蘇芳
2021-09-23 22:30:58
7138文字
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不可侵の隣で

カゲユイです。2人の始まりのような話。


「付き合ってる人がいるんだ」
 そんな言葉がユイトの口から飛び出てきた。照れ臭いのか視線を足元に落とし、頬をほんのり赤く染めて。その顔は優しい笑みに彩られ幸せなのが伝わってくる。どうしてユイトにこの顔をさせているのが自分ではないのか、純粋にカゲロウはそう思った。
……へえ」
 普段より低い声が出たことにカゲロウは静かに驚く。ユイトだってお年頃だし、お付き合いしてる人のひとりやふたり、いやふたりは駄目か。ユイトに限ってそんな不誠実なことはありえない。
 ユイトが選んだ相手ならきっといい子なんだろう。ユイトから告白したんだろうか、それとも相手からか。祝福しないと。そうだ、おめでたいな、と。なのに、カゲロウの喉は焼けたようにひりつき声が出てこない。
「カゲロウに会ってほしくて」
 柔らかく微笑んでカゲロウを窺うように見上げてきたユイトは随分と、可愛らしくカゲロウの目に映った。会ってほしい、誰に。ユイトが付き合っている相手、つまり恋人。
 息が詰まる。どくどくと心臓が激しく脈打つ。嫌悪感が血管を流れる血のように全身を巡る。目の前の光景が歪み、ちかちかと明滅して脳が熱い。何だこの状況は。いや、おかしい。だってユイトの恋人は──。
 無情にも事態はカゲロウをおいて進行し、微笑むユイトの隣に現れたのはユイトより体格が大きい、バッキィちゃん。
……………………は?」
 目蓋が一気に開き、カゲロウの目に薄暗い部屋の天井が映った。うるさいくらい脈打つ心臓はそのままに、素肌に触れるシーツの感触が今のは夢だ、と告げる。
……人、じゃなくね? 流石は夢ってか」
 そんな呟きと共に、強張っていた体に気づいたカゲロウは意識して力を抜いた。心臓が落ち着くにはまだ少し掛かりそうだと考えながら、ゆっくりと嫌な夢を振り払うように仰向けで寝ていた体勢を横向きに変える。そうして横を向いたカゲロウの視線の先には、いとけない顔をして眠るユイトがいた。
 そうだ、ユイトの恋人と呼ばれる存在はカゲロウだ。
 変な夢を見たのはそれもこれも、あのバッキィちゃんが悪いのだ。昼間に買い物をした時に貰った福引き券で当たった、特賞の巨大バッキィちゃんが。巨大と言っても流石に夢に出てきたバッキィちゃんのようにユイトの体格より大きくはないが、それでも立てればユイトの腰のあたりまでくる巨体の。
 
 福引ができるのは5回。カゲロウは福引きにも賞品にも特に興味がなかったので全部ユイトが引けばいいと言えば遠慮なく、とキリッとした目でユイトは福引きに挑戦したのだ。特賞がバッキィちゃんだとあってユイトの気合いの入れようは凄かったが、4回引き終わってユイトの手元に来たのは参加賞の飴玉が4個。気落ちしたユイトが少しの期待を込めて、もう当たる気がしないからカゲロウが引いてみてくれ、と。最後の1回をカゲロウは託された。
 若干、予感はしていた、嫌な予感だ。特賞なんて、そうそう当たるものではないがそれでも、バッキィちゃんはカゲロウにとって最大のライバルであり、最高の障害であるからして。我が儘を滅多に言わないユイトの願いや期待には、最大限をもって応えたいカゲロウだったが絶対に当たるな、くるな当たるな、と。こればかりはユイトに悪いが祈っていた。そんな祈りも空しくカゲロウの前に映し出された大当たり特賞、ファンファーレが高らかに鳴り響き、紙吹雪やキラキラとしたエフェクトが舞い散るビジョン。わっ、と特賞が出たことによるざわめきや、祝福だろう拍手がカゲロウの耳に遅れて届く。神はいない。特賞を当てておいてなんだと多方面から言われそうだが、カゲロウにしてみれば特賞でもなんでもないので。
 これでもかと目を輝かせ頬を赤く染め上げながら喜んでいるユイトとは正反対に、カゲロウの気分はどん底まで沈んだ。直後に満面の笑みときらきらの目で「カゲロウ凄い! ありがとう」とユイトに言われて気分が浮上したのだから我ながらわかりやすい、とカゲロウは笑った。
 おめでとうございます。と笑顔で声を掛けてきた店員がユイトとカゲロウの様子に微笑ましそうな顔をしたが、それも一瞬で配達ができますがどうしますか、と聞いてきた。それなら配達を頼んでユイトがバッキィちゃんに掛かりきりになる、とわかりきった未来を少しでも先延ばしにしようと悪足掻きをしたカゲロウだったが買い物の帰りの客の為のサポートは万全だったのだ。ユイトが配送時の位置情報追跡を許可したことにより、配送先の住所と現在地情報が重なって一時間経つとドローンが起動。それによりバッキィちゃんはドローンによる即日配送で、その日の内に届いたのである。
……あんなデカイの、家の中でわざわざ抱えて連れ回すのはないでしょーよ」
 不機嫌、というより拗ねた子供のような声音が出て、羞恥心がじわじわとカゲロウを苛む。少し叫びたい衝動に駆られたが、隣で眠るユイトを見てなんとか堪えた。
 バッキィちゃんが届いてからはカゲロウが予想した通りに、ユイトはバッキィちゃんに掛かりきりで夢中だったのだ。カゲロウはユイトの恋人として不平不満のひとつや、ふたつ。臍を曲げたってなんら可笑しなところはない、どころか当然の権利である。それでもユイトが嬉しそうに笑っているのだから、まあいいかと。先に惚れたほうが負け、とはよく言ったものだ。
 バッキィちゃんと言えばアジトで浮かせて眺めていたユイトの姿が、カゲロウの脳裏に映像付きで浮かぶ。初めて見た時に正直、二度見した。もう懐かしいと言っていい過去だ。それにつられたように過去がカゲロウの脳裏に次々に去来し、今に繋がるユイトが怪伐軍を退役した時のことを強く、思い出した。
 
 無事に怪伐軍を退役したユイトは大学に進学する為のあらゆることに着手しだし、最初にしたことはスメラギの家の管理を人に任せること。人と言っても管理会社だ。流石はスメラギと言っていいのか、それ相応の広さがあったスメラギの家をユイトだけで管理するのは難しい。ユイトひとりのところに人を雇い入れるのも、スメラギの現状から憚られたからだ。それならいっそ完全に空けてしまおうということになり、ユイトは別の家に引っ越して大学に進学する為の勉学に励んでいた。今、カゲロウがユイトと共に居るのがその家である。
 その家でカゲロウは、話の流れの口約束のようなものだったユイトの家庭教師をすることになったのだ。もろもろの問題はあったが、本気でカゲロウを家庭教師にしようと動いたユイトと、ユイトに協力した何人かも動いて実現した現状である。
 無理をしてカゲロウを家庭教師にする必要はないのに教わるならカゲロウがいいのだ、とはっきりと告げたユイトにカゲロウは目を見張った。嬉しさで胸を満たしながら「そこまで期待されたら頑張んねぇとな。教えるからには厳しくいくぞ」と言えば「望むところだ」と嬉しそうに笑ったユイトを、カゲロウは愛おしく思った。そう、思った自分を殺したくなった。もちろん、カゲロウの命はユイトに預けてあるので勝手なことはしないのだが。こんなことをカゲロウが考えたのは一度や二度ではない。
 カゲロウはユイトの父親の仇だ。一生許されない、赦されることはない。それは当然のことだ。そんな存在に、カゲロウに仲間以上の感情を向けられているとユイトに気づかれてはいけない。死んだって明かさない、墓の中まで持っていく。碌なものが入らない墓になると思っていたが上等なものを入れられる、とカゲロウにとって悪いことではなかったのだ。

「そいつがなぁ……
 人生は二千年、生きたカゲロウにもわかるものではなかった、ということがわかった。
 何がどうしてか、ユイトにカゲロウの気持ちがバレていたのだ。カゲロウは停止しそうになる思考を無理やり動かして、ユイトの前からどう消えるかを算段する。カゲロウの命はユイトのものだから生存報告を定期的に送って、いやひとまず透明化してユイトの目の前から消えて、と思い至ったのは遅かった。がしり、とカゲロウはユイトに腕を掴まれたからだ。それだけでなく念力でも抑えられる。
「カゲロウ。俺の話を聞いてほしい」
 真剣な表情のユイトを、カゲロウが無視できるはずがない。それに、ここでカゲロウが頷かなければユイトは念力を使い続けると手に取るようにわかる。今はまだ脳力が使えているユイトだが、いつ使えなくなるか判然としていないのだし、負荷がかかる脳力の連続使用は極力避けるべきだ。
「逃げない。逃げないから念力は解いてくれ」
「やっぱり、逃げるつもりだったのか」
 ユイトは苦笑して掴んだ腕は離さずに、念力を解く。
 しっかりとカゲロウの目を見たユイトが眦を下げて、今にも涙がこぼれそうな目で、カゲロウが思いもしなかった言葉がユイトの口から零れた。
「俺は、カゲロウのことが好きだよ」
……じょ、うだん」
「こんな冗談を本当に言うと思ってるのか。カゲロウに、俺が」
 ないだろう。間髪いれずカゲロウの思考が判断を下す。その判断に、願望も大概にしろとカゲロウは否を突きつけようとして、できなかった。事実、ユイトがそんな冗談を言うはずがないのだから。
「親父のことは、許さない。……でも、俺はカゲロウ・ダンって人を知ってる。お調子者で、軽薄な態度を取る結構な遊び好き。二千年なんて途方もない年月を、娘さんの為に諦めることなく目的に向かって歩き続けた人。……勝手に命を預かった俺に預けたままにして、信頼に応えようとしてくれてる」
……その程度」
「その程度じゃない。目的の途中で挫折しなかったのも、逃げなかったのも。うん、凄いよ。そう簡単にできることじゃない。それに、贖罪もあると思うけど俺に命を預けてくれたこと。それが上辺の言葉じゃなくて、本当に預けてくれてることがわかる」
 ぽろぽろとユイトの目から涙が零れ落ちる。この涙をカゲロウが拭うことは、許されない。カゲロウがユイトの父親の仇である事実は動かしようがないからだ。父親を思えば、ユイトがカゲロウに対する思いを持っているだけで、想像を絶する痛みを身の内に抱えていることは考えるまでもない。だから、どんなに零れる涙を拭いたくても、この涙だけはカゲロウが触れて、拭ってはいけないのだ。
「っ……何だかんだ言って周りをよく見てて、フォローも上手だし、まあ、調子にのって失敗してたりもするけど。頼りにできるし信頼に、信頼で応えようとしてくれるの、嬉しかった……この先、どんな困難があっても、どれだけの時間が掛かっても世界を変える。その時、隣に居てほしいのは、カゲロウなんだ」
……ああ、俺も変えて、変わっていく世界を見るならユイトの隣がいい」
 
 カゲロウの腕を掴み、力を入れすぎて白くなっているユイト指先を優しく取って掲げ持ち、カゲロウは指先に口づけをおくった。
……いい年した野郎が、情けねーのな。年は取りたくないもんだぜ。……先に言わせちまった」
「そこは若さ故の突撃?」
 指先に口づけをおくられて、顔を赤くしたユイトが恥ずかしさを誤魔化す為か早口で捲し立てた。こういうところは、まだまだ子供だとカゲロウは仄かな喜びを感じてうっすらと微笑む。浅ましいそれを、カゲロウは綺麗に瞬きひとつで覆い隠した。
「そこ突っ込んできちゃう?……あの時、命を奪わないでいてくれたことに感謝してる。仇の命乞いなんざ耳に入れる必要なんてないのにな。まっ、今思い返せば、あれは最初から最後までユイトの手のひらで転がされてたなぁ~。眩しかったぜ、真っ直ぐ前を見据えて。許せないけど目的の為に手を取り合うことはできるって。実際に手が重なった時は、なんつーんだろうな感動、したんだ。こいつは揺らがない、自分が定めた道をどんな道だろうと歩んで行ける奴だってな。そんなユイトの道を一時でも一緒に歩めることが嬉しかった」
「一時って……
 びくり、と震えたユイトの指を絡めるように握り直し不安そうに揺れた目に、今度はカゲロウがしっかりと目を合わせる。
「最後まで聞いてくれ。ユイトの兄貴に会いに行っただろ。ユイトの言った通り半分本気で死んでも構わないって思って行った。ユイトが来なきゃ死んでただろうな。それがどうだ。いくら兄とはいえ銃の前に立ち塞がって俺の命を預かるって、陳腐な表現だが痺れたよな。俺なら生きて責任を果たすって、この上ない信頼を先に向けられて。ははっ、覚えてるか? 愛してるぜって言ったことあったよな……あれ、実は本気だったんだぜ」
「お、覚えてる」
 耳まで赤くして狐につままれたような顔をしたユイトを可愛らしいと思いながら、続けて言うことで愛想を尽かされるかもな、と覚悟してカゲロウは口を開く。
「命なんて重いもん持たせて喜んだんだ、俺は。ユイトが言ったんだし、俺がユイトの側にいる免罪符になるってな。最低だろ?」
 ユイトの表情がわずかに怒りに歪み、沈んだ。
……最低だな」
 先とはうってかわって地を這うほど低くなったユイトの声に、そうだよなとカゲロウは納得してユイトから視線を逸らす。愛想を尽かされるなら早いほうがいい。ユイトに好かれた、という事実だけでカゲロウには充分すぎるのだ。
「あっ、違う。ごめん、勘違いさせたな。でも、いつもの前向きさはどうしたんだ?……カゲロウの命を低く見積もりすぎだ。免罪符程度で釣り合いが取れるはずがないだろ」
 ユイトの指から離れていこうとしたカゲロウの指を、今度は力強い言葉とは裏腹に遠慮がちにユイトがきゅと、それでも離れていかないようにしっかり、掴む。それに促されるようにカゲロウが逸らした視線をユイトに戻せば真っ直ぐな嘘偽りない、カゲロウを想う眼差し。もう惚れているのに更に惚れそうだ、とカゲロウは思った。
 この時はぽかん、と結構な間抜け面を晒したとカゲロウは後になって思い返したのだ。愛想を尽かされるどころか程度、免罪符程度ときたか。それはそれでユイトはカゲロウの命を随分と高く定めているのだなと。これは意識の問題なので、どちらが正解というのはないのだろうけど。
 ありえないが、カゲロウの命がユイトの命より優先されることがなければいいのだ。それでもユイトなら万が一のことがあるので折を見て一言、言っておこうとカゲロウは強く思った。何事かが起こって、命を捨てなければいけない状況で捨てる命を選べるのならそれは、カゲロウのものであるべきだから。
「それならしっかり“最期”まで、持っててくれよ?」
……返してもらう努力をしてくれ」
「ははっ……俺も、ユイトのことが好きだ」
「うん」
 ユイトの涙はとまっていた。
 カゲロウの中にもユイトの中にも互いが触れられない領域がある。だが、それでいいのだと言葉はなくとも理解していた。
 
 薄暗い室内でユイトの穏やかな寝顔を眺めながらカゲロウは反芻した。ユイトとの新しい関係の始まりを。カゲロウとしてユイトの隣にいられる僥倖を。
 ずり落ちた上掛けをユイトの肩まで引き上げ、ばらぱらと目蓋の上に掛かって邪魔そうな前髪をユイトの頭を撫でるように耳に掛ける。さらさらと指の間から零れた髪を見ていると不意に、これこそ夢なのではないかと不安と恐怖が混ざった不確かで曖昧なものがカゲロウの胸に忍び込んだ。
 こんなに自分は情けなかっただろうか、と苦笑したカゲロウはユイト髪を梳くように撫でる。忍び込んだものを紛らわせる為に、何度も。どのくらいそうしていたのか、ぴくりとユイトの目蓋が震え、うっすらと開く。
「っと、悪い、起こしちまったな」
……ん、へーき」
 寝ぼけ眼の、うつらうつらとしたユイトの手が何かを探すような動きをした。シーツの上をさ迷って触れたカゲロウの腕を絡め取ってユイトは自身の胸元に引き寄せ、ぎゅっと抱き込んだ。腕を通してユイトの熱がカゲロウに伝わる。伝わってきた、確かにあるユイトの熱に、ユイトから触れられたことに、カゲロウは心の底から安堵した。
 カゲロウとユイトは同じベッドで寝ているが、清い仲である。清い仲である。大事なことなので二度言った。怪伐軍に関わると年齢を次第に気にしなくなるが、ユイトは正真正銘の未成年なので。わかっているよね、とカゲロウとユイトの関係を知った仲間に太い釘を念入りに刺されただけでなく、カゲロウ自身だって未成年に手を出したりしない。本当にだぞ。誰ともなしに心の中で言い訳じみた宣言をする。
「バッキィちゃ……かたい?」
「こら」
 あの、ふわもちと比べれば大抵のものはなんだって硬い。目が開ききっていないユイトが疑問符を飛ばしながら、にぎにぎしているがそれはカゲロウの腕であるので柔らかくなったりはしない。
「そんなこと言っちまう口は、塞いじまうかね」
「! えっ? まっ、俺なんていっ……んっ、ふぁ」
 ちょっと深めだがキスはセーフだろ、という自己判断とユイトがベッドの中でバッキィちゃんの名前を出したからと、たった今カゲロウが勝手に決めたお仕置き。駄目なことを口走った口は、塞ぐに限る。
 何故ならカゲロウのある意味、聞くも涙語るも涙。つまり、いい年をした大の男による全力の駄々捏ね、の末に。漸くユイトに言葉をなくさせたが。最後には苦笑を甘さのある笑みに変えたユイトとの間にカゲロウは、カゲロウがいる時に限って、ではあるがベッドはバッキィちゃん不可侵だと、取り決めることができたのだから。