蘇芳
2020-07-15 20:08:48
9086文字
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夢は呼称を経て現となる

フォロワー様のお誕生日に贈ったものです。閃Ⅳ後。クロリンで蒼ジクも出てきて仄かにジクリンのようなもの。エリンの里であれやこれやしてる感じです。こんな題名ですがシリアスではありません!

 
 クロウとリィンは魔女達が隠れ棲むエリンの里に朝早くからを訪れていた。黄昏の動乱の最中、霊脈と直接繋がり影響を受けていたリィンの状態を魔女の長であるローゼリアに診てもらう為である。黄昏の終息と共にリィンと霊脈の繋がりも切れたようだが、どのような後遺症が今後発生するかしないかも未知数な為に月に一回、定期的な診察をするよう多方面からリィンは課せられているのだ。
 そんなにしなくても、とリィンは苦笑を溢すものの過度な遠慮はせず仲間の言葉に従って診察を受けに行くのは、リィンに限っては成長したと言ってもいいのだろう。
 クロウはリィンの付き添いとして、よっぽどの理由がない限りエリンに同行している。今のところ同行出来なかったことはない。人が好い人物たちによって、あらゆるところで調整がなされている為だろう。特に吹聴していないがクロウとリィンが恋人同士なのは周知の事実だからだ。毎回ありがたく享受している。
 診察は恙無く問題なし、の診断で終了した。あとはのんびりと妖精の湯にでもつかって日々の疲れを癒す、だけにならないのがリィンたる所以だろう。
 頼まれたのは自分であるしクロウは休んでいてくれ、とリィンが言い終わる前にクロウはリィンの額を指で一発弾いた。全くもってこれだからリィンは。
 うっすら赤くなっているリィンの額に唇をひとつ落とし、クロウはリィンの言葉にならない呻き声を背に受けながら先に目的地に向かって歩き出したのだ。
 そして今回のクロウとリィンは、ぽつんと建っている小屋の扉を開け埃っぽい部屋の中を見回していた。壁に沿って作られている三段の棚。たいした物はなく棚には幾つかの植物で編まれた様々な大きさの籠。鉄製の鍋やじょうろ、小箱などの小物がぽつ、ぽつとある程度だ。
 頼まれた小屋掃除の開始である。

「うわ……
「これは……随分と埃がたまっているな。扉は開けっ放しにして、窓も開けよう」
 
 テキパキと動き出したリィンは窓を開け放ち、早速とばかりに棚の上段からはたきをかけだした。それにクロウも倣う。
 床に転がっている何だか分からないカラカラに乾燥した植物。触れただけで崩れそうな見た目のそれは手で触れずに箒で掃いて直接ごみ袋に入れる。焼却処分は不味いかもしれないので他のゴミとは別の袋だ。
 目に見て分かる大きさのゴミを片付け終わるとリィンが千切って小さくして湿らせた古紙を、部屋の角に撒いてから小屋の床の中心に向かって掃く。湿った古紙は笑えるくらい埃まみれになってこんもりとした山を作った。
 かつん、小さな音がクロウの耳に届いた。音の発生源に目を向ければ何かが落ちている。腰を屈めて拾い上げてみれば、クロウの掌にすっぽりと収まる繊細な幾何学模様が施された丸い物。くるりと引っくり返してみれば、それは鏡だった。クロウの姿を写し出した鏡は見たことがないはずのに知っているもののように思えて気色悪い。
 しまった。そうクロウは思い至ったが時既に遅し。油断した。命が関わればまた違うのだろうが安全な場所であるが故の油断。それ以外、言いようがないことにクロウは盛大に臍を噛む。
 魔女の里のアイテムだ鬼が出るか蛇がでるか。うっかりした以前のリィンのように、猫耳と尻尾が生える程度で終わってくれとクロウは願ったが、儚い願いでしかなかったようだ。

「クロウ!?」
「来んな! その場から動くんじゃねぇ!!」
 
 目を開けていられない程の眩い光を放ち始めた鏡を力の限り前方の床に向かって叩きつける。最低でも手元からは離したかったのだ。あわよくば割れてこの何が起こるか分からない現象が止まればいいとクロウは思ったがそう簡単にはいかないらしい。
 ドサッ。あきらかに鏡が割れた音ではない、重量のあるものが床に落ちた音。増えた気配。即座に増えた気配に対してクロウとリィンは警戒した。

「ん? あれ? クロウ、の気配が……えっ? 増えた?」
 
 発光が収まり鏡を投げつけ増えた気配がするほうを見ればそこには、黒の工房のピッチリスーツと揶揄されたスーツに蒼いコート身に纏い仮面はなく素顔のクロウが頭に手をやった状態で床に座り込んで居た。
 クロウとクロウの視線が合う。

「これは、どういうことだ?」
「それはこっちのセリフだ! これだから魔女は!!」
 
 髪をかき上げたクロウはぐしゃりと苛立ちをぶつけるように掻き毟り目の前の幻、と言ってしまいたいのに存在を主張しかしない格好の人物を睨む。

「鏡! 原因はあの鏡だろうが何でこの格好の俺なんだよ!? 黒歴史だって言ってんだろ!!」
「な、なぁ、クロウ……
「鏡に写った奴の姿を真似るとかそんなんだよな多分! なら素直に今の格好でいいじゃねーか?!」 
「クロ……
「黒歴史? 黒歴史を写しとるのか? なんつー悪趣味な……てか、鏡はどこだ! 叩き割ってやる!!」
 
 床に叩きつけたはずなのに見当たらねぇんだけど。真剣な眼差しで鏡を探したクロウだったが鏡そのものも欠片だって目に入らない。

「クロウ!! 今現れたクロウはクロウだけど、クロウじゃない!」
「はっ?……俺だけど俺じゃないってなん……! ま、さか」
 
 側に寄ってきたリィンの手を引き、自分の背後に追いやったクロウは信じられない信じたくないという思いを込めた視線を現れたもう一人のクロウに送れば、ふっと今のクロウが浮かべることのない斜に構えた、どこか退廃的ですらある笑みをその顔に浮かべ立ち上がっているところだった。

「落ち着いたか? そうだな。俺の自意識はクロウ・アームブラスト、ではなく蒼のジークフリードと名乗っていた時のものだ」
 
 クロウは頭の血管が本気でぶち切れるかと思った、とのちに語った。

「現状を確認する為の話し合いを要求する。俺からそちらに危害を加えることはしないと誓おう。証拠に武装はそちらに渡す」
 
 双銃をクロウとリィンに投げ渡したジークフリードの両手を顔の高さまで上げ、ひらりと手を振る様に敵意は感じらない。武器も本当に手離した。

……クロウ、ここで問答していても解決はしない。ローゼリアさんに話しを聞きに行こう」
「ちっ、それしかねぇか。但し妙な真似しやがったら即座に切り捨てるからな」
「ああ、了解した」
 
 最大限警戒しながらクロウとリィンはジークフリードを伴ってローゼリアの元に向かった。
 もう一度床を見回したが、やはり鏡は見当たらなかった。
 お主、いつの間に分身など出来るようになったんじゃ。引きつった顔で言ったローゼリアにクロウは無言の圧しかない笑顔で小屋の片付けで棚から落ちてきた鏡を拾ったらこうなった、と簡潔に告げる。もう一人のクロウの中身がジークフリードと名乗っていた時の自意識であることも言えば、そんな写し身を作り出すような鏡あったかの。なんてことをローゼリアが溢すものだから、ますますクロウの笑みの圧が増した。

「ひぇ、まっ、待て。思い出す。思い出すから、その笑顔をやめるのじゃ!」
「なるだけ早く頼むな?」
 
 年寄りはもっと繊細に扱ってほしいの。と呟きながらローゼリアはジークフリードに向き直った。上から下まで眺めては首を傾げ、少し触れるぞとジークフリードの手に触れては首を傾げる。紛れもない実体じゃ、こんな。うーん。ぶつぶつ。

「少し質問をさせてくれぬか? お主、どの程度の記憶があるんじゃ?」
……蒼のジークフリードとして活動していた記憶はあるが、それだけだ」
「ふむ、ならば生活していく上での知識なんかはどうかの?」
「知識はあると言っておこう。しかし、食事や睡眠を取ったことはないのでな。やってみなければどうなるか分からん」
「えぇ!? 一度もないのか?……クロウ」
「あ~、必要なかったからな……座って動かなけりゃ休息にはなったし、用がねぇ時は暇で暇で仕方なかったのを覚えてるぜ」
 
 あれだけの無為な時間は後にも先にもないだろう。
 ジークフリードとして地精の代理人として本格的な活動を始めた時は楽しめそうだと思ったものだ。Ⅶ組の前に姿を現した時に驚愕する面々の中で一際、信じられないものを見たと言わんばかりの目の中に悲哀と怒り、寂寥。様々な感情が稲妻のように走り苛烈な色を宿したリィンの瞳が印象に残った。瞬間で消えてしまった愛しそうな色も。
 だからか、ジークフリードの時もリィンのことが気にかかっていた。先頭に立っているだからだけでなく、他の誰よりもリィンだけが。
 記憶や知識があると言うジークフリード。記憶に伴う感情はどうなっているのか、それはクロウのものだと不思議と確信している。事実、ジークフリードは対してリィンを気にしていないようだ。
 食物を口に入れて咀嚼して飲み込む、ということは分かるがやったことがない。そもそも眠るとはどうやるんだ。と宣うジークフリードにリィンは言葉もなく、ジークフリードを見て何か考え事をしているようだった。クロウ的には、ちっとも宜しくなさそうなことを。
 そのクロウの考えは当たった。
 これは浮気では。目の前の光景を見てクロウは思った。何が楽しいのか、にこにこと目を細めて可愛らしい笑顔を浮かべたリィンはお人好しの面倒見の良さを遺憾なく発揮し、くるくると動いてジークフリードの世話を焼いている。
 ジークフリード本人はたいして今の格好を気にしていないようだったが、クロウは大いに気になるのでクロウの着替えを渡して着替えて来い、と言ったところ服を両手で広げて持って首を密かに傾げたのを見たリィンがはっ、とした顔して着替えを手伝おうとしたのを押し止めたクロウはジークフリードを引っ張って部屋の中に叩き込んだ。

「着たことなくても着替えくらい出来んだろ! とっとと着替えてきやがれ!!」
 
 やっぱり、着たことないのか。思わず、といった感じで零れたリィンの呟きをクロウは聞こえなかったふりで黙殺した。
 クロウ自身ならいざ知らずジークフリードの着替えをリィンに手伝わせるなんて論外中の論外である。そしてクロウに男の、しかも同じ顔の着替えを手伝う趣味はない。
 あのピッチリスーツの下はアレだった、ような気がしなくもなくも。クロウは思い出してしまったことを曖昧にしてなかったことにした。
 そんな遣り取りをつい先ほどしたのが後押しになったのか、ローゼリアとの会話もあり黒いスラックスにシャツ一枚着て出てきたジークフリードの世話をリィンは積極的に焼きだした。
 まさに上げ膳据え膳。テーブルの椅子まで引く始末だ。だって、テーブルの横に立ったままだったから。口で言えば済むことを。本当に、そういうところだぞリィン・シュバルツァー。
 世話を焼かれているほうも焼かれているほうで、文句を言うことなく面倒を見てもらっているのが大変に腹立たしい。その素直さもリィンの琴線に触れるのだろう。世話焼きが加速していく未来がとても癪に触るがクロウには見える。
 水で構わないだろうに、わざわざリィンが用意した白湯を慎重に飲むジークフリードのテーブルを挟んだ向かいの椅子に腰を下ろしたクロウは、じとりとした目で目の前の双子でもないのにクロウに瓜二つな存在を見やった。

「つか、お前も素直に受け入れすぎじゃねぇか?」
「リィン・シュバルツァーと貴様が共に居るところを見れば敵対する理由などないだろう。それに言ってしまえば以前は所詮、黒の工房の駒でしかなかった。現状がどうなるかは魔女殿に任せて出来ることはやってみてもいいだろう、とな」
……それがなんでリィンに黙って世話を焼かれることになんだよ」
「羨ましいならそう言ったらどうだ?」
「よーし、テメェ表に出ろ」
 
 クロウ対ジークフリードって何だそれ観戦したい。と話し声が聞こえていたリィンは思ってしまったが、その言葉をそっと心の中にしまい喧嘩は駄目だぞ、と言うにとどめる。喧嘩って、とぽかんとしたクロウとジークフリードの顔は似ているようで似ていなくて、リィンは笑った。

※※※

 昼食作りに勤しんでいるリィンはどうやら野菜がたっぷり入ったポトフを用意しているようだ。エリンの里に来たときは、だいたいが泊まりになるのでクロウかリィンで食事を作る時が多々ある。今回はリィンの番である。
 野菜たっぷりなのはエマがいないとジャンクなものか、甘いお菓子ばかりを口にしているローゼリアを思ってのことだ。エマに私がいない時に里でおばあちゃんと会って乱れた食生活をしていた場合、お野菜をたっぷり使った料理をお手間を掛けさせて申し訳ありませんが作ってあげて下さい。と満面の笑みで言われたことも多分に関係している。
 じゃが芋、にんじんに玉ねぎ。きゃべつにブロッコリー。定番の野菜がごろごろ入ったポトフだ。くつくつと煮たった鍋から野菜とコンソメが混ざった、どこか懐かしい食欲をそそる匂いがしている。

「ジークフリード。よかったら味見をしてくれないか?」
「! 俺で、いいならそうしよう」
「えー、リィン俺は~」
「よかった。ジークフリードは初めて食べることになるんだろ? 口に合わなければ言ってくれ別のものも用意出来るぞ。……はい、クロウの味見の分」
「あれ? 俺の扱いぞんざいじゃね?」
 
 小皿に盛られた少量のポトフを口にしたジークフリードは口の中で優しく広がる、野菜の味が染みだした甘い味に目を見張った。一口分もないポトフは喉を通って胃に落ち、ほわりと体が暖かくなる。もっと、食べたい。

……この感覚が美味しいと、いうことなんだろうな」
「ん? すまない。聞こえなかった。どうだった? 口に合いそうか?」
「ああ、うまい。食べるのが楽しみだ」
「そうか! よかった。もう少しで出来るから座って待っていてくれ」
「俺の! 扱い!!」
「はいはい、あーん、どうだ?」
 
 リィンは新しく取り皿に分けたポトフをスプーンで掬ってクロウの口元に持っていく。反射的に口を開いたクロウはポトフをリィンに一口食べさせられた。口の中に広がる味はクロウが好む塩梅の、いつものリィンの味だ。

「んぐっ、……うまい」
「よし! 完成だな。あっ、クロウ食器の用意を頼む」
「おう。…………リィンに手玉に取られる。転がされる」
 
 食器の用意をしようと動いたクロウの目に昼食の時間となりリィン達が来れば食事を共にすることが常態となっている為、ジークフリードのことを調べるのを一時中断したローゼリアが呆れた顔をしながら向かって来ているのが写った。

「既に転がされておるのではないかの?」

 多少の、あくまで多少の自覚があるクロウは黙して語らず、食器の準備に勤しんだ。
 ローゼリアの館にいる全員が集まったところで昼食を食べ始める。食事をしたことがないなんて嘘のように、もりもりと昼食を平らげていくジークフリード。あっと言う間にポトフを食べ終えている。リィンにお代わりを聞かれ、それに頷いたジークフリードが食器を差し出すと上機嫌なリィンが美味しそうに食べてくれると作り手として嬉しいな。まだまだあるから腹具合を確認しながら食べてくれ。と言いながら、ほかほかと湯気が立つポトフをジークフリードの前に置いた。
 美味しそうに食べてるって、そいつ無表情なんですけど。リィンが作ったポトフは確かに美味しいけど、そいつ表情動いてないよな。お代わりを聞かれてシュバルツァーのほうを向いたときだけ口角が微かに上がったの。なんて突っ込みが聞こえた。心を読むな。読まなくとも分かるぞ。クロウとローゼリアの視線でのやり取り。

「ジークフリード。お茶のお代わりはいるか?」
「有り難く頂こう」
「なんでリィンはそいつにそんなに甘いんだ?!」
 
 このリィンの様子だと初めての食事で、ジークフリードの口元が汚れたりしたら手ずから拭きそうな勢いだ。間違いなくリィンならやっただろう。問題なく食事が出来て万々歳だ。クロウは内心で己のそつのなさに拍手喝采した。

「えっ?」
「無自覚、だと……?」
 
 思ってもみないことを言われた、と言わんばかりの渾身のきょとん顔だった。

※※※

「そうだ。ジークフリード、ではなくジークと呼んでも構わないだろうか?」
 
 ジークフリードだと少し長いし、敵だった時の印象が強いし。それに呼びやすいように。ジーク、ジーク。ジークフリードは未知の言葉でも聞いたように目を見張り、確かめるように舌の上で何度か名を転がした後にこくり、と頷いた。

……ああ、構わない」
「なら、これからはジークと呼ばせてもらうな。皿洗い手伝ってくれてありがとう、ジーク」
「食わせてもらったのだから、これくらいは、な……
「? どうかしたのか、気分でも悪くなったのか? ジークにとっては初めての食事だったからな。大丈夫か?」
「ああ、いや、問題ない。……何の含みもなく、ただ己の名を、呼ばれるというのは……悪くない、ものだと」
 
 静かな声に仄かな笑みを浮かべたジークフリードの顔を見たリィンは、ぼぼぼっと一気に頬に朱を散らした。リィン自身も顔が赤くなった自覚があるのだろう。両手で隠すように頬を覆うが手に伝わる普段より高い熱が更なる自覚を促し目元も朱に色づきはじめた。
 間近にいたジークフリードの目に、そのリィンの姿は当然写る。笑みを深めたジークフリードの手がするりと動き頬を覆ったままのリィンの手にリィンより少し大きい節くれだった手が上から被さり、存外優しく触れた。

「顔が赤くなったが、どうかしたのか?」
「っ!!?」
 
 拳ひとつ分の距離の、真正面から目を覗き込まれたリィンは熟れた林檎のように真っ赤になった。
 この顔。この顔がいけないのだ。少し微笑んだだけで何だこの大人の男の色気。クロウと同じ顔なのに。同じ顔なのに。リィンは大変混乱していた。雰囲気が違うだけでこうも見え方が違うのか。顔が赤いまま、とうとう目が潤みだしたリィンと手をリィンの頬に添えたままのジークフリードは傍目から見て、キスを交わそうとしているように見て取れなくもなかった。

「そぉぉい!!」
「うわっ!? はっ、なん、クロウ?」
 
 クロウは後ろからリィンの腹に腕を回してしっかり抱え込み、抱き上げてジークフリードの手をリィンから引き剥がすように距離を取った。ぷらり、とリィンの両足が宙に浮いているにも関わらずバックステップで大袈裟に後ろに飛び退く、という機敏な動きで。

「ちょっ、おい! 俺がローゼリアと話してる間に何があった! なんだその恥じらう乙女みたいな顔! 俺に見せたことねぇやつじゃん!!」
「は、恥じら……そんな顔してない!…………あの顔が」
「いや、してた! あの顔ってどの顔だ!? あいつと俺、同じ顔なんですけど!!」
……そうなんだよな。同じ顔、なんだよな」
「どういう意味だ、それ!!」
 
 リィンに触れていた手を、どこか名残惜しげに下ろしたジークフリードの隣にクロウと一緒に戻ってきたローゼリアが並ぶ。

「分かっててやっておるの」
「ふっ、折角手に入った余暇だ。楽しんではいけない道理はないだろう」
「お主はお主じゃからのう……まぁ、好きにするがよい。それが当たり前、じゃからの」
……無論だ」
 
 今だにクロウがリィンを抱え上げたままの体勢で言い合いをしている2人に向かってジークフリードが一歩踏み出し歩み寄る。
 近づいてきたジークフリードに気がついたクロウが威嚇をするが、まるっと無視したジークフリードがリィンに話しかけるとクロウの腕の中で身動きしたリィンはするっとクロウの腕から逃れた。
 流れるような動きで逃れたリィンの腰に伸びたクロウの手を払うジークフリードの様子が少し離れた場所にいるローゼリアからはよく、見える。

「あー、すっかり安定してしまっておるの……
 
 現れたばかりのジークフリードの存在は不安定で、ただのクロウ・アームブラストの一部の写し身で影、だった。確立した個のない、明日の朝になれば消えてしまうような一瞬の幻。それがどうだ。すっかり存在が安定してしまっているではないか。ジークフリード、として。こうなっては消えはしないだろう。名とは短くも己を表すなによりの呪であり、祝福なのだ。
 記憶を引っくり返してみれば鏡はなんてことのない本の少しの間、写った人物の影が現れ自分と戦ってみることが出来る、という修行に使われるアイテムだったのだ。クロウに鏡の模様を聞き取ったローゼリアはそれを思い出した。鏡にも何段階かあり、模様からすると修行相手として現れる影が本人と同等のレベルのモノ。だが、あくまで現れるのは実体がなければ話しもしない影なのだ。鏡が影の要となり影を倒せば鏡は砕け散ってしまう使いきりのアイテム。よって、見当たらなかった鏡はジークフリードの核となっている可能性が高い。不確定な要素が多くて確かなことは言えないのだが。
 ジークフリードは実体を伴って現れて流暢に会話していた。本来なら鏡は、この様な結果をもたらすものではない。どうしてこの様な結果が生まれたのか。何か別の似た要素のモノの影響でも受けた可能性が高い。何か、を断定することは出来ないが恐らくそうだろうと、ローゼリアの魔女としての直感が囁く。
 リィンを間にして言い合いをしているクロウとジークフリードの攻防は見ていて面白い。ジークフリードの"元"はクロウであるのに全くと言っていいほど表情が異なっている。そして何故かジークフリードの方が顔を使ってリィンを赤面させている不思議。
 造形は同じなのにのう。これが、きゃらくたぁの差というやつか。面白い面白い。ローゼリアはさて、これからどうなることやら、とにんまり笑いながら3人に近づいた。
 混乱を避ける為、ジークフリードはエリンの里に滞在することになったのだが、その後日のこと。青い色の上着に、中は一般的な服装だった。これにはとても安心した。それと顔を隠す為だろう。結構なごつさがあるサングラスをして現れたジークフリードを見て盛大に顔を引きつらせたクロウがいたとか、いないとか。