手がかかるほど、という話

手間のかかる人ほど、という話です

本編数年後、🚬がグラン…ラ…ンのどこかに家を買っていて(海兵継続)、🐯は数ヶ月に一度遊びに行ってるという設定です 今回は本部での話で家は出てきません
いろいろ捏造だらけですが気にしないでください

手がかかるほど、という話

 降りろ、を何度繰り返したか。腹の上にいる猫に呆れて天井を仰いだ。
 どこから入ったかわからない猫で、周りに溺愛されているのは知っていた。みんなでかわいいからと餌をやり、捨てるだなんてとんでもないと怒られ、スモーカーは渋々理解はしたものの、猫はずっと軍の中を我が物顔で入ってくる。
 オイル臭いガレージに来ても、全く平気なそぶりで大あくびをしている。スモーカーがここで作業をし出すと必ず寄ってくる。
「嗅覚イカれてんじゃねェのか」
 餌の匂いには敏感ですぐにしゃがれた甘え声を出しているから、鼻に異常はないのだろう。鳴き声が汚いしみっともなくて、けれど同僚や部下はみんながみんな、この猫をかわいいかわいいと言う。
 手間がかかる方が、かえって愛情が湧くものだと言う。スモーカーは自分の部下のことを想像し、額をカリカリとかいた。
 ──今整備中のビローアバイクは、スモーカーの能力で走る分手入れ要らずかと思われることが多い。水上を走ればその分湿度のせいでちゃんと錆びるし、オイルも差して点検もして、そうしなければいざというときに走り切ることができない。野犬と異名がつき出してから愛用しているバイクは古い型だがよくできている。そうバイクを売ってくれた店主に言われた。滅多に自慢をしないスモーカーが、唯一バイクを撫でるときだけは顔つきが綻ぶ。だから面倒な整備も苦がない──猫が、邪魔さえしなければ。
「遊べるもんはねェんだぞ」
 汚い声でにゃああと猫が口を開く(にゃあと言うより、むしろぎゃあの方が近い)ので、スモーカーは仕方なく体を起こした。猫が上半身に爪を立てて掴まろうとするから引き剥がして脇腹を持ち上げた。ここに来たころより良くなった毛並みを眺めて呆れる。太りもしたのか少し重たくなった。
 猫の声がひび割れているのは声帯のせいらしい。傷ついていると獣医が言っていた。それだけでスモーカーはこの猫が大体どんな仕打ちを受けていたか察した。だからこの猫の毛が艶めくのも、体が太るのも、医者へ連れて行くのも、こうしてのびのびと過ごしているのも、スモーカーにしては珍しく小言のみで終わっている。
「あっち行ってろ、もうすぐ餌だろうが」
「まるで扱いが不慣れだな」
 猫が喋った、と思ったがふてぶてしく目を細めて笑っている猫の口は開いていない。猫をずらして部屋のドアを見れば、ローが立っていた。
……慣れてんなら、お前が連れていけ。ちょうど昼飯どきだ」
「俺も海軍の厨房に厄介になっていいのか?」
「うるせェ、今さらだろう」
 太った猫はローを見て目を丸くしている。あまりローには慣れていないらしい。ようやく葉巻が吸えるとスモーカーが腰を上げれば、猫はその膝によじ登り、離れようとしない。
「おれは飯を食ってきたし、猫はお前じゃないと運べなさそうだな」
 スモーカーが苛立ちを抑えながらため息をつくと、ローは肩をすくめた。
「今日はなにしに来た」
「感染症の見回りだ。屈強な連中が予防接種で震えてる」
「ああ……
 みっともない面を晒すなと脅しても、部下の中でも「注射は嫌だ」と不貞腐れているのを何人も見た。
「お前はちゃんと打ったか」
「先週な」
 ローの目はからかっているように見えて、奥底に不安を湛えていた。近頃の感染症はかなりひどい。海賊王が決まって平和ボケした世の中にじわじわと襲う恐怖だった。死にはしないが症状が重い。特効薬はあまりなく、ローを含め多くの医師が薬を作るために躍起になっている。
 医者として、プライドを感じる瞳だ。ローは海賊だという憎らしさを凌駕する、気高さを感じる瞬間でもある。
 ──廊下から、猫を呼ぶ声が聞こえた。部下のうちの誰かだ。「この時間ならスモやんのとこじゃねェか?」と話している。猫の習性さえ理解しているほど、部下は猫に首ったけで、案の定猫がスモーカーから離れてそちらへ近づくと「いたいた」とほほえんでいる。甲斐甲斐しく世話を焼かれに行った猫は、しばらくは戻ってこないだろう。たっぷり餌をもらい、昼寝をする時間だ。
 これでやっと落ち着いて整備ができると思い、整備台へ寝そべって作業を続けようとすれば、近くに寄っていたローがスモーカーの腹の横へ腰を下ろす。
「腫れたか」
「なにが」
「予防接種のあとだ、腕が腫れたか」
 他愛のない話をするのは二人の間では珍しかった。スモーカーは少し記憶を振り返り、考える。
「それはなかったな……おい」
 降りろ、とまずは一度言ってみる。しかし岩のように動かない男は、大あくびをしていた。
「副作用がないなら、いい」
 眠気まじりにそう言って、じっとりと睨むスモーカーの視線に気づかないふりをする。
「何十人と患者を見て疲れた」
「仮眠室へ行け」
「あんなうるせェいびきの中で寝られるか」
「気取ってんじゃねェ、男ばっかの潜水艇だって一緒だろ」
「おれの仲間は上品なんでな」
「整備の音だっていびきみたいなもんだぞ」
……まだマシだ」
 ローの顎がかくりと落ちて、どうやらこれは本格的に座ったまま眠りにつこうとしているらしい。こんな寝づらい場所で眠るやつがあるかと蹴飛ばして起こそうとも思ったが、「機械の音は」とローがしゃべるのを続けたので堪える。
「友達が……発明するときによく聞いてた」
 それきりローは事切れたように静まり、寝息を立ててしまった。
 ──ローの隈が濃いのはかつて眠れる夜を延々と過ごしたせいらしい。あのときは傷ついていたんだと本人から聞いた。スモーカーは、ローが海兵に世話になった話も聞いていた。それからそのあと、ノースブルーで世話になった人のことも。海兵がどんな人であったかは、軍の書面上でなんとなく知っている。話したこともある。正義と光の中にうっすらと、言い知れぬ哀しみが潜在しているような男だった。発明家だったというローを世話した老人もそうであったのかはわからない。
 スモーカーに気を許すのは、最初、己が海兵だからかと思っていた。けれど海兵からは基本的に逃げる立場を取っているはずだから該当しない。ただローは気を許して眠れるくらいにスモーカーに慣れている。思い出から抽出したローの柔らかな部分に、スモーカー自身が当てはまるものがあるのかと思ったがそれも違う。話を聞く限り共通項はまるでない。訳がわからない、変なやつだとスモーカーは思っている。
 結局整備は手前ぐらいしかできず、スモーカーは車体を撫でた。バイクは不服を言わないし、次の機会を気長に待てる。メンテナンスに時間はかかるが、それも愛嬌である。けれどもしバイクが話し出したら。実は文句がたくさんあって、手間で面倒で厄介かもしれない。それでも手放すかと言われればノーと突きつける。
(猫も話し出したら?)
 余計にわがままを言われて嘆くかもしれない。それでもやっぱり、捨てるかと問われたら部下たちの顔を思い浮かべて忌々しくノーと言う。
 スモーカーはスパナを床に置き、本格的に眠りについた男の襟元を見た。
 ローは話もすれば厄介ごとを舞い込ませたりするし、挙げ句の果てにはスモーカーの家にも押しかける。もうすでに面倒で、煩わしくもあり、条件を満たしている。
 ローの襟足が伸びていた。髪を切りにいく暇もなかったのだろうと推測できる。自分の無精髭を撫でながら、ハサミとカミソリがなかったかと考えた。幸いここはガレージで、一通りの道具は揃っている。スモーカーは髪を伸ばしてから、自分でもバリカンやハサミを使って髪を整えるのが意外とうまい。ローが起きたら切ってやるぐらいはできる。
 ふたたび天井を見上げ、スモーカーはやっと葉巻を吸う。濃厚な煙が吐き出され、浮かんでいった。煙というのは己の能力の一部で、自由自在に操れるようになってからはすっかり相棒のようなものだと思っていたのに、葉巻から流れた煙はどうも今日のスモーカーに苦笑しているように見えた。