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とはり
2024-10-19 03:18:04
4394文字
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ひめこは
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泡沫 幕間
瞬祭礼 泡沫/第四話から第五話の余白の話想定のひめこは
ぎくしゃくして見失ってしまった距離感を強引にでも取り戻していくシーンがあったかもしれないと思った
弟に姿を重ねてしまうくらい肩入れしている桜河が目の前でぶっ倒れたのはHiMERU(兄)にとってかなりショックな出来事だったろうなぁと思いを馳せたりした
──顔が視界に入るだけで息が詰まる
言葉にした途端、視界が勿忘草色ごとぐにゃりと歪んだ。息ができない。いくら空気を吸い込んでも肺まで届かず、息苦しさが加速していく。なんで。どうして。吸えば吸うほど苦しくなってくる。パニックになって呼吸の仕方を思い出せなくなる。自分の周りから空気がなくなってしまったみたいだ。
近くにあったHiMERUの腕を反射的に掴むが、立っていられなくなって膝から崩れ落ちた。指先が痺れて手足の感覚が薄れていく。死に似た感触に怯えて必死にもがくけれど、沼の中にいるみたいにもがくほど深く沈んでいくようだった。
耳が外から塞がれたように音が反響する。HiMERUが張り上げる声も歪んで聞こえて、途方もない孤独感に襲われる。目の奥で光と闇が交互に爆ぜる眩暈のような感覚の中、目の前が暗転して意識が途切れた。
病室で目を覚ました時にHiMERUはそこにはいなかった。燐音とニキの案内を終えた後、身を引くのは当然と言わんばかりに静かに去っていく背中を想像して拳に力が籠った。
「体調が回復したなら帰る?」と主治医があっさりと退院許可を出したため、その日のうちに入院生活から解放されることとなった。着の身着のまま運ばれた上に、お見舞いのフルーツは残り全部をニキが平らげていたので支度もほとんど必要なかった。退院の手続きを手際よく終えた燐音と共に病院の裏口から出ると、先に出ていたニキとHiMERUの姿があった。ニキの背中に隠れるようにひっそりと立っているHiMERUに気づき、胸がちくりと痛んだ。まだ完全に元通りとはいかないらしい。
「ンじゃ、みんなで仲良く帰りますかァ。こはくちゃんの退院祝いも兼ねて飯食って帰ろうぜェ」
「そんな大袈裟な
……
。お見舞いのフルーツで結構お腹張っとるんやけど」
「なはは。フルーツ美味しかったっすね~」
「な。メロンもよう熟れててジュースみたいに甘かったわ」
話しながら、燐音が病院の裏手に手配していた社用車に四人で乗り込む。HiMERUはこはくが座席に腰を下ろしたのを見てからその真後ろに座った。体を大きく捻らなければHiMERUの顔を見ることができない。一週間以上べったりと行動を共にしていた姿が隣にいないのは正直少し落ち着かなかった。
車が走り出して窓の外の景色が後ろに流れていく。ガラス越しに辛うじて見えたHiMERUの顔は窓の外を遠く見つめていて、思い詰めているようにも見えた。
カフェシナモンで食事をして、寮に帰ってくるまでHiMERUとは言葉を交わさなかった。燐音やニキから話しかけられてもいつも以上に適当な相槌ばかりで、上の空という感じだった。PBBの熱狂的ブームを収束させるための戦略を練っているのかもしれないと考えて、あえてこちらから声をかけることもしなかった。
ニキが燐音に引きずられて寮内に消えていくのを手を振って見送る。すっかり日は落ちて辺りは薄暗くなり、敷地内の外灯の明かりが目立つようになってきていた。
二人きりになってなお、ぎこちなく距離を保って立っているHiMERUに痺れを切らして単刀直入に声をかける。
「なぁ。何でそんな遠くにおるん。もしかしてまだわしに気ぃ遣っとん」
「
……
」
HiMERUはばつが悪そうに地面に視線を落とした。どうやら図星らしい。
「もう気にせんでええって。そんな風に距離を置かれると寂しいわ」
「本当ですか?」
食い気味の返事と共に一瞬で距離を詰めてきたHiMERUに手を握られる。顔を覗き込まれて、目の前の視界を埋める端正な顔立ちに反射的に仰け反る。心臓が飛び跳ねるように強く脈打った。
「うわっ! 今度は近いっ、ぬしはん極端やなあ
……
」
「すみません
……
」
動揺で乱れた鼓動が戻らない。心臓のあちこちがばらばらに動いているようで、胸の奥が詰まったような痛みを訴えだす。まずい。もう平気だと思ったのに。
背筋が冷えていく感覚に、自分の意思に反して体が強ばってしまう。無意識にきつく結んでしまった唇を、HiMERUが見逃すはずはなかった。
「
……
無理をしていませんか?」
ちがう、と言いたかったのに喉に蓋がされたように声が出なかった。一週間以上一緒にいた香水の香り、温度、色。そこに紐付く記憶。求められることとやりたいことの狭間で引き裂かれそうになった心の痛み。掴みとったはずの自由を奪われたような苦しみ。HiMERUを傷つけた言葉。それらが一斉にフラッシュバックして呼吸が逆流した。目の奥から暗闇が迫ってくる。半日前に襲われた恐ろしい感覚が蘇って強く目を閉じた。
HiMERUの手に包まれた指先から徐々に体温が抜けていく。呼吸が浅くなりはじめ、息を吐くことに神経を集中させた。
「桜河
……
」
俯いたまま口をひらけないでいると頭上からHiMERUの掠れた声が降る。諦めたように引き下がろうとする手を咄嗟に握っていた。
「っ、あかん。今、離したらあかんよ」
HiMERUに向けた言葉は自分に言い聞かせるものでもあった。離れないでほしい。離したくない。離してはいけない。きっと、今この手を離したらもう二度と戻れない気がする。この手をほどくことだけはダメだと思った。
「大丈夫
……
。大丈夫やから」
辛うじて押し出した声が地面に落ちる。誰に向けて言葉を吐き出しているのか分からなかった。この人の前でもう二度と倒れてはいけない。それだけは確かに分かることだった。
もう一度深く息を吐いて、手がほどけないように指を絡めて握り直した。
薄く目を開くと、視界には倒れまいと地面に足先を食い込ませる自分の靴と片足を半歩引いたHiMERUのつま先が見える。その間を隔てるように暗い影が差している。深い穴のようなその闇に引きずり込まれてしまいそうになって意識が揺れた時、一方的に握りしめていた手を握り返されて、弾かれるように顔を上げた。
見上げた先に月のようなあえかな光を見た。HiMERUの眼差しだった。
朧月よりも淡い光。悲痛で怯えたようなその色の奥にはこはくを案ずる優しさが灯っていた。
途端に目の奥が熱を帯びて零れそうになる何かを唇を噛み締めて堪える。それでもどうにもたまらなくなって、目の前の体温を夢中で引き寄せた。
こはくがHiMERUを傷つけたことを悔いているように、HiMERUもまたこはくを追い詰めた罪悪感に押し潰されそうになっていた。
離れるべきか寄り添うべきか距離を測りかねているうちにこはくに退路を塞がれてしまったのだ。逃げられないと悟ったのかもしれない。躊躇いがちに握り返してきた指先は冷たくて、HiMERUが戸惑いと葛藤の中を彷徨っていることが手に取るように分かった。
胸に顔を埋めるとラストノートの甘い香りがツンと痛む鼻の奥を癒すように通り過ぎる。やさしくてあまい香り。そう。HiMERUはいつだってやさしかった。
衣装が上手く着れない時も、ステップのコツが掴めない時も、ライブ前の緊張感で心が落ちつかなかった時も、話題のスイーツを一緒に食べたいと思った時だって。その顔を探して、見つけた時はいつだってHiMERUはやさしく迎え入れてくれた。
思い出のページをめくっていく度に、心にかかっていた靄が少しずつ晴れて視界が開けていくようだった。
いつの間に、どうしてこんな風に拗れてしまったんだろう。
愛がこんな風に自分の手足を縛るとは知らなかった。息ができないほど肺を締めつける茨の鎖になるなんて知らなかった。
こはくもHiMERUもそれを取り巻く大勢の観衆も、誰もみな愛と信念の剣の扱いが分からず闇雲に振り回していた。それがたまたま近くにいた自分たちに触れてしまっただけ。散った火花に当たって少し火傷をしただけ。未熟な刃を振りかざした故の、避けようのない事故のようなものだった。
傷を追い、炎に身を焼かれたとして、積み重ねた思い出までもが切り刻まれ焼き払われるわけではない。分かっていたはずなのに、一番新しい傷が訴える新鮮な痛みに囚われてしまっていた。
ずっと自分を暖かく包み込んでくれていた香り、声、体温、色。HiMERUのほほえみ。
それを思い出すと強ばっていた体がほどけていく。余分な力が抜けて呼吸がすっと楽になった。肺が正しく膨らんで、自分の鼓動が全身に血液を運んでいく感覚を取り戻す。痛みの伴っていた記憶をやさしい光が塗りつぶして上書きしていく。
「もう平気や。おおきに」
体を離して笑って見せると、HiMERUの瞳にもあたたかな光が戻っていた。
☆
翌日。PBBのイベントについて相談したいことがあるとHiMERUから連絡が入り、暇を持て余していたこはくはHiMERUを部屋に招き入れた。差し入れのおはぎと淹れたてのお茶をテーブルに並べ、HiMERUの隣に腰かける。
お茶を一口飲んで喉を潤したHiMERUは早速本題に入った。
まず、HiMERUがPBBのイベントを企画していること、そしてそのイベントがPBBの活動休止発表の場であることを聞かされた。HiMERUの様子から薄々気づいてはいたし、こはくもその方がいいと思っていた。大勢の人々を巻き込みながら膨れ上がってしまった熱は自分たちの手に余る。今度こそ取り返しのつかない事態になる前に安らかに眠らせてあげるのがいい。
HiMERUの思惑に賛同すると、ほっとしたように息を吐き、続けてイベントの概要とステージの構成について丁寧に説明をしてくれた。端末に共有された企画案に目を通すが、ほとんど完成されていて口を挟みたい箇所もほとんどなかった。たった一日でここまで作り上げられるものなのかと感心する。
一通りの説明を終えるとHiMERUは居住まいを正した。わずかに緊張感を纏ったHiMERUに無意識ながら身構える。
「
……
瞬祭礼では露骨なファンサービス、つまり桜河とHiMERUで距離の近いファンサービスをすることになると思うのですがどうですか。
……
できますか?」
こちらの反応を窺うように見つめてくるHiMERUの表情は固い。なんだ、そんなことか。肩の力が抜けた。
「できますね?」と念押ししてくれても構わないのに、こはく自身の感情を尊重してくれる。さすがに甘やかしすぎなんじゃないかと思う。けれど悪くはない心地で、胸の奥で沸き起こった泡の弾けるような感覚が少しくすぐったくて口の端が緩む。
ソファーに置かれたHiMERUの拳にそっと手を重ねた。
「そんな顔せんといて。大丈夫やから。ちゃんとHiMERUはんの目を見て言えるよ」
はちみつ色の瞳を真っ直ぐ見つめ返すと、HiMERUは照れたように眉を下げて微笑んだ。
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