net20156
2023-09-27 09:09:29
2406文字
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オタク人生相談


カレー沢薫先生のWEB連載エッセイのひとつを紹介します。
こちら、他の質問への回答も含め「カレー沢薫のワクワク人生相談」に収録されてるので興味を持たれた方がいればぜひ〜。(回し者ではないです!笑)


【質問概要】
悪役の推しが作中で悪を全うして亡くなって、その美しくて切ない死に方ゆえに推すようになりました。

けれど、その推しが原作で魂を呼び戻されてもう一度自身の苦しみに答えを見出して円満に成仏したことにすっきりできないでいます。もちろん再登場は嬉しかったですし、その二度目の死もそれはそれで美しくて切ないのですが、複雑な気持ちを捨てることができず10年経ちました。
このモヤモヤをどうしたらよいでしょうか。


【カレー沢先生の回答】(引用ここから)
オタクの世界には「公式と解釈違い」という強い言葉があります。
例えばドラゴンボールで、悟空が「ひゃあ~おめえ強えな~!オラ関わりたくねえから後は警察に任せっぞ!」と言い出したら、多くの悟空ファンが「悟空はそんなこと言わない!」と激高するでしょう。

しかし、鳥山明が悟空にそういわせたなら、それが「公式」であり、それに「違う!」と言うのは「自分の妄想を正しいと思っている厄介なオタク」ということになってしまいがちです。

しかし、現実世界でも、我々は他人に対し様々な印象を抱きます。
優しくされれば「優しい人だな」と思いますし、持っているカゴににんじん、玉ねぎ、じゃがいも、牛肉が入っている人を見かけたなら「今日カレーを作る人だな」と思うものです。
たとえそれが間違っていたとしても「他人に優しいと思わせる一面がある」「カレーを作りそうなオーラが出ていた」ということだけは事実なのです。

つまり、オタクが持っているキャラ像も、勝手な妄想というわけではなく、むしろそのキャラの一挙一動をつぶさに観察した上の「印象」なので、原作者の意図通りであろうがなかろうが、そのキャラにそういう印象を持たせる何かがあったのは確かなのです。


それが現実世界でも、例えば、真面目なマイホームパパという印象だった人が、盗んだ下着を上下揃えて自ら着用するという女子力の高い状態で逮捕された、と聞けば誰だって驚くでしょう。

そこまで極端でなくても、他人に自分の印象と違う行動を取られてショックを受けたり、逆に見直したりする、というのは非常によくあることです。
それと同じです。
オタクが公式での推しの言動に違和感を覚える、というのは、何ら不思議なことではありません。

もちろん「私の推しはそんなこと言わない」とデカい声で公式を否定して自分を正しさを主張すると戦のもとですが、「公式の描き方に違和感を覚える」こと自体は全くおかしいことではないのです。


しかし、オタクの中には愛ゆえに「作者がそう描いてるんだから」「推しのすることだから」と出されるものを全て受け入れようとしてしまう人がいます。

日本人は割とこのような「推しに甘い傾向」があり、推しが気に入らない曲を出しても「いつもと違うテイストで良い」と言ったり、クソ実写映画に出演しても「推しはやれるだけのことはやっていた」と「頑張り」を褒めはじめたりします。
そのぐらいなら良いのですが、果ては淫行で捕まっても「相手の女にハメたつもりがハメられたに違いない」と被害者を責めてまで擁護に回る者さえいます。

「ちょっとこれは違うな」と思っていても、そう思うこと自体、推しに対する「背信行為」な気がして、その違和感を封じ込めてしまうのです。

あなたが、推しに対して10年以上もモヤモヤしているのは、推しに対して「違う」と思う気持ちを封じ込めたままにしているからではありませんか。

本当は、推しは一回目の死で終わるのが最良で、「二回目はいらない」と思っているのではないでしょうか。

しかし、推しへの愛ゆえに復活や二度目の死を「蛇足」と言い切ることができず、「再登場は嬉しい」「苦しみから解放されて良かった」「二度目の死も美しくて切なかった」、そして何より「それが作者の出した答えだし」と、考え得る限りの理由をつけて、己をムリヤリ納得させているのではないでしょうか。


もうここで思い切って「二回目いらんわ!」と言い切ってみてはいかがでしょうか。
世の中には、自分の意にそぐわない展開を「公式の妄想」と言い切る強いオタクもいるのです。
あなたもあなたの中で「私の推しはあの時死んだ」と「二回目」をなかったことにしてもかまわないのです。

私も「ファイナルファンタジーX」への愛から「ファイナルファンタジーX-2」を「なかったこと」にしていますが、「X-2にも良いところはある!」と無理やり納得させようとしていたときより格段に気持ちが楽になりました。


意にそぐわないものをムリヤリ受け入れるというのは推しへの愛ではなく、ただの「推しに気を使っている」だけです。
気遣いというのは疲れるものです。忖度はやめて、自分の思ったままに自由に推しを愛しましょう。

(引用おわり)


自分も原作を読んでて、そこまで五条がアオハルに未練を残してるように見えてなかったので、今週号で
「私が思ってたより夏油のこと好きだな!?」
とは驚いたけど、じゃあ自分が原作を読んだ時に抱いた
「歌姫のこと好きなんじゃね?」
という印象が変わったかというと、それはあんまりなくて。

自分は元々
「火のない所に火炎瓶を投げ込んで二次創作を楽しむ」
タイプではなく
「煙の立ってるところに風を送り込んで火を大きくする」
タイプのオタクなので、原作を見て自分自身が「この二人、あやしいぞ?」と思わなければそもそもハマらないんですよね

なので、これからも自分の印象や感動を大事にしながら五歌を愛でたいな、と思ってます(^^)