えぬを
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神父×悪魔

rsmv_20221118

極上の魂を持つ人間を千人堕落させることができたなら、天界に還ることができる。
マーヴェリックが下っ端の悪魔に唆された言葉を今も信じているのは、天界に還ることが目的ではない。親友の亡骸が、丁重に葬られているかどうか、それを確認したいだけだ。そもそも、純粋な魂持つ人間とは何を基準にしたらいいのか。
親友を死なせた大罪で、マーヴェリックは地獄に墜ちた。正しく墜落した。
審問の場で下された判決で、大罪の烙印を高々宣言され、その場からマーヴェリックは〝墜ちた〟。重力というものを初めて知った。踏みしめていた底が抜け、落下し始めると白い六翼はみるみる焦げついたように黒く変幻し、マーヴェリックの背から抜け落ちていった。
天界から追放されること。
地獄に落とされること。
神に愛されし6翼の光り輝く翼が失われること。
それ自体はどうでもよかった。
ただ、親友である彼の亡骸を、自身の手で弔ってやれないこと。
ただそれだけを、今も悔いている。


教会の寄付金集めと宣った若い神父がマーヴェリックを同行させて出かけたのは夜もふけた頃。マーヴェリックは家無し人のために、夜にこっそり食事の施しでもするのかと、料理の得意な神父に尋ねた。
彼は〝あんたほんとにウブだな〟と笑った。
神に身を捧げた清らかな表向きの姿とは裏腹に、彼はひどく俗っぽい。
時として神に仕えた自分達天使よりも、はるかに清らかな人間がいる。悪魔になると、その清らかなる魂を持つ人間がひと目で分かるという。元大天使としては眉唾のその噂は果たして真実で、マーヴェリックが人間界で最初に見つけたブラッドリー・ブラッドショーという青年は、正しく善人だった。
自らを顧みず、奉仕し、人を助ける男。敬虔な信者であり、確かに彼は極上の魂を持つ人間だった。時として神に仕える者らしく振る舞い、時として欲に忠実で、とても人間らしい。アンバランスで有りながら、均衡のとれた心持ち。真面目で信徒からの信頼も厚いが、ウィットに富んだジョークを放ち、バランスよく距離を保つ。そんな彼が神職を目指したきっかけは、教会に飾られた一つの絵画だ。
『救済の大天使』という表題の掲げられた名もなき画家の描いた絵。
正しく天から舞い降りた六翼の大天使が地上で苦しむ人々に手を差し伸べている様が描かれている。
遥か昔、気まぐれに降臨した大天使が施しを与えた地ーー天与の美貌もつ大天使と伝えられた逸話に感銘を受けた名もなき画家が描いたその絵が教会に収められている。
ブラッドリーは幼心にその大天使に心奪われ、教会に通い、やがて神職に就いたという。
ブラッドリーが毎日跪いて祈りを捧げるその絵の主が、元大天使の頃の自分であることは絶対に言えないと、マーヴェリックは素知らぬふりを続けている。彼の心底から敬愛する救済の天使様は、地獄に落とされ、今まさに極上の魂を狙ってブラッドリーの隣にいるのだから。

ウブと称されたマーヴェリックは、裾を翻し、股幅に大きな差があるブラッドリーの後ろを小走りに追った。夜に溶け込む僧衣のまま、昼間のように明るい電飾輝く繁華街へとブラッドリーは進んでいく。道すがら、〝ルースター〟、と気軽に声をかけられ、愛想よく手を振るブラッドリーにマーヴェリックが尋ねる。
「知り合いかい?」
「昔馴染みだよ」
「可愛い子猫ちゃんだな。紹介しろよ、ルースター!」
囃し立て、マーヴェリックを差した揶揄に、思わずマーヴェリックは声の集団を振り返ろうとするも、ブラッドリーの大きな体に阻まれ、しこたま顔を打った。
「誰がこね、ぅ、ぶ」
「よそ見しないで。ほら、そこのバー。入った入った」
覆い隠すように誘導され、マーヴェリックは不愉快を頬に詰めたまま膨らませたそれを隠しもせず案内されたバーのドアを引いた。
後ろ手、ブラッドリーが牽制の中指を集団に立てたことなどつゆとも知らずに。

鼻につくきつい煙草の匂い、燻る煙。
バーの中は気だるげな雰囲気と落とされた照明で、一種異様で隠微な雰囲気を醸し出すアンダーグラウンドだった。
地獄の雰囲気によく似ている、と、第二の故郷となってしまったその地をぼんやりと思い浮かべるマーヴェリックの肩を抱いて、ブラッドリーはバー内を進んでいく。
方々から、神を嘲る言葉と祈りを投げかけられながら、バーの奥、もう一つのドアの前にマーヴェリックは誘導された。
「随分ご無沙汰だったじゃないの、ルースター。元気だった?」
「久しぶり、レディ、今日は連れがいるんだけど」
「あら、可愛い子猫ちゃん。ずいぶん年上のようだけど、新米神父なのかしら?」
重たげなまつ毛をばさりと動かし、ドア前に立つ、いかつくもおやかな仕草で〝レディ〟がマーヴェリックにウィンクをする。
アンダーグラウンドのさらに下につながるらしいドアを守るスキンヘッドの守護神の爪は長く、艶やかなショッキングピンクで彩られ、同じ色合いのルージュがその唇にも乗っている。性差を超越した存在に冷や汗をかきながら、マーヴェリックは辛うじて笑顔を返した。
「おっさんだけど、俺より新人なんだよ。別の教会から派遣されてきた、うちの教会の臨時神父。レディ、可愛がっていいのは俺だけだから、あんま誘惑しないでやって」
「あら、ずいぶんお気に入りなのねぇ。いいわよ、お入んなさいな。でも席は一人分しか用意できないからね」
逞しい二の腕と胸筋を張って、レディがドアを引く。ブラッドリーが先に降り、マーヴェリックの手を捧げ持った。
……僕は〝レディ〟じゃないぞ」
「足元おぼつかないジイさんに変わりないだろ。それともレディ扱いして欲しいの?」
苦虫を噛んで、マーヴェリックはブラッドリーの手に自分の手を添えた。薄暗い階段を降りていく。
……寄付金集めって言ったのに」
「寄付金集めだよ。小さい教会を維持すんのは大変なんだ」
嘯くブラッドリーを、マーヴェリックは軽く睨んだ。そうしてたどり着いた先、用意された円卓には幾人かのメンバーが揃っていて、ブラッドリーに向かって手を上げた。
「よぅ、ルースター、久しぶりだな」
顔見知りらしき顔に傷のある男が隣の空席の背を叩く。ブラッドリーはそこに腰を下ろした。
向かいに二人。ブラッドリーを入れて、〝ゲーム〟に参加するのは全部で四人のようだ。
「はじめまして、ルースター。あんたが例の神父?噂はかねがね。寄付金集めの名目で賭け事なんでもござれ、カードに強いんだって?」
グリルをぎらりと輝かせた男が身を乗り出して、珍しげにルースターを覗き込む。マーヴェリックは立ち尽くし、その様子をぼんやりと見つめた。
ブラッドリーが生臭な神父であるとは常日頃から思ってはいたがここまでとは。懐から煙草を取り出すブラッドリーを、マーヴェリックは再度睨む。明らかな違法賭博場に駆り出され、倫理観がどうこうなどと今更諭す気もないが、マーヴェリックは眩暈がする心地だった。悪魔が倫理観を説いても説得力はないが、マーヴェリックは元大天使だ。純粋な悪魔よりもまともな思考回路を持っているーーと自負している。これでいて、ブラッドリーの魂の輝きは失われないのだから、神の采配を疑いたくもなる。
「可愛い子猫ちゃん、俺の隣においでよ」
にやついた赤毛の男がいつの間にかマーヴェリックに近づいていた。
……あれ?子猫ちゃん、思ったより年上?うっわエッロイな〜年上の猫!」
そう言って不躾にマーヴェリックを上から下へと舐め回すように眺める。距離が近い。
「カソックっていいよな〜エッロいケツ!」
「ひ」
赤毛の男が人差し指で、マーヴェリックの背を上から下へとなぞる。ぞわりと走る悪寒にマーヴェリックの口から悲鳴が上がる。
「おい」
腰に差し掛かる手前で、ブラッドリーが赤毛の男の手首を掴んだ。
「ぃいてて!冗談!冗談だよ、ルースター!」
「ふざけんなさわんな」
怒りを内包したまま赤毛の男の手を捻り上げて放り、ブラッドリーはそのままマーヴェリックの腰に腕を回すと、強引に自分の膝の上に抱き上げた。
「う、うわ、ちょ、ブラッドリー!」
幼子を膝に乗せるのとは訳が違う。夜の営みでさえしたことがないような甘い体勢と、衆目の中でのあまりの格好に、マーヴェリックは慌てふためく。それこそ浮かれた若い恋人同士の戯れのような体勢に、傷の男が声を立てて笑う。彼の傍らには、たわわな胸をこぼさんばかりの半裸の美女が佇んでいる。しなだれかかる美女と自分との差に、マーヴェリックは羞恥で頬を染め、ブラッドリーの膝から降りようとする。しかし、がっちりと囲われたブラッドリーの腕からは逃れられない。ブラッドリーは意に介さず煙草を燻らせた。
「おいおい、お前の相手としては、随分うぶなお嬢さんだな、ルースター?」
……ペットだよ」
「ブラッドリー!」
あまりな言い様に、マーヴェリックはブラッドリーにだけ見える位置で牙を見せて怒鳴った。
「マーヴェリック、ここでは俺は〝ルースター〟。本名はご法度」
マーヴェリックが知る由もない賭博場でのルールを持ち出されたまま、ゲームは始まった。

座り心地の悪い〝椅子〟の上で、マーヴェリックはゲームが進む様をただ見つめるしかない。どう捉えても、ブラッドリーの手は不利だ。思わず身を乗り出す。
……マーヴ、あんまもぞもぞ動くなよ。勃つよ?こいつらの前でひん剥かれたくなかったら大人しくしてて」
「ぶら、ルー!」
怒りを内包してそれでもルールを守って真正直に愛称で呼んだマーヴェリックに、ブラッドリーは喉奥で笑った。
……なぁんか腹立つよな。なんで俺らは可愛い子猫ちゃんと雄鶏がいちゃつくとこ見せられながらゲームしなきゃいけないんだ?」
赤毛の男が手元のカードから目を離さず、不満げに数枚卓上に放り投げる。
「じゃあこうしようぜ。ルースターが負けたら、卓の上で子猫ちゃんとのセックスご披露ってことで」
「いいねいいね!俺俄然燃えてきた!」
傷の男のとんでもない提案に、グリルの男がはしゃぎ出す。マーヴェリックは目を剥いた。
ーーこのままではまずい。
ブラッドリーの手は相変わらず不利だし、腰に回された手からは逃れられそうにない。半裸の美女たちは薬で濁った目をし、おかしそうにケタケタとずっと笑い続けたままだ。
ーーこの世の地獄だな。
自分の存在を棚に上げ、マーヴェリックはブラッドリーの首に回した手をそのままに、カードの手を再度確認した。そうしてわずかじんわりと眼差しに力を込める。気づかれない程度でマーヴェリックの美しいグリーンアイが、赤く染まる。
……左、スペードのクイーンを持ってる。右はーー」
ーー大嘘だけど。
セックスご披露などもちろんごめんだ。けれど、悪魔の宿命、堕落させるべきはブラッドリーなのだ。賭けに負けさせ、敗北者の屈辱を味合わせ、のち、幻影で惑わせマーヴェリックは逃げてしまえばいい。
ーーだって僕、悪魔だし。
ほくそ笑んで嘘の情報をブラッドリーの耳元に囁くーーと。
「出てるよ、しっぽ」
「ぎゃン!!!!」
急所であり、快楽の源でもある悪魔の尻尾。マーヴェリックは半人前で、油断すると角も牙も尻尾も顕現してしまう。はしたないその無意識の行動に恥じる間もなく、ブラッドリーに尻尾をぎゅぅ、と握られたマーヴェリックの全身からくたりと力が抜ける。
はふ、と熱い吐息が漏れる。
マーヴェリックはインキュバスではない。誘惑が下手くそすぎて、失格の烙印を押された半人前の悪魔だ。未だに悪魔であることを忘れ、十字架に触れ、火傷をする間の抜けた悪魔だ。呆れたブラッドリーに火傷の薬を塗られ、包帯を巻かれるような、落ちこぼれの悪魔なのだ。
けれど、その色香は地獄広しといえど類を見ない。
元大天使の天与の美貌は健在で、原罪の象徴たるその存在自体はこの世のものとは思えないほどの鮮烈さと隠微さを伴う。
あり得ない大声で鳴いたマーヴェリックに驚き、円卓の彼らの視線が何事かとブラッドリーとマーヴェリックに注がれる。ブラッドリーは見せつけるように、ぷちり、と音を弾ませて、マーヴェリックの首元のカラーから続く三十三個のボタンの3番目までを外した。
露わになる喉元と、くっきりと浮かぶ鎖骨、盛り上がった胸筋。肌は赤く染まり、わずかな汗で光るマーヴェリックの胸部に、ブラッドリーが煙草の煙をふきかけた。
「ぁ、う」
空気の揺れでさえも感じいるように、びくりとマーヴェリックの体が震え、腰帯が揺れる。雰囲気の変わったマーヴェリックの様子に、周囲がごくりと生唾を飲んだ。呆然と彼らの手が止まる。
その隙に、ブラッドリーが手を動かしたことを視界で捉えたのはマーヴェリックだけだっただろう。
マーヴェリックの胸部への視線を遮るように、ブラッドリーはカードを卓上に投げ捨てた。他の三人が我にかえり、カードを見て目を見開く。
「うっそだろ……
「あり得ねぇ……
「くっそ、生臭め!」
イカサマとて、その手の内がわからなければ、ブラッドリーの勝利に変わりはない。
ーーファイブカード。
マーヴェリックの色香に惑わされ、視線を外した先、ブラッドリーはいつのまにか最強のカードを揃えていた。
未だ尻尾を掴まれた余韻でくらりとした頭のまま、ぼんやりと膝上から、ブラッドリーの顔を見遣る。ブラッドリーはマーヴェリックの胸元のボタンを静かにはめ直し、カードのうちの一枚を拾い上げた。
「幸運の女神じゃなくて、俺には可愛くて可愛くない悪魔の加護があるんでね」
そう言ってブラッドリーは、ジョーカーのカードに口付けた。
マーヴェリックはまるで、体奥にキスをされたかのように体を痺れさせた。