史加
2024-10-20 15:45:35
6212文字
Public 原神(鍾タル)
 

土足でこころを踏み抜かれたの

鍾タル/巨大化した先生とタルの攻防戦、と旅人




 タルタリヤは闘争に飢えた戦士だが、常識外れの狂人でも、無差別に人を襲う化け物でもなければ、口先だけの弱者でもない、若木のようにしなやかな男である。年若い見た目に反して、想定外の事態に襲われてもしかと両の足で立ち、折れることなく冷静に立ち向かう姿勢を見せるのは立派なものだ。
 もっともその両足が今踏み締めているのは戦場ではなく、鍾離の手のひらの上であるのだが。
『俺はこの目で見たよ。先生が大きくなったんだ』
 腰に両手を当てて自信たっぷりにタルタリヤは言った。いつもなら勇敢な戦士だと、そのまぶしさに目を細めるところだが、あいにく今の彼は鍾離の人差し指ほどの大きさしかない。ずいぶんとまあかわいらしい姿になってしまった彼が威張ったところで面白おかしいものにしか見えないので、鼻で笑いそうになってどうにか耐える。鼻息ひとつで吹き飛んでしまわれたら、いくら受け身を取れる武人であろうとこの高さだ、ひとたまりもないだろう。
『いや。お前が小さくなったんだ、公子殿』
 うっかり見失って踏み潰してしまわないようにと、手のひらの上に乗せて自らの目の高さにまで持ち上げた男に対し、鍾離はそう伝える。しかし納得いかないようで豆粒よりも小さな足に手のひらを蹴られた。本人は渾身の力で蹴り飛ばしたつもりなのだろうが、鍾離にはノミが跳ねたくらいの感触しか伝わってこない。正直くすぐったくて勘弁して欲しい。うっかり手を振ってタルタリヤを落としたり、握り締めてしまったりしないよう細心の注意を払わなければならないのだから。
 さて、この異常事態において鶏が先か卵が先か、みたいな話をするのは一見すると不毛であるが、状況を打開するには必要なことである。なぜならこの異常はふたりが旅人と共に秘境に足を踏み入れ、うっかりパイモンが何らかのギミックのスイッチを押してしまい、ふたりの足元にぽっかりと穴が空いて下へと落ちていくうちに起こったものだからだ。
 落下していきながら、タルタリヤは鍾離の身体が大きくなっていくのを見たという。ぎょっとしながらも着地をどうしようか考えていたら、巨大化した鍾離が指先でタルタリヤのストールを引っ掴み、そのまま手のひらの上に乗せてくれたので事なきを得たが、自分が縮んだ訳ではないと、そう言うのだ。
『はぁ……先生が大きくなっただけで、俺は縮んでないんだって。俺が縮んだのなら元々着ていた服なんて着ていられなくなって、素っ裸になってるはずだろ』
『仮にそうだとしたら俺も全裸になっているはずだが』
『自分の服装をよく見るべきじゃないか? その上でまだ弁解の余地があるとでもいうのなら、仕方ないから聞いてあげるよ』
 服装、と言われて、そこで鍾離は初めて手のひらの上のタルタリヤ以外へと意識を向ける。否、正確には、仕方なくタルタリヤの言い分を認めることにした。
 普段は凡人らしく、普通の璃月人と同じバター色をしている手のひらは、黒く染まっている。衣服も璃月に置かれている七天神像と同じ、かつて魔神戦争時代にまとった白を基調とするものに変わっていた。秘境に立ち入り、穴に落ちる前までは璃月人のよく知る往生堂の客卿の姿をしていたのだから、誰がどう見たって異変が起きているのは鍾離のほうだと、そう言わざるを得ない状態だ。
 つまらない意地を張ったところで隠せるものなど何ひとつない。鍾離とてわかっていたが、それでもタルタリヤの前では素直に認めてやりたくはなかった。
『で、鍾離先生。何か言いたいことはある? 自覚がなかった訳じゃないんだろう。この異変の原因について何か心当たりは?』
 胸部から足のつま先までを見下ろし、むっと唇を引き結んだ鍾離を前に、タルタリヤが尋ねてくる。
 確かに自覚はしていた。しかし原因に心当たりはないので、だんまりを決め込むことにする。
 璃月は広大だ。六千年を生きる鍾離であっても知らぬ未踏の秘境が今になって発見されることはある。だからこそどのような脅威が潜んでいようとも対処出来るようにと旅人は鍾離の力を借りることにしたし、鍾離も大切な友人が厄介なことに巻き込まれぬようそれに応じた。そこにタルタリヤがついてくるのは想定外で、旅人からも現地で落ち合うまで聞いていない話だったが、別に探索のメンバーに彼ひとり加わったところで秘境が変質することはない。ただ、彼が旅人の頼みに快く応じたという事実が、鍾離の胸をざらりと逆撫でしたくらいで。
『はあ……その様子だと心当たりがないみたいだね。困ったな』
 むっすりとしたまま一言も話さなくなった鍾離を前に、タルタリヤはやれやれと肩を竦めた。いくら執行官といえど、異国の術や仕掛けに詳しいわけではない。彼もまたこの異常事態にどう対応すべきなのか、活路を見いだせずにいるのだろう。
 鍾離の手のひらの上に立つタルタリヤは、それでも呑気なように見えた。鍾離が咄嗟に手を握り込んで自分をひねり潰したり、ふるい落としたりなどしないと信じ切った様子で、どうしたものかと腕を組んで思案している。本当に自分が置かれている状況を理解しているのだろうか。何となく面白くない気持ちになって、タルタリヤを乗せているのとは逆の手を持ち上げた。
『うん? 鍾離先生、何を――うわっ!』
 親指と人差し指でタルタリヤの制服のストールを摘み、そのままぷらりと小さな身体を持ちあげる。呆気なく宙に浮いたタルタリヤは何かを叫んでいるようだったが、いかんせん今の彼の声は蟻の足音みたいなものなので、鍾離の耳には届かない。さすがに誤って取り返しのつかないことになってはいけないからと揺さぶったりはしなかったが、容易く摘まみ上げられている彼の命運は今この指先にかかっているのだと思うと、どろどろと澱んでいた胸の奥が少しだけすっきりする。
 下手に抵抗をして落っこちてしまってはまずいことになるとタルタリヤも理解しているのだろう。黄金のひとみをじっと睨むだけに留めて大人しくしている姿を見ているうちに、荒んでいた鍾離の心が癒えていく。この様子ならもう少し好きにしても、彼は鍾離を拒みはしまい。小さな身体を再び手のひらの上に戻してやり、うっかり力を込めすぎてしまわないよう注意を払いつつも人差し指の腹で頭を撫でてみた。
『ちょっと、先生? さっきから何も言わないで……っ、こら、くすぐったいって!』
 指先で脇腹をなぞると、タルタリヤが身を捩って逃げようとする。じたばた暴れる身体を押さえつけて、おもちゃのように小さな身体の部位ひとつひとつの輪郭をなぞってやると、よほどくすぐったいのか、それとも鍾離に命を握られているのだとようやく理解して焦燥を覚えたのか、身体を震わせるのが面白い。思わず愉悦を滲ませた笑みを浮かべてしまう。
 くつくつと笑いながらタルタリヤの身体を指先で蹂躙する。蹂躙といってもただ、全身を撫でているだけだ。けれど、びくっ、びくん、とだんだん身体の震えを大きくし、顔を赤くさせていくのが見えると、ますます愉快でたまらない気持ちになってくる。
『やめろっ、俺はあんたのおもちゃじゃないんだって……! ああ、くそっ!』
 子猫が毛を逆立てて威嚇するようにふーふーと息を荒げ始めたタルタリヤが、ついに水形剣を手に鍾離への反抗を試みる。けれど剣の切っ先が指先を掠めても残念ながら薄皮一枚切れることすらなく、くすぐったい程度だ。武力が通用しないことを確かめたタルタリヤが唖然とした顔をするのが面白くて仕方ない。
 気を良くした鍾離は、さて、このまま服でも剥いで口の中に入れてみようかと、非常に良くないことを考える。胸中に立ち込める暗雲はそのままひとみにも反映された。不穏な輝きを放つ黄金を前に、タルタリヤはどのような表情をするのだろうか。あの気高き武人でも、少しは怯えの色を見せたりしてくれるのだろうか――
……いい加減にしてくれよ』
 脳に直接響く声に、鍾離はぴたりと動きを止める。
『秘境で会った時から機嫌が悪いのもわかってたし、罠にはまってこんな状態になって、苛立ってるのかもしれないけど』
 散々青年の身体を撫で回していた親指を、ぎゅう、と締め付けられる感覚がする。
『あんたが元に戻ってくれないと、せっかく手に入れてきた観劇のチケットも、もぎ取った休暇も全部無駄になってしまうじゃないか』 
 小さな身体で精一杯に鍾離の親指を抱き締めたタルタリヤが毅然として言い放った言葉に、ぴしゃりと頬を叩かれたような気がした。
『一ヶ月もの間、仕事を理由に先生からの誘いを断り続けたのは悪かったって思ってるよ。そう思ってるから、今日の探索が終わったらあんたの好きなことに付き合ってあげられるようにって、こっちは準備をしてきたんだ。それでも協力してくれないっていうの』
 頑張りを認めてもらえなくて拗ねているようにも、寂しさを押し殺して諦めようとしているようにも見えるタルタリヤの表情を前に、ぐらぐらと目の前が揺れ始める。猛烈な罪悪感が胸の奥から込み上げてきて、鍾離という大人を責め立てる。
……って、え、先生、なんか縮み始めて……――!?』
 手のひらの上にいたタルタリヤがだんだん大きくなり、慌てふためいているのをどこか他人事のように眺めながらも、鍾離は良心を貫いた一撃の鋭さに言葉を失っていることしか出来なかった。
 


「なあ、旅人。これで本当にタルタリヤのやつ、鍾離と仲直りできるのか?」
 底の見えない穴に落ちていったふたりを見送った蛍は、パイモンの問いかけにさあ、と肩を竦めてみせる。
「わからないけど、とりあえず三時間経ってもふたりが戻ってこなかったら助けに行けばいいと思う」
 まあ、三時間もあればタルタリヤなら何とかしてくるよ、と付け加えて、それまでの間パイモンとふたりで優雅な休憩時間にしようと璃月港で買ってきた点心を取り出した。
 一口サイズの胡麻団子をパイモンに食べさせてやりながら、蛍は数日前、万民堂で食事をしていた時に相席になった青年のことを思い出す。
 
「なあ、相棒。仲直りをするためにはどうしたらいいと思う?」
 俺、鍾離先生の機嫌を損ねてしまったんだ、と困ったように笑うタルタリヤは、なんだか疲れた顔をしていた。
 璃月での一件により、人々がファデュイに向ける目はそれはもう、厳しいものになった。元々ファデュイへの悪評は各国で蔓延っているものだが、北国銀行は人々の生活に欠かせない重要な金融機関として存在しており、金銭を主とするからこそ私情を挟むことなく顧客との信頼関係を築いて存続している。しかしながら、此度の一件はその経営にすら影響を及ぼしかねないほどの打撃をファデュイに与えた。ゆえにその元凶に据えられているタルタリヤはファデュイの信用回復のため、しばらくの間事後処理に追われ、奔走する日々が続いていた。
 そんな中で彼が鍾離と引き続きビジネスパートナーとして酒を酌み交わし、交流を続けていたのは蛍も耳にしていたが、どうやら噂に聞いていた以上に彼らは親しくしていたらしい。タルタリヤが鍾離の機嫌を損ねたと聞いた時は、てっきり彼がしつこく手合わせでも強請って鍾離を困らせたのだろうと思ったのだが、事実は全く異なるものだった。
 なんでも、タルタリヤは相変わらず鍾離の支払いを肩代わりして彼の買い物に付き合ったり、劇を観に行ったり、食事をしたりと、支払いがタルタリヤに一極集中している点を除き、ごく普通の友人同士らしく共に過ごしていたという。しかし璃月の人々はそんなタルタリヤを見て、璃月人の多くが信を置く知識人である鍾離に親切にすることで自らの印象を良くしようとしているだけだ、鍾離につけ入り利用しようとしているのだ、などと、新たに良くない噂が出回ってしまったらしい。
 人間の心理を考えるとそういう噂が広まってしまうのも仕方のないことで、タルタリヤもやむを得ずしばらくの間、仕事が忙しいという理由で鍾離との交流を断つことにした。しかしそれが鍾離の気に障ったようで、人々の噂も落ち着きを見せ始めた頃、久々に食事でもどうかと誘いに往生堂まで赴いたものの、門前払いを食らってしまったのだという。
「やむを得なかったとはいえ、手紙でも何でも、民衆に見られない方法で鍾離先生に事情を説明する術はあったのにそれをしなかった俺に落ち度があることは認めているんだ。だけど街中ですれ違っても目も合わせてくれなくて、どうしたものかと思ってね」
 重いため息をつくタルタリヤは、年相応に見えた。テウセルの前で兄として振る舞っていたときに近い、等身大の姿を見せられてはさしもの蛍も放っておこうなどという気にはなれない。彼は決して警戒を怠ってはいけないファデュイの執行官であるが、まだ年若く、家族想いで懐に入れた人間のことを大切にする純粋さを兼ね備えている青年なのである。それに璃月での一件においてタルタリヤは被害者側でもあり、致し方のない状況とはいえ彼が百パーセント悪いわけではないことを知っているので、手を貸してやることにしたのだった。
 さて、鍾離という男はこだわりが強い男である。こだわりが強い、というのは頑固である、とも置き換えられる。
 話を聞く限り、蛍は鍾離が意地を張っているのではないかと考えた。彼は六千年の時を生きる年長者で、忍耐強さや穏やかさを備えているが、かつて神様だった男にも心はある。タルタリヤに対しては聖人君子でも、良識的で寛容な大人でもいられなくなっているのではないか。今まで何度も食事や観劇といった鍾離の好むことに付き合ってくれた青年が急に相手をしてくれなくなって、臍を曲げたのではないかと思ったのだ。
 もちろん、普段の鍾離の姿からは考えられないことである。だがそこは女の勘が働いた。ぶっちゃけて言ってしまえば、こいつらデキているのでは? と思ったわけである。痴話喧嘩だと想定すれば、鍾離がタルタリヤに対してそっけない態度を取るようになったのも頷けてしまうので、蛍はその線で張って対策を打ち立て、タルタリヤに協力することにした。
 そうして、それらの予想が正しかった場合に効力を発揮しそうな術のかかっている秘境を見つけ出し、未踏の秘境探索に付き合ってほしいと鍾離に嘘をついて今日にいたった訳である。

「にしても、変な秘境だよな。意地を張れば張るほど身体が大きくなって出られなくなる秘境なんて、いったいどんな仙人が何の目的で作ったんだよ」
「さあ? あ、パイモン、この月餅も美味しいよ」
「本当か!? オイラもひとつ、いや、ふたつくれ!」
「はいはい」
 無事に秘境のギミックを発動させ、美味しい璃月の菓子に舌鼓を打ちながら、蛍は深い穴の下で今頃攻防を繰り広げているであろうふたりに少しだけ思い馳せる。
 ――まあたぶん、鍾離は負けるだろう。
 乙女であれ青年であれ、恋をする人間というのは驚くべき強さを発揮するものなので。
 そしてその予想は一時間後に現実となり、帰り道ではタルタリヤを簡単に飲み込めるくらいの大きさになったという鍾離の話を聞かされて、呆れた目で六千歳のいい歳した大人を見ることになるのだった。