凍った池での話

凍った池に出くわして、ロ~が⛸️滑るのを見るスモの話 
本当に素敵なのは能力が高いことやかっこいいことじゃなく、ただじっとそばにいて話を聞いてあげること という話でもある
👒が🏴‍☠️王になった後くらい

凍った池での話

 耳がいいというのは便利だ。冷えた空気がキンと辺りを静まり返らせているのがわかる。
 ローと二人で歩くのは久しぶりだった。いつもは必ず誰かが周りにいて、作業を任されたり、急な仕事に呼ばれたりする。この男とはパンクハザード以来もう一度、二人きりで話してみたい、と思っていた。果たしてそれはローも同じであったらしい。
 けれど静かな散策を楽しむのはもうすぐ終わる。この先に冷えた空気を感じたのは、島民からまえもって聞いていた、凍った池があるからだろう。つまり行き止まりだ。
 顔を上げてローを見ると、気づいていないようで歩く早さが変わらない。
「行き止まりになるぞ」
 と忠告すると、ローがこちらを振り返った。数日まえに顔を合わせたときより顔色がいい。島の空気が合っているのかもしれない。
「なんでわかる」
「空気が乾燥してきた、それに草木も静かだ」
 ふうんとローが納得のいった顔でつぶやく。そして、
「噂の池か」
 とだけ言って、歩調を早めた。以前より血色の良くなっている頬が、さらに赤らんだ。ローはわずかに高揚している。一体なにに対してなのか、スモーカーは不思議に思った。
 今二人で歩いているこの高い山は、気候が目まぐるしく変わる。ここは基本的には夏島だが、山の中腹より上は昼間に三十度を越す暑さを保って夏のようだと言われ、夜には一気に辺りを凍らす真冬に様変わりする。もうすぐ朝焼けで、付近は雪解けが進み出す頃合いである。草木についた霜が溶けるために、内側から殻をやぶるようなパキパキという小さな音を立てていた。
 気温も徐々に上がり始めている。歩きながら上着を一枚脱いだローが、
「故郷ではな」
 と話し始めた。

 ──故郷では、大人たちが水を厚く張り、人が滑ることができるような広場を作った。辺りはいつも銀世界で、静かに雪が降っていた。
 どの家の子どもも、夢中でスケートを滑った。親や兄弟は心配そうに眺めているけれど、そのうち遊びに混ざって楽しさを見出す。終わるころにはすっかり体が冷え切って、あたたかい飲み物を売っている店に駆け込むのが当たり前の光景だった。
 両手をカップに寄せながら、赤い頬で家族で笑い合う姿を、最初は子どもの強がりで「あんなのなにが楽しいんだ」と言いそうになったけれど、「兄様も滑ろう!」と妹に言われれば無下にできない。結局周りと同じように最後には日が暮れるまで滑って、肩で息をしながら笑っていた。帰りに「ロー、帽子がなかったから寒かったでしょう」と母親が言ってくれて、初めてあのユキヒョウ柄の帽子を買ってもらった。

「それがいちばん初めの、スケートの思い出だ」
 凍った池のまえにたどり着き、ローが話を終えた。スモーカーは葉巻をふかし、煙をあげ、池の表面へ目をやった。
 ──誰かが夜のうちに、池の上を滑った跡がある。エッジの効いた刃で池を周り、楽しんだであろう跡だ。氷が割れるかもしれないのに、命知らずだとスモーカーは思ったが、よく見れば池の氷はずいぶん分厚い。もしかするとここだけ一年中、冷気が保たれるのかもしれない。それでも自分のような大柄な人間には危険だろう。
「これはたぶん、初めてじゃねェな。上手に滑ってる」
 ローは跡を見つめながら、それに沿って歩いた。氷上を滑れるような靴は持ってきていないから、池のふちをゆっくり歩くだけだ。「誰かと一緒に手を引いて滑ったか」とか「ここで転んじまったんだな」と言いながらまるで探偵のように推理するローの顔は、海賊の凶悪さをすっかり遠くへ置いてきている。
「滑りてェのか」
 昔を懐かしんで。
 スモーカーがそう言うと、ローは足を止めてじっと考える。たしかに、この池で滑るための道具は町へ降りれば借りられる。山の麓でそれぞれが宿を取ってもう一週間、スモーカーとローは顔見知りも増えた。きっと道具くらいこころよく貸してもらえるだろう。
「だが朝っぱらから起こすのも悪いだろ」
 あごに手を当て、人差し指でおとがいを撫でながらローが尋ねる。
「お前は滑ったことがあんのか?」
 スモーカーは記憶の中で、スケートをしたことがあったかを確認する。じっくり思い出さねばならないほど古い過去を引きずり出す。少なくとも海軍に入ってからはまったく触れてこなかった。氷を扱う人物が身近にいたこともあったが、そういう娯楽で能力を使ったりはしなかったような。
「たぶん……ねェな」
 氷の上を滑るような経験は、裏ぶれた街の路地で、連日の寒さで凍ってしまった道を歩くくらいでしかない。手に抱えた食料を落とさないように必死だった。滑ってしまえば落とす。落とせば誰かに拾われて持っていかれる。
 故郷の治安の悪さを懐かしんでいると、ローに手を引かれた。
「実は、道具を借りるツテがある」
「ツテ?」
 いつの間にか、スモーカーの頭上に青白い光の膜が覆い被さる。範囲は麓の町まで広がって、「シャンブルズ」と男がつぶやくと二輪の花と引き換えにスケート靴が現れた。
「起こすのも悪いと言ってなかったか」
「起こしてねェし、起きるまえにちゃんと返す」
「海賊のくせに、奪っちまわねェんだな」
「海兵さんのまえで、んなことはできねェよ」
 なにを言うか、とスモーカーは煙を大きく吐き出した。帽子を持ち上げ、煽るように笑うローが生意気にしか見えないのに、あらわになったひたいの丸みをなでたいと思った。生意気さとかわいさを意識のうちで混濁させているのかもしれない。自分は案外、勝気な人間がタイプなんだろうか。
 ローが靴を履いた。スモーカーは履かなかった。別に一緒に滑りたいわけでもない。ローが池へ降り、数歩分まえへ進んだ。外側をぐるりと大きく周り、内側へ近づく。氷の厚みは数センチなのか、数十センチなのか、ローの立っている真下は自分たち能力者にとって相性の悪すぎる水が、濃く青い口を広げて漂っているのだろう。スケートを滑っている彼を見ていると、そんな危うい場所だということを忘れてしまいそうになる。
「お前も、滑れたらいいのに」
 教えてやるから、と彼は、手を添えてなにかをすくい上げる仕草をした。完全に、スモーカーが転ぶことを想定して話している。
「誰だって最初は転ぶだろ」
「はは」
 ローの右腕が下りて、今度はまるで誰かの手をつないでいるような姿勢になった。故郷では、そうして妹の手を引いてやったのだろうか。スモーカーが思い描いていると、彼が言葉を続ける。
「お前が滑ったら、きっとラミより下手だな」
 ローが、兄の顔をしたままほほえんだ。失礼なことを言われているはずなのにスモーカーは言い返さない。正しくその通りだろうと思ったし、彼が妹を自慢できるささやかな喜びを壊したくなかった。
……それじゃ、お前の妹にあの世で教わらねェとな」
「そうだ、みっちり教わっとけ。ラミは結構厳しいぜ」
 スモーカーは、ローと自分が十も歳が離れているのを、深く気にしたことはない。ただときどき、自分の方が先に逝くのかと、葉巻につけた炎の先を見つめながら思う瞬間がある。それでも葉巻の量は減らないし、仕事の忙しさもセーブできない。
 ローもきっと、スモーカーに本気で葉巻をやめろとも、仕事を抑えろとも言わない。今後の健康を考えてそれらを全てやめても、ローがそばにいることはないとスモーカーは知っている。彼が得たのは彼の恩人である海兵が望んだ自由の道で、その道を歩き続けるのに疲れたとき、休む場所をスモーカーがたまに提供しているだけである。
 今も、妹のことを自然と話せるように、ローの心の隙間に手を差し込むことなく、ただ黙ってそばにいた。これが正解なのかは分からないが、気まぐれなこの海賊がときどき二人きりを許すから、合っているのだろう。
「たまの娯楽に、体を動かすのは大事だぜ?」
 ローの顔に日が差した。もうすっかり、よく見知った海賊の顔に戻っている。
 朝日が山の風景をいっせいに輝かせる。溶け出した葉の水滴が地面に落ちた。池の氷も、表面を滲ませながら濡れてきている。
 スモーカーは池から地面に上がろうとするローの手を取った。腕の力で引っ張ってやると、器用に刃のついた足を立たせて石の上に座った。ローは靴を脱ぎ、日焼けをしていない裸足の先が赤くなっているのを手のひらで温めている。
 その爪の形の整った足先を見つめながら、スモーカーは新しい葉巻に火をつけた。
「おれが乗ったら」
 ……スモーカーは、これを言い終えたあとのローの姿が容易に頭に浮かんだ。こちらを向いて目を見開き、徐々に口の端を吊り上げ、体を折り曲げながらこみ上げるものを殺そうとして、しかし無理で、最終的には目尻に涙をためてスモーカーを笑うのだろう。
 他にうまい言い逃れ方もあるだろうが、残念ながら自分の引き出しにはない。スモーカーは葉巻を思いきり吸い、目を閉じた。
「割れるだろ、氷が」
 ──耳がいいというのは便利だが、嫌なこともある。目を閉じていても、近くにいる人間がどんな動きをして、どんな体勢で、どんな笑い声を上げているのかがすぐわかる。果たしてそれは、スモーカーの想像通りであった。ローは、さっき氷上で滑って転ぶスモーカーを想像したように、今度は池が割れて落ちたあとのスモーカーでも思い描いているのだろうか。
「は、はは、お……重さで、そうだな……割れるな……くく……!」
 ローの笑いが山の空気をやさしく震わせる。スモーカーはただ葉巻をふかしている。本当は言い返したいこともたくさんあったのに、スモーカーの分の使わなかった靴を恨めしく眺めるだけで終わってしまった。