無題

トイレットペーパーを替えるのもなくなったティッシュの箱をつぶすのもハンドソープを詰め替えるのもスモやんだけど、葉巻の替えを用意するのはロ〜 という現パロのスモロ

 替えのトイレットペーパーを買ってきたが、ローは留守にしていた。今朝、腹が痛いと珍しく訴えてトイレを交代し、出てきたと思ったらトイレットペーパーを空にしていたから買ってきたというのに。
 キッチンを覗けばそこにもローはいない。気まぐれに外にでも散歩に行ったのか。この街の冬の朝は寒いが、肺に入る空気は新鮮だから好ましくはある。おれはそう思っているがあいつが同じかは知らない。
 そういえばローは数日まえにも、灯油ストーブの燃料が残りわずかなのを素知らぬふりして使っていた。不完全燃焼もありうるからそういう使い方はやめろと言ったのにだ。結局灯油は仕事帰りにガソリンスタンドに寄っておれが買ってきた。灯油を注ぐ間、
「寒い」
 と訴え毛布を二重にかけてソファに寝転がるローの横で、おれはため息をついた。こんなのに目くじらを立てていたらかえって胃に穴が開くだけだ。
 おれがローのだらしない滞在を許しているのは、弱みを握られているわけでもなんでもなく、こいつが家賃と称してかなりの額をこの家に納めたからだ。光熱費、消耗品費、全てをまかない余りある額を突然寄越してきた。「いらねェ」と言ったら、
「どうせ金もないくせに強がるんじゃねェ」
 と笑われ、堂々と家に入ってきた。
 ローは医者だ。病院で我を忘れたように働き、目の下に隈を作ってここへ来る。使うあてのない金だけを運ぶ痩せた体は、深夜なにも言わずに玄関から入り、幽霊のように棒立ちのまま寝ていたこともあった。そこそこ大きな体を引きずって風呂へ押し込み、黙ってシャンプーをされながらローがゾンビのような声をあげていた日も一日、二日ではない。
 そういう背景を、語ってしまうとだめだとわかっている。同情と哀れみ、そしてローは程よく顔がいい。ここで見捨てるのはおれの方が薄情だと言われる。おれは医者ではなくただの消防士で、周りが早々と結婚していく中独身で気楽な生活で、だからつまりローの方が大変かつ悲壮感があるからお前が面倒見るくらいでちょうどいいだろう、ということだ。
(生活能力がない男だってだけだろ)
 けれどそういうのを、甲斐甲斐しく世話をしたがるやつは多い。ローのなにがそう思わせるのかわからないが、同居のことを伝えると同僚の何人かは色のある目をしてこちらを見ていた。
(手ェ出したのか、じゃねェんだよ)
 あいつらの視線はさも、「俺なら手を出すけどな」と言わんばかりの食いつきぶりだった。
 トイレットペーパーもハンドソープも、ティッシュも灯油も詰め替えない男だぞ? と心の底から毒を吐き、喉奥から言いかけたが、理想に目と鼻を膨らませ輝かせていた下世話な同僚にくれてやる言葉はなかった。時間の無駄だと思った。
 ──ローが帰らないまま昼すぎになった。
(とうとう愛想を尽かしたか)
 と葉巻を引き出しから探り出し、ないことに気がついた。これはローが吸うわけではないからストックがないのは自分の落ち度で、買い足しに行くのは紛れもなくおれでなくてはならない。けれどいらついた。なにもかも、買い物のときにまとめて購入しておけば何度もスーパーやタバコ屋に足を運ぶ手間は省けるのに。いつも運悪く、おれが家にいて、ローが物を使い切るタイミングに当たる確率が高いのだ。そしてそういうときは大抵、スーパーから帰ったあととか、食材もなにも切れてなく充実しているときだったりするのだ。
 仕方なく重い腰を上げて、上着を羽織った。オイルの抜けてきたこのコートも整備しなければならない。ついでにそういう細かい用事も済ませて、今日こそは他に買い足すことがないように、家の中を見回して在庫を確認する。
 ガチャッと玄関のドアが開いたのはそのときだった。寒い空気がリビングへ入ってくる。珍しく休日であるローが帰宅した音だ。おれは眉間のシワを取らないまま対峙した。胸と腹あたりに風がくる。しかしもう着込んでいるから、大した寒さは感じない。
「これ」
 手を出せと暗に言われ、疑問の目を向ける。ローは無言だ。ビニール袋に入ったなにかを押し付けるようにおれに持たせてやっと、
「寒かった」
 と言った。
 指先の感覚からして、これは葉巻だとわかった。葉巻を買いに行くには一キロほど歩かなくてはならない。おれは今コートを着たばかりだからまだ体は暖かいままで、ローのマフラーの端と靴には雪がついていた。
 また一つ、予定が狂った。葉巻を買いに行く予定がなくなり、ただ褪せたコートを服屋へ見せてオイルを塗り直してもらうという、さして緊急でもない用事だけがぽつんと浮ついている。くそ、とぼやいておれはコートを脱いだ。最大の目的である葉巻が手に入った以上、そんな用事のために寒空を歩くのは面倒くさく思えたのだ。
……なんか飲むか」
 とローに尋ねると、
「コーヒー」
 とだけ返ってくる。リビングのドアを閉めるともう寒い風は入ってこなくなった。ローは相変わらず、灯油の切れそうなストーブを点火している。