いしえ
2024-10-20 18:31:50
1487文字
Public 幽白一般
 

解釈/樹の桑達への語りは忍にも言ったか否かや、樹があくまで"人間くさい妖怪"である必要性とか


 樹のクワチャンたちへの語りは、本心に多少の誇張交じりのヒールパフォーマンスだと思っている。
 忍は、人間という"汚い"出自を持つ自身に失望した。生まれ変わったら魔族に、は、それまでの価値観の逆転により被害者である妖怪たちに憧れを抱いた救済欲の面が主だが、ともすればそれまで妖怪を悪と思っていた部分もまるきり失ったわけではなく、"悪だと思われているがまるきりそうでもなく、かといって善である必要もない"妖怪のいごこちよさへの憧れこそが真相なのではないか?
 ここで重要なのが、樹が忍にとって隣人であり続けることができたのはあくまで妖怪であったからであり、そして同時に、樹は"にんげんくさい"あいまいな存在だった。その境界線の緩衝地帯に居る樹にこそ、忍は惹かれたのであり、憧れ、その世界に、行きたかった。
 すなわち、樹は、長らく忍の隣人である上で妖怪であることを必須としたのである。これは樹が意図的にそう振る舞う必要性を意味するのでなく、樹は忍から、妖怪だなぁと思われてもにんげんくさいなと思われてもどちらでも、好印象を深めるだけだったのだ。
 これらを加味すると、樹の作中で語ってみせた"胸中"は、一部は忍もちらつきを感じていたことであり、それゆえに ああ、こいつは居心地がいい、と目を細め噛みしめることができたのであり、それゆえに樹は忍にとってあこがれの彼岸に咲く花だったのだ。手招きするは柳かドクロか。樹にたましいゆだねた忍は、樹の"胸中"を、ある程度承知していたのだ。たとえば龍の背にでも乗せられれば、迎え火は忍のたましいを風にさらうことができるのだ。
 樹は、忍の隣人である上で、真正善人であっては決してならない。妖怪という、忍が本来穢れと思い込んでいた"被害者たち"のひとり。どんなににんげんくさくても生まれを人間=真正悪に置かない、そのずるさはまばゆいほどのきらめく泥沼の境地だ。そして。
 樹は、どんなに生まれを妖怪に持とうとも、"汚らしい"欲を中軸に秘め、それに正直なすがしさを持ち、そして、そのにんげんくさくも妖怪らしくもある両面性は、アンビバレントと言うよりアンビリーバブルなほどのうつくしい完成美のやじろべえで、即ち、樹は、善であり悪である必要を忍にとって強く、持っていたのだ。樹だけがなにがあろうと忍の隣人でありつづけられたただひとつの理由が、彼が"にんげんくさい妖怪だから"という原点のままの、延長線上の歩みただそれひとつなのだ。彼らは、出逢ったときのままのあゆみを、ずうっと、とこしえつづけるのだ。
 樹のさいごの独白が持つさびしさは、忍の前で人間っぽさを強く出しすぎることが出来なかったからではないか? 忍が、樹に"妖怪"を求め、"にんげんくささ"に出逢ったとき抱いた善性に近いそれよりも悪としての人間のどろどろした汚さを求めるように視野が狭まっていっただけではないのか? 彼らは、ありのままで居続けることができたのだろうか。樹は、忍が望む樹で居るという影でしか、居られなかったのかもしれない。きよさをみせたらヒかれる? それとも、いっそう惹かれる? 能動的な在り方を望まなかった樹は、悲観主義者の樹は、それさえも受動的に、かなしく、愉しんでいたのだろう。その陶酔のうつくしい切なさが、彼らの時間を無二づける。
 じかんがないので以下略


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