溶けかけ。
2024-10-21 19:40:52
2793文字
Public ほぼ日刊
 

cardinal

バーテンダーするフリーナとフォカロルスのお話。

「いらっしゃいませ」
 色とりどりのお酒の瓶が並ぶBarモルス。そこでは双子のバーテンダーが日夜、疲れた人々に至福の一杯を提供している。店と店との細い路地を抜け、階段を降りた先の小さな店は知る人ぞ知る名店だ。
「今日は何にする?」
 双子の姉、バーテンダーのフォカロルスがナッツの入った小皿を置いた。
「カリフォルニア・レモネードを」
……おや?いつものじゃないんだね?」
 指摘された男性は驚いたように目を見開き、それから恥ずかしそうに頬を染めた。
「久々に妻に会ってきたら、なんでか、無性に飲みたくなってしまったよ。今度は妻と来ようかな」
 フォカロルスは常連の男性の意外な一面に頬を緩めた。
「それは素敵だね。来た時はサービスしてあげよう」
 会話をしながらもフォカロルスの手は止まらない。あっという間にカクテルを一杯作り上げるとキンキンに冷えたグラスに移し、男性の前に置いた。
「ああ。冷たくてとても美味しいね」
 男性は一口飲むと目を細めた。フォカロルスのお酒を飲んだ人たちは皆、一様に穏やかな顔をするのだ。
「ほら、フリーナ。ぼんやりしてないで、お客様が退屈しないように演奏をお願い出来るかな」
 仕事の手を止めて魅入ってしまっていたフリーナにフォカロルスが声をかけた。
「う、うん」
 フリーナはエプロンを外して置くと設置されているピアノで演奏を始める。ジャズ、オーケストラ、歌劇……その日の客層や頼んだお酒によって何を演奏するのかが変わるという粋な計らいのおかげで常連客は以前にも増して通うことが多くなった。
「フリーナちゃん、ずっと居てくれると良いんだけどな」
 最近、フォカロルスの見習いとして紹介された妹のフリーナはお酒を作る腕はフォカロルスには遠く及ばないが演奏の腕においては誰よりも秀でていた。
「そうだね……でも、僕としては手伝いなんかより、彼女に好きなことをして欲しいんだけど」

「お疲れ様、フリーナ」
 営業が終わり、カウンターに疲れたように突っ伏すフリーナにフォカロルスが声をかけた。
「ごめんね。寒いよね」
 酒の品質を保つためには仕方がないとは言え、フォカロルスは少し白くなってしまったフリーナの頬に触れる。
「お疲れ様、フォカロルス。うん、大丈夫だよ……それに僕もキミも冷えすぎているから……って、こうしてはいられない!今日こそはキミに美味しいって言って貰うんだからな!」
 フリーナは腕捲りをするとカウンターの中へと入っていく。
「ふふ……楽しみにしているよ」

「何回やってもキミに認められない……
 空になったグラスを前にフリーナは頬杖を突く。フォカロルスは最後の一杯を飲み干すとカウンターに置いた。
「美味しいんだけどね。お店で出すにはあと少し、というところかな」
「僕が飲めたらもっと成長も早かったと思うんだけど」
「それは駄目だといっただろう? キミ、すぐに酔ってしまうんだから。練習どころじゃなくなってしまう」
「でも……
 フリーナの焦りも理解出来る。今のところ彼女がしている作業といえば、お通し作りやレジ、おしぼりの洗濯など雑務ばかりだからだ。フォカロルスを手伝いたい、と常々言っている彼女からしたらまだ足りないのだろう。
「今でも充分に助けられているよ。ありがとう、フリーナ」
 フリーナの頭を撫でる。彼女は不満げに顔を反らした。
「今日は特別に僕のカクテルを飲ませてあげる。丁度、とっておきの材料が手に入ったんだ。勉強にはもってこいだと思うよ」
 フォカロルスは赤ワインとカシスリキュールを取り出すとグラスに計り入れた。軽くマドラーでかき混ぜてフリーナの前へと置いた。
「召し上がれ」
 初めて見るカクテルだと目の前のカクテルを見ながらフリーナはここ数日の記憶を辿る。
「ふふっ……初めて見るだろう? カーディナルっていうカクテルさ」
 美しい深紅をしたカクテルに手を伸ばす。香りを楽しんでからゆっくりと舌で味わい嚥下する。
「美味しい……
 ほう……とフリーナが恍惚の溜息を吐いた。葡萄の香りとカシスの香りが調和し、酸味と甘みのバランスがよく飲みやすい。
 一口、二口と飲み進め、全部飲み干す頃にはフリーナの目蓋は重くなっていた。
「眠い……
「いいよ、寝て。後は僕がやっておくから」
 フォカロルスがハミングをする。どこかで聞いたのに思い出せない曲に耳を澄ませれば、身体が重くなっていく。
「おやすみ、フリーナ……また会う日まで」

「フリーナ!」
 緊迫したようなヌヴィレットの声で目が覚めた。
「ヌヴィレット……?」
「よかった……
 強く抱きしめられ、フリーナは目をぱちくりとさせた。
「な、なな……何がどうなって……!?」
「君が死んでしまうのではないかと……
 ヌヴィレットに問いかけても彼は無言で抱きしめるばかりで話にならない。そんなとき、扉が開いた。
「はーい、ヌヴィレットさん。フリーナさんが目覚めて嬉しいのは分かるけど、ちょっと離してね」
 べりっと音が出そうなほどの勢いで公爵がヌヴィレットを引き剥がした。彼は不服そうではあったが、渋々頷いた。
「フリーナさん。何があったか思い出せる? あなたはもう三日も目を覚まさなかったのよ」
 そう言われて、少しずつ思い出して来た。監督として呼ばれていた映影の撮影中、魔物に襲われ、撮影メンバーの殿を務めた。僕しか戦える人がいなかったんだ。
「君は盾持ちのヒルチャールに吹き飛ばされて……私たちが駆けつけた時には、血まみれで倒れていた」
 ヌヴィレットが太腿の上で手を組んだ。その手が色を失うほど強く握り締められていて罪悪感が募る。随分と心配をかけてしまったようだ。
「うん。後遺症の心配はなさそう……と言ってもまだしばらくは入院してもらうことになるけれど」

 その日の夜、他の者たちが寝静まるなか、フリーナは枕元の本を手に取った。カクテルの種類や作り方、カクテル言葉の載っているそれは、フリーナがヌヴィレットに頼んで買ってきて貰ったものだった。最低まで落としたランプの灯りを頼りにぺらぺらと頁を捲っていく。
「カリフォルニア・レモネードは……ないか……じゃあ、カーディナルは……?」
 フリーナの頁を捲る手が止まる。
 フォカロルスはあのバーで一度も僕に飲食をさせなかった。時間の経過はあったはずなのに空腹を感じなかったことを今更ながら思い出す。もし、フリーナがあそこで何かを口にしていたら、戻ってこれなかったかもしれない。
「『とっておき』……まだ来るな、ってことだったんだね」
 きっと彼女のことだ。僕を元の世界に戻すためにどうにかして現実世界のお酒を手に入れたのだろう。


 カーディナル……カクテル言葉『優しい嘘』