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虫甬
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息を切らす弟を撫で、宥め、ガファンは言葉を紡ぐ。ホンルは人見知りなんだ。穢れを受け付けない清流であり、太陽の光でしか輝けない月でもある。要するに
――
兄であるガファン以外に触れられると激しいパニックを起こす。
同社の相手はもちろん、クボであろうがヘルマンでも拒む。
強い執着は薬の副作用。
不安定な精神も副作用。
「ホンル。落ち着けそうか?」
胸元で喘ぐホンルを抱き留める。しっかりとした感触を確かめて何度も問いかけた。こう見えてもホンルの肉付きは良くて程よく硬い、共に鍛えたおかげだろう。家にいる時より雄々しく逞しくなった。だが、喉はすらりと平らなままで顔付きは可愛らしい。
ホンルはカヒュッカヒュッと乾いた息を吐き出しては吸い込み、力強く服を掴んでは離していた。目の焦点も留まらずあちこち彷徨っている。
「はっはぁ゛
……
はぁっ
……
兄さん、にい
……
さ、ん
…………
ごめんなさい
……
」
「謝らなくてもいい」
「に、にいさ
……
ん
……
ぁ゛
……
ごめっんな、さ
……
」
「謝るな
……
君は何も悪くない」
二人だけの世界へ入り浸るのか、と呆れに似た視線がガファンを刺した。ホンルに触れた不届き者は顔をしかめている。
――
分かったらあっちへいけ。強くガファンが睨むなり、不届気者は足音を立てずに逃げ出した。
以前、ヘルマンにそれで良いのかと問われた。弟は枷のように見える。実戦以外で使い勝手はあるのか。理事長でもある彼女はいつも目を光らせ、奥深くに釘を刺す。
ホンルについてはガファンが管理し扱っている。弟がいることで兄はより強くなり技術の幅も広がった。ちゃんと実績も出している。何が不満なんだ。今も思い出しては眉に力を寄せてしまう。
ホンルは枷などではない。
大事な弟だ。
「晩御飯は何が良い? 兄さんが作ってやろう」
「ぁ
……
え、でも
…………
また兄さんが
……
」
「良いんだ。ホンル」
淡い唇が震える。言葉を聞き取りガファンは頷いた。材料ならある。帰ってすぐ作ろう。弟のためになら何でも作ろう、用意しよう。それが彼への義務で、責任だ。
「兄さんは、召使いでも、シェフでもないよ
……
兄さんは兄さん
……
だから」
「嫌か? 兄さんの手料理は」
ぽんっとホンルの顔が染まった。ホンルの好物はガファンの手料理。ということを利用して、何度も無理やり食事を摂らせている。ホンルはというと初々しい生娘の色を灯しながら顔を振るう。軟らかい春の香りが揺蕩った。
「食べたい
……
!」
チカチカと片目が疼く。興奮したせいで翡翠色に輝いてしまった。人々を魅了する宝石を手で覆い、ガファンは優しい声を発する。
「
……
眼帯はあった方が良いな」
家に帰ればホンルは大人しくなる。何もかも白いリビングに飾られる宝石になり、ガファンを待つ。手を引かれれば歩くし僅かだが心も示す。
あれだけ食べたいと喜んでいた料理も、ガファンが促さなければ口にしない。風呂も歯磨きもガファンがいなければ動けない
――
動こうとしなかった。
「そろそろ寝るか?」
パチ、パチ、と両目が肯定を示した。よく見なくても寝かけている。頑張って起きようとする姿は微笑ましい。テーブルに乗せられた手を取り、立つよう促す。虚ろな瞳はガファンを追いかけて離さない。
「兄さんも寝る?」
薄い声が溶け消える。片目は翡翠色の宝石でいるのに生気もなく味気なかった。
「そうしよう」
この宝石は、この麗しい弟は、こんなところにいるべきではない。強い意思を持ってガファンはホンルを連れ出した。その為に多くの薬や言葉を投げかけた。日に日に弱るホンルに胸を痛めながら、兄だけは味方だと愛を囁く。子供のように笑って頷いた。返事はしてくれなかったが。
こんなことになったのは、何故だろう。
寝室だけは色が多くてあちこちに飾りもある。造花と観葉植物もどきはホンルのお気に入り。傍らにはガファンを模したぬいぐるみまで座っている。
ホンルの機嫌も良くなり、無邪気な子供もしくは猫のようにベッドへ飛び込む。髪と肉体が舞い上がる。ガファンはゆっくり歩みよった。早く来てと弟が甘えた笑いで誘う。
「今日はもう寝るんだろう」
「
……
そうなの?」
「疲れたんだ。おやすみ。ホンル。可愛いお月様」
口説き文句をかけ、おやすみのキスをすればホンルは目を閉じる。少しだけ不満そうでいたが、小さな声でおやすみを返すなり深い眠りについた。気絶とは違う。普通の人間なら微睡みながらゆっくり沈むだろうが問答無用で奥底に落ちる。
これも副作用の一つ。ホンルは夢を見なくなった。恐らくこれから先、ずっと。原因など探らない。
「
……
これで良かった。そうだろう。ホンル」
共にいれば輝く子だと知ってまったから。誰よりも弟を、ホンルを、愛してしまったから。
囚われの姫君を助ける騎士になる、そんなつもりはなかった。
弟を助けたい。数多の罪や、しがらみから解放させたかった。欲深く底知れないおぞましい悪夢から逃げたかった。
だけど。
弟の意思を封じてしまった。助けたと思い込んでいたのかもしれない。
眠るホンルに触れる。ほんのり生暖かい、命の温度が手に移る。
彼は生きている。彼が死んでしまったら、いなくなったら、どう生きていこう。きっと今のままN社でやっていける。
――
でも、何のためにやっていけるんだ?
以前、数多の可能性ある世界
――
特に本来の世界では
――
硝子窓を見せられた。
映る自分達は敵対していた。ホンルがどれも嘘だと叫んでしまったので長いこと見つめてない。怒りよりも失望が大きかったらしい。
それもそうだろう。ホンルの髪を撫でてガファンは唇を締めた。彼が信じている兄が敵など認めたくない。今生きている自分はなんだろうか。このままでは何も信じられなくなる。
赤く染まった目元に温もりを落とす。ピクリとホンルが動く。目覚めのキスと勘違いしたかと構えたが、大人しく寝息をたてたまま。
「
……
ホンル、それでも君は幸せなのか?」
重い肉体を抱きかかえる。物言わぬ宝石に笑みは浮かばない。心臓の音を重ねる。ちぐはぐな脈を受け、確かめるようにガファンは囁く。
「他のどこよりも幸せ。そうだろう
……
?」
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