レンガの中の土をほじくり返して白に染まった地面の上に捨てる。純白を汚す泥の色は降り続ける雪の白にあっという間に覆われて、汚された事実などなかったかのように、全てが白く染まっていく。
まどろっこしくなってレンガ製の鉢植えをひっくり返すと、ごろりと小ぶりの玉ねぎほどの球根が転がり落ちる。そこから伸びる茎には数枚の葉が辛うじてくっついているだけで、かつて咲いていたであろう花びらはすっかりと色褪せて枯れてしまっている。伸びた根に絡まる土をはたくと砂埃が舞って鬱陶しかった。
『氷結の死神』が飽きて捨てた花のひとつ。保存のために凍り漬けにされていた花を覆っていた氷が溶けて、それからしばらく放置されていたのをたまたま見つけてしまった。腐って虫が湧くのは困るため、第一発見者となった私がこうして仕方なく片付ける羽目になっている。
『氷結の死神』は氷の中の永遠を恍惚と語る割に飽きっぽい性格にあるようだ。自身の氷で永遠に留めたいと抱いた初期衝動を忘れると途端に彼は対象への興味を失い、術を解いて捨て置くことが少なくなかった。この花も数多あるそのひとつに過ぎず、ご丁寧に鉢植えごと凍らせていたものだから処理に時間がかかって仕方がない。
黙々と作業のように動かしていた手元に突然、影が差した。
「ハーデイ? 何してるんだこんなところで」
頭上から掛けられた声に顔を上げる。鬱屈したモノクロの世界には似つかわしくない桃色が風に煽られて揺れていた。反射的に視線を向けたが、目で確認しなくても誰かは分かっていた。私をハーデイと呼ぶ者はこの世界に一人しかいないのだから。
「少年か。知人が枯らした植物を処分しているんだ」
「処分、って。捨てるってこと?」
頷くと私の手元を覗く少年の目がまじまじと凝視するように細められる。
「それ、死んでるのか」
淡々と吐き出され地面に落ちた声にゾッとした。ライラック色の瞳の奥には哀しみの色などはなく、普段通りの淡然とした色をしていた。死に対し動揺する素振りのない少年に少なからず狼狽えた。生き物の根付かない環境下で育った彼にとって動植物の死骸は日常の一部なのかもしれない。どうやら私だけが死に敏感になっているらしかった。
「……どうだろう。今は眠っているだけで土に戻せばもう一度花を咲かせるかもしれない」
当たり前に死を受け入れる少年の諦念を打ち消したくて、ぽろりと口に出していた。
植物の球根は休眠すると以前に聞いたことがあった。これまでは使い道のない知識だと思っていたが、今はそれに縋りたかった。死んでいるように見えるから無価値なのだとは思いたくも思ってほしくもなかった。
途端にばつが悪くなって地面に廃棄した球根を拾い上げる。少年の一言で意思が揺らいでしまう。最近、そんなのばっかりだ。
自嘲する傍らで、希望で包んだ私の言葉を聞いた少年は目を煌めかせた。
「花? そこから花が咲くのか」
突然に瑞々しさを増した瞳で問いただすように身体を寄せてきた少年に気圧されてこくりと頷いた。
「花はそんなに珍しい?」
「ああ。この町の気候じゃ植物はまともに育たないから、花なんてほとんど見たことがないよ」
「育ててみるか?」
「出来るのか!?」
好奇心を溢れさせる少年にこぼしてしまった言葉で彼の瞳が一層に輝きを増し、少し後悔した。雪の降りしきる厳しい気候に生死の分からない球根。芽吹く見込みは低く、それを分かっていながら提案してしまった。期待に満ちた彼の表情を曇らせてしまう可能性の方が高かった。
けれど、すっかりその気になってしまっている少年にやっぱり止めよう、とは言えなかった。植物の育成について書かれた本を探すため、私は少年と共に教会の中へ入った。
書庫へ向かう前に少年へ球根を預けたが、その時に触れた手が凍えるように冷たくて呆れ返る。防寒具を身につけるように忠告する私の言葉はいつになっても聞き入れられる様子がない。「生まれた時からこの寒さの中で生きてるんだから平気だよ」とへらりと笑って返す少年の赤らむ鼻先を見ながら、暖簾に腕押しだと閉口するのが常だった。
広間に少年を待たせて書庫から適当な本を幾つか見繕って戻ると、少年は球根を膝に乗せて私が用意したホットミルクを冷ましながらちびちびと啜っていた。私の姿を見つけるなり嬉しそうにまなじりを緩めた少年の隣に座り、頁を開きながらその内容を読み聞かせた。
方法が分かれば後は実践するのみで、書物を参考に植木鉢へと球根を植え直す。植木鉢は元々この球根が植えられていたものを再利用することにした。捨て置かれていたものなのだから『氷結の死神』に了承を得る必要もないだろう。
再び外に出て、厚く覆う雪を掻き分けて姿を見せた土を掘り起こし掻き混ぜて、柔らかくした土を鉢へ注ぎ入れてその中に球根を埋め込んだ。
「咲くといいな」
両手で植木鉢を抱えて箱庭の土を期待の眼差しで見つめる少年の指先は冷気に晒され再び赤く悴んでいたが、緩んだ唇から吐き出される息の白さは興奮で濃さを増していた。
その日から少年は、祈祷のついでに球根の様子を見に行くようになった。陽射しの当たりやすい教会の窓辺に置いた鉢だったが、数日経っても芽吹く様子はなく、それでも少年は沈黙した土を飽きることなく見つめ続け、時折何やら声をかけていた。以前読み聞かせた手記に記されていた『植物に話しかけると喜んでいるのか花を綺麗に咲かせるようだ』という言葉を真に受けている様子だった。痛々しいほどの純真さが私には眩しかった。
土を眺め終わると今度は書庫の書物を手にとって長椅子に座り、どんな花が咲くんだろう、と同じ本を何度も往復した。ただの紙切れが少年の熱心な視線を一身に受けていることが何だか面白くなくて、雪町育ちの白い頬を指先でつついた。頁から離れた少年の純粋な眼が私の姿を映して溜飲が下がる。
「どうかした?」
「もう外が暗くなる」
「わっ、もうそんな時間なのか。つい夢中になっちゃった」
照れくさそうに笑う少年につられてつい口角が緩む。
帰らなくちゃ、と腰を上げる少年へ「ずっとこのままいればいい」と言いかけて開いた唇を引き絞った。彼を引き留める資格など私にありはしない。時間切れになる前に彼の魂を摘み取る使命のある、いわば彼の命を狙う死神なのだから。限られた時間でのみ成立する関係に永遠を求めることは許されない。
理解していながらも沸き上がってしまう名残惜しいような心地は自分ではどうしようもなかった。
頁を彩る花のどれが咲くかは私も知らない。けれど、その中のどれが咲こうとも君が光を宿す瞳の美しさには敵わないよ。なんて。そんなことを口にするわけにもいかず、今日も遠ざかる背中を見送った。
とうとう、芽は出ないままにタイムリミットが訪れてしまった。『断罪の死神』として少年の魂を刈り取るその瞬間。その直前まで少年は世話を焼いた鉢を見に行っていたが、相変わらず沈黙したまま少年に応える様子はなかった。
「多分、あんたはずっとあのまま眠っていたかったんだよな」
鉢の縁を指でなぞりながら、少年は最後まで土の中に話しかけ続けた。
「起こそうとしてごめんな」
眠る赤子を慈しむように、濡れた土の表面を優しく撫でて目を伏せる彼の横顔に胸が痛んだ。後悔が身体の隅々までに沁みて痛みを生む。
その後最期に掴んだ少年の指先からは暖かな土の香りがした。
少年の魂を導き、覚束ない足取りで教会の奥へとどこへともなく歩いた。視界に明かりがちらつくのを受けて、無意識に窓辺へ辿り着いたことに気づく。ぽつんと置かれた鉢植えの中に視線を遣って、自分の目を疑った。
浅緑の芽が荒んだ土をささやかに押し上げて顔を覗かせていたのだ。
「どうして今更……っ」
沸騰したように頭に血が上って唇を強く噛み締めた。沸き上がる激情のままに鉢植えを掴んで振り上げるが、懸命に土を破って持ち上げる健気な緑が芽吹くそれを振り下ろして地面に叩きつけることはできなかった。新芽の殊勝な姿が少年と重なったとでもいうのか、はたまた彼との思い出が根を張った土の塊を壊すことを恐れたとでもいうのだろうのか。
少年を葬ったこの手でこれ以上躊躇うことなど在りはしないのに。
力なく腕を降ろすとそのまま身体の力も抜けきって床に膝をつく。手元の土の箱には豆粒にも満たない緑色、目を覚ました命がそこにあった。
「……」
芽の上に重々しく覆い被さる土を爪先で軽く払ってやると葉は嬉しそうに体を揺らした。
毎日仕事の合間に様子を見に行き、少年の代わりに水やりを続けた。雪が止んで、寒さが和らいできた頃から、芽はその緑をゆっくりと時間をかけて伸ばしていった。
やがて、空に向かって伸びていた緑の先端が膨らみをつけ始める。繭のようにその内部に鮮やかな生命を湛え、殻を破る時を待つ蕾は期待に逸る胸中を視覚化するかの如くみるみる膨らんでいった。
蕾を割いてようやく姿を現した花びらな滑らかな白だった。控えめに開いて頭を垂れる花びらは、教会で祈りを捧げる人の姿に似ていた。あるいは誰かが流す涙のようでもあった。
いずれにしても、念願の花を見つめて浮かんだ感情は綺麗だとか可愛らしいだとかそういう類いのものではなく、今ここに少年がいたならどんな顔をしただろうと、ただそれだけだった。
咲いた純白の花を掬い上げるように支えて鼻先を寄せる。新鮮な花の香は久々だった。鼻腔をくすぐるささやかな甘い香りは少年との思い出のように私を優しく包み、薔薇の芳醇なそれよりも何倍も馨しく魅力的に思えた。そのまま、誘われるように唇で触れるとしっとりと滑らかな感触が伝わる。指先で触れた彼の頬の手触りと重ねると、目尻から熱をもった雫がこぼれ落ちた。
長い時間をかけて開いたにもかかわらず、花はあっという間に朽ちていき、足元に小さな種子をいくつか遺していった。それを拾い上げて、別の鉢へ植えていく。枯れた花の根本を掘り返し、取り出した球根は力を入れると崩れるようにあっけなく割れた。割れたことで数の増えたそれも柔らかく解した土の中へ再び植え付けた。
親と同じように花をつけるものもあればそれまでに枯れていくもの、芽すら出ないものもあった。同じ見た目の種子や球根が多様な経過を辿ることへの関心が、凍っていた心を少しずつ揺り動かし、思い出に遺された花を育てることに執心していった。そうして少年との思い出を花へと昇華させていくことが哀しみに囚われた自分への慰めとしていたのかもしれない。
鉢の数が不足し室内に収まりきらなくなるのにそう時間はかからず、溢れた花を今度は教会の外の土へと植え替えた。
土に関しては『墓守の死神』が詳しかった。
「花か。植物はいいね。土を媒介にして命を循環させていくから」
外で土を弄る私を見て意外そうにしながら『墓守の死神』は静かに言葉をこぼす。
「朽ちた身体を土に還してそれが栄養となり、土地を豊かにしていく。死が確かな意義をもつんだ」
珍しく饒舌に語りながら彼が案内してくれたのは、教会の外れにある小さな森だった。人々に忘れ去られ、長年人の手を離れた場所ではあったが、彼によるとここが花の育成に適切な土地らしい。頻繁に言葉を交わす仲でもなく掴みどころのない死神だったが植物に好意的なのは本当らしく、頼んでもいないのに骨の折れる植え替え作業を手伝ってくれた。
黒い雪が明けたこの土地は元々植物が育つのに適した環境だったらしい。私が熱心に手を掛けなくても花は瞬く間に外の世界へその色を広げていった。
そうして、季節をいくつも繰り返すうち、かつて草木が好き勝手に生えていわば荒れ放題だった木立には、視界を埋めるほどの花畑が出来上がっていた。木漏れ日豊かな草地に広がるそれを少し離れた木の陰から視界に収める度に、達成感と虚しさが体の中心で渦巻く。
風に揺れる白はかつてこの町を覆っていた分厚い雪を思い出させるが、吹く風は当時と異なり、穏やかに甘い香りを運んでくる。春の訪れを告げる風に気持ち良さそうに体を揺らす花々が愛おしいのか憎らしいのか、自分の心すら見失ってしまった。
どこで噂を聞き付けたのか、町外れの寂れたこの場所へ時々人の足が伸びるようになった。誰が育てたとも知らぬ町の人々は花の美しさに見惚れ、恋人や家族らと甘美な時間と景色を共有していた。
人々の姿を静かに見守りながら、大きく息を吸った。陽射しで暖まった空気と花の香りが混ざり合って肺を満たしていく。花畑の方からは幼子のはしゃぐ笑い声まで聞こえてくる。
目を閉じると目蓋の裏に少年の輪郭が浮かぶ。共に過ごした時間よりもうんと長い時間が流れてしまった。曖昧になっていく輪郭とは裏腹に彼のもつ淡い色彩は未だに鮮烈に焼き付いている。凍える季節も温もりをくれた暖かな色だった。
木々の隙間から覗く青空は祝福のベールを降ろし、足元には草原の緑と花の白。木漏れ日が伸ばす梯子から天使が舞い降り戯れる秘密の園。その中で笑う彼の色はそれこそ鮮やかな一輪の花のように世界に映えるのだろう。目を離すことが惜しくなるほどに。
頭に浮かべた鮮やかな景色を写真のように切りとって目を開く。その先にあるのは青空に草原の緑と花の白。そしていくつかの人の影。今しがた目に焼き付けたはずの甘やかな色は視界のどこにも見つけられなかった。
移ろう季節、平穏に続く人々の営み。『断罪の死神』が望んだものはここに溢れているのに、ハーデイが求めたたったひとつだけが欠けている。
遠い遠い冬の日に置き去りにした、もう取り戻せない色。目の前に広がる白だけが今と過去を繋ぐ唯一の色だった。
「あぁ、眩しいな……」
声と共にこぼした吐息は、無色透明なまま足元の柔らかな緑に吸い込まれていった。
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