はじめてその映像を見た時は、まるで白昼夢を見ているかのような感覚だった。しかしそれは次第に現実味を帯びる。そもそもそれは過去にあった実際の映像だ。
遥か今よりも歳若く、年齢を聞けばその割に幼い印象を受けるのだから、尚更にその場に立つことが場違いにも見える。
マーヴェリックが過去、二か月間だけ教官として教壇に立った映像だ。それは、プラントミッション達成後に、各基地で奪い合うように上映された。
当時は前衛的な試みだったのかもしれない。現役の歳若いトップ・オブ・エリートであり、天才的な技量でもって空を飛んでいた男の指導を受けるというのは。
ルースターが招集された達成不可能といわれていた任務は、全員の生還という奇跡で完遂された。とはいえ命令違反を冒したルースターは、ミッション後謹慎を言い渡された。降格も異動もなく済んだのは、ひとえにサイクロンの口添えと、不可能ミッションを完遂したというルースターの技量的な面もある。
参加したメンバーがそれぞれ基地に戻り、奇跡の帰還に対して特別視された日々をいささか懐かしく感じる頃。それと同じくらいの時間を経て、ルースターはマーヴェリックとの断絶期前以上の親密さを築き始めた。
休暇となればマーヴェリックの住処を訪れ、時間があればオンラインで会話をする。
その間にルースターには昇進の話しがあったり、マーヴェリックの進退は新たな守護天使であるサイクロンの采配によって、ミラマーでの教官職に落ち着いたりと、忙しなかった。
マーヴェリックとの昔からの関係から、新たな関係を構築しつつある矢先、ルースターは同僚達の間で噂話となっていた件の映像を、ようやっと見る機会を得た。
現役の歳若いパイロットが教官を務めるといいう試験的な試みからか、指導する様子が記録され、映像として残されていた。機密上複製が許されないそれは厳重に保管されていたけれど、プラントミッションを完遂させたマーヴェリックが教官職に重きを置くという話しが出た際に、過去の指導記録の映像が残されていることが海軍内で噂となり、やがてそれは現役の若いアヴィエイター達への教本代わりとして公開された。
破天荒な指導内容は元より、生きた伝説級アヴィエイターの教官映像。
達成不可能と言われたプラントミッションで、マーヴェリックがF14機で最新鋭機の二機を撃ち落とした実績による影響もあるだろう。今よりも機体設備が完全に劣る当時の機体での指導内容だ。
その〝幻の二か月間〟の映像媒体は、各基地で奪い合いになり、ルースターも自基地で観覧できたのは、上映が三回目にしてやっとだった。
初回、立ち見が出たというのは現職のマーヴェリックの教官職の場でも同様だった。
マーヴェリック自身は教官職を〝向いていない〟と自称しているが、実際にマーヴェリックから指導を受けたルースターからすればその認識は若干異なる。
机上の空論や訓練だけの経験しかなかったあの頃の自分達の底力を短期間で押し上げたのはマーヴェリックだったし、ルースターはそもそも任務に就いた時点で〝間に合っていない〟状態だった。それこそ任務に参加しながら〝仕上がった〟といっても過言ではない。
マーヴェリックはそれを、ルースターに限らずメンバー自身の実力だと称えたが、道なき道を進んで任務を実践することよりも、導かれた道を追うことの方が容易く、導いてみせたのはマーヴェリックだった。
感慨深く思う間も無く、基地内一広い大会議室のモニターに、当時の映像が流れていく。
ルースターは誰に言い訳する必要もないはずなのに、他に座る者のない後部の席で、無関心を装って映像を眺めた。
兵学校に在籍していた時分から、数多くの教材映像はあったし、実戦に係る映像も多く見てきた。しかし、教官が指導している授業だけの映像がこれだけ出回り教本扱いされるのは、後にも先にもマーヴェリックだけだろう。
身内に近いマーヴェリックの若い頃の教官映像は、尻の座りが悪く、且つそれでもルースターは食い入るようにそれを見つめ、しばらくすると視線を逸らしてを繰り返した。
如何ともし難い感情が湧き起こる。
よく知っているようで知らない、断絶期前の若いアヴィエイターのマーヴェリックがそこにいる。
マーヴェリックが教壇で指導するその姿を見て、これは確かに奪い合いになるほどの映像であるだろうと察しがついて、ルースターは細くため息を吐いた。
歳若いマーヴェリックは、画面を通して見れば、まるで俳優がドラマか映画を撮影しているかのような絵面だった。実際の学習教材資料でありながらも、華やかな画面。
当時の歳若いマーヴェリックの容貌は華やかに過ぎる。そんな彼が、画面外、その場で教えを請うメンバー達からの質問に真摯に答え、時にジョークを交わし、そして飛び方を教える。
過去の戦歴表彰で多大なる功績を残したパイロットは、既に墓の下の者もいる。けれど、マーヴェリックは今もって尚、現役のパイロットであり、しかも今は現役の教官でもある。
圧倒的カリスマ性があり、且つ、実力を伴う現役のアヴィエイター。そして、教官職についたマーヴェリックの指導は、これからも多くのアヴィエイターが経験するだろう。
けれど、過去、マーヴェリックが二か月間だけの教官だった時の指導を受けたメンバーは、後にも他にも映像の向こうの彼らだけだ。歳若く、今ほどに経験を積んでいない、青臭くて、けれど現役のトップ・アヴィエイターであるマーヴェリックの。
当時のマーヴェリックの指導を受けたメンバーは既に各基地で要職についている。そして、マーヴェリックと共に幾度か任務についた精鋭だということも、ルースターは聞き及んでいた。
ルースターの上官が、〝変わり者〟と称した准将がそうだった。別の上官が言うには、あの基地の〝問題児〟と称される少将も。飛び方を見ればわかる、と。
『あれはマーヴェリックの幻の二か月間だけの教え子だ』
須くアウトローらしいマーヴェリックの〝教え子〟達は、それこそマーヴェリックが達成してきた難任務のメンバーだったという。
年代的に、教え子というほどには歳が離れているメンバーではない。2世代ほどマーヴェリックの後のメンバーだ。
マーヴェリックが教授した内容は授業の一環であり、それはルースターも経験したものだから分かる。全てを明け透けに教え、惜しみなく自身の知識と経験を次世代に受け継がせる。
マーヴェリックの教えは〝極地に到達した者〟しか経験し得ない実体験に基づいた教えだ。
ルースターがプラントミッションを達成したメンバーの一人であることを知る同僚達からは、マーヴェリックが指導者であった事実に対し、羨望の眼差しで見られたものだ。それはフェニックス達も同様だろう。
ルースターは若いマーヴェリックが綺羅星のように輝く映像を見据えた。そこにあるのは職務に対する教えではあるものの、実際は生と死だ。死なないための手段。
ルースターは組んだ腕を意味なく組み替えて、画面の中でこれぞ生きがいとばかりに、飛び方を惜しげなく教授し、今よりも少しだけ高いキーの声色で話すマーヴェリックを眺めた。
ルースターはきっともう、マーヴェリックと共に飛ぶことはない。
それはマーヴェリックが教官職に重きを置いていること、加えてマーヴェリック自身の年齢的なこともある。
それこそ映像の中にいる歳若い全盛の頃のマーヴェリックと同世代であれば、そういった機会はあったかもしれない。
しかし、今後はほぼないとルースターは考えている。
マーヴェリックが今後難任務に挑むとなれば、それはサイクロンからの指令となる。
ルースターは映像でマーヴェリックと共に過去幾度も飛んだという〝マーヴェリックの教え子たち〟と呼ばれる彼らに対し、現役のアヴィエイターとして嫉妬した。
ルースターは映像の中のマーヴェリックを、〝アンクルマーヴ〟としてしか知らない。あの頃の彼がなにを考え、なにを思って空を飛び、誰に微笑みかけ、誰に教授したのかを知らない。
あの頃のマーヴェリックの唇から紡がれた教えを猛烈に聞きたかったと、アヴィエイターとして、思った。
マーヴェリックは職務において、プライベートで詳細を話すことはないだろう。マーヴェリックは英雄譚を自ら語るタイプではない。そもそもマーヴェリックが有する技量は、本人にとって任務をこなす職務達成に付随することなので、それが賞賛されるべき神業的な技量であっても、マーヴェリックにとっては数あるうちの任務をこなしたという事実であって、それ以上でも以下でもないからだ。
大会議室で後席に陣取っているのはルースター一人だ。皆が皆、前のめりで映像を食い入るように見つめている。
時折、映像の中と現実の両方で歓声が上がる。
マーヴェリックのトリッキーな戦術、実体験に基づく戦闘機乗りとしての説明に、過去の映像の中での質疑応答が白熱している。
既に遺物と称されておかしくない機体の説明だとしても、実際にマーヴェリックは直近それを手足のように操縦し、最新鋭の機体を二機撃ち落とした。マニュアルに載っていない、載るはずのない戦い方だ。
しかも、映像に映る若い教官時代よりも、さらに熟練された技術でもって、敵地からF14機を奪って脱出した。説明を受けても到底納得しないだろう非現実的な話しだ。
ルースターは今でもあの後席での僅かな時間を鮮明に思い出せる。
緊迫したやりとり、マーヴェリックの戦い方。
マーヴェリックと共に飛ばない限り、あの体験はできない。
部屋を見渡せば、皆が皆、食い入るように映像を見ている。
誰もが思うだろう、師事を受けたい、共に飛びたい、と。
このうちの何人がマーヴェリックから師事を受けることができるだろうか。
何人が共に飛ぶことができるだろうか。
ルースターはきっともう、マーヴェリックと飛べることはほぼないだろう。
それだけがはっきりとわかる現実だ。
やり場のない感情を抱き、椅子に背をもたれさせ、腕を組んだままルースターは天を仰いだ。その顔にばさりとなにかがのせられた。
「ふが」
「ブラッドショー大尉、僕の過去の映像はそんなにつまらないか?」
「ぇ」
聞き覚えのある声に、ルースターは慌ててもたれていた椅子から背を離し、姿勢を戻した。
顔にのせられたのはマーヴェリックの映像が流される前に渡された当時のマニュアルの一部で、大きく動いたことで顔から滑り落ちるも、床に落ちる寸でのところでルースターはそれをキャッチした。
声のした方を見上げれば、限界まで落とされた照明の暗がりの中で、マーヴェリックが微笑んでいた。
「マ」
「シー!声がでかい」
ここにいるはずのないマーヴェリックの突然の来訪に驚き、その名を思わず声に出すも、マーヴェリックの手がルースターの口を覆った。
自らの指を唇にあてて、シークレットのポーズのまま、呆然とするルースターを見て、笑いながら隣に腰掛ける。
「マーヴ、あんたなんでここに」
マーヴェリックはルースターが拾い上げたマニュアルを取り上げて、それを捲りながら、前方を指差した。
「どうも集中していないようだな。なにか気になることでも?それともあんな旧い機体の説明を聞いても無意味だと?」
心配半分、上官としての説教半分だ。確かに映像の内容にいささか身が入っていなかったことは事実だ。ルースターは逃れるように別の質問を投げかける。
「マーヴ、あんたこの後講演でもすんの?」
だからここにいるのかという疑問を込めて、ルースターは暗がりの中のマーヴェリックの横顔に問いかけた。
映像に集中したメンバーたちは、後方の席を気にする者などいない。ここに、映像から二十年近くを経た凄腕パイロットがいると気付けば騒ぎになるかもしれない。
「いや、ちょっと所要で」
こうしてマーヴェリックがさらりと告げてくる内容は、機密であることが多い。ルースターは職務に係る距離を感じて、それ以上を問うことを辞めた。
「この後ランチでもどうだ?」
マーヴェリックが振り向いてルースターを覗き込んで来る。美しいアースアイに、画面の明かりが反射し、頬が照らし出されている。
「僕の過去の映像教材をこんな後ろの席で腕組んでつまらなそうに見ている理由も聞きたいね」
揶揄う口調でマーヴェリックが続ける。意外に人気があると自負していたのに、とマーヴェリックのジョークにルースターは苦笑した。
「これだけ人気で上映が三回目の映像教材に出てる教官が、普通に食堂でランチ?俺と話してる時間なんて取れないと思うよ。あんたがこの基地に来てるって皆に知れたら質問責めにあうだろうから」
いささかドラマチックな編集が施された映像教材を見つめる同僚たちの目は一様に輝いている。その映像で教えを施したレジェンドが、たった今この室内にいるなどとは誰も思わないだろう。
ルースターの返答に、マーヴェリックは読めない表情をして、首を傾げた。
「そうか、残念だ」
「マーヴ、来週空いてる?」
断っておきながら、ルースターは勢い込んで唐突にアポイントを取り付けるべく尋ねた。
首を傾げたまま、マーヴェリックが『来週?』と繰り返す。
「三日間くらい。マーヴんとこ行っていい?」
その三日というのがいつの日付を指しているのかマーヴェリックは気付いたのだろう。
案の定片眉を跳ね上げて、怪訝な顔をする。
「来週?来週って。だってお前来週誕生日、」
「うん、だから、マーヴんとこ行っていい?」
「〝だから〟がどこに掛かってるんだ。せっかくの誕生日にわざわざ僕の所へ?」
「だって去年は俺の誕生日にかこつけて、メンバー皆であんたのとこ押しかけただろ?俺もっとじっくり過ごしたかったんだけど」
「だからその記念日を僕のところで過ごす感覚が、」
「いいじゃん、マスタング操縦させてよ」
愛機の内のひとつの名を挙げれば、マーヴェリックの表情が揺らいだ。
年に一度の記念日に、マスタングを操縦したいという申し出は、マーヴェリックの中で違和感なく理解できることらしい。当然のごとく、ルースターも敢えてそれを懇願した。
躊躇いつつもマーヴェリックは結局〝イエス〟と答えた。
「じゃあ来週ね。俺食料買い込んであんたのところ行くから。食いたいもんある?え?俺の好きなもの?そんなの肉ばっかになっちゃうよ?マーヴ、なんか食いたいもの、」
言質を取ったとばかりにルースターが被せるように告げる途中、薄暗がりの中で、前方の席から『キャプテン・ミッチェル?』と誰かが誰何を投げる声がした。その声は映像教材のスピーカーから流れるマーヴェリックの声をすり抜けて、室内に大きく響いた。
マーヴェリックが気付いて前方を振り向く。
アースアイがルースターから逸らされ、不特定多数の人間へと向かうのを見つめてから、ルースターは立ち上がった。
「それではミッチェル大佐、私はこれで失礼します」
「……上映時間はまだ終了になっていないが?ブラッドショー大尉」
ルースターの職位的立場からの言葉に、マーヴェリックは一瞬だけ間を置いた。責めるような口調でマーヴェリックも上官の立場で返答する。
ルースターが中指までしっかりと伸ばして敬礼してみせると、マーヴェリックは嫌そうな顔で見上げてきた。ルースターは表情に出さずに内心で笑う。
マーヴェリックがいることに気付いた数人の声がさざめきのように広がり、室内は騒然としてくる。まさかの本人ご登場に、視聴しているメンバー全員が気付くのも時間の問題だろう。
質問責めにあうだろうことが予測できるこの後の展開について、マーヴェリックが『一人にする気か』と、視線だけでルースターに訴えてくる。
イレギュラーな訪問で、且つ白熱する過去の映像が上映されている室内に足を踏み入れたのはマーヴェリック自身だ。
ルースターは敬礼を解いてさっさと退出した。
◇
年を取れば取るほど記念日というものに鈍感になっていく。特にマーヴェリックはその手の記念日の感覚に疎くて、セルフォンのカレンダーやスケジュールへの入力作業を勧められても長続きしない。ノスタルジーといわれそうな手段の方が得意だし、未だ紙のカレンダーを張り出してそこに予定を書き込む方が性に合う。とはいえ特筆するべき記念日ーーそれが祝い事や弔事であるならば余計にーーであれば、書き込む必要もオンライン上のスケジュールにリスケジュールのアラートを設定することをも必要とせず、時間や場所やそこに至る経路までを事細かに記憶し、忘れることはない。そもそもマーヴェリックの記憶力は抜群で、その気になれば諸々を暗記することはそれほどの労ではない。
ただ、マーヴェリックはこと自分自身の記念日などはなおざりで、翻って他人との予定だけは忘れないといういささかの歪んだ認知力ではあるのだが。
しかし、これだけは忘れることがない、というのが、ブラッドショー家に係る記念日だ。
特にマーヴェリックにとって忘れようのない、忘れるはずのない記念日ーーブラッドリー・ブラッドショーの誕生日ーーに関してだけは、いかなる記念日よりも最重要の日である。
それはマーヴェリックの頭の中だけの重要ごとで、ルースターとの断絶期は一方的な贈り物を用意して会えない溝をそれらで埋めるだけの日々を送った。自分勝手で自己満足な振る舞いを自覚しながらの年月から、再会を果たしての和解を経て、今は昔よりも少しだけ親密になった気がするルースターとの距離感。
再会を果たしてからの最初のルースターの誕生日ーー既に昨年のことになるがーー正にその当日を一緒に過ごしたいと懇願されるとは思ってもみなかったマーヴェリックは、やや過剰に感動した。
好ましい女性やもしくは男性、友人や同僚と過ごすであろうと予測していたマーヴェリックは、ルースター自らの懇願を、困惑しつつも受け入れた。
『俺もうすぐ誕生日なんだけどさ』
『もちろん、覚えているよ。忘れたことなんてない。どうした?』
『その日マーヴんとこ行っていい?』
『え?』
『だめ?』
『いや、だめだなんてことはない!嬉しいよ、でも、』
『でも?誰か他に過ごす人がいるんじゃないかって?いないよ。今俺恋人もいないしさ。ていうか、俺は、マーヴと過ごしたいんだけど』
マーヴェリックはその懇願を、離れていた距離と時間分の埋め合わせをルースター自身が望んでくれているのだと考え、込み上げる思いと涙に絶えた。
ルースターの懇願はマーヴェリックにとって喜びであったし、些細な願い事を叶えるなど容易い。
早速マーヴェリックは休暇を申し出、前日から誕生日の次の日までを空けた。
結果その日は、どこから聞きつけたのか、プラントミッションを共に達成したヤングガンズのメンバー達がモハーヴェにあるマーヴェリックの住処に集まり、大層賑やかなルースターの誕生日パーティと相なったのだが。
それが昨年のルースターの誕生日の出来事だ。
それがどうだ。今年はマーヴェリックと二人きりで祝いたいと申し出てきたのだ。マーヴェリックはそれを昨年よりもなお一層の困惑でもって結局は受け入れた。というよりも、覆す言葉を探す間もなく、マーヴェリックはルースターの基地のメンバーからの質問責めの応酬にあい、流されるように承諾したに過ぎない。とは言え、ルースターが望むのならば、やはりどんな願いでも叶えてやりたいと思うのがマーヴェリックの心情だった。
食料はルースターがモハーヴェに来るまでの道中で買い込んできた。料理番は最初からルースターだ。
マーヴェリックの摂食を喫食に変えたのはルースターで、彼は食べることを好み、作ることもうまい。
ルースターの誕生日前後に今年も休暇が取れたのは幸運だった。敢えてそこに合わせたというのもあるが、離れた基地同士、異なる職務と職位のルースターとマーヴェリックは、同職種であるが故に互いがそれなりに繁忙だ。
日程調整は恙無く完了し、次なる問題はルースターへの贈り物だった。
必要でないものや趣味でないものを贈ったとて意味がない。
マーヴェリックは早々にルースター本人に欲しいものを尋ねた。案の定、無欲な青年はなにもいらないと返答してきた。
予測していたにも関わらず、マーヴェリックはルースターが今、なにを必要としているのか全くわからない己に愕然とした。
ルースターがブラッドリー少年だった頃、望むものを全て予測し、ブラッドリー少年が希望する贈り物をいつだって用意できたアンクルマーヴはもういないのだと、マーヴェリック自身が軽いショックと共に自覚した。
前年のルースターの誕生日は、ヤングガンズメンバーのスポンサーとなり、彼らがそこにそれぞれ幾らかを充足し、ヴィンテージのアロハシャツとアルコールの類が贈られた。
ルースターが好んでアロハシャツを着用していることへの軽いジョークに加え、それが入手困難なレアものであることは、メンバー達からの愛情表現だ。
ルースターはもちろんそれを汲んで喜んだし、マーヴェリックもその祝福にあやかった。
しかし今年はそうもいかない。
なにより二人だけの誕生日パーティなのだ。
しかし、マーヴェリックは結局ルースターが今なにを望み、なにを欲しているのかが全くわからず、贈り物を用意できないままだった。
青空の下、ルースターは昨年にも使用したバーベキューコンロで手際よく肉を焼いている。着用している粋な和柄のアロハシャツは件の代物だ。
エアストリーム備え付けのキッチンでこれまた手際よくカットされた野菜や用意されたドリンクはルースター手ずから外に運び出された。マーヴェリックは着々と進められるバースディパーティの豪華な食事の数々を、なんとはなしに眺める。不似合いにも外に運び出したソファに深く腰掛けたまま。
マーヴェリックはビアを煽って天を仰ぐ。
これではどちらが主役かわからない。
「この間のさ」
「え?あ、あぁ」
ぼんやりと空とルースターの手元を交互に眺めていたマーヴェリックがルースターの声がけに視線を戻す。
「マーヴの教官映像教材のやつ。あれさぁ、幻の二ヶ月間って呼ばれてんの知ってる?」
「なんだそれ?」
マーヴェリックはビアを噴き出した。
「伝説級の扱いになってるんだよ、あんた。自覚ないの?ないよな。あの教材がいろんな基地で大人気ってのは?」
「知らない。え?そんなことになってるのか?」
「うん」
「だって今更、あんな昔のデータ分析に基づく飛び方なんて参考にならないだろ」
「なに言ってんの。あんたがプラントミッションで体現したじゃん。旧い機体が最新鋭の機体に劣ることはない」
「それは、」
「わかってる。俺が一番よく理解してるよ。パイロットの腕次第」
ルースターは焼き上がった肉と野菜を彩りよくペーパーディッシュに移し替えると、二人分を携えてこれまた外に出したテーブルの上に置いた。マーヴェリックは礼を述べながら受け取った。けれどすぐには手をつけず、ルースターをしっかりと見据えた。
「経験と年数を積んだ今ならまだしも、あの二ヶ月間の教官の時は僕の教え方だって下手くそだ。そもそも僕は教官に向いてない」
「自分からなにかに向いてるとか得意だからって言う奴の方が信用できないよ。他人からの評価の方がよっぽど信頼できる。あんたは実践して体現してる」
「……その点で言えば僕は中将からファイブスターもらえるくらい〝教官に向いていない〟って烙印を押されてるぞ」
マーヴェリックのジョークとも本気ともつかない言葉にルースターは笑った。
「マーヴは教えんのうまいよ。向いてるよ」
厳しい現実的な絵空事ではない指導と飛び方。それは全てマーヴェリックを体現するもので、マーヴェリックの得たものと喪ったものの全てだ。
「もちろんパイロットは飛んでこそだけどさ。教えることに関しての他人からの評価なら、マーヴが俺んとこの基地に来たあの日がなによりの証拠だろ。俺が退室した後凄かったらしいじゃん。質問者が殺到したんだろ?」
ルースターが映像教材をみたあの日、退室した後の室内は大混乱に陥った。熱狂の坩堝と化し、メンバーは教えを請うた。
結果その日のいくつかの訓練や案件はストップすることとなり、マーヴェリックは急遽教壇に立ったのだ。
「あれは……お前、ちょっと恨むぞ、あの日のことは。せめてお前が間に入ってくれてたら」
「質問責めのキリがなくて結局登壇して教えたんだろ?」
「時間がもったいなかったからな」
言い訳のようにマーヴェリックが言葉を濁す。
「俺んとこの同僚達から色々聞いたよ、あんたの教官ぶり」
「よしてくれ」
「俺の知らないマーヴばっかだ」
「だってお前は来てくれなかったじゃないか」
マーヴェリックがいじけたようにその言葉を発したことに、ルースターは驚いて顔を上げた。マーヴェリックも自分の言葉に驚いたように我に反り、テーブルに置かれた肉を咀嚼し、ビアで流し込み、視線を逸らした。
「うまいな、相変わらず。お前の誕生日なのに、僕が主役みたいだ。それなのに僕はお前が今なにを欲しがってるのかわからなくて、贈り物も用意できなかった」
マーヴェリックは視線と話しを逸らした。ルースターは手元の肉に視線を落とした。
「贈り物なんていいよ。それに、肉は焼いだだけだし」
「まぁ、そうだけど」
マーヴェリックが笑う。
「僕はほら、あまり料理をする方じゃないから。料理するお前の姿が様になってるから、料理人みたいだなって」
ビアを片手に焼き加減を見ながら慣れた手つきで香辛料を振るう姿。見目いい青年はドラマや映画のワンシーンのようだった。
「よく言うだろ、料理の得意な男はセクシーだって。お前がそうして料理をする姿はすごくいい」
マーヴェリックの発言にルースターの動きが再度止まる。
「それって俺の料理がうまいってこと?それとも料理する俺がいいってこと?」
「両方」
さらりと告げられる言葉にルースターは肉の味がしなくなる。じわりと熱が昇った頬が熱い。
ルースターは前後の会話を脳内で再度確認した。なんの話だったろうか。
あの教壇で、教えを請うメンバーにむけて、惜しみなく自らの知識を披露するキャプテン・ミッチェル。誰にでも等しく、一定の温度感で、マーヴェリックは皆に接する。
そうだ、こんな風に、ビアでほろ酔いになり、少しだけいつもより口調が甘くなる風情だとか、無防備に弱点を晒し、『酔って眠ったらお前が運んでくれ』などと、冗談を言ったりだとか。
踏み込んでもいい距離を許されているのはルースターだけだ。
そしてこの先もそうであってほしい、と。
教官である過去のマーヴェリックを、ルースターは知らない。
今のマーヴェリックをこれから知ることは出来るだろう。
でも、他に、ルースターの知らないマーヴェリックの顔があるのだろうか?
マーヴェリックが、ルースターに『なにを贈ればいいかわからない』と宣ったのと同じように、互いをよく知る癖に、ルースターはマーヴェリックを知らないし、マーヴェリックはルースターを知らないのだ。
マーヴェリックが、ルースターに向かってとろりと潤んだアースアイを向けてくる。
「贈り物」
「え?」
「お前への贈り物、なにを用意すればいいかわからなくて。それが少し悔しかったよ」
きっと、自分以外の人間が言われることのない言葉に、ルースターはアルコールだけでなく、酩酊する心地がした。
「ブラッドリー、なにがほしい?」
「……マーヴとこうして過ごせたからいいよ」
「無欲すぎるだろう?」
マーヴェリックが腰を折って笑う。
自分なんかと誕生日を過ごすのは、逆にいいことだとは思わない、とマーヴェリックは笑う。
「なら、今年は奮発しようか」
「え?」
ルースターが聞き返すと、マーヴェリックは立ち上がって大きく手を広げた。
「大奮発だ!お前への贈り物は、倉庫にあるもののどれか!お前の好きなもの、どれでも一つあげよう!」
「……は?」
マーヴェリックがどうだとばかりにふんぞり返り、指差す先は住まい兼倉庫だ。
倉庫には数々のコレクションが収められ、金額に換算すればとてつもない数字になるだろう。
「え?なに?あんた酔ってんの?」
ルースターが呆れた物言いでマーヴェリックを見上げ、ビアを煽る。マーヴェリックはムッとした表情を見せた後、再度倉庫を指差した。
「酔ってない!いいか、ブラッド。僕はそもそもお前にあの中の幾つかを譲りたいと以前から思ってたんだ。いや、今はその話しじゃなくて、誕生日の贈り物の話しで」
とんでもない発言をし出すマーヴェリックに、ルースターは片眉を跳ね上げる。いつもこうだ。マーヴェリックは、ルースターの知らないところで、なにかを勝手に決めて、良かれと思って勝手に行動する。
自己満足だと解いたところで、その考えはマーヴェリックに根付いたルースターに対するアンクル的心情に基づく過剰な愛情だ。
自覚がないからこそタチが悪く、言葉で伝えない代わりに愛情の深度が深過ぎて、ルースターは眩暈がする心地だった。
マーヴェリックの頓珍漢な考えにではなく、それを施されるのが世界で自分だけだという自覚がある自分自身にだ。
ルースターはビアを叩きつけるようにテーブルに置いた。勢いに、マーヴェリックが肩を震わせた。
「……本当にどれでもいいんだな?」
その勢いと低い声色に、なにを勘違いしたのか、マーヴェリックが俄に焦り出す。
「あ、やっぱマスタングは……」
愛機の中の愛機に躊躇いを見せるマーヴェリックの様子に、ルースターは吹き出しそうになりながらもそれを耐えた。耐えて、決心して、立ち上がった。
「じゃあ俺これがいい」
「え、ぅわ!」
立ち上がると、ルースターはマーヴェリックに近づくと、椅子に座るマーヴェリックの脇に手を入れて立たせる。そのまま手を引いて倉庫の中にマーヴェリックを連れて行く。
「倉庫の中のもの。どれでもいいんだろ。なら俺これがいいんだけど」
向き合って、マーヴェリックと繋いでいた手を解いて、再度両手でマーヴェリックの手を掬い上げた。マーヴェリックは呆然とルースターを見上げたままだ。
ルースターは似合わないことをしている自覚があって、マーヴェリックが口を開く前に早口で捲し立てた。
「結局のところ、俺があんたの過去の映像教材見たくなかったのって、俺の知らないアヴィエイターのあんたがいるからだ。過去のあんたを知ることも話すことももう出来ないし。〝マーヴェリックの教え子たち〟ってなんだよ、俺はもうあんたと飛べないかもしれないのに。そんな呼び名もない。でも俺はあんたがアンクルだったことは知っていて、こんな風に大切にしているものを譲るようなそんな愛情だって受けてて、そんなの後にも先にも俺だけだろ?だから、」
勢い込んで捲し立てたつもりが、ルースターはなにを告げてなにを告げるべきか途中で分からなくなった。
脳内で幼い自分自身が、『マーヴは僕の!』と叫んでいる。結局ルースターはマーヴェリックの目を見ていられなくなって、俯いたまま呟いた。
「……だめ?」
握ったマーヴェリックの指先の爪が少し汚れていて、来る前にもマスタングかかなにかを弄っていたのだろうことが窺えた。
この指で、手で、頭を撫でられ、抱き上げられて、願書を破かれ、雪山で突き飛ばされて、そうしてだきしめられた。
やがてマーヴェリックが吹き出した。ルースターが顔をあげると、マーヴェリックがあの顔で笑っていた。
「……酔ってるからって明日の朝の返品は不可だぞ」
「……一生大事にします」
「……困った子だなぁ」
全く困っていない声でマーヴェリックが言う。
さてここで、キスをするべきかどうか、ルースターは新たな悩みに直面し、マーヴェリックの爪をなぞった。
西海岸のプレイボーイはルースターの様子に笑うと、背伸びをしてーー
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.