外はまだ、夏の暑さを引き摺るみたいな夜だった。多古がつくってくれたカレーライスは野菜が結構溶けていて、人参とブロッコリーは随分やわらかくなっている。
「ごちそうさま、皿洗うよ」
手を合わせれば、まだ心配そうにこちらを見る彼の視線とかち合う。もう大丈夫だから、と笑って彼の食器も持って、アパート独特のちいさな流し台に立つ。
スポンジを泡立てて食器を洗い流しながら、食事をする前のことを思い出していた。
「お手」
考えるよりもはやく、てのひらが動いたことも、それを包まれたことも、なにもかもがおかしいはずなのに。そっか、とだけ呟いた多古の表情はよく見えなかったのは、俺がよく見ようとしなかったからだろうか。それまで襲われていた不安をすこしも抱くことなく、こうして夕食を終えたけれど。
二人分の食器と、明日の分をタッパーに移動したことで空になった鍋は、そんなに時間をかける必要なく洗い終える。
「終わったよ」
「ん。ありがと」
新しく買ったソファに座ってニュースを眺めていた彼にそう告げれば、いつもの感謝の言葉がかえってくる。多古が皿を洗えば、俺がそう答えているし、いつもの当たり前のやりとりだ。
ーーそれなのに。
なんとなく、胸がつっかえるような、うずうずとした気持ちがくゆる。立ち尽くしたままの俺を不思議そうに見上げる彼が、ふいに立ち上がった。
す、としろい手が伸びたかと思えば、ふわり、頭を撫でられる。
「いいこ」
「ぁ……」
ぶわ、とつっかえていたものが一気に雪崩れていくように、ゆびさきまで熱がともる。ほめられて、喜んでいる自分がいる。
「筏谷、もう寝よ」
疲れている姿を気遣ってくれた提案には素直に頷いて、寝間着姿で寝室に向かう。泥だらけのお札の山が怖くて、すこしだけ躊躇したものの、多古はいつものように並んだ布団へと足を突っ込み始めた。
だから俺もあの光景を振り払うように、自分の慣れた塒に入り込んだ。
まだ部屋が暗いから、夜なんだと思った。妙にさみしくて目が覚めれば、何気なく視線を向けた隣で多古は寝入っている。
不安とさみしさと、言いようのない気持ちが押し寄せてくる。なんだこれ、と疑問に思うよりも先に、身体が動いていた。
隣の布団に無理矢理潜り込んで、きゅう、と喉を鳴らす。ひどく熱があるみたいに頭がくらくらして、抱きしめてもらいたい。
ーー誰に?
疑問が頭のなかで揺れた時、彼の橙の眼と、俺の目がばちりとかち合う。
「ぁ、」
すり、と頬を撫でたてのひらが、俺の背中を引き寄せる。
「よしよし」
やわらかい色をした声が、頭のなかの疑問も不安もさみしさも、全部溶かすみたいだった。
くうん、と鳴る鼻をきみの肩口にぶつけて、足を絡ませる。一日のこわかった思い出がぐちゃぐちゃに、どろどろに溶けていく。
なんにも覚えてないきみを、こんなことに付き合わせちゃいけないのに。
理性の言うことを聞かない衝動が、ただただ甘えたくて仕方がない。
「筏谷、」
きみが俺を呼んで、撫でる。
「だいじょうぶ」
ああ、いいんだ。俺、こんなのでも。
甘ったるく鳴る喉が止められなくて、きみの鼻に自分の鼻をおしつけた。
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