咲く心臓

宇宙人あらふねの話 穂←荒
隊結成に至るまでの過去や家族の捏造が大いにあります

咲く心臓

「UFOの中で会った、宇宙人に」
 そうみんなに説明する穂刈の顔を、荒船は遠くから見つめた。胸が痛み、心が砕けそうだった。ぎゅうぎゅうと締めつけられるように軋む核──心臓の感覚は初めてで、荒船はむしろ感動を覚えた。
 心配から解放された顔で穂刈を抱きしめる母親と、そばで涙を拭いながら佇む父親と、穂刈とよく似た顔の弟が泣き腫らした顔をしていた。荒船には彼らの気持ちも、今では理解できる。心臓が大きく揺らいだ。
 己が人間になれたことを、初めての旅で大地を踏み締めたときのように初々しく喜び、そして同時に悲しんだ。掴んだたしかな感情を忘れないよう、荒船は拳を握りしめた。



 ──荒船が青い星を見つけ、降り立ってみようと思ったのは四半世紀もまえのことだった。
 荒船の名は当時まだなく、数多くいる集合体のうちのAでしかなかった。他の星が順に戦争を始め、荒み、トリオンが栄枯盛衰を繰り返す中、Aたち近界民は旅をする民で、特有の星を持たないから戦争にまるきり興味などなかった。そして力のない一族であったから、もはや絶滅以外に道のない種族であった。
 基本的にAの一族は徒党を組んで動くが、家族という組織があるわけではない。兄弟や親族もなく、この集団は各惑星からあふれ、はみ出した者で形成される。目的があれば一族を抜け、目的を失えばいつの間にか戻ってくる。体は光の胞子でのみ形成され、力がある若いうちは他の近界民のように体を作ることもできる。
 青い星へ降り立ってみようと思い立ち、長い年月を悩むだけで過ごすのはAの性に合わなかった。けれどそうせざるを得なかったのは、一族の星間での移動が、戦争のせいで短期間に何度も繰り返さなくてはならなかったからだ。
 Aは各地をさまよっては、遠くにある憧れの星を眺める。
(戦争を終わらせるために、なにができるか)
 ──それが、Aにボーダーという存在を知る一つのきっかけとなった。
 星へ降りる。人間と同じになる。人間には性があり、名があり、感情の起伏があり、そしてトリオン器官とは別に命がある。Aの命とは比べ物にならないほど短かった。
 Aは絶句した。たった少しの間を懸命に生きる人間が不思議で、儚く、たくましく思えた。核を心臓という器官へ変えれば、自分ももはや人間の寿命という輪から逃れることはできない。けれど息苦しく永きを生きるよりはずっといいと、Aは地球へ向かった。
 Aの降り立った場所で、まず光体のままの体をどうしようかと辺りを見回した。この星の人間と形とはずいぶん違うから体を作るしかないと踏んだ。借りることもできたが、この星の子ども(大人はわりと大きな体躯をしているから、きっと小さいのはほぼ子どもだろう)の姿を見ていると、無邪気で戦争を知らず、はしゃいでいる中に入り込むのは罪悪感が募った。Aは戦争の恐ろしさを何度も目の当たりにしている。Aの体が入り込めば、子どもの記憶や意識がAの経験と混じって複雑になる。彼らにその愚かで悲しい体験をさせていいものか、Aは悩み続けた。
 一族を離れて生きていくために、なんでもできることを増やすのは大事だと考えた。だから体を借りるのではなく自ら作り出すことに専念した。痺れるような感覚に手足をすくませ、自分の体が変わる恐ろしさに耐えた。あまりにも長い時間に感じた。最初に足を、そして指先を作った。細部はもっとよく彼らを観察しなくてはわからない。不恰好な形のまま、Aは木陰からじっと子どもを眺めた。
 ──その子どものうちの一人が、こちらを見つめ返していた。
(まずい)
 咄嗟にAは身を屈め、姿勢を限りなく低く保つ。まだ完全に人間の形を取れていないこの体は不完全で脆く儚い。どうか気づかないでくれと願いながら自分の核が大きく、大きく脈拍を打つ。
 子どもの鋭い目つきは、まだ一点を見つめている。気配でわかる。Aの消化器官がぐるぐると鳴る。これは不安と緊張が最大限に押し寄せたことを意味する。
 やがて足音がする。草むらでは己の体は隠しづらいから、もっと奥へ逃れようとするが、子どもは容赦や遠慮がない。「あつし、帰るんだろー?」という誰かの声と、「先行ってて」と返すあつしと呼ばれた子どもの声。そうだ、声を出せばいい。意識を集中させて声帯器官を急速に作り上げ、Aはあつしという子どもに懇願する。
「見ないで、くれ」
 ピタリと子どもの足が止まった。
 ……Aの一族にも子どもはいるが、彼らは無邪気で聞き分けがなく、嫌だと言われても止まらずに平気でずかずかと領域に入る。まだ弱い光の粒子だが、集まればなかなかどうしてひどいいたずらを働いて、群れを困らせた。どうやらあつしと呼ばれた彼は、それよりも分別のある子どもらしかった。
 しばらく静寂のまま、二人の間に風だけが吹く。その間もAの体は徐々に人間に近づきつつあった。だが欠けた部分はまだ多くある。決して人間のまえに立てる状況ではない。
 ふと、なにかに覆われた。よく見えないが、子どもが羽織っていた衣類のようだった。さっきまで着ていた子どもの体温が伝わる。
「今日、これから雨が降るんだって」
 だから、とだけ言い、子どもは明るい道の方へ戻っていってしまった。戻った先で他の子どもたちに遅いと言われ、笑い合っている。
 雨が降る。Aにとって雨は、大地に恵みをもたらすもので、あの少年が言うような鬱陶しさはないように思えた。
 Aは困惑したまま、自分の体が徐々に出来上がっていくのをぼんやり見つめた。鼻先に、ぽつりとなにかが触れる。
 ぽつ、ぽつと地面が濡れ始め、上から水が降ってくる。Aが手を伸ばして見ると、降る雨は冷たく、けれど触れればすぐに体温に混じって温かみを感じる。肩や膝に当たると、わずかに寒さを覚えた。Aの羽織る、子どもの放った上着が濡れていく。陰にうずくまると、大輪を咲かせている青や紫の花と大きな葉のおかげで水には当たらずに済みそうだった。これはなんという植物なのか。子どもの体を模した自分を覆うぐらい大きく咲いているが、他の場所では小ぶりに咲いているのもある。辺りを見渡すとまた雨が当たって、Aはすぐに身を引っ込めた。
 花の名前はわからないが、こんなふうに降る雨をこの星では夕立というのだと、調べた文献に載っていた気がする。

 Aが次にあつしという少年を見かけたのは、図書館でのことだった。この間と同じ友人たちと遊びに来ていて、本を借りていた。
 あれからAは自分の体を形作り、一人の少年として生きた。名前は荒船哲次という。共働きの父母がいて一人っ子であり、祖父とよく過ごしている──という身の上話を捏造した。そういう境遇であれば、一人で行動するのにとても都合がいいからだ。祖父という人物が自分にとって良いと考えたのは、一族で、老齢の近界民のうちの一人がAに知識をくれ、とても居心地が良かった思い出があるからである。この星へ来ると決めたときも、彼にいろいろと助言をもらった。彼の話は現代の人間たちが話すよりも古い部分があるのかもしれないが、Aが知りたいと思えば教えてくれたし、懐いているAのことを彼はとてもよく可愛がってくれた。
 荒船という人格はそうして形成されたから、多少周りの子どもとズレているのかもしれない。仕方がないと諦めた。もともと住んでいる環境も違えば、見てきたものも違う。
 故郷と呼べる故郷もなく、帰りを待つ者もいない。結局一族は旅をしながら群れてはいたが、それぞれが孤独に生きてきたのだと知る。そうなると、必然的にこの星の、親という観測者のいる子どもたちとは違った感覚を持ってしまう。
 ──ところであつしという少年は、常に誰かと一緒にいた。友人たちもあつしといたがるようだった。今も誰かが誰かを呼び、大騒ぎをして、本を貸し借りし合い、最終的には職員に怒られていた。常習なのか職員も呆れた顔で笑っている。
「読書感想文の本、早く選んじゃおうぜ」
 あつしの友人の一人がそう言って、階段を駆け上がっていった。荒船は試しに彼らを観察してみる。が、すぐに子どもが子どもらしい行動をしているのをいまいち理解できないまま、視点を机に戻した。
 なつやすみと書かれたポスターを、荒船の学校で見た。なつやすみにやることを頭で淡々と思い描く──一族の元へ戻る、船に乗って別の星を探索してみる。やりたいことはあるが、この星の勉強や文化を知ることよりも魅力的には感じなかった。学校というものに行かないと怪しまれると思って通い始めたが、なつやすみには宿題があり、その中に読書感想文というのもあると知った。この星の子どもたちの知能指数が、戦争を経験している星より圧倒的に高いのは、膨大な紙の束に詰め込まれた数式と文章題を解いているからなのだろう。そして特に読書感想文というのが厄介そうなのは理解していた。
 しかし荒船は、本を読んで感想を書き出そうとした途端ペンが止まって提出用紙から動かなかった。今もそうだ。自習室で、他の数名がテスト勉強かノートの記入でカリカリとペンを動かしている中、荒船だけが微動だにしないでじっと用紙を見つめている。
 本を読むような、長時間のいとまを与えられたのは一体いつのころだっただろう。星を巡る間、自分の気持ちなど考えたことがなかった。思った丈を書けば済む話を、自分にとって書くことがこんなにも難しい。
 ──そうやって悩む荒船の横に、あつしが来たのだ。
 ふぅんと言いながら荒船の用紙を覗き込み、穏やかな顔をして笑う。
「俺も真っ白」
 見る? と言われ、荒船はパチパチと目をまたたかせた。あつしのかばんから言った通り真っ白でなにも書かれていない用紙が出てくる。紙の角が折れているのを、指で押して伸ばしながら、あつしは荒船を手招きした。
「こっち」
 彼の指差す方は広い相席のスペースで、荒船の座っていた仕切りのある場所とは離れている。そのスペースは多人数で自由に使えるようになっていて、自習室と壁を隔てているから多少話すこともできる。
 荒船は大人しくついていった。この年ごろでは、その場で出会ったばかりの知らない子ども同士で遊ぶこともたまにあるそうで、荒船も例に漏れず公園やグラウンドでそうして遊んではきた。きたが、図書館でこうして誘われるのは初めてだった。
 あつしから、先日遭遇したときの話は出てこない。おそらく、あれが荒船だったと彼は気づいていない。あの上着を返し損ねていることを話しそびれ、荒船はもどかしかった。
「なに書くんだ?」
……これだよ」
「難しそうな本だな」
 あつしはしげしげの荒船の借りている本を眺め、裏表紙を返し、元の位置に戻した。荒船はまだ警戒心を保ったままだが拒絶せず、次第に彼に好感を抱いた。本の扱いが丁寧だったのと、荒船が難しいと感じていることに対し、同列で話を進めたからだ。彼にとって単に、荒船の読む本を難しく感じただけだと言われればそれまでだが、戦争や競争社会ばかり見てきた荒船からしてみれば、そのやさしさは久しく忘れていたものだった。
 トリオン器官が温かみを帯びる。隣に見様見真似で核から作った心臓が高鳴ったからというのもある。血を巡らせる臓器はかなり複雑で繊細すぎて、人体の中でも最後にじっくり時間をかけて作ったがまだ未完成のまま体内に置かれている。もう少しきちんと作り上げれば、この高鳴りの意味がわかるのだろうか。
 ──あつしと荒船はそれからたまに遊ぶようになった。ほとんどがあつしから誘い、荒船の都合の良い日に短時間公園で落ち合って遊ぶ。違う学校同士なのに、帰りに出くわすことが必ずあった。その縁は切れることなく、二人は普段接点などまるでないはずなのに深く関わり合うようになった。
 そういうときは決まって、あつしの友人たちは一緒にならない。荒船もまた、学校の友達とが慌ただしく学校を出て、一人で帰宅しているところにあつしと会う。
(引き合わされるものがあるんだろうな)
 と荒船は感心し、成り行きを見ていた。というのも荒船はあつしと会うときは体が軽くなったように胸が弾んだし、学校で友人と話すときとは違う笑い方や話し方をした。トリオン器官のそばで、ゆっくり鼓動する核の隣の心地良さを感じる。あつしとの触れ合いはこの体にとってもいい影響をもたらしているようだ。
 ──手を繋ぐようになったのは、偶然だ。
 祭りがあるからとあつしに誘われ、二人で浴衣を着た夜、はぐれそうになった荒船の手を取られたのがきっかけだ。それから、その日は一日あつしが手を離そうとはしなかった。荒船は笑った。花火を見てから帰るとあつしが母に言い、時間が遅くなったことを少し叱られていた。けれど荒船は、体内の核の拍動をただひたすらに居心地が良いと思えた。

 ◇

 その花はあじさいというのだと荒船が知ったのは、学校の教師に習ったが故だった。
「あじさいはあの山にも生えていますよ」
 そう教師が指差すのは荒船がかつて、Aとして初めてこの星に降りた場所だった。小高い丘くらいしかない高さだがきちんと山という名前がついていて、地域の人に親しまれている。ときどき勉強の手を止めて、窓から山の方を見つめた。荒船があつしと初めて出会ったとき、咄嗟に身を隠した花の名前と群生を思いがけず知ることができた小さな喜びを噛み締めていた。
 あつしの服を、まだ返せていないでいる。これを返せばあつしは荒船のことを疑う。疑えば一緒にいられなくなるかもしれない。いっそなかったことにして、燃やしてしまおうかとも思ったが、人気のない山に火の手は危険すぎる。荒船の体はまだ幼いから炎に巻き込まれればひとたまりもない。どんな危険性が及ぶか検討がつかないで火を使うのはまずい。
 ──そう思いながら数週間、頭の片隅にいつもあつしのことをうっすら考えながら過ごしていたある日、あじさいの咲く山で光が見えた。見慣れぬ光に人々は一瞬山の方を振り返ったが、すぐに日常に戻った。光のあとに爆発が起きたわけでも、山が燃え始めたわけでもなかったからだ。
 けれど荒船だけは、あの光の正体がわかった。あれは他惑星からこの星へ降り立ったときの自分が発した光と同じだった。いや同じというより、光量がやや劣る。おそらく一族の誰かが、命からがらここへ逃げおおせて朽ちて落ちたのだろう。
 荒船の核が、胸騒ぎというのを覚えたのもこの瞬間だ。教師に教えられた山へ、行かなければと体が急いた。元の光だけの体であれば飛んでいくことができるのに、人間の体は二本の足を動かしていかなくてはならない。不便に苛立ちを感じる。衝動に駆られて走りながら、山へ落ちた仲間がどうなってしまったか気がかりで、そればかりが頭を駆け巡っていたものだから、
「荒船?」
 ──いつもなら、運がいい、と思えるのに今日ばかりは違った。あつしは向かい側の道路に立っていて、簡易なショルダーバッグだけを持つ身軽な格好だ。遊びに行くにしては方向が違う。行く当てもなく、飛び出してきたというような雰囲気だ。
 荒船は戸惑う。核の拍動が早まるのがわかる。
 荒船自身はこの胸騒ぎに説明ができない。経験したことがないからだ。あつしは首を傾げ、まもなく変わる信号を機にこちら側へ歩いてくる。赤から青へ色が移り、視覚障害者のための放送が流れ、荒船はその間ずっと、なんと話をしたらいいのか考えあぐねていた。
「母ちゃんと初めて喧嘩しちゃって」
 はは、と小さく笑うあつしに対して、いつものようにうまく笑えない。
「あ、ああ、そう……なのか」
……どっか行くところだったのか?」
 ほんのわずか、荒船より背の高いあつしは切れ長の目を細めて尋ねてきた。荒船がなにかに追われているように、珍しく焦った顔をしていたからかもしれない。あつしはもともと勘のいい子どもだ。
 荒船がまだAだったころの、朧げで不安定な異色の姿を見たときでもあつしは冷静だった。彼は荒船が誰にも気づかれないように服を貸し、雨が降ると警告をくれて、あじさいの下で震える自分を他人の目から守ってくれた。
 もちろんそれが、今目のまえに立っている荒船だとは気づかれていない。だからあの山の光と荒船になんの関係があるのかもわからない。けれどあつしなら、荒船の衝動を理解してくれるのではないだろうか。これは一種の賭けである。
「山、が」
「山?」
「あの山が、光ったんだ」
 ああ、とあつしは返答する。
「さっき俺も見た」
 短い髪を揺らして山頂を見ると、まるで二人がこちらを見るのを待っていたかのように、またぼんやりと山が光っている。昼間の太陽でかすかにしか変化がわからなかったが、そこはたしかに輝いていた。
「宇宙人かな」
 あつしはそう言って、荒船へ向き直る。わずかに高揚した顔だった。彼らの世界にはまだ、近界という広い海を知る術は少なかった。だから荒船──Aの一族も等しくすべてが宇宙人であり、警戒と好奇心とがごちゃまぜになった対象だろう。
 ごくりと喉を鳴らし、あつしと荒船は見つめ合ってうなずいた。少年たちの足先が山の方を向く。光は弱々しく、まだ山頂にあった。

 あじさいの群生の下に、その光は落ちていた。ちょうどAとして自分が隠れた場所とまさしく同じところだった。宇宙空間を巡るための小さな船が口を開け、光がそこから転げ落ちたのだろうとわかる。荒船は周囲を観察しながら状況を把握する。先に歩を進めたのはあつしで、光が懸命になにかの──人の形を成そうと蠢いているのをしゃがんで眺めた。
 一族の者に間違いはないが、かなり衰弱している。明日まではもたないかもしれない。誰かに見つかってしまうか、知らない生物に食べられてしまうか、あるいはこのまま死んで土塊と同じになるか。
 光ははっきりとあつしを警戒している。不完全な体をずるずると後退させ、船に逃げようとする。荒船はその姿に心が軋んだ。いつか戦争で、捕えられた一族のうち何人かが、違う星の近界民にひどい仕打ちを受けたときと同じ感情だった。陰から見ていた己は惨状に目を伏せ、悲鳴だけを聞いた。
(あつしはきっと、そんなことはしない)
 ここ数ヶ月、過ごした中でのたしかな信頼が荒船にはある。
 紫と青の入り混じる花の中へ逃げ込む光の、淡い反射で、そこらの葉や花が透けるように輝く。人間の形を生み出すのがどうやら難しかったらしい。順応しようと懸命だった光は、形を崩して元の丸い光へ戻ってしまった。正確にいえば一族の姿は、球体である核を光らせているので、実体は細胞を持つ丸い球だ。核が壊れればそれで終わりだ。明かりを失い、砂のように消える。
 案の定、あつしは不躾にその場へ立ち入ろうとはしなかった。ただそこに佇み、じっと成り行きを見てどう動けばいいかを考えている。
「あつし」
 か細い声で荒船が呼ぶと、あつしはこちらを振り返った。異様な光景なのに、不気味に静かにしている荒船を不審がったのだろう。眉間にシワを寄せている。
 荒船は近づいて膝をつき、その光を持ち上げた。弱々しく、頼りない光がなんとか荒船の指先へそっともたれ、かすかに核を揺らしている。
 日が翳り始め、風がなびく。
「黙っていてごめん」
 なんとか絞り出した声は、その風に乗ってあつしの方へ流れていく。後押ししてくれているのか、それともこれからくる拒絶をどうにか押し返そうとしてくれているのか。荒船は弱っていく光を持ったまま、苦い顔をした。
「覚えてないかもしれないけど……あつしが貸してくれた上着、ずっと取ってある。いつか返そうと思ってて」
……あ」
 あつしは心当たりがあったのだろう。あの夕暮れ、あじさいの下で震える自分を見つけたとき、雨が降ると伝えて上着を貸してくれたこと。
「荒船、だったのか」
 姿形が今と全く違うから、上着に隠れた姿をたとえはっきり見たんだとしても荒船だとは気づけなかっただろう。荒船の中の核がゆっくり、確実に早くなる。
「この光は、俺の一族だ。きっと追われて逃げてきた……もう追いかけられることはないと思うけど」
「けど?」
「かなり弱ってるし、もうだめかもしれない」
 手の中の光は、わかっていると言ったように弱々しく周囲を照らして見せてくれた。自分がまだこうして小さな細胞の塊であったときのことを思い出す。頼りなげな光だったのだろうか、それとも、強い光を放っていられただろうか。あのときのあつしには、どう映っていただろうか。
「どうしたらいいんだ?」
 あつしの、見せ物にしようとも、親や友人にバラそうともしない姿勢に安堵し、荒船は話を続ける。
「俺みたいに、人間の体を作れる力はもうないと思う」
……そうか」
 荒船の表情はいつになく曇り、あつしも思い悩む顔になった。
 荒船は、最終的に死にいくこの光がどうすればいいのかを知っている。
 それをあつしに言うには抵抗があった。まるでその体を捧げろと言っているようなものだからだ。荒船ではだめなのだ。まだ核が心臓として完全には確立していない。もしも荒船がその手段を使えば、混濁した記憶と意識がトリオン器官を一時的に停止させたり、混乱させたりする。そうなると命が止まるのと同じである。とすれば、きちんと心臓がただの核としてではなく、臓器として自立した人間でなければならない。
(だからって、どうしてここにいるのがあつしだけなんだ)
 日の翳りは強くなる。二人の影が色濃く伸びた。山の緑が深く落ち着き、荒船の足元に木の葉が落ちる。雨が降る気配はないが太った雲がそこかしこに流れていて世界が灰色に見える中、周りに咲いているあじさいの色彩だけが全てになる。
……他には?」
「え?」
「他に、手はないのか」
 あるんだろ、と言いたげな目をしている。荒船は言い淀み、口を開きづらく、顔を背けた。
「荒船がそいつを助けたいなら」
 しまいにはぎゅっと目を瞑り、なるべく全身で怖さから逃げたかった。けれどあつしが近づいて荒船の手中で震えている光を同じように上から包む。あつしの手は血液の流れを透かして赤く光った。一方で、荒船の手もうすくではあるが赤みを帯びている。核としてしか存在しなかったはずの自分の細胞が、心臓を形成し、明確な臓器として機能し始めている証拠だ。けれど荒船はそのうすい赤さを恨んだ。もっと赤く、濃く、色づいたものであれば、あつしにこんなことを言わせずに済んだ。今日はなにからなにまで、タイミングが悪い。
「人間の、体を借りるんだ」
……借りる?」
「人間にも少しトリオンがあるから、せめてそこに入って一生を終える……墓、みたいなものかな」
 そう言うと、あつしは納得したようにうなずいた。
「その代わり、入り込まれた人間の方には影響があるかもしれない」
「影響って」
……体を失ったりとかではないんだけど、たとえばここ数日の記憶が欠けてしまったり……
 入った人間の体にもよる、と説明すると、さすがにあつしも黙り込んだ。
 実際に荒船も、人間の体を誰かが借りたところを見たことはない。過去の事例として文献で知っているだけだ。
 けれどこれだけ衰弱している光体であるのなら、もしかしたら荒船の、まだ完全に人間としての土台が整わない体でも大丈夫なのではないだろうか。そう期待してしまう。意識障害や記憶の混濁も、この弱りによって抑えられているのでは。荒船が光を覗き込んで少しの希望に委ねようとすると、突然あつしが光を受け取った。
「荒船ができない理由があるんだろ?」
「そ、れは……
 端正な目の奥では荒船をすっかり見抜いていた。射るように、しかし決して怒りや諦めではなくまっすぐに見つめられ、荒船はもう言葉が出せない。
「荒船が困ってることは、力になりたい。それに意外と怖くないんだ、この光」
……そうなのか?」
「うん。荒船もまえは、同じ姿だったんだとわかったからかな」
 そう言われ、荒船の核──心臓が大きく一度跳ねた。
 あつしの手に乗せられた光は、待っていたとばかりに光源を強めた。最後の力を振り絞っている。あつしの体への狙いを定め、疲弊し尽くした核の最後の拠り所として、この人間を選ぼうとしている。
 ──人間になってから図書館へよく通い、さまざまな本を読んだ。今まで旅をしてきた星にはなかった知識と歴史が詰め込まれたあの館内を、荒船はいつまでもさまよった。けれどあつしと会ってから、本だけではなく、もっといろんな場所でいろんなものがあるのだと、世界は本当にうつくしいのだと知った。それはなぜかわからないけれど、あつしとだから素直にそう思えたのではないかとはっきり断言できる。
 こんなふうな気持ちの名前を荒船はやはり知らないし、調べようにもそれらしいことは載っていない。調べるところが悪いのか、それとももうすでに、人間は、「誰かを好きになる」ということを教えられなくてもわかるものなのか。たとえばあつしの名を呼んでみたり手を繋いでみたときに、少し体が弾むような、心地よい空気に囚われるような、そんな小さな変化の一つ一つで。
 空にはもう星が降っている。この光の最後のまばゆさも、いよいよ人目についてしまうだろう。それに、あつしの家族もきっと探しに来る。あつしが光を取り込んでしばらくは動くことは無理だろうが、きっと帰れはする。記憶の混濁も、欠損も、どうか大きなものではありませんようにと願いながら、荒船は目を細める。
 せめて、ここ数週間で出会っただけの、自分のことを忘れるくらいであればと祈る。
「あつし」と名を呼ぶと、光に埋もれてわずかに彼がほほえんだのが見えた。聡い少年はそっとつぶやく。
「また会える」
 同じ場所に住んでいるんだし。
 あつしがそう言うと、本当のことのように思えた。荒船がうなずくと、あつしの指先が震えているのが見える。荒船を励ます姿がいくら大人びていようと、やっぱり彼は子どもだった。小さな恐怖を教えてくれるその指を荒船は掴んで、吸い寄せるように手を繋いだ。いつか祭りのとき、はぐれないようにひとときも離さず繋いでいてくれた手の温かさは、今もたしかに存在した。



「UFOの中で会った、宇宙人に」
 そうみんなに説明する穂刈の顔を、荒船は遠くから見つめた。

 ◇

 これは再会なのだが、差し出された握手は「初めまして」を意味している。荒船だけが思う一方的な再会を、ただ笑うだけで済ませたかった。
 十六歳に育った穂刈の手は肉厚になっていて、荒船は握り返す己の指が、かすかに震えているのを悟られないようにした。「また会える」と言った少年が成長し、同じ口で「初めまして」と言うのだから、皮肉なものだと荒船は思う。
 穂刈はさっきまで荒船に背を向けて、別の隊員にも挨拶をしていた。常に周囲に、友人が多かったやつだ。荒船がまだ小学生だったころに出会った、図書館での穂刈を思い出す。読書感想文を仕上げられないほど感情の機微が上手く表せない自分とは対照的に、よく笑っている子どもだと目で追っていた。
 荒船は遠巻きにそれを眺めていたが、穂刈がふとこちらを見た。あの図書館のときと同じように、一人でいた自分の元に穂刈が近づいて、握手を求めたのだ。
「荒船?」
 呼ぶ声は低くなったが、昔と変わらない拍子と脈を持っている。
 ──一方的な、こちらが想うだけの再会に、懐かしさを含んだ全てが荒船に帰ってくる。その渦巻いた感情をどう表せばいいのか荒船にはわからず、これから一つずつ切り崩していけばわかるだろうかと考えた。
 ただ心臓が、穂刈の声を聞いて一度だけ静かに呼応するのを、荒船は心地よく思った。
 荒船はまえを向いて穂刈を見つめた。不思議そうにしている男の顔は、幼少期のあつしの面影を色濃く残す。今でも変わらず荒船はその表情に惹かれている。この心臓の高鳴りが、それを己に教えてくれている。
 そう思いながら迷いなく、荒船隊結成のために必要な最初の一言を放ち、穂刈の手を握り返した。