現パロタクシー運転手×海洋学者

ナンパされて持ち帰られるスモの話

 

スモーカー……何度も転生を繰り返してて転生前の記憶がないタクシー運転手。前職の激務体制に嫌気が差して辞めて転職したけど、ここもそれほど変わらない。

ロー……同じく転生何度目かで、最近になって記憶が少しずつ戻りつつある海洋学者。研究用に船を持っていて、たまに学者仲間によくわからない現地のお土産を買ってくる。







「くじら座は、一般によく知られてる海棲かいせい哺乳類の形じゃない」
 濃紺の空を仰向けで見つめながら、男がつぶやいた。
 初対面に話しかける内容にしては堅苦しいと思いながら彼を見る。酒酔いの赤ら顔は気にしていないようだった。
 ──男は公園のベンチで横になっていた。スモーカーが一服のためにいつも訪れる公園だったから、先客の存在は珍しくてすぐ気がついた。
 こんなところで寝ていたら、朝には服も財布もなくなる。注意しようとすると、
「強面のお前が横にいたら、そんな心配ねェだろ」
 と失礼な返答をされた。強面と断言されることも、そう言いつつこの顔を頼られていることも、不快と快の間をうまく泳ぎ切られたようで癪だった。スモーカーは、あくまで休憩する間だけと男に告げ、タバコを一本吸い終わるまで仕方なく横に座ってやる。腰を下ろした途端に星座の話を振られるから、てっきり天文学でもたしなんでいるのかと思いきや、その空を映している海を眺めるばかりの仕事だと聞かされた。
「じゃあその専門のお偉いさんと、飲み会の帰りか」
「懇親会ってやつだ、ありがたい先生方の説教付き」
 ありがたい、に重苦しい抑揚を込め、男はため息をつく。
 同情はできる。彼が言うような先生方という人種の送迎は、何度もやったことがあって、後部座席で自慢話ばかりするのを見てきたからだ。
「生まれ変わったら、好きなもんだけに囲まれて過ごしてェ。気心の知れたやつらとか、動物とか」
「フィールドワークに出たら、動物もいるだろ」
「いつも運よく、海洋生物がいるってわけじゃねェからな。ウミガメも、イルカも、きれいなサンゴも一切見られないことが多い」
 男──ローだと自己紹介をされた──はスモーカーの、海洋学者という肩書きへの幻想を打ち砕く。
「小さいころは、新種を発見するかもしれないって期待してたな。あのくじら座みたいな化け物を」
……そんな怪物を見つけてどうする」
「おれと来るか? って聞く」
 フィールドワーク用に船を買った、とローは自慢げに鼻を鳴らした。
「乗せられるほどの大きさなのか?」
「そこまでじゃねェが、でも」
 テンポよく話していたのに、急に歯切れが悪くなる。
「昔乗せたことがあった気がするんだ、ずいぶんデカいやつを──白熊と、シャチと、ペンギンも」
 言い淀んだのは、その誰も信じないような話を漏らすのをためらったからだろう。けれどローの目は、中心に光を灯していた。
 酔いが幻覚を見せているのではないだろうか。吐かせるか、水を大量に飲ませてとにかく寝かせるか。スモーカーは冷静に、介抱の必要性について考えた。同時に、海洋生物と船に乗って旅をするなんていう絵本のような世界を、真剣に思い描いている青年に驚いていた。夢見がちと言うべきか、無垢な心を持っていると捉えればいいのか。
 スモーカーのタバコは残り少ない。灰が地面に落ち、一瞬の明かりを宿して消えた。数センチに満たないそれを指でくわえ直し、煙を漂わせる。
「おれァ乗れねェな」
「なんだ、乗りたかったのか」
 スモーカーの視界に、ローの皮肉っぽい口の端が入る。
「今日会ったばかりだからな。気心が知れてるって条件から外れてる」
「おれが海洋学者で、船を持ってて、ちょっとした夢があるってことを知ってんだ。じゅうぶん気心が知れてんじゃねェか?」
「そんなに単純な男なのか、てめェは」
 人にはいくらでも秘密がある。スモーカーの顔の傷一つとっても、語るのに数分では収まらない過去がある。こんな少しの情報が彼の全てではないだろう。
 けれどローは首を振っていた。
「もう、単純に生きてんだ。隠しごとも、裏切りもなくな」
 自由だ。と続けたローが、しかし次には眉根を寄せる。
「けど、ときどき面倒だ。今日みたいな懇親会は特に……まあそれも、許容できるもんは許容してる」
……そうか」
 わかったように相槌を打ったが、実のところ、この男の自由という意味をスモーカーは理解できない。スモーカーは今でも、面倒でつまらない飲みの席は出ないし、楽しくない酒は飲まないと決めている。そういうものを我慢しながらも、どこか達観しながら参加するのは、いつまで経ってもできない。大人気おとなげないとはわかっている。
「じゃあ、おれが気心が知れた人間だとわかったところで、どうする」
 タバコはすっかり灰になった。もうそろそろタクシーの無線に、次の指示が入ってくるだろう。
「今から船に乗るなら、しっかり寝て酒を抜いて」
 ローはふたたび空を見る。
「昼に出る。飯も、水も大量に積んでおかねェと。お前はよく食いそうだ」
「タバコもだ」
「それは自分で買ってこい」
 あと船内は禁煙だ。とローが冷たくあしらって、体を起こした。
「おれの船に乗るか、だなんて」
 まるでナンパだ、と自嘲している。ローがベンチから立ち上がる。スモーカーは、吸い殻入れにタバコをギュッと押し込んだ。
「なんだ、ナンパじゃなかったのか」
 そう言いながらローと同じように立ち上がり、タクシーへ向かう。無線がザラザラと音を立てていた。事務所から新しい依頼先の知らせだ。そのスイッチを切ると、秋の終わりを必死に歌う虫の声しかしなくなった。鈴のような音色の中で、ローが立ち尽くしている。
……家に来んのか?」
「酒を抜くんだろ」
「船には」
「てめェの酒が抜けて、おれを乗せるなんて言ったのがでまかせじゃねェってちゃんと誓えるんだったら、考えてやる」
「でまかせじゃねェ、けど」
「あ?」
「面白いな、強面のおっさんを持ち帰ってんのは」
……運転すんのはおれだぞ」
 ふらふらとタクシーに吸い込まれるようにローが歩く。スモーカーは酔っ払いに合わせて、足取りを少し遅くした。ドアを開けてやるとローが仰々しく後部座席へ身を屈める。
「いつかお前と、船に乗りたいと思ってた」
 ローがぼそっとつぶやいたそれを、スモーカーの耳が拾う。あまりにも焦がれるような言い方に「どこかで会ったことがあるか?」と聞きたかったが、それではまるでナンパの意趣返しだ。黙って運転席に回る。
 タクシーの中はライトが消えて暗い。座ってまえを向いているローの横顔はぼんやりとだが見えていた。船と聞けばいつもなら、淡い光を受けて海面を走る姿を想像するのに、暗がりにいるローを見ているとなぜか、この男には黒い海底が似合うとスモーカーは思った。