人間を一人、広場まで

サプライズをする人と、平和を楽しんでいる人

 その言葉を聞いた大人と子どもは、顔を見合わせて冷や汗をかき、こくりと小さく頷いた。タブレットの光が二人の頬をゆるやかに、しかし妙に真白く照らす。
 月の見えない夜だった。次の新月までのサイクルを数える。カレンダーがぱらぱらと、窓からの風に煽られて揺れた。

 ◇

 草原、というのがハスマリーにもできた。爆撃と騒音で埋もれていた二年前が嘘のように、のどかな空間。ようやく短いが草も生え揃え、大地の匂いが立ち込める。乾燥した空気は淀みなく流れ、オレの肌を掠めるとチリ……と音がする。砂を舞わせるほどの風が吹く中で、クロアゲハが飛んだ。空には鳥が戻ってきている。久しぶりに、インクを垂らしたような色鮮やかな鳥が木に停まって羽根を休めているのを見た時、アラナは感動していた。ガキどもも嬉しそうに「何て名前だろ?」とはしゃいでいたのを思い出す。
 臆病であるはずの鳥や小動物が戻ることは、いい。その地が平和になったんだ、と胸を張って誇れる。土と、光と、風が薫る中で、遠くに人々の声を聞いた。
 次の新月の夜、祭りがある。提案したのは難民キャンプの取りまとめをするヤツだ。男も、女も、ガキどもも、全員が目を輝かせて賛同する。オレは遠くで聞きながら、「アーロンももちろん参加するだろ?」とそばにいた男に嬉しそうに聞かれた。たしかソイツは近々結婚する、キャンプで出会った女と。そんな平和なニュースが次々飛び交うから、オレは少しばかり表情が緩む機会が増えた自覚はある……周りはどうやらそんなもんじゃなく、「柔らかくなった」と言ってきやがるが。
 ぱたぱたと、ガキが一人忙しなく動いていた。近頃アラナをよく手伝う、シターレという名前の少女。
「アラナは?」
「また探してんのか、さっきキッチンで見たぜ」
「ありがとう!」
 もう走り出しながら手を振るソイツに「前見て走れよ!」と声をかけながら、オレは再びごろりと横になる。戦乱をくぐり抜けた大木の下は、いい日除けで、共に戦火を駆け巡った盟友のようにも思える。爆破で穿たれた不自然な形のこの木は、今年も大きく葉を広げている。
 シターレの、少女特有の甲高い声を聞きながら、もう一眠りしようとあくびをした。

 ──数日後、荷物を運ぶための安い車の買い付けに行くときだった。アラナも「ついていくよ」と言われ、横にシターレも伴っている。宿つきの一泊二日で行く旅はそこまで危険なものでもない。一度だけ難色を示してみたが、効果は薄いとすぐに悟り、三人で歩く。
 ガキつきで歩いて数時間、目的の場所へ着いた。ベッドにダイブしたシターレのあどけなさに、わずかながらアイツを思い出す。そんなにガキっぽさなんてないはずだけど、妙に酔ったときなんかは顕著だった。
 オレの体もなまっちまったか、ゆるい疲労感がある。女同士のアラナとシターレを相部屋に、オレだけは一つ離れた別部屋へ入った。
 シーツ、ベッド、枕。どれも清潔で申し分ない、むしろ贅沢だ。固い土と一枚の布切れで眠っていたテント生活も、今はキャンプのグレードが上がって簡易ベッドがほとんど。
 それでも、オレは眠れない。窓に椅子を持っていき、外を見張りながら眠るか、ドアのそばで毛布を抱えて片膝を立てるか。もうこの辺りの街だって穏やかになっただろうに、体は深い睡眠に落とすことを許さない。
 ……二年前、アイツの家で眠った日々以外は。
 あれからルークに、連絡だけはしている。毎日、ではない。週に一度、月に一度、三ヶ月に一度。感覚が開く時もあれば、毎週する時も。近況報告を聞く限り、アイツの方は常に忙しく動き回り、上司、同僚、事件解決の話など様々。コロコロ表情を変えて百面相しながら話す姿は滑稽で、クスリと笑えば顔を赤らめたりムッとしたりする。
(今日、連絡をしてみるか)
 ふと思い立ってタブレットを取り出す。ルークの名前は履歴の三番目に残されていた。タップして、しばらく画面が切り替わるのを待つ。
 結論から言えば、ルークは出なかった。シャワーを出た後に再度かけ直しても、誰かと通話をしている状態になっている。オレは諦めてタブレットを閉じた。屋上へ星でも見に行こうと部屋のドアを開けるが、ここからだとそこまできれいに空が見えない。
 今日はどうも、うまくいかない日らしい。鼻から漏れた嘆息は、夜の闇に紛れて消えた。
 こういう時は寝ちまおう。と部屋に戻る途中で、外で晩飯を食っていたらしいアラナとシターレに遭遇した。二人とも機嫌が良さそうに笑いながら「おやすみ」を告げる。オレの気も知らないで。
 無機質な部屋の窓へ近づいて、今夜の眠る場所はそこにしようと決めた。椅子に座り、背もたれを前にして、顎を乗せる。
 今日という日は特出してすごいことをしたわけじゃない。自分の今までを話したいとか、そういうのでもない。
 ただ声が聞きたかった。くだらないことを言ってくるアイツを笑って宥めて、それから──
……チッ」
 なんとなく、咳払いをした。喉には物なんて詰まっていないのに。
 夜に輝く星を見ていないせいだ。
 オレは明日にこの燻りを持ち越さないように、明かりを落として不貞腐れたまま、まぶたを閉じた。

 新月が来る。
 そこかしこで祭りのテンションが伝わってきて、熱気を含みながら、人の笑い声がする。
 オレは結局ガキどもを見守っている。祭りだからとはしゃぎすぎて、暗い夜道でケガをしたり迷子になって連れ去られたりしないため。今夜はシターレも、大人しくここにいた。
「今日はアラナのとこ行かねえんだな」
 頭を撫でながら言うと、シターレは嬉しさを滲ませて目を合わせる。
「忙しそうだもん、今日のためにたくさん準備してきたからね」
 アラナが祭りのために動き回っていたのは知っている。そこにオレがやることは? と聞いても、「何もしないで」の一点張りだった。もともと飾りつけも料理だってそんなに得意じゃないオレが手伝ったところで、悲惨な目にあうことは間違いない。恐らくじっとりした目で見られて終わる。
「あんまりうろちょろすんじゃねえぞ、今夜は特に暗いからな」
「わかってるよ。皆でご飯、もらってくる」
 さっきまで構われて喜んでいたくせに、べ、と舌を出してくるませガキは、そのままくるりと振り返って他のヤツらのところへ行ってしまう。
 ……祭りの炎とわずかに昇る煙で薄まってはいるが、数日前の星空よりも鮮やかに光は輝いていた。星座をつなごうと目を向けても、二等星も三等星も今日は眩しく映り込む。ここまで空が澄み出したのもここ半年の話だ。以前よりもさらに広く大きく、キャンプ自体を飲み込むような夜の闇と星屑。
 ふいに、目の前にスッと長い髪が垂れた。座っていたオレのそばに、アラナが来る。
「やっと終わったよ、子どもたちは皆、明るいとこにいるね?」
「ああ、今は飯を食いにまとまって行ったとこだぜ」
「そう……じゃあアーロン、ちょっと手伝って!」
 爽やかな笑顔でぐいっと腕を引っ張られる。拍子付いて後ろに倒れそうになった。
「は? オレがやることなんてなにも……っおい!」
 話を聞かない姉は、結構な力でぐいぐいオレを引っ張っていく。待て、とか、ふざけんな、とか、そんな言葉で制したところで小悪党のように震え上がることもない。平気でオレを転がすアラナにはいつだって舌を巻く。
 どんどん歩いて、というよりもはやこれは小走りの勢いで、アラナに連れられた場所は、キャンプのうちの一つのテント。
 そして目の前には──台車に置かれたデカい箱。
「これ、広場まで持っていってくれない? 皆に配るプレゼント。もちろん、アンタの分もあるから!」
「ガキじゃねえのに、いらねえよ」
「そんなこと言わない! きっと気に入るから」
 ほらほら、と背中を押されて、台車の取っ手を持たされる。たしかにガキどもにはプレゼントなんて滅多にないから、平和になってきたこの記念の日に渡すのはきっとはしゃいで喜ばれる。だから、これを運ぶのは重要な役だ。扱いを丁寧に、なんていうのは柄じゃないオレによくこんなことを頼んだもんだ。
 ガラガラと石の多い道を進むから、台車は揺れて滑り落ちそうになる。しかしよほど重いものが入っているのか、転がることはなかった。
 ……それに、どこか嗅いだことのある匂いがする。それは日向に寝転んだ時のぬくもりのような、瑞々しい草木のような。

 広場に着くと、まだ誰もいない。今日はここで最後にキャンプファイヤーをするから、火の管理をするために人払いをしておく、というのは大人の間で決められたルール。子どもが勝手に火元に触れたら危ないからだ。
 ガタン、と最後の揺れを鳴らして、台車を止めた。オレはふと空を見上げて、やはりここで見る星が一番だと目をまたたかせる。
 まっすぐに、自分に落ちてきそうだ。一等星は隕石のように燃えているのが見える。他の星も空いっぱいに敷き詰められて、所狭しと不揃いに並んでいた。粒だった星、薄く伸びた星雲に埋もれるほどの星。
 そこに、エメラルドの色はどんなにか似合うだろう。
……⁈」
 白い箱のフタがガバッと開いた。オレは箱の中から見える人影に思わず飛びのいて体勢を構える。手甲から鉤爪の鈍い光がギラリと伸びた。
 けれど──
「アーロン!」
 よく通る聞き覚えのある声は、オレの中に心地良く溶けて入り込む。ただ名前を、勢いよく呼ばれただけなのに、肌がぶわりと粟立った。
「プレゼントは、僕だよ! なーんて!」
 そこにはためく白いシャツに、丸い後頭部。コイツの好きなメープルシロップのような髪が暗闇で泳いで、ここでは貴重な絹みたいに揺れる。両腕を限界まで上げて、オレに向かってバカみたいに嬉しそうに笑った。
 バックパックを肩から下げたまま、恐らく空港からまっすぐこの箱に入って運ばれたんだろう。ほんの少しの砂埃をつけた犬顔は、登場してしばらく経っても立ちすくんだままのオレに、だんだんとうろたえだした。
「あ、えーと……
 アーロン? ともう一度呼ぶ唇と声の振動は、通話で聞いているはずなのにひどく、コイツが生きている、ということを感じる。実際に漏れる息遣い、箱が開いてより濃くなったルークの匂い。それは草原と、日向にも似て。
 そして満天の星の下に、瞳のエメラルドが二つ光り輝いた。

 これは、後から聞いた話だが。
 ──人間を一人、広場まで。
 そうルークに自分をおつかいしてくれるよう頼まれたアラナが、最初に考えたのは「どうしたらオレにバレないか」その一点だった。そこから念入りに隠し通すための計画を考え、一番ガキの中でしっかりしているシターレに応援を頼む。祭りの準備に紛れて、サプライズでプレゼントの中へ。そう決めたのは、アラナとシターレが外で食事を取ったときらしい。どうりでご機嫌だったわけだ。それをルークに報告すると、案の定、容易に想像ができる顔でぐっと拳を握り、決意を固めたという。
 それはきっと、箱から出てきたさっきと、同じ顔。

 台車から降りるルークを支えて抱き下ろす。肌に触れる手の感覚になるべく見ないふりをする。そうでもしないと、二年越しの体は精神をどうにかしてしまいそうだから。奥歯を噛んでギリギリ言わせながら上から下へ運ばれるなんて、多分人生で一度だってねえだろう。ルークは引きつりながら感謝を述べたが、声は完全に裏返っていた。
 理性を総動員している間、ルークはついに喋り出す。
「その、ハスマリーの平和を取り戻した英雄に何か送りたいなあ、と思ったんだけど……
 赤い顔をしながらオレを見るな、嬉しそうに口を動かすな、そしてそっと伺うように言葉を切るな。
 オレに構わずに、ルークの唇はいよいよ息を吸って、次のセリフを伝えようと動く。当たり前だ、オレはずっと「待て」だの「言うな」だの、口には出していない。
 それはつまり、ルークが今から言うであろう突拍子もない何かを、待っている証拠。
「僕がプレゼント、だなんて、自意識過剰だった……かな?」
 いかにもアイツらしい控えめな物言いに、オレはとうとう下唇を噛んで、これまでのうねりをぶつけたようなキスをする。
 驚愕に開いたまま潤むエメラルドは星空を反射させて、オレの背後に落ちたであろう流れ星が映り込んでいた。