神様に恋をしている

本編を見て勢いだけで書いたニル主+アイブス。任務に就く前のわちゃわちゃ。

「彼はね、僕におねだりしてくれるんだ」
「おねだり」
異国の言葉を聞いたかのように、アイブスは思わず聞き返してしまう。
特殊任務につく同僚が廊下の向こうから歩いてきたものだから、発破をかけてやるかと声をかけた。
『ボスの無茶振りにも慣れたか?』と冗談めかして尋ねた返答がこれだ。
おねだり。おねだりとはまた随分とポジティブな。
あれは、権力において死んでこい、と命令されることと同義だ。あの人は明確にそれを伝えることはもちろんしないけれど、世界の均衡を保つためなら致し方なし、と考えてもいる。立場上は。
とはいえ極力『最悪の事態』からはいつだって部下を外そうとするし、逆に言えばいつだって一番危ないところに平気で飛び込んでいく人だ。我らがボスは。
最初から格闘術のセンスはずば抜けていたし、親密度はないのに組織の仲間だというだけで代わりに機密を守って死ねるだけの胆力が備わっている。
救世主ともメシアとも称されても不思議ではないのに、ただ、彼はいつだってそこにいて、淡々と命を下す。命令し慣れていて、そうだあれは、自らが黒幕となることを知らずにいながらも、元から備わるカリスマ性によるものだ。
多くの者が誘蛾灯に群れる羽虫のように身を焼かれたくて彼に近づくのだが、羽がもげようが穴が開こうが頭を撃ち抜かれようが、笑いながら帰ってくる男が彼の一番近くにいるのは幸いだ。
──幸いか? これ。
思わずアイブスは思考する。死んでこいと同義の命令を、まるで、アイラブユーマイディアこれやってきてプリーズと脳内で変換されてるらしい物理学の権威になれたかもしれない男は今日も笑ってる。
──ていうか惚気だろ、これ。
「毎度キツイ任務を言い渡されるのはベッドの中なんだろ。高くつく〝前戯〟だな。飛んだピロウトークだ」
アイブスの言葉にニールはきょとん、と目を瞬かせた。
「ピロウトーク? 何言ってんのアイブスそれ冗談? それとも彼にそんな相手がいるのそれ誰、誰だよ僕聞いてないちょっと誰」
「うわめんどくせぇ離せおい、くる、苦し」
ぎりぎりと首を締め上げられる。ブルーグレーの瞳に炎が灯っている。
「だってベッドの中で命令され……んん? いや、その前に、お前ら、寝てるんだよ、な?」
「うん」
「恋人を戦場に送るのはボスだって辛いだろ。口に出して言えないだろうから余計に」
「こいびとってだれが」
「えぇ〜……めんどくせぇ……
アイブスの言葉を脳内で反芻したらしいニールは頬を朱に染めあげ、そこに手を添えた。
「あれ? え? うそ、えぇ?」
ガタイのいい男の花も恥じらうような可憐な仕草は無視してアイブスは解かれた首を摩った。
「なんだよ今更かよ。会話も噛み合ってねぇのか? 逆言語ででも喋ってんのかよお前ら」
……だって、彼は褒めてくれるから。試験でいい点をとった時の先生みたいだなって思ってた。勘違いしちゃいけない、父親みたいに、思っていないと、って」
……歪んでんな」
崇拝の象徴と寝てんのか、と更なる自覚を促してやろうとすれば、こつり、と革靴の音が廊下に響く。いつの間に。
「珍しいな、アイブス。今日はスーツか」
「白々しい。あんたの指示でしょ」
厚めの魅力的な唇が笑みを刻む。瞼が細められ、猫のように煌めく大きな瞳が、満足げに上から下へとアイブスの全身を眺める。
コンフォタブルなサヴィルロウのスーツが届いた時点で次の任務はこれかとアイブスは辟易した。いけ好かないスノッブな老紳士に会いにいけと。
英国諜報機関の裏側にまで支配権を持つ老翁に比肩するほど、裏社会で名を馳せる自分たちのボスは、しばし顎に手を当てアイブスを眺めたあと、ゆるりと近づいてアイブスのタイを締めた。
ノットに、絡んだ指が、きゅ、と締まる。
アイブスの口から蛙が轢き潰されたような声が漏れる。
併せてその光景を凝視していたニールの歯軋りの音が廊下に響く。
……あまり末っ子をいじめてくれるな」
「あんたがそうやってこいつに甘々過ぎんのもどうかと思いまぐぇ」
「ゆるい。身なりだけでも整えてくれ。あの方は車椅子に繋がれ呼吸器を着けながらでも皮肉に事欠かん。舐められるなよ」
「呼吸器つけて皮肉ってどうやって」
「テクスト」
アイブスの口からうげぇと再度品のよろしくない罵りが漏れる。
ボスとその左腕の男との距離の近さに、右腕の男がぎりぎりと歯を食いしばっている。
「ニール」
「なに」
打てば響くようにニールがすぐさま反応する。飼い主に呼ばれた忠犬だ。
「お前もそろそろ時間だろう。行っておいで。そしておかえりを言わせてくれ」
「〜っ、ベッドで待っててね……!」
感極まって余計な文言が付随していたが、我らがボスはそれを華麗にスルーした。
踊るようにニールが廊下を駆けていく。死地の任務に向かう男にはまるで見えない。それを、眩しげに見つめるのだ、世界を背負う我らがボスは。
こんな風に見つめられているなど、ニールは気づきもしないだろう、この先もずっと。
「空に浮かぶ一等星でも見てるみたいですよ」
……感傷的だなアイブス。しかしそれは、翻って君を死地に見送る俺の眼差しを、君は見たことが無いということと同義だ」
アイブスは思わず言葉に詰まった。やがて、肩をすくめて身を翻すと、アイブスは自分の授けられた任務へと頭を切り替えた。
「君に、君たちにおかえりを言う権利を、どうか俺から取り上げないでくれよ」
アイブスは振り向かず、軽く右手を上げた。
さすが、一流テーラーの仕立てたスーツは違う。胸元にホルスターを着けていても、その可動域の広さにアイブスは感動した。