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シノハラ
2024-10-22 12:54:42
2555文字
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アルカヴェ♀
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親切心から先輩の上着を引っぺがそうとする後輩の付き合ってないアルカヴェ♀
アルハイゼンがそろそろ眠ろうという頃合い。酔っ払ったカーヴェからすればまだまだ宵の口、といった時間だった。
がしゃんと玄関の戸が喧しく閉まって、それから微かな金属音が聞こえてくる。玄関の扉は丁寧に扱うべきという自身に課している道徳は失っているらしいが、戸締まりをしないと家に悪い人が入ってくるかもしれないくらいの危機管理の意識は残っているらしい。
ただいまあ、と上機嫌な声が響いてきて、同居人が寝ているかもしれないなんてカーヴェがこれっぽっちも考えていないことが分かった。早い時間に帰ってきたという自負がカーヴェの中にあるのかもしれない。
「おかえり」
「あれ、まだいたんだなぁ」
ふわふわとした足取りでアルハイゼンのいる居間に現れたカーヴェに返事をすると、ぴたりとその歩みが止まった。なんだかカーヴェは意外そうな表情をしていて、アルハイゼンがすでに眠っているものだと思い込んでいたらしい。
「君にしてはちょっとばかし夜更かしなんじゃないか? 明日眠たくなっても知らないぞ?」
前言撤回。カーヴェは早い時間に帰ってきたつもりは全くなく、ただ時間の概念がガタついているだけらしい。おそらく普段よりも早い時間に飲み始めて、いつもと同じくらいの量を飲んだので帰宅した。飲んで帰ってきたのだから、いつもくらいの時間だろうと思い込んでいるに違いない。
住人がすでに寝ていると思っている家でそんなでかでかと帰宅の挨拶をするな。
「今度腕時計を買ってあげようか。そうすればこの手の勘違いは起こさなくなるかもしれない」
時計という言葉を拾ったのかカーヴェは居間に置いてある時計を見て、ぱちりと瞬きをしてからもう少し飲めたな、なんて不穏な感想を漏らした。幸運にも今夜はふらつきを押さえて帰ってこられた足でカウチに寄ってきて腰を下ろし、ふわりと口の中を晒して大あくびをする。
それからぱたんと上体を倒して足元をもぞもぞとさせてから、カーヴェは素足をカウチに乗せた。カーヴェがどこかに靴を脱ぎ捨てて来ていない限り、靴は床に捨て置かれているらしい。
「ここで寝て君が明日君が騒がないと約束できるのなら放っておくが」
「だいじょうぶ、きゅうけい
……
するだけ
……
」
気温も緩んできたとはいえ、夜は寝具がなければまだ寒い。この後酒の力も相まって体温が下がるのを考えれば、カーヴェは布団をしっかり被って眠るべきなのだ。
それなのにどうしようもない酔っ払いはすでにうつらうつらとし始めている。水を飲んで、風呂に入って化粧を落としてなんて理想を語っているが、今のカーヴェには一つもできそうにない。
さすがに放置するわけにもいかずに本をテーブルに置いて立ち上がると、カーヴェが上着すら脱いでいないのに気がついた。今は瞼の下に隠れている虹彩と似通った色の上着がカーヴェの体の下でくちゃくちゃになっている。翌朝頭痛と体の痛みに顔をしかめながら、皺くちゃになった上着を見て文句を言う姿が目に浮かぶ。
今更水を飲ませるのは難しいだろう。今のアルハイゼンにできるのは枕代わりになるクッションとブランケットを用意して、本人の代わりに上着を脱がせてやる事くらいか。
すでに寝息に変わりつつあるカーヴェの前で溜め息を吐いて、アルハイゼンは上着を留める胸元の飾りを外してやる。シャツの首元を封じてもいるそれがなくなったからか、カーヴェは安心したように緩く息を吐いたようだった。
分厚い生地のつけ襟を外してやって、その下にある紅に触れた瞬間だった。無暗に長い睫毛がふるりと揺れて、瞼が持ち上がる。それから自分の状況が分からないと言いたげに二、三瞬きをしてから、自身の胸元に男の指があることにようやく気がついたらしい。
「ぁ
…………
」
寝起き特有のぼやけたような掠れた声でカーヴェが声を上げてから、きゅっと瞳孔を縮めた。
「ひ、ぃ、ゃ
……
」
一瞬躊躇った指先がそれでもアルハイゼンの手首を掴んで、恐怖で竦み上がった声帯から何とか拒否の声を上げる。弱々しく、ともすれば夜に溶けてしまいそうな女の声に、自分が何をしていたのかを思い出す。
「すまない」
「なん、で?」
肌触りのいいそれから指を放して腕を引くと、カーヴェが慌ててアルハイゼンを掴んでいた手を放した。探るような傷ついた眼差しに堪えかねて謝罪をしても、彼女の疑惑は薄まらない。
「上着が皺になったら、明日の君が困るだろうと思って」
それで、と続けようとする先が上手く形にならなかった。ちゃんとした言葉をアルハイゼンが見つける前に、カーヴェがああ、と安堵したような声を上げて了解する。
「ごめん、ちょっと、びっくりしてしまって」
強張った体がくったりとカウチに戻り、恥ずかしそうに腕で顔を隠しながら優しい声を作った彼女が謝罪した。まるで、アルハイゼンを安心させるために作られた声音のようだった。恥ずかしいなあ、と彼女が自身を責めるように苦笑して見せる。
大丈夫だよ。目が覚めたからちゃんと寝る支度も自分でできるから。心配させてしまったね。君ももう寝る時間だろうから、ね?
そう、柔らかくかつてのかわいい後輩に告げるように。穏やかに告げた女性の声がずっとアルハイゼンの鼓膜の内側に残って、彼女に言われるまま自室に戻った今も消えそうにない。
先輩で、かつての共同研究者で、関係が破綻した相手で、同居人で。けれど、そんなことより何よりも、彼女は美しい女性だったのだ。
そんな簡単なことにアルハイゼンはずっと気がついていなかった。そんなことも分からない男と共に暮らして、どれだけ恐ろしかっただろうか、と思う。
夜更けにアルハイゼンだけの場所になったこの家に足を踏み入れた時、そして自身を目覚めさせた指先が自身の服を脱がしていると気がついた瞬間。きっと、アルハイゼンに分からないだけで、彼女が女として緊張を覚えた瞬間などそれこそ掃いて捨てる程あったのだろう。
深々と吐いた溜め息には困惑と後悔が織り込まれている。どうしていいのか分からない。カーヴェの扱いであれば一日の長があるつもりであったが、あれほど美しくて優しい人への接し方をアルハイゼンはいまだ知らないままだった。
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