットはこの旅路で知った。
 鏡面のように一切の乱れのない雪原は、人を誘惑する魅力を抱えているのかもしれない。知らず知らず、オデットは雪原に誘われるように身を乗り出していた。
(ちょっとぐらい、いいですよね)
 朝になったら、獣たちの足跡が雪原を乱してしまう。オデットがいつも目にしているように。だが、今なら自分がこのキャンバスの第一歩を踏み締める人になれる。それは、とてもわくわくすることのように思えた。
 オデットは口角をきゅっと上げて、そろりと足を踏み出す。さくりと、積もったばかりの雪独特の感触がオデットの足を受け止める。
 土に汚れていない真新しい白につけられた、同じように真新しい足跡。それを目にして、オデットの心は少しばかり上向く。
 見上げる先は、無限に続く足跡もない雪原。まるで世界中がオデットが自由に描ける白紙になったかのようだ。それが何だか無性に楽しくて、オデットはさくさくさくと洞穴の周囲を歩いてみる。
「せっかくですから、上からの景色も見てみましょう」
 洞穴は、少し小高い丘の上にあった。おかげで、今立っている場所からも斜面に連なる雪原がよく見える。だが、洞穴の脇には、もう一段地面が迫り出している部分がある。そこならば、より遠くまで眺められるだろう。
 シミひとつない雪原を歩く楽しみを再び味わいつつ、オデットは高台に向かう。そして、
「わあ……!」
 予想通り、そこには、白で染められた雪原がよく見えた。恐らくは、かつては高原として青々とした緑を抱えていたのだろう。木が少ない様子から察するに、羊の放牧などに使われていたのかもしれない。思えば、洞穴に入る前に近くに廃村らしき建物も目にしている。
 しかし、寒冷化に伴い、村は放棄された。残された放牧地は、まだ若木しか育っておらず、今は触れることすら憚られる極上の絹織物の如き光景をオデットに見せてくれている。
 オデットの見ている部分の反対側は、高原から続くようにして斜面が広がっている。木々が少ないので寒々しさは拭えないが、この高原は中規模の山の麓にもあたるようだ。
(雪は冷たくて寒くて……悲しい思い出もありますけれど。こうして、とても美しいものも見せてくれるのですよね)
 オデットにとって、雪はいい思い出に繋がるものばかりではない。星芒祭のの頃に見た夢では、自分は雪原の中で誰かに追われていた。そして、雪崩に巻き込まれて、自分を守ってくれた誰かを失った――らしい。おそらくは、兄と慕っていたような誰かを。占星台で過ごしていた頃の記憶の中には、遠く氷に包まれて命を落とした誰かへの祈りの思い出があった。
 雪は、オデットにとっては死と別れを意味するものでもある。それでも、白一色に染まった高原は非現実的な美しさを湛えていたし、見ているオデットの胸を高鳴らせるものがあった。
 見張り番があるのでノエをここに連れ出すことはできないが、せめて彼に少しでもこの美しさを伝えられるように目に焼き付けておきたい。
 そう思い、輝く雪原を見つめていた時だった。
(あれ……何か、動いています)
 最初、それは黒衣森でも目にしていた、エーテルの澱みから生まれる魔法生物――スプライトではないかと思った。
 夜に川の近くで見るスプライトは、淡く光る塊のような姿をしているため、遠目には幻想的な景色を生む。クルザス地方では、氷属性のエーテルが強いのでアイススプライトが時折青白い輝きを発して彷徨っていた。
 しかし、すぐにオデットは自分の推理を否定する。
「暖色の光……あれは、アイススプライトじゃありません」
 ならば、何なのか。疑問を明確に形にする前に、暖色の光は不規則な動きを見せる。
 灯りは三つほど見えるが、そのうちの二つが、残りの一つを追いかけているように動いている――オデットはそう感じた。
「あれは、もしかして誰か追われているのではないでしょうか……!」
 だとしたら一大事だ。オデットはすぐに高台を駆け下り、自分でも驚くような速さでノエのいる洞穴へ駆け込んだ。足音を立てて飛び込んできたオデットに、チョコボは目を覚まして首を伸ばす。
 ちょうど不寝番を交代するところだったノエは、目を覚ましたルーシャンとサルヒと共に、鉄砲玉の如く飛び込んできたオデットの様子に目を丸くしていた。
「どうしたんだい、オデット。そんな慌てた様子で」
「兄さん、大変です! 洞穴を出た先の雪原で、誰か追われている人がいるみたいなんです!」
 オデットの言葉を聞いた瞬間、まだ眠たげにしていたルーシャンも、不寝番の後で疲労を残していたノエも、すぐさま表情を切り替えた。オデットの元に駆け寄ったノエは、
「僕が様子を見てきます。ルーシャンさんたちはここに残っていてください」
「分かった。何かあったらリンクパールで連絡してくれ」
「はい。オデット、場所を教えてもらえるかい」
「わたしもついて行きます。そのほうが早いですから」
「だけど」
「それよりも、急がないと!」
 事態は急を要する。押し問答をしている場合ではないとオデットは声を荒らげる。
 オデットに急かされ、ノエは意を決して寝ているチョコボを起こすと、すぐに立たせた。手綱を引く乗り手が急いでいることを理解したのか、チョコボはぶるぶると首を横に振ると大人しく洞穴の外へ自ら踏み出してくれた。
 同様にオデットがノエの後を追い、自らのチョコボに乗る。以前はチョコボの乗り方がわからないなどと言っていたが、今回の旅路を経てオデットはチョコボの騎乗にもすっかり慣れていた。
「オデット、先導を任せてもいいか」
「はい!」
 自身のチョコボの手綱を手に取り、高台から確認した方角へとオデットはチョコボを走らせる。幸い、木の数がまばらなために、視界は広々としている。右手には、先ほど出てきた洞穴がある高台が、左手はやや勾配のきつい斜面と山嶺に続く道が広がっている。それらを横目に、オデットは確認した明かりがあった方角へとチョコボを走らせた。
(ただの気のせいだといいんですが……
 クルザス地方では、夜中に狩りをする猟師もいれば、遠方に哨戒に出ている衛兵もいる。彼らの灯りと見間違えたのだと思いたい。
 けれども、先ほど目にした灯りの動きは、ただ戯れに追いかけあっているようにも、秩序だった兵士の行軍にも見えなかった。
 新雪を蹴り立て、チョコボはオデットが示す方向へと走る。数分もしないうちに、夜闇を切り裂く照明の光がオデットの目に飛び込んだ。
「あっちです!」
 オデットが指さした瞬間、ノエが弾丸の如くチョコボを走らせる。盾と剣を持ったノエが前衛を受け持ち、魔法の使い手であるオデットが後衛を担当する。それは、もはやこの旅における不文律になっていた。
「そこの方々、少しよろしいでしょうか!!」
 ノエが防寒具の襟をずらし、声を張り上げる。彼の朗々とした声は、灯りの主のもとに確かに届いたようだ。灯りの動きが一度止まると同時に、今度は一つがこちらに向かって近づいてくる。
 チョコボの足は、人の足の何倍も速い。おかげで、こちらに逃げてきた灯りの持ち主は、すぐに判明した。
(えっ、女の子……!?)
 オデットは、追われているものの姿を見て目を丸くする。
 そこにいたのは、防寒着に身を包んだオデットとさして変わらない年頃の少女だった。灯りの陰影しかない世界でははっきりとした容姿は定かではないが、声音と体格で年頃はわかる。思いがけなく年若い子供の登場に、ノエも驚きで目を丸くしている。
「明かりが見えて、何やらただならぬ様子だったので様子を見に来たのですが……一体、何があったのですか」
「助けて、旅の人! 異端者に追われているの!!」
 余計な説明など一切ない、簡素な状況説明だ。
 しかし、それでノエには十分だった。彼はチョコボから飛び降りるや否や、剣と盾を構える。心得たもので、チョコボはノエが戦闘態勢を取るや否や、ノエの後方に広がる枯れた立木の中に身を寄せた。
 遅れて、オデットもノエに倣ってチョコボから降りる。こちらのチョコボも、すぐにオデットを残して戦いに巻き込まれない位置に避難してくれた。
 同時に、二つ分の灯りの持ち主も、ノエの前にようやく到着した。
 どちらもエレゼン族の、やや薄汚れた旅装を纏った男女だ。もし道端で出会っていたなら、彼らも旅人の一人だと思っていただろう。そう思えるほどに、彼らの服装や佇まいはごく一般的な旅人のものに見えた。
 けれども、彼らの目には旅人には似合わない剣呑な空気が宿っている。それは、彼らが表面上取り繕っている「普通」でも隠しきれないものだった。
「旅人さん、うちのお嬢さんが迷惑かけてすみませんねえ。ちょっと強く叱っただけで飛び出してきてしまいまして。そちらの子は、こちらで引き取りますので渡していただけますか」
 まるで家出娘を探しに来た父親かのように、男は笑顔を取り繕ってノエへと語りかける。まだ年若いノエやオデットを見て、言いくるめられると思ったのだろう。
 だが、ノエは旅慣れない純朴な若者ではない。男にとって不幸なことがあるとしたら、その点に気づけなかったことと、もう一点。ノエは先だっての一件で、異端者という単語に対して非常に強い警戒心を持っていたことだ。
「先ほど、こちらのお嬢さんは『異端者に追われている』と言っておられましたが」
 その言葉を聞いた瞬間、追跡者の男女の顔に剣呑な空気が如実に現れる。
「おいおい、そんな子供の話を間に受けるっていうのかい?」
「ええ。子供であっても異端者の揉め事に巻き込まれると助けを求められたら、僕は――戦います」
 ノエはまだ剣を構えていない。だが、彼の意思は目の前の二人にもしっかりと届いたようだ。
「ちっ、いいから、さっさとそっちの娘をこっちに渡しな! あいつは、あんたがいないと言うことを聞かないんだからさ!」
「だめ! 私、もう貴方たちのためにお母さんに血を流させないって決めたんだもの!」
 少女がそう叫んだ瞬間、先ほど以上に男女の顔色が変わった。
 そこにあるのは、ノエへの敵意ではなく、少女への苛立ち。聞き分けのない子供を相手にしている大人、というにはあまりに剥き出しになった敵対心は、灯りの陰影もあって魔物のように恐ろしく見える。
「くそっ、これだからガキは嫌いなんだよ!」
「だからと言って、子供に対してそのようなものを向けるべきではないと思いますが」
「っるせえ、外野はすっこんでろ!」
 どこに隠し持っていたのか、男はナイフを構え、少女に突きつけた。彼の殺意混じりの視線から少女を守るため、ノエが立ち塞がる。
 それを敵意の現れと受け取り、男はナイフを構えてノエへと突っ込んできた。
 女の方は、腰に吊るしていた細い杖を取り出している。こちらは魔法を扱うようだ。
 突っ込んできた男のナイフを受け止めようと前に踏み出した、、その瞬間。オデットは、ノエの横顔によぎった苦い感情に気がついた。
 目の前の連中は異端者云々を抜きにしても、こちらに武器を向ける程度には明確に敵である。ならば、戦わねばならない。だが、戦えば――命を奪うかもしれない。その可能性を平然と受け止められるほど、ノエはまだ気持ちを整理しきれていない。
「そこをどけ、若造!! てめえには関係ない話だろ!!」
「退きません、と言ったらどうするんですか!」
「それなら、力づくで退かせるまでだ!」
 男は長身の体からは想像できないほど、素早くノエの懐に迫る。ひゅっと風を切る音と共に迫る刃。しかし、ノエはすぐに盾を前に突き出し、攻撃を防ぐ。同時に、自分の元に駆け寄っていた少女に、視線で背後に下がるように促す。
「オデット! この子を連れて皆のところに避難してくれ!」
「そうはさせないよ!」
 今度は、女の方が声をあげる。同時に、オデットと少女たちめがけて火の海が走った。
 すぐさま、魔法の壁を作って防御に徹するも、炎はオデットたち以外にもふりそそでいた。長らく積もっていた雪の表面を溶かすだけでなく、周囲の立木や枯れ草に引火して、早々に周囲は文字通り火の海となる。
「ねえ、大丈夫なの?!」
「とりあえず、今は一度下がらないと……!」
 慌てふためく様子から察するに、逃げてきた少女は戦闘に慣れていないようだ。
 オデットは彼女の手を引き、炎の海から距離を取ろうとする。だが、今度は女が放ったと思しき風魔法が引火して、木々を舐めている炎をオデットたちへと向かわせた。
「あつ……っ」
 ケトルを沸騰させたときの湯気を素手で触ったような痛みが、オデットの頬を走る。咄嗟に再び障壁を広く張ったが、この場で消耗戦に転じるわけにもいかない。
 だが、ノエの言うように避難に徹したら、今度はノエと分断されてしまうかもしれない。炎の海の向こうに消えてしまったが、果たしてノエは無事だろうか。
(この子を逃して、兄さんの援護に行けば……でも、この方を一人で行かせるわけにも……
 そんな思考が頭を掠め、足取りが重くなったたときだった。
 不意に、クエエとチョコボが甲高い鳴き声をあげる。魔物を前にしても慌てふためくことのないチョコボが、騎乗者に危険を訴えるために声高に叫んでいた。
「一体何がどうなっているの……?」
 オデットが、不安から思わず足を止めかけた時だった。
「オデット、走れ!!」
「兄さん!?」
 炎の陰影のせいで今まで姿が見えていなかったノエの声が、オデットの耳を打つ。
 やはり、ひとまずオデットたちだけでも下がるべきだと判断したのだろうか。オデットが魔法の壁を消し、ノエの姿を目で探したときだった。
「雪が、落ちてくる!!」
 同時に、オデットの少し尖った耳は聞く。地面そのものを巨人が揺らしたかのような、雪崩の兆しを告げる低く重い音を。
 *
 ノエがそれに気がつけたのは、偶然ではなかった。
 自分に切り掛かってくる男を盾でいなし、牽制として剣を振るう。男とノエの衝突の隙を掻い潜り、女の魔道士が放った炎が一瞬、周囲を明るく照らし上げた。
 おかげで、ノエは気がつけた。自分の左手側に広がる雪で作られた斜面。そこに白の陰影が織りなす亀裂があることに。
……まずい)
 魔道士の放った炎は大地を舐め、雪を溶かしていく。いや、たとえそれがなかったとしても、この急角度の斜面に、あれだけの亀裂が広がっていたら何が起きるかは明白だ。
 あとは、ほんのささやかな切っ掛けさえあればいい。そして、今の自分たちは『きっかけ』としては十分すぎる。
 予想通り、彼の尖った耳は聞く。空気が抜けるような、あるいは地面が軋むような、形容し難い嫌な音を。
 その音の後に何が起きるか、ノエはウヴィルトータと過ごした日々の中で知っている。
「ったく、目障りな冒険者だな!」
 だというのに、男はいまだにノエだけを視界に収めて武器を振い続けている。彼はまだ、その脅威に気がついていない。
「今は、そんなことをしている場合では……っ!」
 男の短剣を盾で大きく弾き、次いでその腹を蹴り飛ばした後、ノエは振り返る。
「オデット、走れ!!」
 幸い、オデットは女の放った炎から逃れるために、避難していたチョコボに近い位置まで後退していた。
 驚いた様子のオデットに答える間もなく、ノエは更に叫ぶ。
「雪が、落ちてくる!!」
 *
 例えるなら、それは巨人の子供が戯れに砂場の山を片手で切り崩していったかのようだった。斜面の一部に入った亀裂が、そのまま一条の境界線となる。諸共崩れるか、その場に残るかという、積み上がった雪たちの先行きを示す境界線に。
 クルザスの大地に新たに降り積もった雪が崩れ、凄まじい勢いで流れ落ちていく。それは、傍目から見ると粉でできた山を。片手でさっと払い、表面だけを崩したかのようだ。
 しかし、落ちてくるのは雪であり、その質量は岩とさして変わらない。
「あなたも急いで!!」
「でも……
「でもじゃない、あれに巻き込まれたいの!?」
 共に逃げてきた少女はオデット以上に強く警告を発しながら、手早くノエが乗っていた方のチョコボに飛び乗っていた。イシュガルドで暮らしている者らしく、彼女はチョコボの騎乗にも慣れているようだ。
 だが、彼女が走り出しても、オデットはチョコボに乗って逃げるか悩んでいた。なぜなら。
(兄さん……!)
 雪崩の音と共に、ノエの声は聞こえなくなった。怒涛の白がその場を押し流し、炎もすぐに消えてしまった。無論、ノエの影も。
 規模としては、さして大きくない雪崩のはずだ。ならば、まだここに居ても良いのではないか。ノエを待っていても良いのではないか。そんな言い訳が自分の胸に宿るが、
「ぼうっとしてたらだめ、離れないと!」
 ひと足先に駆け出していた少女に促され、後ろ髪を引かれるような思いで、オデットもチョコボを走らせる。
 直下にいなければ、きっと大丈夫。そんな風に自分に言い聞かせていたが、オデットの胸は千々に裂けるような思いをしていた。
 危険から離れようと、チョコボは全力で雪崩の発生地点から離れる方向へと走り出してくれた。
 幸い、炎魔法から逃れるために距離を置いていたため、オデットたちは逃げる前からほとんど安全圏にいたようなものだった。念のため数分走ってから距離を稼ぎ、振り返る。次いで、オデットは暫し息を止めて瞠目する。
――――
 少女の追っ手やノエが踏み荒らしていた雪原が、魔道士が溶かした雪のせいで崩れていたはずの立木たちが、すべて新たな白に塗り替えられている。さながら、白い絵の具をつけた筆でさっと撫でていったかのようだ。
 その光景を目の当たりにして、オデットは顔色をなくす。
「ぁ……
 それは、数刻前に自分が思い出した光景の繰り返しだ。
「ああ……っ!」
 もはや何年前のことかもわからない、薄れてしまった記憶のかけら。その中にあった、雪崩に巻き込まれてしまった、自分を連れ出した誰か。助けてくれと伸ばされた手を何故か信じられず、自分は背を向けてしまった。
「兄さん、兄さん兄さん……お兄ちゃんっ!!」
 気がつけば、オデットはチョコボを雪崩の跡地へと向けていた。
 後ろで自分が守っていた少女が「どこにいくの」と問いかけていたが、オデットの耳にその声は届いていなかった。
 雪崩で崩れてきた雪は奇妙なまでの静けさを湛えて、オデットの前に横たわっている。あたかも、大きな白い毛皮の獣が、あまねく命を腹の下に抱えて蹲っているかのように。
「兄さん、兄さん! どこにいるんですか、兄さんっ!」
 チョコボから飛び降りて、オデットは最後にノエが見えたあたりに走る。
 根拠などない。恐らくはこの辺りだったという当てずっぽうの捜索だ。雪をどかすために何が必要かもわからない。愚直にも、オデットは手袋に包まれた手で雪原に触れ、人力で雪を掘り返しかけた時だった。
……くは……じょうぶだから」
 オデットの小さく尖った耳が、微かに声を拾う。
 慌てて首を巡らせると、新たに積み上がった雪がぼこぼこと崩れ落ち、そこからノエがゆっくりと姿を見せた。体にまとっていた魔法の名残が、黒一色の世界に薄く輝いて消えていく。そうやら、魔法の障壁で全身を包んで雪崩の衝撃を耐え抜いたようだ。
「兄さん、怪我はありませんかっ。どこか痛いところとか、苦しいところとかは……
「大丈夫。規模は小さかったし、衝撃を感じる前に魔法で体を守ったから」
 ノエの言うように、雪崩に巻き込まれたというのに、彼の防寒具には雪がほとんど付着していない。けれども、ノエは気を緩めずに、素早く辺りを見渡す。
 雪崩の後も、まるで何事もなかったかのように夜の闇一色の世界ばかりが続いている。先ほど襲撃してきた人は大丈夫だろうか。などと、一瞬そんなことを考えた。だが、
「何か光っている……あれは、灯り……?」
「ああ。さっきの人たちの仲間かもしれない。あの子は、チョコボと一緒に逃げたのかい」
「は、はい。今は、向こうの方にいると……思います」
 言いつつ、オデットは先ほどまでの勢いはどこへやら、申し訳なさげに俯いてしまう。
 ノエはオデットに少女を任せてくれたのに、自分は守るべき人をほったらかしにしてしまったのだ。
 もし、彼女が魔物に襲われていたら。あるいは、ノエのチョコボを使ってどこかに行ってしまったら。そんな嫌な予想が、オデットの中で鎌首をもたげ始めていた。
「わかった。オデット、二人乗りでもいいかな。今は、急いでここを離れたほうが良さそうだ」
 ノエの言うように、遠くに見ていたはずの灯りは、先ほどよりも迫っている。先だっての追っ手の仲間ならば、かち合えば面倒なことになるのは目に見えている。
「はい。兄さんの体が問題なければ……ひゃっ」
 ノエはすぐさま頷くと、こちらも慣れた様子でオデットが乗っていたチョコボに騎乗する。続けて、オデットが乗ろうとした矢先、彼女が心の準備をする前に、ノエの手がオデットの体をチョコボの鞍上へと導いていた。
(最近は、わたしが乗り慣れてきたから、ここまで介助してもらうのは久しぶりですね)
 ここまでノエがオデットの騎乗に手を貸すのは、ベントブランチ牧場で初めてチョコボに相乗りしたとき以来かもしれない。今は急いでいるから時間短縮を優先したのだろうが、あの時と同じ触れ合いに、あの時とは少し違う感情が動悸を早くする。
 駆け出したチョコボに振り落とされないように、オデットはノエの体に身を預ける。彼の体にしがみつくと、防寒具越しに人の生きた鼓動が微かにかんじられた。
……よかった」
 あの日の雪崩のように、誰かを失うような結末にならなくてよかった。
 あの悪夢は、オデットが見捨てた顔も知らない誰かを、ノエとして再現していた。だからこそ、最悪の結末を予感せずにはいられなかった。
「よかった。あの子は、僕たちを待っていてくれたみたいだ」
 オデットと同じ言葉を口にしながらも、ノエは全く異なる意味で安堵を口にする。
 過去の記憶に思いを馳せるのはここまでだ。オデットもぎゅっと唇を結び直し、顔を上げた。