嫉妬の話

人と仲良くなれるほかりが、無自覚に生む弊害の話 本誌を読んでからあまりにそつなくこなすほかりに夢見てる もう少しで成立しそうな穂→(←)荒のときです
とても人間臭さのあるモブ視点ですし、モブが傷を負って大人になるための階段…みたいな話でもあります

嫉妬の話

 穂刈とは、大学一年の春に知り合った。彼のことはボーダー隊員だから広報サイトを見て知っていた。
 度重なるボーダー関連の報道、未知すぎる近界民との戦闘の数々。全てが僕の中で途方もないことのように思える中、隊員たちは当たりまえのように学生生活をこなし、友達と笑い、時を過ごしている。
 穂刈はそういう人たちの中でも気さくな方で、あのボーダー隊員と仲が良い、という、少しばかり特別な感情も僕にはあった。特別、というのは恋愛のような甘いものではなくて、ただ大学一年の、まだ右も左もわからないうちに隣の席になり、話をして、教養過程の授業は必ず一緒に行動をし、昼休みの学食も共にする仲の良さがある、という意味だ。けれど少なからず、大学に入ってからの穂刈をわかっているという自負があった。
 彼の口からボーダーについての不安や、所属している隊についての話題を聞いたことはない。そういう類の悩みは言わない、というふうでもなかった。基本的に頭の中で整理してまとめ、解決してしまえるようだった。普段二人で話すのは、大学の授業の話や教授の眠たそうな顔をひそかに笑うなど、校内で起こった些細な出来事についてがほとんどである。その延長線で僕が「彼女が欲しい」とつぶやくと、穂刈は口の端をつり上げて笑い、独特な話し方で、
「頑張れよ、すぐできるんじゃないか、お前なら」
 と応援する。
 じゃあ逆に穂刈は欲しくないのか? と聞いたことはない。僕はまだ、一方的に自分の話題だけをまくし立てる青すぎる少年だった。他人と比較してしまうのも僕が未熟故なのだが、そんな少年の僕に比べて穂刈はよく周りを見ているし、現実的な男だった。ひけらかすこともなく、謙遜しすぎることもない。
 夏祭りの話をするときは楽しそうだったり、面倒くさい授業があるときはしかめ面をしたりする。穂刈からそういう年相応の行動が垣間見えると、僕はひどくほっとした。誰かの自然な姿、失敗、情けないところは、口には出せないが心の内側で安堵をもたらす。
(穂刈も僕と同じ人間だ)
 と胸を撫で下ろすことができるのだ。僕はまだ、そういう物差しでしか人を測れなかった。

 大学一年の後期になって教養課程は大きく減少し、専門分野の学習が増えた。穂刈とはどの授業も一緒になることが多くて、僕を含め複数人とよく行動を共にしていた。そこにはボーダー隊員の村上もいて、穂刈は僕が外していて用事がなければ比較的村上とボーダーの話をしていることがほとんどだった。「穂刈、時間だよ」と声をかけると、
「ああ、今行く」
 と村上の隣から立ち上がった。村上は僕にも手を振ってくれる。彼はこの授業の単位は必要ではないとこの間話していた。
 ボーダーでの行動は見ることができないから主に大学での話になるけれど、穂刈が村上か、影浦あたりと過ごすことはたまにあるみたいだ。高校のときに同じクラスだったという三人は、ときどきご飯を食べに行ったりしているらしい。もう一人、水上とも同じクラスだったそうだが、大学では科が違うので教養授業でも一緒にはならない。一度会ったことがあるが掴みどころがなく少し苦手だった。六穎館からここに入ってきたボーダー隊員たちも、僕らとは科が違う。
 それ以外で、穂刈が特定の誰かと共にいるのを、僕以外であまり見たことがない。
 僕はそのころ、彼女ができて一ヶ月ばかりだった。初めてできた彼女に浮かれていて、穂刈に少し自慢をした。この日も僕は教室へ向かう間彼女のことを話していて、
「相変わらず惚気てるな、お前は」
 と笑われた。
 ……今が、穂刈は彼女か彼氏が欲しくないのかを聞くタイミングじゃないだろうか。
 たとえば、同じ学年ではない隊員だったり、大学の専攻課程で同じ教室になる人たちだったり。彼を好みそうな人はいくらでもいそうだし、人当たりの良い明るい性格だから、告白されているのを見たこともある。
 ──そういえば穂刈が入学当初、少しだけ髪を染めたけど、すぐに戻してしまったのを覚えている。
 大学デビューだと笑った彼は色の抜けた髪を引っ張りもてあそんだ。「似合ってるね」と言ったけれど、
「ありがとう」
 と笑う彼は、愛想の良いいつもの穂刈だった。
 彼はすぐに髪を染めるのをやめて、伸びた髪を切り、真っ黒に戻した。短いえり足が新鮮だった。僕より少し背の高い穂刈の、刈り上げた後頭部を見るのもまた好きだった。「どうして髪を戻したの?」と聞くと、
「釣り合わないと思ってな、いろいろ」
 と肩をすくめていた。
 似合わない、のではなく釣り合わない、と言う。僕は彼の髪をどんな形であれ似合うと思ったけれど、そうではなくてなにかと、誰かと釣り合わないと感じたからやめたのだと言う。
 ファッションとして、似合うものに自分が傾くのは当たりまえだと思う。僕だってそうだし、みんなもそうしているはずだ。だけど穂刈の判断基準は周りと違っているみたいだった。僕にはそれがわからなかった。僕には、自分と自分を取り巻くほんのわずかな半径に目を向けることで精一杯だった。そこに相反するものや、どこか思い通りにいかないことがあるのは当然なのに、理解をしようと努めようだとか、理解に至るまで考え続けるなんていう真似はできなかった。
(ボーダーに入ると、そういった部分も妙に大人びてしまうのかな)
 と、当時の僕は思っていた。

 ◇

 教養棟を抜けて学食も食べ終え、まだたっぷり休み時間が残っているというとき。穂刈が数回、スマートフォンで連絡を取り合っている。珍しい姿だと思っていた矢先だった。
「荒船」
 と穂刈から、初めてその名前を聞いた。遠くにその人物がいたようで、僕は顔を上げてまえを見る。
 廊下の先で、キャップをかぶった男がスマートフォンを見つめていた。穂刈に呼ばれてこちらに気づき、手を挙げる。僕は彼を名前だけなんとなく知っていた。彼は穂刈が所属する隊の隊長だったはずだ。
 さっきまで彼が連絡を取っていたのはきっとこの男だろう。僕は穂刈に紹介され、荒船と挨拶を交わした。村上ほど話しかけやすい雰囲気ではなく、水上ほど無愛想でもない。ただ、
「こいつ、いつも面倒かけてないか?」
 と穂刈の肩を叩いて茶化し、僕にほほえみかけてきた。穂刈が「んなことねぇよ」と笑っていた。
 彼らの距離は、他のボーダー隊員のどの人間よりも近かった。そして慣れ親しみ、心を許している距離だった──その行動に、僕の胸が傷を負ったように痛み、わけがわからず混乱する。
「面倒だなんて」と言葉を紡ぐのに精一杯で、あとは二人の会話を見守ることしかできなかった。そして荒船がキャップを一度被り直すと、明るい髪色が現れてすぐに「あ」と声をあげそうになった。
 穂刈が釣り合わない、と言って髪を染め直したあの日を思い出す。穂刈は、僕が似合うと言った髪の色を元に戻し、荒船に釣り合う方を選んだのだ。どんなものにでも穂刈だから良しと言う、僕の幼稚な甘やかしなんかより、彼にはちゃんとした荒船という芯があった。依存でも、執着でもない、対等な関係を築いている彼との間の芯だ。それは彼にとって無意識で、別に僕に対して冷たくしようと思ってやったわけじゃいない。ただの僕の、一方的な勘違いと苦しみだ。
(今もお互い、嬉しそうに見える)
 僕の背筋に鳥肌が立つ。穂刈にとって、対等でいられるのはただ一人この男なんだとはっきり理解させられた。僕は、大学時代のほんのわずかな隙間を一緒にいるだけに過ぎない。その限られた中で彼のことをわかったつもりでいた。なにをおごっていたのだろう。ボーダーという組織で、作戦も訓練も戦場も、全てを経験している互いの関係値には圧倒的に敵わないと悟る。
(僕には彼女もいて、他に友人もいて、別に穂刈に固執することはなにもなかったはずだ)
 けれど彼とつながりがある、という特別感に支配されていた。自分がとても小さく感じる。荒船も穂刈も、僕が僕自身を矮小わいしょうに感じているなどと当たりまえだが気づかずに、二人で話を続けていた。
 僕の子どもじみた執着は、静かに崩壊している。無性に彼女に連絡を取りたかった。けれどこの彼女というものだって、僕は単に、穂刈と対等に並びたくて作ったのではないかと錯覚する。スマートフォンを握る手が震えていた。本当は、もうずっとまえから、どうしようもない僕の浅はかな依存心に震えていたんだと思う。
 まもなく話が終わり、荒船は次の授業を受けるために別の棟へ向かう。穂刈はしばらく佇んだまま彼を見送っている。少しして、僕に言った。
「追いかけていいか、やっぱり」
 僕は力なんてまるでない声で「いいよ、先行ってるな」と告げた。穂刈は不思議そうに僕を見ながら「悪い」と言い、荒船の方へ走る。声をかけられた荒船は驚いていて、けれど穂刈が横に並ぶのが当たりまえのようにまた歩き出した。
 勝手な執着は、もはや恋に似ていた。けれどあっという間に終わりを迎えた。僕はなるべく誰とも会わないように気をつけて廊下を歩いた。まえを向いて話したら、醜い自分が漏れ出てしまいそうだったからだ。