北極星の話

ずっと口説き損ねてるスモの話、結構健気 首の後ろに新しく入れ墨を入れたローが出てきます
phでローの治療している姿をあまり見る機会がなかった&海軍本部にコ…さんの墓があるという捏造があります
bgm:U②「Song for someone」

北極星の話



 買うときに、「がらじゃない」と言われた詩集を閉じた。なだらかな波に乗り、船の揺れも小さくなる。
「もうすぐ着くぞ!」
 周囲の人間は慌ただしく荷造りを始め、長旅に別れを告げるべく甲板へ上がっていった。空と、そのさきに見える島を眺めたいのだろう。
 スモーカーは同じようにしなかった。葉巻に火を付けるために上がることはあるが、今回は珍しく吸うのをやめている。不摂生をまたとやかく言われるのは嫌だからだ。
 小さな漁船が、この船を避けるために舵を切っているのが窓から見えた。しばらく漁船の動きが止まるから、獲れた魚を狙ってウミネコが急降下する。その姿はここ一帯で見かける風物詩だと、かつて島の人に聞かされた。漁師たちは毎度数匹は魚を奪われ、それでも「鳥たちが食いつなげるなら」と気さくに話す。街も、水も、景色もいい。住むのにはたまらなく魅力のある島だから、土地の価格が年々上がっている。
 スモーカーは、手に持ったままの詩集を鞄にしまう。この本を「柄じゃない」と言った男に会いに行く。

 ──トラファルガー・ローが医者としての腕も優れていると知ったのは、戦争も終わってずいぶん経ってからだった。
 パンクハザードでシーザーを捕まえたのち、各々の船で治療に当たるのは見た。遠く甲板から声をあげ、足りない包帯の数を告げていた。手際の良さはわかっていたが、針の動きも処置の正確さもスモーカーは見ていない。
 ある日突然ローから、
『治してやろうか?』
 と海軍へ連絡が来た。スモーカーがドフラミンゴにつけられた傷が、歳をとって急に悪化したのが原因だ。気圧が下がればぎしぎしと関節が鳴り、傷口が痛む。数年かけて治ったはずの縫合跡が、今さら痛み出すのはなぜなのか。どこから嗅ぎつけたか新聞屋がスモーカーの不調を記事に起こし、市民からの見舞いに紛れてローの手紙が入っていた。
 海賊に傷を見せるリスクを懸念し、無視し続けていた数ヶ月後、本人がセンゴクに連れられてやってきた。スモーカーの執務室を開けたもと元帥の横に、ふてぶてしく立っていた姿は今もスモーカーの胃を痛めつける。
「わしのところに寄ったついでだ、お前の傷がおかしいのも診てもらえばいい」
 大目付の機嫌の良さそうな顔とローを交互に思いきり睨みつけるが、二人は毛ほども気にしていない。
 そのとき、ローからわずかに花の香りがした。海軍本部下の町で売られている匂いと酷似している。その白い花はよく墓に添えられるため、多く入荷しているのだといつか花屋の店員に聞いた。スモーカーの体に傷をつけ、今になっても後遺症を残した人間の、弟ロシナンテのことを思い出した。ローとの関係は調べ済みである。
 顔をしかめることしかできなかったスモーカーは結局、副官に「三十分は誰も入れるな」と伝えてローと二人きりになった。ローの診察は的確で、回復期に無理をして体を動かした報いが今になって出てきているのだと言う。外科的処置はどの医者よりも素早かった。
「なんでおれを治そうとしてたんだ」
「決まってる。借りができるだろ」
「とっとと返したいから要件を言え」
 長らく借りっぱなしになれば、いつ無理難題をふっかけられるか。スモーカーは眉間のシワをより深くして尋ねる。
「さすが白猟屋だな、海賊をよくわかってる」
 悪どく笑うローを睨むと、彼は肩をすくめた。
「お前が管轄している島のうちの一つを買い取りたい」




 スモーカーが港に着くと、慣れない船旅で酔った数名がふらふら歩いていた。仲間に支えられているのを横目に見ながら、自分が最初に船酔いをしたのはいつだったか思い出す。
 海軍へ入隊後すぐには船に乗せてもらえない。長い下積みを経て階級を上げ、初めて大型の軍艦に乗って海に出られた。運悪く初日から波が大きく、海兵は皆一様にぐったりしていた。スモーカーも同期と一緒に倉庫でまるまりながら、朝が来て波が落ち着くのをただひたすら願った。そういう日が数日続き、あの横に揺られる感覚に耐性がついた。
 操舵者が上手いか下手かにもよる。今日まで乗ってきた客船の操舵者はあまり上手いとは言えなかった。
(あれでよく観光船を任されたものだ)
 自分が舵を取った方がよっぽどマシだったかもしれない。
 春島の真ん中、緑の多い木々が生えたあたりから、小高い山並みが見える。港から歩いていくには距離があるから、馬車や馬を引いた人間が多く闊歩かっぽしていた。港らしく魚を売っていて、活きのいい商売人の声が上がっている。海軍本部の町でも同じような光景はよく見かけられるが、海兵がうろつく厳戒なあの町より、気楽そうな雰囲気を感じた。スモーカーは青や白の屋根と壁に囲まれた道を歩く。
 歩くうちに暑くなり、新兵時代から使っている古い荷物入れに上着をしまう。黒いTシャツとジーンズ姿で、長く伸びる大通りへと向かった。

 ──あのとき、買い取る島を下見したいと言われ、ローに同行した。
「ついでに休暇を取れ、たしぎが休めなくて困っとろう」
「い、いえ、そんなことはないです!」
 センゴクの一言にスモーカーの副官は首を振る。そう言う彼女の目の下にはうっすら隈が出来ていた。
 いつかヒナに言われたことがある。女にとって睡眠不足は美容の天敵だと。そんなことを気にしたこともなく振り回していた。たしぎだって了承済みのはずだとヒナに言えば詰め寄られ、一時間説教をされた。忌まわしい記憶に天を仰ぎ、休暇申請を取る隣で、ローは終始ニヤついていた。
 島へ向かう船内で、ローとは終始なにも話さなかった。部屋も別だ。窓から見える景色だけは同じだった。持ってきていた書類の一部も暇つぶしに読むための本も全て見終え、日課にしているトレーニングをしていると、錨をおろすための慌ただしい準備が始まった。
 スモーカーがその島へ入ったのは、これが最初だった。ここからは地図を見て地形を把握し、ローのやりたいことを叶えてやらなければならない。早く借りを返し、面倒ごとは先に終わらせたい。
「ここで、住む家を探す」
 つまり、次の潜水艇ができるまでの仮住まいを見つける、ということらしい。
 ……ポーラータング号は真っ二つに割れ、海の底に沈んで引き揚げられなくなった。潜水艇を新しくすることはハートの海賊団のクルーたちで意見が分かれ、話し合いを重ねてやっと決まったそうだ。
「クルー全員で住むのか」
「まさか、おれ一人だ」
 他のクルーはそれぞれ、研鑽を重ねて一年後にこの島に戻る予定だ。まだ見ぬ食物を探しに出かける者、読んだことのない歴史に触れたい者、より深い海を潜る者。新しい船をもう壊すことがないように、それぞれの経験値を上げて戻り、ふたたび海賊になる。
「だから今は休職中だ」
「できれば永久に休んでいてほしいもんだが」
 葉巻の煙をわざと多めにふかせば、ローはほくそ笑んだ。
「おれが海賊じゃなきゃ追いかけ甲斐がねェだろ」
「追いかける海賊なんざ、少ない方がいいに決まってる」
「歳を取ったな」
「海賊が少なければいいと思うのは当たりまえで、民意だ」
「おっしゃる通りで」
 嫌味たらしく肩をすくめるローは、スモーカーのまえを歩き始める。
 そのときのローの首に、まだ入れ墨はなかった。




 大通りの終盤、島で唯一存在していたはずの書店が潰れていた。店の主人が病になったらしいが、酒の飲み過ぎという噂もある。今はこの島に図書館ができていて、そちらを利用する客の方が多かった。小高い丘の裏側にある図書館で利便性に欠けるが、それでも無料で本を読めるのであれば島の人は苦労を惜しまない。
 スモーカーは、三度目にこの島を訪れ、潰れるまえの書店に立ち寄った日を思い出す。

 ──いらっしゃい、とカウンターから声をかけてきた店の主人は、まだ元気だった。自分たちを見るなり退屈そうな顔をしてふたたび新聞に視線を戻す。周りには埃が積もっていて、手間をかけて店を整理している様子は見受けられない。
 他に来ている客はまばらで、天井から吊るされているライトは二つほど点灯していない。薄暗い書店の奥で、ぶつぶつと独り言をつぶやきながら本を読む年寄りと、古い絵本しかないコーナーで子どもが嫌そうに表紙を眺めていた。それでもここが目的地だとローは告げる。
 ローが探していたのはここ一帯の海図と、地方に広まる伝承を集めた記録だ。書店の規模やさびれ具合から察するに、海図や記録の正確さは非常に疑わしい。スモーカーは「やめておけ」と伝えた。けれど、
「そのうさんくささがいいんじゃねェか」
 と楽しさを滲ませるローを見て、口をつぐむ。海賊の冒険心はどこに働くのかわからない。それとも海賊だからではなく、トラファルガー・ローだからだろうか。
 スモーカーが持たされた詩集は、このときにローが勝手に購入し、押し付けられたものである。
「たまには情緒的なもんを見たらいい、柄じゃないだろうが」
 余計なお世話だと噛みつこうとしたが、持っていた鞄に差し込まれ、結局今まで持つ羽目になった。
 島を一回りして汗を流し、あと数軒他の店を見たら昼飯を取ろうと言われた。海兵と共に飯を食べるなど、珍しいこともあるなと片眉を上げる。しかし今、この男は海賊を一時休業している。だからスモーカーにはローを、彼が海賊であるという理由で突っぱねることができなかった。
(性に合わん、と言えばいい)
 ふと、頭をよぎる。言葉に詰まる。喉の奥で答えを探すうち、「次はあっちの店へ行くぞ」と引っ張られ、軽口を叩き合い、気がつけばもう昼食の席にいた。
(我ながら、チョロいんじゃねェか)
 額に手を当ててうんうん唸っているのを、ローに「なにやってんだ」と呆れた目で見られ、勝手に注文された。
 料理を待つ間、ローは書店で仕入れた本を数冊、丁寧に検分していた。明らかに歪んだ線で描かれた海図、読めるのかわからない掠れた文字。一枚ずつめくってはうなずいて、昼食が来るまで飽きることなく眺める。
 ……そのときのローの首には、入れたばかりの入れ墨が落ち着くまで、包帯が巻かれていた。

 それからスモーカーは、四度、五度とローの診察を受けにこの島に来た。診察を始めるまえに必ず散歩をし、そのたびに知らないものを一つずつなくしていった。二人で歩いた思い出ばかりが募るのは、これといった観光名所のない島で、目新しい刺激がないから覚えているだけなのか。
 今回も港からまっすぐ診療所まで歩き、玄関のまえでローの出迎えを受けてその話をすると、彼は鼻で笑った。
「なんだ、歳取って昔を懐かしむようになってきたか?」
 この旅路で量が減らなかった葉巻のケースを脇に置き、鞄を置く。
「かもな」
 すんなり認めたスモーカーに拍子抜けしているローの顔は見ものだった。
「そういう性格じゃねェだろ、お前は」
「詩を読むようになったり、思い出話で旅路を懐かしんだり……あとは、ちゃんと医者にかかるために定期的にここへ来ている。たしかに柄じゃねェ。自覚はある」
 傷が癒える時の流れと共に、スモーカーはローという人間を、表面上でしかわかっていなかったと改めて感じた。島の話をする、仲間の話をする。その口ぶりに、「愛」や「友達」の姿が透けて見えた。そこは決してスモーカーには触れられない──ローが悪いつらをするその下に情が潜んでいると知ると、スモーカーにはどうしていいかわからなくなる。だから、いつもの己らしくない動きをしてしまう。詩集など、読んでしまったせいだ。誰かの感情の吐露や切々とした思いを紙の上とはいえ目の当たりにして、自分にも影響を及ぼした。全くローの思惑通り、情緒的なものを学ばされたわけだ。
「島に来るまで葉巻もやめてるしな」
 匂いがしないぜ、とローは感心する。
「丸くなったな、スモーカー。従順な海兵は嫌いじゃない」
 てっきり、お前はお前らしくいろ、とでも説かれるかと思った。もしかしてこうなることを予測していたのだろうか。
 ローは白衣に下げた聴診器を机に置き、キッチンへ引っ込んだ。ボトルにコーヒーを注ぎ、ふたを閉める。また今日も診察のまえにスモーカーをどこかへ誘うつもりだろう。
 とっくに包帯の取れたローの首のうしろには、星と、方角のマークが書かれたタトゥーがくっきり見えた。ポーラースター(北極星)をかたどっている。
「おれは海兵で、船乗りだ。北極星を見つけて進路を取ったに過ぎない」
「へぇ……口説いてんのか」
 ローは手で首を押さえた。彫ったばかりのタトゥーの手触りはどんな具合なのか、スモーカーはまだ知らない。
 ──ローが首に入れたタトゥーは、かつてハートの海賊団が乗っていたポーラータングに想いを馳せたものだ。一針目を入れたとき、久しぶりの痛みと歓喜の震えがあったそうだ。何度目かの島への来訪の折、ローはどこか倒錯的な目でその話をした。マゾヒズムかと問えば違うらしい。コラソン──ロシナンテの想いを忘れないためにタトゥーを入れたときも同じだったと告げられ、スモーカーはまた黙るしかなかった。
 いつかこの男が海軍本部へ来たときの、花の香りを思い出す。その花の下で眠る人が、ローの中でずっと道を照らし続けている。そして、スワロー島の友達やクルーたちがその道をつなぐ。タトゥーは、彼がそれを理解しているという証にも見えた。
 そうして刻まれたローの信念も、これからの彼の行く先にも、決して一番に自分の名前は挙がらない。スモーカーは、今は海賊ではないこの一般市民の医師である男でさえも、捕まえられないのだ。
「だからそばにいろって言えずにいたってか」
「言ったろ、永久に海賊稼業なんざ休んでいればいいって」
「あれはてめェの考えじゃなく、民意なんだろ?お前だって、釣った魚にはエサをやらなさそうだ」
「ああ、おれは大佐やハートのクルーみてェに、お前を大事にはできないからな」
 ローも、スモーカーが真っ先に考える物事の中に、自分は含まれないとわかっているはずだ。だからピク、と眉を動かすだけに留まった。
……急に不摂生をやめたり、口説いてみたりすんのは、お前が人を抱くまえの常套手段か?」
「言うことを聞くようになったのは、とっとと傷を治すためだ。それに」
 スモーカーは葉巻を吸いたいと思った。こんなとき、手元になにも持っていないからどう体を動かしていいのかわからない。ごまかしが効かない状況に、諦めて腕を組むことで姿勢を安定させた。シャツ越しに見えていた腕にも走る傷は、数ヶ月まえよりはるかに癒えていた。
「てめェは、口説いたら次の日の朝には消えてるだろ」
 ローが、組んでいた腕を外して頬杖をつく。まじまじとスモーカーを眺め、息を吸った。
……言うようになったじゃねェか、白猟屋」
「誰かさんが勝手に押し付けた詩のせいだ。ありがたくも感情的な表現が少しはできるようになった」
 嫌味を半ば投げやりに発して、面白そうに笑っているローに対し舌打ちをする。
 ローがコーヒーの入ったボトルを肩からかけ、スモーカーの分を放った。中に入っている液体がチャプンと音を立てる。ゆるんでいた靴紐を締め直し、上着を羽織った。コートかけにはいつかパンクハザードで着ていたような真っ黒い服はどこにもない。ベージュ、白、明るい色味の上着がかけられている。
「──明日、クルーが帰ってくる」
 だから今日で診察はおしまいだ。ローが低い声でつぶやいた。
「明日からは本業復帰、もうお前から逃げなきゃいけなくなる」
「北極星ってのは、動かないもんだろ」
「悪いな、常識的じゃなくて」
 ローが部屋の電気を消した。薄暗くなった室内には窓から入る光が細長くデスクを照らしている。整頓されたデスクは荷物をまとめればすぐにでも誰かに住むのを明け渡せそうだ。
「海兵なら、ずっと追いかけ続けろよ。お前に惚れられて追いかけられてるって言いふらすのは、楽しいそうだ」
「絶対にやめろ」
 今日は夕飯の調達と、島で採れた珍しい野草を分けてもらう予定だと聞いた。スモーカーが歩いてきた港から続く長い道をまた戻る。これで最後になる、たった一日の共に過ごす時間を始めるため、スモーカーは玄関のドアを閉めた。