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溶けかけ。
2024-10-19 20:57:43
1804文字
Public
ほぼ日刊
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AM9:00
「ヌヴィレット、準備は良いか
……
って! まだ何も出来ていないじゃないか!」
部屋に入ったフリーナはヌヴィレットの格好を見て悲鳴を上げた。
美しい銀髪の途中には櫛が絡まりボサボサで、ジャボは何度も付け直したためかシワが寄ってぐちゃぐちゃだ。おまけにボタンは幾つもかけ違えていて見るも無惨な姿を晒している。
「フリーナ殿
……
すまない。努力はしたのだが
……
」
無表情に見えるが、その実、落ち込んでいるらしいヌヴィレットに近づいたフリーナは目一杯背伸びをすると高い位置にある頭を撫でた。とはいえ、撫でられたのは前髪だけなのだが。
「はぁ
……
しょうがないね。もう一度教えてあげるから、良く見ておくんだよ」
「すまない
……
手間をかける」
「こういう時は『ありがとう』って言うんだ。その方が円滑なコミュニケーションに繋がるし、何より、言われた人は嬉しいからね」
フリーナはヌヴィレットの後ろに回り込むと絡まった髪を一束、また一束と丁寧に解していく。
「良いかい? まずは毛先から梳かすんだ。面倒かもしれないけど、上から梳かしてはいけないよ。絡まってしまうからね。ほら、ぼさっとしてないでメモを取って!」
ヌヴィレットが持たされたメモに注意事項を書き込む。
「何故、このような面倒なことをしなければならないのだ?」
メモを取るヌヴィレットは心底嫌そうだった。確かに、ヌヴィレットにはメモを取る必要はない。だが、それでは人のことを理解出来ないのだ。
「それもキミが最高審判官として人を裁くために必要だからさ。人の営みを知ることで人の罪を知ることが出来る
……
そうして初めて審判をする資格を得ることが出来るんだ」
鏡越しのフリーナはどこか苦しげな笑みを浮かべた。出会って数日でしかないこの神はヌヴィレットにとってはいつか裁くべき相手
――
そのはずである。彼女が苦しそうであろうが、楽しそうであろうが、ヌヴィレットにとっては自身の権能を奪った簒奪者なのだから。
「はい、出来たよ。次はジャボを直そうか」
フリーナがヌヴィレットの前に回り込み、ジャボを外し、慣れた手付きで直すとボタンをかけ直した。
「ジャボはもっと簡単な物に
……
でも、それだと見た目が悪いかな
……
?」
フリーナはぶつぶつと独り言を呟きながら腕を組んだ。彼女の癖らしい、というのはこの短い付き合いでもすぐに気づいていた。
「ヌヴィレットー。そろそろ出掛けるよ
……
ってまだ準備が終わっていなかったのかい?」
白いブラウスに青いスカート姿のフリーナは呆れた顔をした。
「すまない。少し、寝過ごしてしまったようだ」
寝間着のまま、髪をあちらこちらに跳ねさせたヌヴィレットは眉をハの字に寄せる。
「最高審判官様が遅刻なんて珍しいこともあるんだね。ほら、座って。髪の毛を梳かしてあげるから」
ヌヴィレットを椅子に座らせると同時にフリーナの神の目が輝き、サロンメンバーの三人が現れる。そのうちの一人、シュヴァルマラン夫人はふよふよとヌヴィレットに近づくと、尖った口から泡を出した。
「ありがとう、シュヴァルマラン夫人」
フリーナはジェントルマン・アッシャーから櫛を受け取るとヌヴィレットの髪を毛先から梳き始めた。
「キミに僕の助けはもう必要ないかもしれないけれど
……
少しくらい昔を懐かしんでもいいかい?」
僅かに緊張を孕んだ声にヌヴィレットは慎重に返す。
「ああ、構わない
……
君の毛繕いは嫌いじゃないのでね」
ヌヴィレットは、ほう
……
とフリーナが密かに安堵の息を吐き出したのは聞かなかったことにした。臆病な彼女に余計な警戒心を与えるのは得策ではない。
「毛繕いって
……
」
「では、他にどのように言うのだろうか?」
「うーん
……
? ブラッシングとか?」
真面目に考えながらもフリーナの手は止まらない。丁寧に櫛を通す彼女の手つきは優しく暖かい。うつらうつらと船を漕ぎそうになるヌヴィレットにフリーナが穏やかな笑い声を上げた。
「ふふふっ
……
そんなに疲れてるなら少しくらい寝ててもいいよ。終わったら起こしてあげるから」
「すまない。少しだけ
……
」
言葉が終わるより早くヌヴィレットの意識が遠のく。おやすみ、と言う見送りの声は陽だまりの中にいるようだ。
君に世話を焼かれるのは嫌いじゃない
――
ヌヴィレットはゆるりと目を閉じた。
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