夕飯を終えて先にお風呂を済ませたあと、テレビからつまらないバラエティばかり流れるのを、ニュースに切り替えて適当に情報を漁る。たからちゃんがおれとお風呂を交代して、たしか20分程度。
おれより圧倒的に鴉の行水になりがちな彼女は、相変わらず髪を乾かさずに居間へと戻ってくる。ちょこんとソファに座った彼女に、言い慣れた小言をこぼす。
「また髪濡れてる」
「もうほとんど乾いています」
適当に返して、冷凍庫からカップ入りのアイスを一個取り出してスプーンを手に、たからちゃんはソファに座る。しょうがないなあと言いながら、おれも当たり前のように洗面所からドライヤーと手入れ道具の一式を持ち出した。これはいつものことで、ちいさい時からたからちゃんの髪を乾かすのはおれの仕事だった。……なのだけど。
「……なびき、乾かしてくれるのですか」
「え、そうだけど。たからちゃん自分でしないでしょ」
今更のようなはじめての問いに返して、いつも通り彼女の隣に座る。ほんのりと戸惑いを浮かべた表情がかわいかったけれど、おれだって戸惑っている。瞬時に思考を巡らせて、もしやと思い当たることに気づく。
「あ……嫌ならやらないよ、触られるの」
恋情を向けてくる相手に髪を乾かされるのは、やはり怖いのかもしれない。言葉にしたのがつい最近なだけで、おれは彼女が思うよりずうっと重たい昏いものを抱えているし。嫌われてはいないし、少しも脈がない……というわけでもないのは安心したけど、はっきり頷かれたらそれだけでショックだ。だけど、今まで言えずに我慢していたのなら、そっちのほうが苦しい。自己嫌悪でいっぱいになりそうで、すぐにでも自分を殴ろうかと思った。
「ごめんね、気付かなくて。そうだよね、うん」
「ちがいます」
なるべく彼女が傷つかないように、落ち込む自分を見せずに笑ってドライヤーを片付けたつもりだった。けれど、この耳と尻尾は大抵言うことを聞いてくれなくて、たからちゃんの視線が確かに正直者の動きを見たのがわかる。
もごもごと何か言いたげなのに、きゅう、とおれの服の裾を掴んでそれっきり黙り込んでいる。おれを悲しませない言葉を探しているようで、優しさが沁みた。無理をしてでも同居を続けたいと言った彼女の優しさと寂しさは、ちょっぴり痛くもある。
「嫌なら嫌って言っていいんだよ。おれも我慢しないし、たからちゃんも我慢しないって決めたでしょ」
穏やかにそう告げてみせても、馬鹿正直な耳と尻尾が邪魔をする。へんにょりするな、これくらいでめげてどうする。この子の全部がほしいなら、こんなちいさな成長のひとつも喜ぶべきで。
おれが身体の自由と格闘しているうち、ぽつりとしたささやきがはっきり聞こえた。
「本当に、いやじゃ、ないのです。あの、ちょっと、恥ずかしいだけで。その、やめないで」
いつも、うれしいから。
ただでさえ身長差のせいで視線が合いづらいのに、俯いてつむじしか見せてくれない彼女を、ドライヤーを手にしたままぽかんと眺める。男のわりには色白と言われがちなおれより、随分ましろの耳がやんわりと薄い赤色に染まっている。
背筋がぞわぞわとして、顔があつい。耳と尻尾が明らかにぴんと立った。ニュースの音声は何を言ってるのかわからない。だけどたからちゃんはもっとわかってない。あんなにわからせたつもりなのに、おれのことを全然わかってない。
「……あ〜」
「なびき……?」
頭を抱えるおれの隣、きっとおずおず小首をかしげているに違いない。おれには絶対に嘘をつかないきみの言葉のひとつで、おれはこんなに簡単に調子に乗る駄目な大人だってことを、ちゃんと知っていてほしい。いや、多少はわかっていると思う。今尻尾が腹が立つくらい揺れているから。
「ん……なんでもない、嫌じゃないならいいんだ」
せめて顔が必要以上にゆるまないように意識して、そういえば、とアイスが溶けてないかと彼女の手元を見る。カップ入りでよかった。
「アイス溶けてない?」
「は」
若干クリームが溶けたそれを確かめた顔がしょんぼりとしていたので、あとでおれが食べるから、別のと交換するよう勧める。こくりと頷いて席を立った彼女は、ぱたぱたと急ぎ足で台所から新しいアイスと一緒に戻ってくる。同じ位置に座ったかと思えば、さっきより少しだけ距離が近い。
許してくれているんだ、という事実がたまらなくうれしくて、乾いたふかふかのタオルで琥珀色の髪を覆う。痛くないように加減しながらタオルで水気を切って、トリートメントは掌で温めてからそっと揉みこむ。どうしても外側にはね気味な髪は細くて柔らかくかわいくて、触っている自分がいつも勝手に幸せになる。黒曜の角は刺激に敏感な彼女にとって、特に触れるのを気をつけなくてはいけないし、たからちゃんとおれしか知らない注意事項は他にもたくさんある。
かちりとスイッチを押したドライヤーが、必要以上に彼女に熱をあたえぬように、距離を保って低めの温風を浴びせる。
「熱くない?」
首を横に振って黙々とアイスクリームを食べている姿に緊張感はなくて、けれど時折、おれの指先がかすめる耳の赤さはしっかり見えている。やばい、うれしい。めったに味わえないけれど、ちゃんと意識されている、というのは、正直いつも照れるものなのだ。
「……はい、おしまい」
「ありがとうございます」
普段通りなるべく手早く済ませて、道具一式を洗面所に戻しにソファから立ち上がる。片付けた流れで台所へ行き、さっき彼女が溶かしたクッキー入りバニラのカップを手に戻る。付けたままの
おれだけが勝手に幸福だった時間は、彼女にとっても悪いものではなかったらしい。それがわかっただけで十分だったけど、もうちょっとだけ、調子に乗らせてほしくなった。
「よいしょ」
テーブルにカップを置いて、ひょいっとちいさな身体を抱きあげる。膝の上にちょこんと収まったたからちゃんが困っているのはわかっていた。
こうしてなんとなく抱っこする頻度が少しずつ増えたのは、やっぱり明確におれが彼女と離れたくないというのを知ってほしかったからで。
それにしても、いつまで経っても軽くて心配になる。羽根だとか雪みたいだなんて言うつもりはないけれど、華奢な身体はふにふにとやわらかい。
「……なびき」
「んー?」
「テレビ」
ああそうか、ちょうど時間だ。リモコンを操作して彼女のすきな特撮出身の役者が出ているドラマを映す。ちなみに一緒に見ている限り、ストーリーは全く面白くない。乾かしたばかりのやわらかな飴色に、頬を寄せる。流石に怒られるかなぁとは思ったけど、特に文句を言われることもなく、おれは半分溶けたクッキー入りバニラのクリームを口にする。
「溶けてないとこ食べる?」
首を動かしてくれたおかげで、おれを見る瞳と視線があう。雪と色硝子が煌めいたのが綺麗だなあと思いながら笑みを浮かべると、座り心地が落ち着いたらしいたからちゃんはこくりと頷く。
「なびきも、キャラメル食べますか」
「うん」
スプーンで掬われたひと口の色は、おれのすきな飴色とよく似ている。真剣にドラマを見ている彼女の邪魔はほどほどにして、おれは貰ったキャラメルの甘さを確かめていた。
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