来羅
2024-10-19 15:20:19
3744文字
Public ブラアレ
 

Make a wish(ブラアレ)

アレックお誕生日おめでとう!

 目が覚めたら隣にブラムの姿がなかった。
 シングルのベッドに体格のいい男がふたりで寝ていたら狭い以外の何ものでもなく、両手を伸ばしてゴロリと仰向けになれば冷たいシーツが少しだけ寂しい。
 だからといって側にいてほしいわけではもちろんない。ないのだが、いなければいないで気になるのがローランド・ブラムという男だ。
……帰ったのか」
 思わず呟けば、情事の跡が色濃く残る声は掠れ、アレックは顔を顰めて咳払いした。
 ブラムが急にやって来たのは昨日の夕方のことで、来るなら事前に連絡くらいしろと苦言を呈したアレックを黙らせるキスの荒々しさに息を乱したあとは、なし崩し的に体を重ねてあとは記憶が曖昧だ。バスルームで一回、水を飲みに寄ったキッチンで一方的にイかされて、ベッドでは何回ヤったか数える気力はなかった。
 執拗に求められて、求めて、抱き潰されたのだろう。起き上がろうにも力が入らず、ベッドに突っ伏する。
 体のあらゆる所が痛い。何度もブラムを受け入れた後孔は痺れたように熱を持ち、まだブラムが入っているかのように錯覚させてアレックの背筋を震わせた。
…………みず」
 とりあえず水だ。
 夜に囚われそうな頭の中をクリアにする意味でも冷たい水がいい。なんなら頭からかぶりたい。シャワーにするか。
 そんなことをとりとめもなく考えながらよろよろと体を起こせば、ベッドサイドにミネラルウォーターのペットボトルが置いてあった。しかもグラスを添えて。
……………………
 ブラムがやったのか。
 それ以外だったら困るのだが、ブラムがやったのか。
 恐る恐る手を伸ばす。封は切られていない。
 そしてそのときになってやっと、アレックはその違和感に気づいた。
 ガチャガチャと陶器がぶつかる音。コンロのスイッチを入れた油の爆ぜる音。バタバタと走り回る足音。極め付けは、その香ばしい匂い。
 帰ったわけではなかったのかとホッとして、ハッとして、ドキリとする。そんなはずはない。どうかしてる。
 緩く頭を振って起き上がり、冷たい床に足をつければ、少しだけ目が覚めた気がした。
 ペットボトルの水を半分ほど一気に呷る。シャツを羽織り、トラウザーズに足を通し、緩慢な動きでベルトをする間もキッチンの気配は忙しない。
 パンの焦げるような匂いと、熱ッという短い悲鳴。ジュウジュウと焼ける何かはベーコンだろうか。
 アレックの家に冷蔵庫はあれども、中身はほぼない。そういえば昨日、玄関ドアに寄りかかりアレックの帰りを待っていたブラムの足元に似合わないエコバッグがあった気がした。あれか。
 なんとも形容しがたいむずむずとした心地でベッドルームを出る。昨日と同じシャツとトラウザーズの後ろ姿。見慣れたエプロンはたまにしか使われずに棚にくしゃくしゃに置かれていたものだ。お世辞にも手際が良いとは言えない危なっかしい手つきでフライパンを揺すり、ブラムが何かを呟いている。こんなに側にいるというのにアレックには気づかない。
 『何をやってるのか』
 『俺は朝は食べない』
 『勝手にキッチンを使うな』
 『急になんなんだ』
 『帰るんじゃないのか』
 アレックの頭の中に次から次へと文句が浮かんでは消えていく。言いかけた言葉は音になる前に喉の奥に追いやられ、その結果、アレックの口をついたのは無意識で、最悪な一言だった。
「ローランド」
 呼びかけに、びくりと肩が揺れる。
 振り返った顔は間が抜けたそれで、少しだけ胸がすく思いで口角を上げる。
「おはよう」
「お、おお、おはよう! 起きたのか!」
 何作ってるんだと覗き込めば、フライパンの中で黄身の潰れた目玉焼きが焦げていた。慌てて皿に移そうとするブラムが用意されていない皿を求めて右往左往するのを笑う。先にコンロの火を消せばいいのに、優秀なはずの頭はそこまで回らないらしい。
 棚から皿を出してやる。そのアレックの動きにいちいち肩をびくつかせて、ブラムは緊張感に漲った顔で言い訳をした。もちろん、視線は合わない。
……その、腹が空いて、……私は! 朝食は、しっかり取る主義だからな!」
「そうか」
「ついでに君の分も作ってやった。食べてもいいぞ」
……そうか」
 ベーコンを添えた目玉焼き。ミニトマト。イチゴジャムを乗せたトースト。インスタントのコーヒー。
 アメリカンテイストな朝食はアレックの胃にとっては正直重い。けれども何を言うこともできずに黙ってテーブルに着く。
 日頃は大声で絶え間なく喋り続ける男は、こういうときに限って静かだ。いや、こういうとき、だからなのか。
 ブラムの突然の来訪も、予期できない奇行も、思い当たる節が全くないわけじゃなかった。だからといって。
(お前はそういう人間じゃないはずだろう?)
 そういう関係でもない。
 ただ、気まぐれに会って、体を重ねるだけの、不毛な。
…………甘いな」
 ジャムを乗せたトーストをひと齧りして、ブラムが苦々しく呟く。
 甘いイチゴの匂い。
 甘い。
 甘い。
 甘ったるい。
 こういう空気は苦手だ。
 ブラムに倣ってフォークを手にする。ミニトマトに突き刺して口に運べば、至って普通のトマトは甘酸っぱい。
 眉間に皺を寄せたまま、今度は黄身が潰れて中までしっかりと火が通った目玉焼きを口に入れると、ガリッと殻が音を立てた。よく見れば、ベーコンは端が黒焦げだし、コーヒーはやたらと色が薄い。それでもアレックは何も言わなかった。
 ガリガリとあり得ない音を立てる目玉焼きを咀嚼して、薄いコーヒーで流し込む。なんの味付けもされていないのだが、ベーコンの塩気で美味しくないこともない。
 そうして奇妙に押し黙るブラムと向き合って黙々と機械的にトーストを口に運びながら、そういえば共に食事するなど初めてのことだと気づいた。
 元々会話が弾む相手ではない。誤魔化すように酒を呷ることはあれども、たいていは軽口を叩いて遠いだの何だのと文句を言いつつ、することはひとつだ。わざわざイギリスまでこんな貧相な体を抱きに来るブラムの本音は知らない。知りたくない。それに付き合ってやっているという体で、ブラムが来るという連絡があれば残業もそこそこに帰る自分もまた随分と酔狂なことだ。
「何時のフライトだって?」
「十二時」
 本当にどうしようもない。
 一晩アレックを好きにする代わりに、あのビジネスパートナーにどれだけ負担を強いてきたのだろう。
 たった一晩。
 ブラムの、何人いるかは知らないセックスフレンドのひとりとして選ばれただけだ。
 何をしに来たのかと、問うてはいけない。
「もう時間がないな。そんな悠長に食べてないで急げ」
「せっかくの君との食事なんだから、ゆっくり」
「それは次に」
 急きたてるように空になった皿を重ねる。残り一口になったトーストを口に放り込んでブラムを見れば、呆けた顔がアレックを見ていた。
「なんだ」
「いや……なんでも、」
 ごにょごにょと語尾を濁したブラムが、めいいっぱい残りのトーストを口に押し込む。リスみたいに頬を膨らませる姿はなかなかに可愛げがあった。どうかしている。
 本当に着の身着のままでやって来たらしいブラムに荷物はなかった。それでももたもたと帰る素振りでスマホをチェックするものだから、アレックはどうすることもできずに時計の針を見つめる。
 ──早く帰れ。
 いつも言えるその一言が出ないのは、いつもとは違うブラムのせいだ。
「アレック」
 ため息と共にスマホを内ポケットにしまい、ブラムが立ち上がる。
 ──帰るな。
 その一言も、もちろん言えない。言っていいはずもなかった。
「また来る」
 ひらひらと手を振るブラムは、もう振り返らない。それが、なぜだか無性に腹立たしくて、だからそれは、ほとんど考えなしの行動だった。またもや最悪で、本当に最悪な一手だ。
「ブラム」
 ポケットに入れたままだったこの家の鍵を投げたアレックに、振り返りざましっかりとキャッチしたブラムが、手の中を見た瞬間、大きく目を見開いた。
……昨日みたいに玄関で待たれると困る」
「わ、私にか?」
「家の中を勝手に漁るなよ」
「当然だ! 私を誰だと思ってる!」
「サプライズも好きじゃない」
「!」
 ブラムの瞳が小さく揺れた。
 伝わっただろうか。
 アレックが、ブラムの真意に気づいていることも、そうであってほしいと思ってしまったことも。すべて。だから。
「でも、今朝のは、悪くなかった」
………………アレック、」
 素直に礼を言うには気恥ずかしくて、付け足しのように告げたアレックに、ブラムが叫んだ。
「アレック・ハーディ! 今すぐファックしたい!!」
「帰れ!!!」
 ブラムはもういつものブラムだ。
 安心して、我に返って、アレックは顔を顰める。
 これでいい。これがいい。こうでなくては。
 ただの不毛な関係。
 ただの──。
「何か良いことでもあったの?」
 数時間後、エリーにそう言われるくらい上の空になっていることを、アレックはまだ気づいていない。