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虫甬
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薄暗い雰囲気
都市の規則は様々あり、暗黙のルールも存在する。とある時間に出歩くなといった裏路地の夜に、某所属人物に喧嘩を売るな等。それ以外にも巣独自の規則もある。二人が住む場所は特に厳しい。だが、とガファンは窓の向こうを眺めた。全てが灰色の景色だ。実家からの眺めは良いものだと思い知らされる。こんなにも味気ないのは建物が真っ白いせいなのと、雨が降っているからだ。
ぼんやりと思い返す。実家にいた頃はもっと強く縛られたもの。生まれた時より運命さえも握られた。部屋中に張り出された規則と心身の限界を超えた鍛練、そして
……
親族同士の争い。
抜け出したというより、焼き払った。
それも、たった一人を連れ去って。彼の膝では誰もが羨み妬んだ存在がいる。ガファンにしか微笑まず、ガファン以外に宝石の価値は見せないホンルだ。
天真爛漫で蝶よ花よと育てられたのに、今では大人しく沈んでしまった。それで良いんだねと盲目的に信じるので、それで良いんだと愛している。
弟を撫でもせず、しかし気にしながらガファンは息をする。
ある晩がきっかけで、ガファンはほんの少しの疑問と恐怖を覚えた。
ホンルが夜泣きをしていた。幼子ではあるまいと怒りを生やしてしまう。というのも、深い眠りについていて、妨げられたせいだ。一日の疲れを取る休養を取り上げられた。常識の範囲内の反発感であったが、すぐさまガファンは目を細める。こうさせたのは誰のせいだ。憤怒を向けられるのか。かつて明るく振る舞っていた弟を壊したのは自分自身で、きっと、命を奪うよりも残酷な行いだろう?
「どうした、ルル」
愛称で呼びかけてもホンルは嗚咽を漏らし、一人で苦しむばかり。真っ暗な闇の中であるがホンルの片目のおかげで明るい。改めて異常な光景だと心が痛む。肩を掴み、後頭部に鼻を付けた。ここにいると身で教えるためだ。異常なまでに発光し乱反射する翡翠色が視界を眩ませる。ガファンは目を瞑らない。
「兄さん、兄さん、にいさん」
「ここにいる」
「あ
……
兄さん、いたんだ
……
あは、は
……
っ!!」
完全に油断をしていた。
胸部に打たれた衝撃は強くあったが、動揺はしない。精神は置いていかれてしまう。あんなにも甘えて依存していたホンルが突き飛ばそうと足掻いた。ガファンの身は押されたぐらいで揺るぎもしない。絹の寝間着が焦燥を吸い込む。冷える肉体は脳を覚まし、適切な行いへと誘導する。
「ルル。兄さんはここだ」
決して怒らず、耳を噛んだ。柔らかい皮膚と軟骨を噛んで痛みと快楽を与える。過呼吸になりかけたホンルがようやく動きを止め、ぐったりと、落ちる。抗いもせず沈む様子に一つの空想を重ねた。
昔、ガファンはホンルが拾った石を奪った。変哲も無いそれを愛でる様子が嫌で嫌で、どうして嫌かも分からないまま、澄んだ池に投げ込んだ。ぽちゃんと鳴る水音と飛沫は一瞬。満足げに息をするガファンの心境を描くように、池はたちまち濁った。沈殿していた砂利が舞い上がったせいだろう。その後、石が無いとホンルが泣いたのは三日ぐらいか。
「あ、ああぁ
……
ごめんなさい、兄さん、僕は、僕は」
「良いんだ。暖かい飲み物でも口にしようか?」
「うん
……
うん。兄さんが、それで良いなら」
どうしてあんな過去を、空想を引き上げたのか。ホンルの髪と頬を指先で堪能し、唇を探し当てる。口を重ねても答えは掬い上げられなかったい上げられなかった。はたしてこれは何だろう。
「怖い夢を見た気がしたけれど
……
内容は思い出せなくって。でも、兄さんがいてくれるから、もう怖くないよね
……
?」
手を引いて寝室を後にする。ホンルはいつもと同じ調子で話を広げる。ゆっくりと聞きながらも、確かに感じた痛みを見つめる。
いつかホンルが覚めてしまわないか。ホンルが全てを放棄し、所謂「ねじれ」現象を起こしてしまわないか。大丈夫だという確証は無い。ふと思いついてホンルの耳を塞いで遊んでやった。すると弟は稚児のような声で笑いだした。
「わぁ
……
心臓の音がする。これは兄さんの音?」
手のひら越しに血流を聞き取れるものか。それは君の心臓だと言い放ちかけた。ゆっくりと首に指をかけ、肩に降ろす。ガファンは「どうだろうな」とだけ返した。
ホンルは息を止め、沈んだ瞳のまま言葉を紡ぐ。水底から響くようで背筋を這いあがる冷たさが含まれていたあの温度を、今でもガファンは覚えていた。
「うん。これは兄さんの音。僕には兄さんの音があれば良いなって、思ってる。兄さんもそうだよね?」
雨音が、窓を打ち付けている。二人の呼吸音は湿度に溶け、消えた。
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