失いたくない人間の話

戦場を走る卜リオン体と生身の人間の話 生身で戦場?というのは目を瞑ってください

宇宙人に会ってたりする穂より、組織への理論を組み立てて自分を次々といろんな課題や試練に向かわせる荒の方が「人間らしさ」を失っていやしないか、と考えてたものを過大に書きました

失いたくない人間の話

「疲れてないか」
 声をかけると、荒船が頬から伝う汗を袖口で乱暴に拭き、
「大丈夫だ」
 と告げた。
 逃げながら、隠れながらの屈辱はあるが、自分たちで借りを返してやると息巻くには圧倒的に力が足りない。今は本部へ向かうことだけを優先する。
 穂刈はトリオン体を保っていた。息一つ乱れていない体は、荒船を守りながら距離を取りつつ本部までの道を細々と、しかし確実に作る。トリオン粒子の漏れとなる傷を多少作ってはいるが、幸いベイルアウトせずに持ちそうだ。
 けれど荒船は生身だった。

 ──荒船のトリガーは修理に出ていた。
ゲートが開くときは他のボーダー隊員と必ず一緒にいるように」
 と寺島から重く言われていた。ここのところ頻発している門の不定期な開き具合は、トリガーの修理をするにはかなり厳しいタイミングだった。しかし、やらなければ隊員として役に立てない。
 今日ようやく修理が終わり、取りに行こうとした矢先の運の悪さだ。二人で本部へ向かう途中で、真っ黒い口が虚空に浮かぶのを見た。穂刈の胸の内のざわめく不安も、その門のように心の中で一気に開いた。荒船を守らなければとそれだけが頭を埋め尽くした。
 今回のトリオン兵は一定の数と種類を揃え、かつ賢さを持っている。思わぬところに伏兵を潜ませて優位に立ってきた。
 駆けつけた半崎の致命的な一撃が功を奏して一体は倒した。代償に半崎の片脚が宙空を舞ったころ、遅れてやってきた笹森がうしろからもう一体の敵を切り込んだ。深い一撃は弧月の強度限界の目いっぱいをいく。ぐるりと反転した敵が背後から荒船を襲うのを、穂刈の砲火が間一髪で──本当に、荒船の髪をかすめて敵喉元を貫き──仕留めた。穂刈の背筋は一瞬だけ凍ったが、すぐに溶け出した。荒船が「よくやった」と笑ったのだ。
 半崎が敵の死ぬ間際の反撃に備え、狙いを定めたスコープの先に、堤と諏訪の到着を見る。穂刈たちはそこでからくも逃げることができた。
 片脚の半崎を庇いながらは後方へ下がれない。半崎は笹森のうしろに回り、遠距離砲のいない諏訪隊の援護に移った。穂刈と荒船は別の隊との合流を図りながら、本部へ戻るために動く。
 動くが──そこで荒船の背後を新手のバムスターが踊り出てきた。まるで荒船が生身だということを理解しているようだった。的確に突いてこようとする敵の鞭のような攻撃は、巨体のくせに隙がない。
(あの攻撃を避けるには)
 穂刈は守るべき隊長の表情を見つめた。
 荒船が、トリガーのない体でどう動くべきかを考えている。穂刈は、臨時でここ一帯のオペレーターを受け持つ小佐野の指示を待とうとしたが、同時に荒船のその場での状況判断も待ってみたかった。自分にギャンブル気質はないはずだが、培った信頼は咄嗟の状況でなによりの絆になる。
「後方二十、柿崎隊だ。そこまで下がるぞ!」
 穂刈に向かって荒船が叫んだ。目算だが、明確で正しい。普段高台から下を見据えることが多い自分たちの得意なことでもある。
「了解」
 と短い呼吸と共に返事をすると、全速力で駆ける。荒船も、ふたたび走るために躍動する。筋肉が熱を持ち、神経がくまなく駆け巡ってとにかく前へ前へと走ることに集中している。トリオン体の穂刈でさえ、この運動量は滅多にない。
(荒船は)
 走っている喉から漏れる息はせつなさを帯びてきた。彼を抱えて走るか、と思ったが、減速は目下最もまずい手段だ。
(荒船)
 穂刈は、隊長と敵の間隔がいまだ一定なのを歯痒く見つめた。バムスターの腕が届きそうになる。いっそあの腕に自分がすくい取られるのであれば。
 まもなく柿崎の声が聞こえてくる。
「こっちだ!」
 と叫ぶ柿崎のうしろに、敵らしい姿は見当たらない。新たな敵を誘い込んだことを詫びたいが、今はそれどころではない。
「すみません柿崎さん」
「気にすんな、とにかく退路を確保して逃げろ。今別の隊が近くで現着してる」
 短く報告を受ける。現着した部隊は弓場隊で、穂刈のレーダー上で彗星のような速さで向かってくる。頼もしさに安堵するが、すぐに穂刈は背を向けた。
「荒船、走れるか」
「大丈夫だ、いける」
 民間人の避難位置まで遠ざかっているのもまずかった。本来ならトリガーを持たない者はそこまで連れていった方が良かった。穂刈は悔やむが、荒船がそんなものを気にもせず上着を脱ぐ。
「本部までは距離もない。戻ってすぐに寺島さんにトリガーをもらわないと」
 乱れる呼吸をいさめ、穂刈よりもまえに進んで歩こうとするのを押し留めた。
「先に出るな、オレが行くから」
 遠くの黒い門が縮み、小さく消えていったのが見えた。近くにおそらく一体はトリオン兵が出ただろう。近接で攻撃されれば間違いなくやられる。穂刈は距離を取るため今度こそ小佐野に指示を仰いだ。
 曰く、本部までのルートは平坦で、家屋の倒壊も少ないらしい。荒船を伴って屋根伝いでの移動は無理だから、家と家を渡り歩いて行くしかない。
『手前の家から順番に通っていって。それだといちばん安全だよ』
 いつも通りの口調だが、穂刈にはそれがありがたい。冷静な自分を取り戻せる。開け放たれたドアをくぐり、二人でまっすぐ家の中を進んだ。二軒目はトリオン兵の攻撃でやや破損した隙間を通り、裏口のドアから出る。瓦礫の音は立ったが、レーダー上でトリオン兵がこちらに気づく様子はない。
『今のうちに走って!』
 二人は同時に走り出した。家の先には道路が横たわり、ここだけうねるように波打って盛り上がっている。飛び越えるとさらに別の家が見えたが、崩壊しているためもはや身を隠せない。早くに通り過ぎなければ視覚で気づかれる。
 荒船がわずかに呼吸を乱して青ざめる。まぶたが痙攣して下がっていた。穂刈はその手を取ろうとさっきは迷ったが、今回はもうためらわなかった。自分よりもうすい手のひらが異常に冷えていて、それを引っ張り「こっちだ」と声を張る。
 荒船が一言、
「悪い」
 と告げたが、その体は穂刈に支えられた瞬間力が抜けた。魂まで抜けてしまうのではないかと穂刈はぞっとする。今は汗を拭いてやることも、やさしく寝かしつけてやることもできない。荒船の体を背負い、穂刈はトリオンの続く限り走った。生身の体にここまで残酷なことをした。しかしこうしなければならなかった。
 二人の判断は的確で、のちにボーダー本部へ戻った際に荒船は医務室で状態を診られると共にデータを取られた。そこはさすが、抜け目のないシステムエンジニアたちと言うべきか。万が一トラブルがあって生身へ戻ったときの体力の持続性と、危険性の判断材料としてだ。
「兵隊だな、オレたちは」
「気質までそうなるなよ、理不尽を感じたときは怒った方がいい」
 でも荒船も怒らなかったじゃねぇか。穂刈はそう言いたかったが、ベッドで栄養点滴を打たれる相棒を眺めながら、なにも言えなかった。
 しばらくすると荒船はうとうとと眠り始めた。換装体を解いた自分以外、ここ近辺には誰もいない。眠る荒船の頬は血の気がようやく戻ってきていて、なでると温かい。
(荒船)
 穂刈は眉間にシワを寄せ、次いで鼻筋に力が入り、自分の顔が泣く寸前のように歪んでいるのを窓ガラス越しに見てしまった。
 守れたことを良かった、と思うより、荒船がこのまま生身でさえも血の色を組織に染めてしまわないかが怖かった。荒船の兵士としての素質の申し分のなさが、強さが、穂刈にはまぶしくて憧れで、恐ろしかった。
 生身で疲れ切った体を、悪い、と言って預けてくれるうちはいいのだろう。頼むから、いつも預けていてくれ。と願うのは、親愛で熱望で、あとはなんと言うだろうか。