シノハラ
2024-10-21 23:32:49
3692文字
Public アルカヴェ♀
 

先輩♀と何が起きても責任が取りきれる自信があるから一緒に暮らしてる後輩のアルカヴェ♀


 嫌いの反対は無関心という言葉は昔から知っていたはずなのに、実感を得たのはつい最近の事だった。大好きだったはずの後輩を大嫌いになってそれでおしまいだと思っていたのに、彼と暮らしてそんな実感は綺麗に覆されてしまった。
 以前よりずっと彼に腹を立てるようにもなったし、悪いところも目に付くようになったのに。それでも、彼を好いたままであることを何度も執拗に意識させられ続ける。
 彼はそんなこと、これっぽっちも思ってはいないのだろうと思う。そうでなければ異性の成人を家に置いて共に暮らそうなんて、考えるはずがない。カーヴェだってのっぴきならない状況での渡りに船でもない限り、二つ返事なんてしなかったはずだ。
 彼の中では多分、カーヴェはただのカーヴェであって、それ以上も以下もない。だからこんなものは全部、カーヴェだけの一人相撲でしかないのだ。それはカーヴェが一番よく分かっている、のに。
 この居心地の良い家に自分がいる限り、彼は他の誰かを選べないのではないだろうか。とか。そういうことばかり考えてしまう。
「別に断らなくてもよかったんじゃないか? ほら、彼女も僕がいるのを知ってるんだし、だから安心して君に頼んだんだろうに」
 飲み差しの茶が入ったコップをくるりと回しながら、カーヴェは自身に背を向けたアルハイゼンに尋ねた。ちなみに旅人から土産にもらった隣国の茶は本来の時間よりも長めに抽出して、カーヴェの夜更かしの助けになるように苦めに仕上げている。
「今おやすみと言ったんだが」
 いつも通りの時間に寝入ろうとした彼を妨害してしまったので、当然ながら彼は機嫌を損ねている。ごめんごめんと軽く返して見ると、あからさまに眉を顰められてしまった。
 そりゃあそうだ。本当は全部飲み込んで、カーヴェだって同じ挨拶を返そうとは思っていたのである。それでもつるりと出てしまった疑問はもう腹の中に返すことはできない。
「分かってるさそれくらい。でも今日のことは今日のうちに言った方が良いなと思って」
……旅人の事がどうした?」
 さらになんでもない事だというように続けてみれば、アルハイゼンは小さく息を吐いてカーヴェを構うつもりになってくれたらしい。
「そう、ニィロウを当たると言っていたけど、ちゃんとアテが見つかったか心配だよ。この時期は彼らも本番が近いわけだし、受け入れられるか怪しくはないか?」
 花神誕祭が近いが故に旅人はスメールにやってきたわけだが、盛大な祝日を堪能しようと同じ動機でやってくる旅行客は少なくはない。遠方の地域に暮らすスメール人も地元ではなく、規模の大きいスメールシティの祭を選ぶ場合もある。
 そんなこんなで、主たる宿はすでに人がいっぱいだったらしい。他は屋根があるだけで野宿とあまり変わらないような場所か、大枚を叩かなければならない高級宿ばかりであったとか。居間を一晩貸して貰えないかとの旅人達の願いをアルハイゼンはカーヴェの目の前で断ったのだ。
 ニィロウを抱える劇団も大舞台を目前にして大わらわに違いない。そんな状況で予定にない客人を迎える余力があるのかは正直怪しいのではなかろうか。
「彼女達には塵歌壺があるのだから、きっとどうとでもなるよ。彼女達が求めているのは旅情の類であって、俺への依頼も切実さがあるようには感じられなかった」
「それはそうだけど……
 塵歌壺。璃月の仙人から受け取ったという術とからくりが張り巡らされた壺にはカーヴェだって入れてもらった事がある。彼女達の家がある空間は広大で、夜は壺を置ける場所を見つけさえすれば夜露が凌げるのだとか。
 アルハイゼンの言う通り、スメールシティの片隅に壺を置きさえすれば彼女たちの宿の問題は解決する。それでもわざわざ彼女が宿を取ろうとした理由は花神誕祭直前の街の落ち着かない雰囲気を味わいたいからだ、とのアルハイゼンの主張にはカーヴェも反論はできなかった。だからきっぱりと断ったアルハイゼンと追加の交渉する姿勢は見せず、さっさと他のアテを見つけに行ったわけで。
「それに、俺は君の助言に倣ったつもりだったが。君はどうしたって俺に文句が言いたいらしい」
 気に食わないとばかりに視線を強められて、カーヴェはぐっと息を詰めた。確かにカーヴェはかつて、アルハイゼンが旅人を家に上げた時に彼を咎めた。自分がこの家に暮らしていると知られるのが理由ではなく、彼女とアルハイゼンの安全と名誉のためである。
 まだ少女と呼ぶべき者を夕暮れの迫る頃に家に上げることが、いかにお互いに危険な事かを懇々と説いた記憶がある。間違いがあるかもしれないし、なかったとしてもよくない噂が立つかもしれない。それは二人にとって良い事ではないだろう、云々。
 あの時、アルハイゼンは珍しく異論も挟まずカーヴェの主張を聞いて、君の考えももっともだと受け入れてくれたのだったか。アルハイゼンはその時のカーヴェの指摘をちゃんと覚えていて、その論理に則って行動してくれたらしい。
 であれば、もう一つ問題がある。カーヴェにとってはこちらの方がよほど問題だった。
……だったら僕はどうなんだ?」
「カーヴェ?」
「君は旅人との仲を誰かに誤解されないようにするべきだと思っている。それは大切な事だと僕も思う、けど」
 情けなさに声が揺らぐ。自分の声音に嫉妬が滲んでいるのが自分でも分かった。アルハイゼンだって、通常の精神状態だとは思ってくれないだろう。
 あの子を女として扱うのであれば、自分だってそうしてほしい。まだぎりぎり、子供として扱うべき子にまさかこんな浅ましい気持ちを抱く事になるとは思わなかった。
「あらぬ疑いであればともかく、間違いが起きた時に俺は彼女に責任が取れない」
 拗ねたような声を出してしまってから、カーヴェはアルハイゼンの顔どころか胴すら見られなかった。それなのにほんの少しの沈黙の後、その事実が不服だと言いたげに彼は寝室に向けたままだった足をカーヴェの方に向けて、一歩二歩と近づいてくる音が聞こえる。
 最後にがちりと固まる肩に彼の影が落ちて、視線の先に彼の足先が見えた。夜の室内をより薄暗くする彼の影が、今は少し息苦しい。
「君であれば責任を取ってやれる」
 耳に音が届いて、カーヴェは大きく目を見開いた。何かを口にしたかったように唇が動くけれど、一音すら形にならずゆるりと口元を動かすことしかできない。
 責任とはどういうことだろう。旅人にはできなくて、カーヴェにはできること。いつの間にか上げてしまっていた視界が至近距離にいるアルハイゼンを捉えると彼が一度ゆっくりと、まるでカーヴェを落ち着かせるように瞬きをした。
「君が望むのであれば疑いは晴らす。心身の苦痛を被ったと言い、金銭で贖えるのであれば争うつもりもない。そして君が」
 そこでアルハイゼンが言葉を区切ったと思うと、手の内にあったコップがずり落ちそうになった。カーヴェが慌てて指の力を強める前に、腰を落としたアルハイゼンがカーヴェの指ごとコップを掴む。
 いつか手を取った時の彼のそれよりも、カーヴェに触れる指先は大きくて熱い。その体温に煽られるように、カーヴェの頬にじわりと熱が灯るのが分かった。
 暖色の明かりでごまかせていればいいと思ったが、アルハイゼンの瞳が微かに緩んだ気がしたので見通されてしまっているのかもしれない。どくりと心臓が大きく跳ねて、カーヴェの眼球まで揺らしたのではないかと思う。
 アルハイゼンはカーヴェの指を解いて、コップを自身の手に移す。それからローテーブルに置くと、カーヴェの前で膝を突いてしまった。
「君が、俺を望むのであればこれ以上のことはないよ」
 まるで許しを乞うような仕草だった。
 ずっと誰のものにもならないでほしかった人が、自分を求めてほしいと願っている。アルハイゼンが最初から全てを覚悟した上でカーヴェを迎え入れていたのだと知って、気がつけば呼吸すら疎かになってしまっていた。
 何を言っていいのか分からなかった。無自覚で行っているはずの呼吸すらままならない人間に、そんな高度な思考ができるはずがない。けれど、アルハイゼンにはそんなことも分からないらしく、まるで諦めたような息を吐き出した。
 それからすくりと立ち上がった体を止め置きたくて、カーヴェは慌てて手を伸ばす。何とか指先が服の端を捉えて、こちらから背を向けようとしていたはずの彼が止まって再びカーヴェを見下ろした。
「きみの、責任がほしい」
 なんとか組み立てて絞り出した言葉に、彼の眼差しに喜びが灯るのが分かった。そっと細められた美しいまなこに魅入っているうちに、彼の手のひらがカーヴェの赤らんだ頬に添えられる。
「あの夜君に出会って、今度こそ君に破滅させられてもいいと思った」
 言葉に似合わぬ声音が、カーヴェの上にとろとろと落ちてくる。そうしてアルハイゼンが密やかに明かしてくれた思いを、カーヴェはきっと生涯忘れることはないのだろう。