四肢漁り事件が収束して、それからのこと。緘口令が敷かれているとはいえ、捜査一課のエリートともあろう男が、殺人鬼の息子と弟であることは一部の刑事には知られている。
そんな数少ない人間から冷たい眼で見られることは仕方ないのだし、なにより竜胆自身がよくわかっていた。
元凶に限りなく近い存在が降格もなく、僻地へ飛ばされることもない。母を養い続けることが可能なのは有難くとも、青年のなかでは違和感が燻ってばかりいる。
書類仕事の途中で、時計は昼時を示している。一課の刑事達がそれぞれ休憩を取ろうと動き出せば、青年の後輩もちいさな身体で椅子から立ち上がった。
「竜胆さん、お昼買いに行きません?」
「今日はいい、弁当があるから」
仕事が休みなら、せっかくだから。そう言って朝から張り切った母の作った弁当は、育ち盛り向けのメニューが詰め込まれている。
「もう二十五なんだけどな……」
苦笑しつつ、二段重ねを食べきれるだろうか、と考えていれば、じいっと見つめる輝灰色の眼差しが此方に気付く。
「……食べるか?」
「いいんですか!?」
空也の目が輝いたのを見て、ああ、と竜胆は頷く。
「全部はやれないから、サラダと主食を買ってこい」
署の屋上は警官達にのみ解放されていて、ご丁寧にベンチも置かれている。コンビニやファミレスが併設されている辺り、やけに福利厚生のしっかりしたところだとは思う。
ふたり揃って空いているベンチに座って、箸で弁当のおかずをつまんでいく。
「竜胆さんのお母さん、料理うまいですね」
「ああ」
じゃこ入りのだし巻き卵はすこし甘めで、ウィンナーはたこさん。ベーコンを巻かれたアスパラには、塩胡椒の味がしっかりとついている。なんだかお花見やピクニックのお弁当みたいだ、空也がそう思ったのは、おそらく間違いではない。
いつもこういうのを食べていたから、先輩はこれだけ背が大きくなったんだろうか。それはちょっとうらやましい。なんて考えていると、ふと竜胆が呟く。
「空也、」
「はい?」
なんですか、と空也が続けると、屋上に広がる景色を見つめたまま先輩が口を開いた。
「僕がお前に謝っても、無意味なのはわかってる。けど、言わせてくれ」
そうして、ちいさな後輩へと身体を向き直して、おおきな身体が頭を下げた。
「――すまなかった」
一瞬の間のあとに、空也は怪訝そうな顔をする。
「え、なにがですか」
「僕を身籠った母があいつから逃げていなければ、お前は腕を失くさずに済んだだろう。母の決断は何ひとつ間違っていないし、僕は感謝しているが、お前は僕を殴っていいし、罵倒していい権利がある」
きょとん。そんな言葉が似合うような表情をする後輩に、ああ、やっぱりな、と竜胆は思う。次に空也が続けた言葉も、竜胆のなかではきっと、そう来るだろうとは思っていた。
「なんでそんなこと言うんですか? 俺、竜胆さんに怒ることとか一個もないです。竜胆さんも、竜胆さんのお母さんも何も悪いことしてないじゃないですか。お母さんのこと、もっと褒めてあげてください。ありがとうって言ってあげてください」
たとえば自分が彼を殴ることで、竜胆の気が晴れるならそれでもいい。けれど、多分この腕で殴ればめちゃくちゃ痛い。正直この腕で殴ったら、おおきな割に自分より力のない彼の身が心配になる。
「……そうか」
わかっていたし、許しを乞いたかった訳でもない。ただ、言わなくては気が済まなくて。三課の彼にもそれを伝えようとしたのに、風はひゅるりと消えてしまったから。
「いや、ならいいんだ。おかしなことを言ったな」
「そうですよ! 竜胆さん元気ないんですか? お弁当ちゃんと食べてください。あ、あとでじゃがりこ食べます?」
「……ああ」
いつもなら、黙ってお菓子を買ったことを叱られるのに。ふわ、と笑った先輩の顔は、確かにやわらかかった。
空が青い。今日も眼下に広がる街は、犯罪と平穏であふれている。
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.