香水の話

二年前ナ/ハナにいた時スモやんが香水をもらい、二年後にロ〜が執務室でそれを見つける話です
ナ/ハナでそういった時間があったかどうかはわからないけどあったらいいなという捏造
ご機嫌なロ〜が書きたかった

香水の話

 寄っていってよ! とわめく客引きから、ひどく甘い匂いがした。猟犬ほどではないがスモーカーも嗅覚がいい。
 顔を顰めて身を離そうとしたが、客引きは海軍が相手だというのに怯える気配もない。それどころか格好の上客だと、腕を離さないでぐいぐい店へ引っ張り込もうとする。
 スモーカーは男の手を払うと「あのなァ」と呆れた声を上げようとした。しかし男はナノハナで長らくこの商売をしている人間らしく、スモーカーの態度を見てもへこたれない。
「じゃあ名刺がわりにこれを持ち帰ってくれよ、あんたじゃなくても、部下の人は来てくれるかもしれないし」
 そう言ってスモーカーのポケットに小さい瓶を忍ばせた。その瓶は店の名前が彫られていて、客引きと同じ甘い匂いがする。街中に広がっている匂いのうち、ここにしか──この娼館の辺りでしか香っていない。
 それからスモーカーは、麦わらのルフィを追いかける日々になった。アラバスタでの激戦と、砂漠の風を受ける日々が始まる。そんな瓶は引き出しにしまったか、部下にやってしまったか。所在さえつかめなくなった。スモーカーの記憶からも、それきり消え失せていた。

 ◇

……ロー」
 動物だったら、警戒心で耳だけをたてて扉の方を向いていただろう。その七武海に入ったばかりの人物は、そうして耳をたてるくせに、嫌味ったらしく笑顔を見せる。
「邪魔してる。また迷子になっちまった」
「窓から入ってきたのにか」
 ローが驚いた顔をして、次いでニヤリとした。
「へえ……見てたのか」
 さすが白猟、とからかわれ、スモーカーは鼻であしらう。
「たまたまだ」
 くわえた葉巻をふかし、天井まで煙を上げた。
「たまたま見ることがあんのか? 窓から不法侵入する姿を?」
「不法侵入する窓を選んで入るような行為が迷子って言えんのか?」
 一歩も譲らず牽制するやりとりは、楽しいとはいえ無駄な消耗でもある。二人とも散々やってきてよくわかっていた。身構えていた体勢をほどき、スモーカーは諦めて室内へ入る。
 デスクまえの椅子に体を収める。持ち主にちょうどいいサイズの家具たちは、いつかローに「お前に似合ってるな」と言われた。もらいものを集めて使いやすいように組み立て直しただけだ。特に革を張り替えたソファは気に入りだが、近ごろはスモーカーよりも、ローの方がはるかにソファを使う回数が多いのはなぜなのか。
 葉巻がジジ……とくすぶる音。そしてインクにペンをつける音。書類へサインを書き出す音。たったそれしか聞こえない、静かで凪いだ午後。同じ空間に海賊がいるというのにだ。いつしか慣れていった自分に、
(あいつは海賊なのに)
 とひそかに頭を小突く。
 ……この部屋は本部勤務ではないスモーカーにどうしてか与えられた。掃除も行き届いている。仕方がないから会議で呼び出されたときは一週間ほどここに詰める。私物も少し持ち込んだ。ローはときどきその私物から本を漁って読んでいる。それに飽きれば本部内の司書室から本を貸し出してもらっているらしい。
 今日はスモーカーの私物の中から数冊、もうすでにソファに沈み込むように置かれていた。
 そこから、甘い匂いがする。
……なんだこの匂いは)
 嗅いだことがある、けれど慣れてはいない匂いだった。鼻をくすぐり神経を撫でて、背筋が痺れるようだ。でもそれは本当に一瞬足らずで、何分も持続するわけではない。
 思い出すのは砂漠での日々だ。砂嵐を遠くから眺め、視線の先を常に睨みつけていた。
 麦わらの一味を捕まえる。そのことが頭を離れたことはない。この匂いを嗅ぐとさらに強く思い出し、拳を握りしめる。
 しかしローには当然それを言っていない。
「それをどこで見つけた」
「棚の奥に転がってた。お前の本と本の間に」
 そんなところに突っ込まれていたか。もしくは自分が面倒になってそこにしまったんだったか。曖昧な記憶をいくら詮索してもわからない。ローの手に握られている瓶は、ふたを開けずとも香ってきた。
 ローは日に当てたり、手の上で転がしたり、瓶をしきりに眺めている。珍しいわけでもないだろうに、とスモーカーが不思議がっていれば、しばらくしてローが口を開いた。
「あの砂の国には娼館があったのか」
……ああ、そうみたいだな」
「娼館ってのは、いつもこんなのを配るのか?」
「ナノハナだからじゃねェか。あそこは香水が名産だ」
「そうか……こんな甘い匂いがするもんなんだな」
 スモーカーは、ローのしきりに感心しきっている態度に気づいた。目を細め、相手を注視する。
……ナノハナが、ってことか?」
「娼館がってことだ」
 スモーカーは数度まばたきをする──ローにとって、これは珍しい品だったらしい。
 普通、こういう香水の類はナノハナ以外でも娼館であれば挨拶がわりのように嗅ぐし、朝になっても匂いは取れない。シャワーを浴びてよく体をこすらないと、朝帰りの気だるい情緒は抜け落ちない。所属している支部でも、たまにデレデレと鼻の下を伸ばしながら朝の訓練に匂いを撒き散らしてくるやつもいる。
(つまり、ローにはそういう経験がないということか?)
「あー……それは……
 スモーカーは動揺した。同時に、知らなくてもいいことを知ってしまった、と唇を噛む。
(なんだっておれァ王下七武海の一人が女遊びに疎いってことを知っちまったんだ。そんなろくでもない情報を)
 しかもスモーカーは、そういう物差しで人をからかう人間ではない。女遊びが手慣れていないからといってバカにするのは、くだらないとさえ思っている。ローは往来の賢さもあれば、まだ見せてはいないがその能力はかなり優れたものだと聞く。この世を渡り歩くのに必要なものはもう持っているのだ。
 だからこの情報は忘れよう。この匂いの元凶だって忘れていたぐらいだ。簡単に忘れられる。そう思っていたら。
「──嘘だよ、白猟屋」
 スモーカーがなんとか言葉を捻り出そうとすると、その先でローが笑っていた。
「でも行ったのは一度きり。興味がねェってのは本当だ」
……意地が悪ィぞ」
「海賊だからな」
 あとは、とローが付け足す。
「お前を困らせたかった」
 乾いた笑いが目のまえの海賊から漏れると、スモーカーは額に手を当てる。悪戯に成功した海賊は、機嫌のいい様子で本を開いた。
「ちなみに」
 開きながら、ローが続ける。
「娼館にはそのとき行ったのか」
「行くわけねェだろ、任務中だぞ」
 そうだよな、とローはまた機嫌を上げた。スモーカーにはさっぱりわからないまま、「ロー」と呼ぶ。海賊はピタリを動きを静止した。
……困らせて、どうしたかった」
 本は目次のページを開き、読まれるのを今か今かと待っている。ローはその表面をなでながら答えた。
「さあ。ただ、いつも仏頂面のてめェが困ってんのを見るのは楽しい」
 テーブルの上に残された香水は、水面を揺らして小さな音を立てて倒れた。わざわざ元の場所に戻されることもない。また部屋の中には、本をめくる音、ペンを動かす音の二つだけが響いた。
 それからローは、
「コーヒー持ってきた」
 とか、
北の海ノースで流行りの菓子らしい」
 とか、本を読む以外のくつろぎ方もするようになった。それにはいつもスモーカーを伴った。
 この部屋でときどき眠るようにまでなったローの素顔は、しかめ面をしていなければ幼い表面もあった。よく回る口が眠るときだけ静かになる。海兵相手に気を抜きやがって、と思ったが、スモーカーもここでローに午睡ごすいさせているあたり、懐かれたままいいように許してしまっている。
 それがどんな関係なのかは二人ともわからないまま時が経ち、ローは本部へ顔を出さなくなった。
(ローがもし、同じように瓶を持っていたら)
 と考えたことがある。ここ以外に、気に入りの場所を見つけたのか、とは思うだろう。そのときの感情は安堵なのか喪失なのか──そこまでを考え、スモーカーは頭を振って答えを出さなかった。
 ナノハナで押し付けられた瓶からは、いまだに甘い匂いがする。麦わらの一味を追いかける激動の日々を思い出すと同時に、余計な思い出が一つ増えてしまった。スモーカーはそれを結局捨てられず、今も棚の奥底にしまっている。