とはり
2024-10-19 02:09:08
9784文字
Public ひめこは
 

0時のベルはまだ鳴らない

付き合ってるひめこは
HiMERU不在の2月5日の最後にプレゼントがある話
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4回目のこは誕生日投稿
久しぶりの誕生日ネタ

『こはくくん、お誕生日おめでとう!』
 誕生日パーティーの御馳走で膨らんで重たくなった体を自室のベッドに横たえながら、手元の端末の画面をスクロールする。開いたSNSにはこはくの誕生日を祝う言葉で溢れていた。専用のタグまで用意されていて、指先でのタップひとつで暖かな言葉で満ちた空間に飛んでいける。言葉だけではない。ずらりとこはくのグッズを並べた写真や、こはくをイメージした特製のケーキの写真、こはくを描いたファンアートを添えている投稿もたくさんあった。
「手間やってかかるのに、ありがたいなぁ」
 それらの投稿ひとつひとつに目を通しながら、口もとを緩めて呟く。
 以前に「推しの祭壇を作るんだ!」と意気込む藍良のグッズ開封や整理を手伝った時の彼の真剣な横顔を思い出す。一生懸命で微笑ましいと感じ、これほど強く想われる人はなんて幸せなんだろうとどこか他人事のように思っていたが、まさか自分がその対象になるとは思わなかった。祝いのメッセージを送ってくれた画面の向こうのファンも同じように心を砕いて今日のために用意してくれたのだろうか。なんだか、すごく愛されているみたいでくすぐったい気持ちになる。
 目を瞑って噛み締めながら、ごろりと寝返りをうつ。パーティーが終わって部屋に帰ってきてからずっと手元の画面を追っていた目を少し休ませるために焦点を遠くに合わせる。
 淡い色の天井をぼんやりと見つめていると部屋の静けさを意識してしまって振り切る様に体を起こす。煌々と部屋を照らす室内灯は一人で過ごすには余剰な明るさだった。けれど、パーティーの華やかな灯りの残像が残る中で迎えられた部屋の薄暗さに耐えられなかった。
 今は同室のジュンはいない。地方でのツアーのため数日前から不在にしている。2月5日は不在なのだと伝えられた時は残念だと心を萎めたが、出発を見送る時に「お土産たくさん買ってきますね」なんて気を遣われてしまっては、寂しさよりも先に申し訳なさが立ってしまう。優しい彼は今朝方、忙しい中だろうにホールハンズでメッセージをくれた。祝いの言葉と近況報告。あちらはとても寒く雪まで降っているらしい。昨日開催されたライブは盛況に幕を閉じたのだろうことは、興奮気味に送られてきたジュンのメッセージに乗せられた熱量から感じとることができた。今日はライブ後の観光を兼ねたロケらしいが、雪天候のため一部の予定が変更になりそうとのことらしい。そうして何度かメッセージを往復し、お互いに風邪を引かないようにと伝え合って締めくくった。
 今夜はこちらも寒夜を迎えている。ESビルから星奏館へ向かう道では吹き荒ぶ冷風に尻を叩かれ、体を震わせながら帰路を急いだ。時計は既に22時を回っている。深夜にかけて外は更に冷え込むだろう。そのせいか、はたまた部屋に一人でいるせいか、いつもよりも部屋の中が寒く感じる。足先を擦り合わせるが感覚は冷えていくばかりで、仕方なく空調の温度を上げることにした。
 胸を覆うもの寂しさはひとりきりの部屋がもたらすものだけではなかった。
「HiMERUはん……
 空調のリモコンを元の位置に戻した時に目に入った花瓶に生けた薄青の花に、恋人の面影を重ねて思わず呟いた。もう1週間も顔を合わせていない。HiMERUもまた地方での撮影でESを空けていた。向こうはタイトなスケジュールなのか、朝と晩におはようとおやすみを送り合うくらいで、次第にその往復も数を減らし、ろくに話す時間もないまま今日を迎えた。
 (仕事熱心なのは結構やけど──)
「今日くらい、もうちっと構ってくれてもええとは思わん?」
 凛と伸びる青の花の先を指でつつく。仕事とどっちが大事なの、なんて駄々をこねるつもりもないが、1週間声すらも聞けていない現実に思ったよりも堪えているようだ。
 燻る気持ちが溜め息に変わって花びらを揺らす。
 花瓶に生けた花は今日のパーティーでもらった花束の一部だ。こはく自身の担当カラーを基調にして差し色にユニットカラーやメンバーの担当カラーの花が添えられた、両手で抱えるほどの大きな花束。持ち帰ってももて余してしまうと相談したら、一部を持ち帰って残りを事務所に飾ろうと提案され、二つ返事で花を選んで持ち帰った。ユニットカラーの花と自分も含めたメンバーカラーの数輪だけを生けた花瓶はまとまりのない奔放な賑やかさで咲き合っているのが"らしく"ってそれなりに気に入っている。
 貰ったものはこれだけではない。ソファーの上にはプレゼントの箱が積まれて山のようになっている。更にその隣の袋には事務所に届いたファンレターが詰まっている。部屋まで運び入れるのは骨が折れたが、その分これだけ沢山の祝福の形を受け取った実感もひとしおだった。
 パーティー中は同じESのアイドル達が所属事務所を問わず声を掛けてくれた。その言葉は優しさに満ちていて、何度グラスを合わせたか覚えていない。「おめでとう」と言われる度にこの世に生まれてきたことを肯定されているみたいで、背中がむず痒かった。
 パーティーの後には燐音とニキがカフェシナモンでプチ二次会を開いてくれた。HiMERUの不在を気にしている意識はなかったが、「この人数じゃ麻雀も出来んな」なんて口を滑らせてしまったものだから、「今度4人揃ったら改めて祝ってやんよ」とアルコールの入った燐音に髪をぐしゃぐしゃと乱暴にかき混ぜられた。のし掛かってくる酔っぱらいに鬱陶しい、と悪態をついたが、大きく頼もしい手のひらの感触は悪くはなかった。
 そうやって、充足した空気で体内が満たされてしまったから、空っぽの部屋に帰って残ったケーキを冷蔵庫にしまう時の侘しさは氷のように冷たく刺さるようだった。
 危うく蘇りそうになった痛みを首を振って振り払い、逃げるように再びベッドへうつ伏せに飛び込んだ。枕元に置きっぱなしにしていた端末を再び掴みあげてホールハンズを呼び出す。同僚や友達からの祝いのメッセージを繰りながら、今日1日の出来事を思い返す。別のメッセージアプリでは姉たちからも祝いのメッセージが送られてきている。
 HiMERUとの連絡は朝一番にきたおめでとうのメッセージとそれに対して返信した自分のお礼で止まっている。今日1日で貰った祝福がもたらす染み渡るような幸せは灯火のように胸に咲いているが、どんな言葉も心もこの手で触れて確かめられるものではなかった。心は近く、けれど体は遠く、今はどうしようもなくひとりだった。ちくり、と胸の中心に走った痛みに眉を寄せた。
 これだけのものをもらっておきながら寂しいなど、贅沢にもほどがある。
 けれど、今日はこんなにも嬉しいことがあったのだと誰かに話して共有したい気分でもあった。祝福で飽和した暖かな思い出たちを言葉にして振り返りながら自分の中にひとつひとつ刻んでいきたい。なのに、こういう時に限って隣に人がいない。
 ひとり静かな部屋に放り出されて孤独が強調されるからこそ他人を欲してしまうのだろうか。他人を欲しているから孤独に苛まれるのだろうか。恨めしい性質が人には備わっているものだ。
 動かないトーク画面から目を背けて瞼を下ろすと、覆い被さるように訪れた睡魔に意識が吸い込まれていった。


 暗闇の海から意識が浮き上がる感覚に揺り起こされて瞼を持ち上げる。薄い隙間を抉じ開けるように視界に差し込む強い光に顔をしかめた。自分を慰めるために点けていた明かりが目に沁みて今は忌々しく感じた。
「あかん、寝てもとった」
 重たい頭を垂らしながら上半身を起こす。端末で時間を確認すると23時を過ぎていて、本格的に眠ってしまう前にシャワーを浴びておこうと立ち上がる。日付が変わる直前の焦燥感に駆られながら寝支度を済ませて、その頃には2月5日が終わろうとしていた。後は寝るだけ。そのはずだった。
 ごろりとベッドに身を預け、このまま布団にくるまって眠りたかったが、先ほどうたた寝をしてしまったせいで、眠気は随分と向こうの方へ遠ざかってしまい手繰り寄せられそうにもなかった。
 それならば、と再びSNSを開く。検索履歴から自分のバースデータグをタップする。せめて自分に向けられる暖かな心の近くにいたかった。
 数時間前に目を通した時よりも投稿が増えていて、布団の上で足をパタパタと動かした。ギリギリまで祝ってくれるファンがいること、起きて活動している人間がいることに慰めのような安堵を感じる。
 23時55分、端末の画面の上部に細長い通知欄が灯って、自然と目が内容を追う。
 『まだ起きていますか?』と、HiMERUから送られたメッセージだった。送り主の顔が浮かんで心臓がひとりでに早鐘を打つ。飛び起きるように体を起こした。
 起きとるよ、とすぐさま返信する。ネットに入り浸って夜更かしすることが少なくないこはくはともかく、HiMERUがこの時間まで起きていることは珍しかった。誕生日の自分に気を遣ってくれたのだろうか、なんて思ってしまうのは自惚れかもしれない。単に仕事が長引いて空いたのが今だっただけという可能性もある。
 未成年であるこはくには夜半に食い込むような仕事は回ってこないが、18を迎えたHiMERUには時折そのような仕事も舞い込んでくるようだった。睡眠時間が短くなる、とHiMERUはぼやいていたが、仕事の幅が広がるのはいいことだろうとこはくは思うし、HiMERU自身も同じ気持ちに違いなかった。
 今日はたまたまこの時間に仕事が終わっただけなのだ。煙のように立ち上る淡い期待を底に押しやって蓋をすると、端末が再び震えた。
『よかった。今日は一緒にいれずすみませんでした。その代わりにとびきりのプレゼントを用意していますから、楽しみにしていてくださいね』
 HiMERUからのメッセージが飛んでくる。
「ご機嫌取りなんていらんもん」
 呟いた声が抱えた両膝の隙間に吸い込まれる。期待を仄めかす文字につい悪態をついてしまう。今は優しい言葉よりも、顔を見て直接的な触れ合いが欲しかった。
『ええよ。仕事やし。プレゼント楽しみにしとるな』
 心と裏腹な文字を画面に打ち込んで送り返す。ひとつ年を取ったのだ。子供っぽいわがままは捨てて、大人としての我慢も身につけていかなくてはならない。
 もうすぐ0時になる。世界からすれば何てことない日跨ぎ。今日はひとつの過去になり、輝かしい明日が始まる。
 虚勢張って虚しさに抗っていると、コンコンとドアがノックされる。静まり返った部屋へ突如訪れた音にびくりと反射的に体が飛び上がった。
 聞き間違いかと思ったが、感覚を研ぎ澄ますとドアの奥に人の気配を感じる。こんな時間に一体誰だろうか。
 まさか、予定より早くジュンが帰ってきたのだろうか。だったらちょうどいい。ちょっとばかし話し相手になってもらおう。疲れたジュンへの子守唄代わりに今日の出来事を聞いてもらおう。それで少しは気が晴れそうなする。
 ベッドから降りて大股でドアへと向かう。
 鍵を持つジュンならノックなどせずに入ってくるはずなのに、という違和感はすっかりと抜け落ちていた。
 何の疑いもなく開けたドアの先、薄暗い廊下の光から切り取られたシルエットに思わず「どちら様?」なんて言いかけた。目の前に立っていたのがジュンではなかったからだ。
 視線を上げて目に入ったのは艶やかな蜂蜜色だった。それが誰のものであるかと脳が認識するスピードを鼓動の速度が追い越した。
「お誕生日おめでとうございます、桜河」
 マスクを下げて現れた唇が、早足に告げる。
「ひめる、はん……?」
 聞こえた言葉を処理できず、視線を動かせないまま瞬きすら忘れて月のような虹彩を見つめる。なんで、と開いた口からこぼれた声はほとんど音になっていなかった。
 焦った様子でちらりと室内へ向かう視線を反射的に追いかけると、その先には時計があった。
 時計が指し示す時間は23時59分。この空間はまだ2月5日に留まっていた。
 あ、と自分の喉から声が漏れた。続いてHiMERUがほっと息を吐く。
「何とか、間に合いましたね。……おっと」
 安堵に眦を緩めたHiMERUの胸へと飛び込む。引き締まったウエストを厚手のコートごと抱き締めた。冷たいコートの表面と違ってHiMERUの体から伝わる温度は仄かに温かい。いつもよりも早く上下する胸の動きに、駆け足で駆けつけてくれたのだと知る。
「桜河?」
 頭の後ろ側を優しく撫でられて、両腕に更に力を込めた。奥に押し込めていた言葉がせり上がってきて喉を広げる。
「会いたかった」
 足の底から泡立つような高揚が全身を駆け上がっていく。呟いてはじめて喜びを実感した体が唇を震わせる。息を深く吸い込むと服が吸った冷気が肺を通って火照った体の中に溶けていく。さざめく冬夜の匂いがした。
 部屋に招き入れるために握ったHiMERUの手は氷のように冷たくて、込み上げてくる感情に目頭が熱くなった。諦めていた感触がこの手の中にあることへの実感と今の状況との解離が埋められず首を傾げる。本来であればHiMERUは遠く離れた土地にいるはずではなかったか。
「HiMERUはん、仕事はどないしたん?」
「HiMERUは優秀なので前倒しで終わらせました」
「わしのために?」
「HiMERUがそうしたかったのですよ」
 微笑むHiMERUの雪のように白い肌は、耳や指先を中心に赤く悴んでいる。撮影現場から直帰したらしく、華やかなメイクがそのままだった。
 撮影を前倒しで終わらせるなんてそう簡単にできるものではない。相当集中して撮影に臨んだのだろう。その理由が一刻も早く自室のベッドで眠りたいからなどではなく、今日この日だったからということは、HiMERUが今ここにいることが証明している。
 HiMERUは優しい。努力も労力も表に出そうとはせず、気遣いを恩着せがましく押しつけたりなどしない。会えないからといじけていたことに罪悪感を抱く。同時にその分だけ愛おしさが溢れるのもまた確かだった。
「立ち話も何やし座ってや。ちっと散らかっとるけど」
「随分と沢山プレゼントを貰ったのですね」
 ソファーの上はプレゼントが占領していて二人並んで座るのは難しかった。いそいそとクッションを床に置いてそこに腰を下ろすよう招く。HiMERUはコートをソファーの背にそっとかけてから、隣に腰を下ろした。
 HiMERUの頭を覆う雪のように白いファーの帽子を持ち上げると、静電気につられて絹糸のような勿忘草色が広がる。寒空に晒されて水分を失った毛先がはらはらと乱れ、HiMERUらしからぬ乱れ髪に頬が緩む。
「ふふ、ぼさぼさになってもた。堪忍な。……来てくれてほんま、嬉しい」
 愛しい色を前にして溢れた実感に、喉の奥が震えた。
 乾燥で暴れる髪を両手で撫で付けていると自然と顔が近づいて、HiMERUの息遣いを感じる。視線を移すとこちらをじっと見つめる蜂蜜色の視線とぶつかった。星が降るような視線だと感じるのは瞼に残ったラメが細かに光を反射するからだろう。
 アイラインでより甘美に縁取られたHiMERUの垂れた眦とその中で美しく揺らめく蜂蜜色の瞳に目を奪われたまま離せない。たった1週間会わなかっただけなのに懐かしさすら覚えてしまう。見とれているうちにいつの間にかその色がすぐそこまで近づいていて、ゆっくりと目を閉じた。
 唇に訪れた冷えた柔らかな感触に背筋が震えた。間を埋める吐息は同じくらい熱くて、舌先でふたつの温度を追いかける。息継ぎをすると、HiMERUの甘い香水の香りに整髪料の匂いが混じって鼻の奥を通り抜けていく。いつもと違う香りが特別感を引き立てて、高揚に心臓が高鳴る。
 赤く悴んでいたHiMERUの耳を暖めるように両手で包む。手のひらや唇から伝わる冷たさにぬくもりを感じる。
 同じように髪の上から頬へと添えられたHiMERUの手のひらからはまだ冷たさを感じる。手袋を着ける暇すら惜しんで駆けつけてくれたのだろうか。じゅわじゅわと体の奥から熱が溢れて目蓋の奥に水膜が張る。
 唇が離れてのぼせたように息を吐いた。感触を惜しむように緩慢に持ち上げた瞼の先にあるHiMERUの瞳もまた熱を滲ませているように見えた。こちらを焼き尽くすようなじりじりとした視線に耐えきれなくなって思わず目を逸らした。
「そ、そや。HiMERUはん、まだ寒いやろ。あったかいお茶淹れてくるわ」
 触れた手がまだぬくもりを取り戻していないことを理由にしてそそくさと立ち上がる。しかし、後ろ手を大きく引かれ、体は再びHiMERUの胸の中へと舞い戻る。背中にHiMERUの体温がのし掛かった。
「ここにいてください」
 肩に顔を埋めたHiMERUの冷えた肌からこぼれる吐息がやけに熱く感じて、触れた肌が焦げるように疼いた。
「あ、っ、ちょっ……こらっ、ひめるはん……っ」
 ちゅっ、ちゅっ、とわざとらしくリップ音を立てて耳の裏から首筋にかけて唇が這っていく。皮膚の薄いところに熱を感じてぞわぞわと全身に伝う震えに身を捩るが、腰に回された両腕にしっかりと固定されてほとんど意味をなさなかった。
「うひ、っ」
 肌に舌が這って間抜けな悲鳴をあげてしまった。熱く湿った感触に腰の先から力が抜ける。
 諦めてHiMERUに体重を預けると、手探りで探し当てた手を握ったり擦ったり、まるでマッサージでもするように撫でられる。HiMERUの吐息の熱を擽られ、落ち着かなくて足を擦り合わせる。背中に蓄積していく熱が心に刺さっていた氷の棘を溶かしていく。
 黙々と手を撫でられるうちに、冷えていたHiMERUの指先が緩やかに自分と同じ体温に馴染んでいくのに恍惚とした充足感を得る。欠けていたピースがはまるように、HiMERUから伝わる熱が胸の隙間を埋めていく。
「っふふ、わしはカイロやないで、HiMERUはん」
「ああ……すみません。そんなつもりでは」
「ええよ、今日は特別に許したる」
「ありがとうございます」
 口元で笑みをこぼしたHiMERUに指を絡め取られてぎゅっと握りしめられ、心臓がきゅうっと跳ねる。甘えられているみたいで心が弾む。更にHiMERU側へ重心を傾けて、手を握り返した。
 部屋の温度をあげたのは失敗だったかもしれない。温風とHiMERUの体温に挟まれた体が熱に酔い始めている。
「暖まってきた?」
「おかげさまで」
 体を反転させてHiMERUと向き直る。こうして互いの体温に耽るのも悪くはないが、せっかく会えたのに顔が見れないのはもったいない。
 HiMERUの顔を見上げて、込み上げてくる喜びに耐えきれず笑みをこぼしてしまう。こはくの反応に首を傾げながらもHiMERUもまた同じように微笑んで、纏う雰囲気がより甘く緩む。
「言うてたとびきりのプレゼントってHiMERUはんのことやったんやね」
「──そうなのです。驚いたでしょう?」
 HiMERUの腰に手を回して胸に寄りかかるとその体がもぞりと身動ぐ。片手はこはくの背中を抱き、もう片方の手は何かを庇うように自身の背中へと隠れていった。
 不自然な指先の動きを追って、HiMERUの背中を覗き込むと真っ赤なリボンのついた純白の手提げ袋を見つけた。
「これ……
 まるでプレゼントみたいだ、と手を伸ばすとHiMERUは眦と眉を下げて、降参のポーズのように両手を挙げる。白くて小さい頬はぽうっと色を浮かべていた。
「HiMERU自身がプレゼントだなんて喜んでもらえたのは嬉しいのですが、本命はこちらだったのですよ」
 はにかみながら差し出された袋を受け取る。甘ったるい勘違いに気づいてカッと頬が熱くなった。目が合わせられず、手元の視線をそのまま袋の中へ移す。
 袋の底にはこれまた綺麗な桃色のリボンに装飾された長方形の木箱が鎮座していた。
 リボンをするりとほどいて、ささくれひとつない蓋を持ち上げる。木の芳しい香りの奥から甘い匂いが漂う。
「わっ、綺麗やなぁ」
 箱の中には桜が咲いていた。
 桜の練り切りに飾られたいちご大福とおはぎが並んでいる。粉雪のようなパウダーをまぶしたいちご大福には桜色の餡が使われており、おはぎの餡は紅イモの色素で紫がかっていて、こはくの瞳や誕生石のアメジストを連想させる。こはくのイメージに合わせて作られた特注品であることが一目で分かった。
 とびきりの宝石箱のようなプレゼントをもらって胸が喜びで膨らむ。その一方であれだけ満たされていたはずの胃はきゅるりと小腹の空きを訴え始めた。
「今食べてもええ?」
「桜河がそうしたいのなら構いませんよ」
「せや。パーティーの時に切り分けてもろたケーキがあるんよ。ニキはんが作ってくれたやつ。HiMERUはんも一緒にケーキ食べよ?」
「それは桜河のものでは?」
「わしはパーティーの時にもろたし、これ全部食べてもたらHiMERUはんからのが腹に入らんくなるかもしれんし、もったいないやん。一緒に食べよ。な?」
 HiMERUがあからさまに困った顔をする。こはくの顔とテーブルの上のスイーツとの間に目線を泳がせた後、それは部屋の時計へと向けられる。
 カロリーとこはくのおねだりを天秤に掛けてその狭間で揺れている。その葛藤に気づかないはずはなかった。普段は思考の読めないHiMERUの考えが今だけは手に取るように分かって口元が緩んでしまう。
「なぁ、あかん?」
「っ、」
 HiMERUにしなだれかかって上目遣いに小首を傾げれば、小さな唇がぎゅっと引き結ばれる。向けられた蜂蜜色の瞳が誘惑に揺れて、天秤がこちらに傾きかけているのが見てとれた。
 ひとりの部屋で溜まっていた鬱憤を晴らさせてもらうつもりだった。誕生日に言えなかった分をここでぶつけるくらい許してほしい。恋人に寄りかかって甘えるくらい、許してほしい。
「HiMERUはんと食べたいなぁ」
 わざとらしく口を尖らせて肩口に頭を押し付けてみる。
 これでもHiMERUの固い意思によって断られるのならおとなしく諦めようとは思っていた。少し困らせたかっただけなのだ。こうして会いに来てくれて、本当はそれだけで十分幸せだった。HiMERUの匂いに包まれているだけでこのまま眠れてしまいそうなほど満たされている。
 さすがにしつこいと怒られるだろうか、とHiMERUの様子を窺おうと上げた顎を指先が掬い上げた。直後、額に柔らかな唇の感触を得てぱちくりと瞬きを繰り返す。HiMERUの口元は楽しそうに緩んでいた。
……仕方ありませんね。本日の主役たってのお願いですから、今日は特別なのです」
「おおきにっ。まぁでも、誕生日は終わってもうたけどな」
「そうですね……、今は2月5日の24時15分、ということにしておきましょう」
「コッコッコ。そりゃええなぁ」
 お手本のようなウインクと共に強引な口実を披露するHiMERUのアンバランスさが可笑しくてつい笑みがこぼれる。HiMERUが誕生日の延長を提案してくれているのだ。今夜はとことん付き合ってくれるらしいのだから乗らない手はない。
 HiMERUの気が変わらないうちに支度を始める。電気ケトルに電源を入れて、棚の奥から陶器の皿をふたつ取り出す。
「今晩、泊まっていくやろ?」
 振り返って首を傾げると、一瞬目を見開いて面食らった様子のHiMERUだったが、すぐに表情を緩めて小さく頷いた。
「あんな、HiMERUはんに聞いてほしいことがぎょうさんあるねん」
 声が弾む。どの話から始めようかと考えるだけで、ひとりでに体が左右に揺れる。
 今夜のデザートにはどんな茶葉が似合うだろうか。選んでいる時間すら愛おしく感じる。これから始まるふたりだけの夜に心が踊る。
 2月5日はまだ終わらない。