DoubleFaceはパフォーマンスを終えるといつも別々の袖口から捌ける。自分達が希望したわけではない。おそらく誰が決めたわけでもない。どの演出家に任せても自然とそうなった。クールでミステリアス、馴れ合いの少ないユニット。どうやらDoubleFaceにはそういったイメージが定着しているらしかった。
別れて退場したところでどうせすぐに合流することになるんやけどなぁ。そう思いながらこはくは客席の拍手に送り出されてひとり舞台の袖をくぐる。
ステージを降りてすぐ、反対側が騒がしくなる。斑がその場にいるスタッフみんなに握手を交わしながら労いや礼の言葉をかけているのだ。ライブ後の斑の周りには人の輪が出来ることが多く、彼がどこにいるか探さなくても居場所が目や耳に入ってくる。こはくは出迎えてくれたスタッフに丁寧に感謝を伝えながら、その輪に混じって斑やスタッフと言葉を交わし合うこともあれば、談笑を楽しむ斑に気を遣って先に控え室に戻って彼の帰りを待ってから、労いの言葉を交わし合うこともあった。その場合、談笑の輪の横を通る時に「こはくさぁん」と大きな声で呼び止められて結局は輪の中に引きずり込まれてしまうことも多いのだが。その時はその時でこはくも斑ともにスタッフ達と労いや談笑に耽ることにしている。
売り出しているイメージからは少しズレた和気藹々とした舞台裏。それがDoubleFaceのライブ終幕後のお決まりの形だった。
けれど、今夜は少しだけ違った。終幕後だけではない。思えばステージの上にいる時から斑の様子は少しおかしかった。
ライブの締めのトークで斑は「愛してるぞお!」なんて甘い言葉を恥ずかしげもなく観客に投げて、返ってきた割れんばかりの歓声に嬉しそうに表情を溶かす。ミステリアスが売りのはずのDoubleFaceのスタンスはどこに行ったんだ、と高揚した斑の横顔に苦笑していると、不意に視線が合い、斑の表情がまたひとつ輪郭を溶かした。蜃気楼のように輪郭を揺らめかせる瞳に、斑がいかに高揚しているかが伝わって、視線を介して同じ熱が伝播しそうになる。
今夜のライブはひときわ熱っぽかった。ステージの上で視線と声を混ぜ合わせながら、息のあったパフォーマンスを披露する内にひとつに溶け合ってしまいそうな感覚にすら陥った。ファンサービスの一環として演出されがちな、体に触れて絡め合うような振り付けもないユニットスタンスでありながら、ステージライトと観客の熱視線を浴びて、互いの輪郭がぼやけて境界線が滲んでいくような瞬間があった。危うい陶酔に身を委ねながら万雷の拍手と共に幕を下ろした舞台を降りるやいなや、こはくは逆サイドへと急いだ。心地よい疲労感と高揚で満ちた体を引きずって、窮屈な衣装を脱ぐことも忘れたまま、いつもより注意深くそして足早に斑を探す。今日ばかりはこの高揚を分かち合いたい気分だった。
恒例の人集りは早々に解散になったようで、こはくがたどり着く頃にはいつもの賑やかさは既に霧散していて、耳を澄ましても斑の声すら聞こえない。
いつもなら探さなくても向こうからやってくるくせに、こちらが探している時に限って見つからない。斑の気まぐれに翻弄され、焦れる思いに唇を噛んだが、本人も常々口にしているように、大きなシルエットはそれなりに目立つ。その彼が舞台を降りてやや進んだ奥の暗がりの隅でぽつねんと立っているのをこはくが見つけるのにそう時間はかからなかった。
「斑はんっ」
撤収作業に奔走するスタッフの間を縫うように斑の背中へと駆け寄って声をかける。
声に反応しゆらりと振り返った斑の顔にこはくはギクリとした。深緑の目を爛々とギラつかせて、その下の頬は上気してほんのりと色づいている。斑にしては珍しく呼吸が浅かった。
肉食獣が獲物にかぶりつく前の顔だ、と直感が走って、ビリビリとした刺激がこはくの肌の表面を舐めていった。
こはくの姿を捉えた瞳の中の新月がゆっくりと開いていく。夜底に呑まれるような本能的な恐怖に、斑の目を見つめたまま一歩後退る。斑から距離を取らなくてはと、ほとんど反射的な行動だった。
こはくが身を引いた瞬間、その身体を逃がすまいと斑が腕を伸ばす。ぬうっと一気に眼前まで伸びてきた手を、半身で構えていたこはくは間一髪で避けた。鼻先を掠めた指先が生んだ空気の鋭さにぞっとする。あの腕に捕えられたらどんな目に遭うか分かったものではない。
「っ、やば……」
一度は運良く躱せたものの、咄嗟のことで体勢を崩した先をあっけなく捕えられて、大きな両腕にぎゅうっと抱き締められる。強く引き寄せられ、斑の分厚い胸と強靭な腕の間に挟まれた衝撃で「ぐぇ」と潰れた蛙のような呻きが喉の奥からこぼれた。
(あぁ……もう、さいあくや……)
逃れようと抵抗してみるが、両腕が体に密着した状態で腕の中に閉じ込められてまるで身動きが取れない。
直感していた嫌な予感はすぐに現実のものとなった。
初めに、斑からほど近いこはくのつむじに柔らかな唇が触れた。それから額、瞼、鼻先、頬、耳、首筋。見えている肌全部に口付けられていくが、こはくはなす術なく受け入れるしかない。斑に抱き締められている体は、枷でも嵌められているのかというほど動かないのだ。
斑は時折熱の籠った吐息でこはくの肌をくすぐるだけで、一言も発しない。普段から喋るなと言っても喧しいくらいに言葉をぶつけてくる斑が無言だと、何を考えているのかいつも以上に分からなくて戸惑う。
「斑はん、っん、まだらはん、もう離してって。なあ~!」
汗でべたべたに濡れている自分の肌にも構わず斑の湿った唇が触れてくる居心地の悪さに、離れるよう呼び掛けるが、聞こえてないのか解放する様子は微塵もなく、斑は無言のまま唇をよこし続ける。
そのうち、体に巻き付く手のひらがこはくの手を探り当てた。グローブと袖の間の肌をすりすりと甘えるように撫でられて、くすぐったさに体が弛緩する。握り締めていた拳が緩んだその隙間に斑の指が滑り込み、こはくのそれに嬉しそうに絡み付く。指の間を舐めるように擦られる感触に背中がぞくりと震えた。二枚分の布を介して擦り合わされる感触は不思議な倒錯感をもたらす。
「ひ……っ!」
手の感触に気を取られていると、べろり、と首筋を肉厚な舌で舐められて思わずひきつった悲鳴をあげてしまう。こはくの脳内が沸騰したように一気に熱を上げた。
あまりに度が過ぎている。早く止めなければ本当に食われてしまうのではないか。密着する体温と湧き上がる焦りで汗が滲むが、それすら生まれた途端に斑の舌に掬われる。汗を舐めとられる羞恥に、目の奥が熱をもつ。これ以上はまずいと本気で斑の腕を振りほどこうともがくが、斑の力は増すばかりでびくともしない。手は斑にしっかりと握り込まれてしまっていて振りほどける気配もない。ライブ終わりの体だというのに一体どれだけ体力が有り余っているというのだろうか。
「おい! こらっ、ええ加減に……っんぅ」
唯一自由の効く口で抗議すると、うるさいと言わんばかりにとうとう唇まで塞がれてしまう。大きな口に隙間なく覆われてしまって呼吸も言葉も奪われる。鼻から空気を取り込むのが精一杯で、酸素を求める度に鼻から抜けていく自分の喘ぎに羞恥が煽られて頬が燃えるように熱くなる。懸命に呼吸を繰り返すが、奪われる量が圧倒的に多い。徐々に体の中の酸素は不足していき、ほとんど溺れているのと大差なかった。苦しくてたまらないのに、舌で唇を撫でられる感触に背中から頭の先までぞくぞくとした感触が這い上がってくる。斑が絡めた指を更に強く握り直した。逃げられないと悟った体からどんどんと力が抜けていく。瞼が重く下がって膜の張った視界が細く狭まっていく。
自分がどうしてここにいるのか、何故こんな目に逢っているのか。斑が与える湿った熱も、断続的にこぼす吐息のおとも、なにもかもがとおくぼやけていく。
酸欠で徐々に意識が霞み、ライブの後でくたくたに疲れきっていたこはくは、意識を保つ気力を放棄した。
かくん、とこはくの体が力が抜け落ちた動きで唇が離れ、そこでようやく斑の意識が現実に戻ってくる。高揚感に揺蕩っていた意識をゆっくりと地に降ろし、腕の中の存在に目を向ける。自分の胸にくったりと体を預けているこはくにようやく焦点が合うと、斑は不思議そうに目をまんまるにした。
「こはくさん……?」
久しぶりに発した言葉はか細く頼りない音だった。ゆさゆさと腕の中の体を揺らすと気だるげに瞼がゆっくりと持ち上がる。
「おどれぇ、ほんまええ加減にせぇよ……」
潤んだ瞳でキッと睨むこはくに安堵したように破顔した斑はこはくを抱えて、スキップでもするような足取りで二人に用意された楽屋へ消えていった。
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