ファーストラヴ

ニールが〇〇〇〇かもしれない説に触れてます。最初の出会い。

食堂で出されるミールはひどく味気ない。
──宇宙食とかみたいだな。いや、食べたことはないけれど。
少し離れた場所に座る研修生たちが咲かせる噂話の種は、もっぱら〝彼〟についてだ。いや、〝彼女〟かもしれない。それこそ話題の華々しさは種、というより大輪の花に近い。
行き過ぎた活躍の誇張、盛られた武勇伝。
──あそこまで過度な期待を抱くのも抱かれるのもしんどいだろうな。
もそもそと溶けたオートミールなのか、何かのクリームなのかよくわからないものを口に運ぶ。
噂話の大元である〝名もなき男〟はこのCIAでまことしやかに噂される、ある組織のボスのことだ。CIAで取り扱う案件よりももっと高度な特殊案件を対処する組織だという。真偽の程は定かではないけれど。
CIA内部で有能な人間は、その組織からヘッドハンティングされるらしい。
既に第三次世界大戦を防いだその組織の長たる男は次なる脅威に備えているとかなんとか。
割と大きめな声で騒ぐ彼らの声を、右から左へ聞き流していれば、かちゃん、と音がして正面に人が座った。広いのだから他にも席はあるのに。ニールは眉を寄せて座った人物を見上げる。
驚いた。物理学の講師であるアイブスがそこにいた。
「君はあの会話の輪の中に混ざらないのか」
「あなたみたいな講師がこんな食堂へ?」
問いかけは同時だった。
……僕があの中で打ち解けるような性格だとでも?」
「俺の講義中あれほど饒舌に熱弁した君の言葉とは思えないな」
髭に覆われた悪戯げな顔で講師が笑う。ニールの脳裏に先日の講義での一幕が翻る。不可能な物理的法則の主観を互いに論じたばかりだ。この講師と。
……君は何故CIAなどに?」
「プライバシーの侵害では?」
ニールは自分で言って、試験を受ける際に提出した膨大な身上書の束を思い出した。隠すも何もこの機関には全てが筒抜けだ。今更だ。
「お決まりの志望動機の話しに花を咲かせるつもりはない。興味だ。もちろん話したくなければ話さなくていい。味気ない食事にはせめて彩りある会話を」
「楽しい話しなんかできないですけど」
別に隠す必要もない。
画商として働いていた母は若くして病で亡くなった。父の残した莫大な遺産、そして母のコレクション。食うには困らずだったが、母の遺言だけを心にこの道を目指した。
「正しいことをできるだけの力を手に入れたくて」
若い頃の母は不自由な人だったと聞いている。詳しくは誰も教えてくれなかったけれど、自由の翼を手に入れた母は、本来の美しい輝きを取り戻したためか、神はいち早く自分の手元に母を取り戻したかったのだろう。美しいまま死んでしまった。
「CIAなら君の望む正しい力を手に入れられる?」
「さぁ。先のことは」
修士に進んで寝る間を惜しんで研究した物理学の論文も、学会提出時にはニールの名前などどこにもなく、大学教授の名前に書き換えられていた。この世は正しいことをしても力がなければ淘汰されていく。
「味気ない以前だな、ここの食事は」
それでも全てを平らげた講師が席を立つ。
「君の母は意志を継ぐ君を誇らしいと思うだろう」
身を翻すその後ろ姿を思わず目で追う。冷めたミールはやはり味気なかった。

少しぼんやりしていたせいか、次の講義の時間ぎりぎりになってしまった。食堂内で会話を楽しんでいた同期生達は既に姿を消している。慌てて次の教室に向かうためエレベータに向かうと、同じように小走りにかけてきた一人の女性研修生と歩幅が揃う。
「少し居眠りしちゃってた」
同じく同期生の一人だ。照れ臭げに遅れた理由を述べる彼女に笑って、エレベータのボタンを押す。促して彼女が先に入った後に続いて、上昇ボタンを押した。
埒もない雑談、わずか数秒で到着するであろう教室への道のり。ふ、と彼女が怪訝な顔をした。
……何か変な音しない?」
「え?」
「時計みたいな」
すると突然がたん、と音を立ててエレベータが止まった。
「ぅわ」
「なに」
非常ベルが鳴り出す。青と赤に点滅するエレベータ内。彼女が非常ボタンに飛びつく。押しても反応はなかった。
……中から音が」
「どいて」
彼女を後ろに下がらせ、ニールはエレベータを操作するパネル板を開いた。彼女が後方で息を呑む。
小型の時限爆弾。随分と型が古い。青と赤の導線が本体に繋がっている。表示される残時間は0945。
ニールはエレベータの扉に手をかけた。彼女もそれを手伝い横に引けば、扉は開いた。けれど、中階で停止したらしいそこは、眼前は壁、上はわずか人一人が通れるほどの狭さ。そこから上階の床が見える。
──行ける。狭いが彼女なら通れる。
「上がって!」
「ニール!」
ニールは振り返って膝をついた。自らを足場にと促すニールに彼女の悲痛な叫びが重なる。
「早く!」
彼女の目から涙が溢れる。
「私が上に着いたら引き上げるから」
「無理だ、振り返らず走れ、全力で」
彼女は一旦強く目を瞑って、意を決してニールの膝に乗り上げ、肩を伝い上っていく。ニールは彼女を肩に乗せたまま、勢いよく立ち上がった。狭い空間から、身を捩って彼女が脱出する。彼女が振り返る。
──振り返るなと、言ったのに。
「助けを呼んですぐ戻る」
「行って」
彼女が勢いよく走り出した足音が聞こえる。
非常ベルは鳴り止まない。
残り0321。
青と赤の導線。どちらかを切れば止まるかもしれない。両方の導線を見比べて、やがてニールはエレベータ内に静かに腰を下ろした。
爆発の規模はどのくらいだろう。このエレベータは、CIAの研修棟らしく防火防音耐熱に優れていたはずだ。そもそもなぜ機密基地でもあるCIAの研修等内部にこんなものが?
残り0210。
あっけない。自分の人生はここで終わるものだったのか。そう言えばあの味気ない食事が最後の晩餐となってしまった。思い出そうとしても、味なんて思い出せない。
残り0045。
対面で食事した講師の瞳の色が脳裏に蘇る。美しいダークブラウン。
──君の母は意志を継ぐ君を誇らしいと思うだろう。
何故誰にも話したことのない母の思い出をあの人にしたのだろうか。
母が、誇りに思ってくれるならいいか、と思った。ニールは目を閉じた。
光、風、そして、爆発音──。



……ニール、何故あの時、青か赤の導線を切らなかった? 爆弾処理や鍵開けは得意分野だろ。時間も十分にあったはずだ」
……えぇ……?」
ぱちりと目を開ければ、いずこかから突然質問を投げかけられた。ニールは思考せずに答える。
「母さんが、すきないろ、なんだ。あおと、あか。運命を、変えてくれたいろ、だって……
……なるほど」
……だから切れなかった……って……え?」
ニールは段々とはっきりしてくる意識の中、その柔らかい声音の問いかけに目を瞬かせる。
生きている。どうなっている。自分はあの爆発に巻き込まれて死んだのではなかったのか。
寝かされているらしいベッドの上、天井から少し横に目を転じれば、物理学の講師がベッドに腰掛け、ニールの顔を覗き込んでいた。
……少し睡眠ガスが強めなのでは? 光線もあそこまで強くする必要はないだろう」
「俺に言わないでくださいよ」
向こう側から誰かの声がする。
「アイブス……講師?」
……はぁ?」
向こう側の声らしき人物が歩いて来る音、覗き込んできた髭面の男が、アイブス講師を指差して言った。
「おい今、この人のこと〝アイブス〟って言ったか? ちょっとあんたまさか」
ニールに尋ね、返答を聞かないまま髭面の男は呆れた顔でベッドの縁に腰掛けるアイブス講師に向き直った。
「他にいい名前を思いつかなくて」
「俺が言いたいのはそこじゃねぇんですけどね。こいつの様子見に行くとか言って、あんた完全にここに潜入してたんだな?」
笑いながらアイブス講師が立ち上がる。離れてしまうその手をニールが掴んだ。
「あんたまさか名もなき男?」
ふ、と目元を和らげ、ダークブラウンの瞳が潤む。
「君は試験に合格した。ニール、これからはCIAでなく、君はTE」
「なる。あんたの下で働く。あんたがいい」
即答したニールの言葉にわずか目を見開いたのち、噂の組織のボスは艶やかに微笑んだ。
「さて、君が切れなかった青と赤について詳しく話そうか」
ニールの掴んだ手に、そっと反対の手を添えて、〝名もなき男〟は再度ベッドの縁に腰掛けた。
「ちなみにアイブスは俺な」
「ねぇ、あなたの名前は? 教えて」
「聞けや」