前世と呼ばれる昔の話

転生後のロ〜が、忘れられない記憶を取り戻して引きずったまま、偶然転生後のスモに再会する話
⚠︎冒頭、転生前のスモの最期を説明する描写があるので、苦手な方はお控えください

前世と呼ばれる昔の話

『次の任務で、死ぬかもしれない』
 スクリーンの中、軍人の男が言った。顔はあの男に似ても似つかないが、ローはそのセリフだけで頭にはっきりと思い浮かべることができた──当時伝聞した、スモーカーの最期を。
 大将と中将の共同戦線、荒れた大海原。部下を守って死んだと聞いた。似合いの最期ではないか。副官の女は、涙を必死に堪えてげきを飛ばしていたらしい。すべてが終わって遺体を運ぶとき、駆けつけた部下と副官は顔中を汗と涙だらけにして、ずっと離れなかったそうだ。
 自分がこうして海賊からただの市民として生まれ変わったように、スモーカーもどこかで生きているんだろう。軍隊か、それとも警察にでも入ったか。正義を背負っていたあのころと同じ旗の下で過ごしている方が、ローにはなんとなく想像がついた。
 ……映画の最後は男女の恋愛で終わる。ハッピーエンドだ。エンドロールも見ずにローは淡々と荷物をまとめ、スプライトのカップを持って退室する。カップの中の細かい氷が音を立てた。もう少しだけ味わいたかったが、この分では気の抜けた味になっているだろう。
 ときどきこうして戦争映画を見にくる。二時間ものでは少し物足りないというのが最近わかった。そうして見ていくうちに、ゆっくり記憶を取り戻していった。特に映画の中で誰かが、なにか志を述べているときだ。
(そんな口上は、なにかを達成してから言うもんだ)
 ローは映画を見ながら、ふとそう思った。一端いっぱしの口を叩くのであれば強くなければ意味がないと、常日頃から感じていたことの正解を得た気がした。
 映画を見るたびに、前世と呼ばれる過去と重なった。少しずつ記憶が戻って、まるで海の向こう側から波がやってくるようだった。波は穏やかであったから、ローは自分に前世があるということを案外冷静に受け止められた。
 ただ、己の手から命が滑り落ちる瞬間を思い出すと、いつも体が寒く震える。

 スモーカーと、いわゆる前世という世界でこう話した。
「おれとお前には共通点がある」
……んなもんがあったか」
「あるさ。救える命が落ちていく感触を知ってるところだ」
 相手は黙って、トレードマークのように身につけていた葉巻を一本取り出し火をつけて咥えた。嗅ぎ慣れた煙の匂いをしばらく楽しみ、ローは続ける。
「そういうときに、正義とはなにかを考えるよ」
 お前もそうじゃねェか? と葉巻を吸う男に問いかけたあの夜は、やけくそに飲んでいた酒を一気にあおったんだったか、それとも飯が喉を通らなかったか。
 とにかく気持ちが腐りそうになって、無理にこの男を誘った。葉巻を吸い終えじっとこっちを見ている男は、分厚い手のひらでローの体に触れていた──思い出した。酒でも食事でもない、ローがスモーカーに初めて抱かれたあとの話だ。
 ──あの日の昼間、救えなかった命が山のようにあった。海軍と海賊の共同戦線、凪いだ海。スモーカーの部下が、ローの知っている海賊が、砲弾の盾になって死んだ。彼らはこんなところで死ぬのが決して似合うような男たちではなかった。スモーカーもローも、腕の中で肉体から魂が抜けるのがわかった。そのうち暗雲から静かな雨が降り注ぎ、ぐっしょりと濡れたコートをまとったまま、二人で目を合わせていた。泣くことはできず、誰かが呼びに来ても遺体を、遺体となってしまった人間を手離せなかった。
 ようやく宿へ着いてのろのろと体を拭き、海水と血と汗を洗った。排水溝に何度も何度も湯を流す。シャワーから出るとベッドに突っ伏してしまいたかったが、ふらついた足でベッドへ向かった途端、ドアをノックされる。
「酒がある」
 と気遣われ、疲労の色濃い顔をしたスモーカーが部屋へ入り、今日起きたことの書類にサインだけを求めてきた。酒を飲みながらペン先を動かしたが、自分の名前をまるで他人の名前であるかのように錯覚する。どうにかサインした書類は、スモーカーの上着のポケットにしまわれた。
 男からはまだ、戦場の匂いがした。風呂に入ったあとのローには余計に強く感じられた。自分のことなんて後回しで、すべての処理を終えるまで眠らないのだろう。もしかして朝になれば、その足で遺族の元へ行くのだろうか。なぜならいまだに葉巻を吸っていない。
 どこまでも潔く、わかりやすく、ローにまっすぐに響く男だった。ぐらぐらと沸騰するようにローの血がたぎる。響いてくることが悔しくて、惨めで、けれどきっとローは最初から自分がそういう人間に弱いんだろうと知っていた。コラソンに命を助けられたときから。
「泣きてェのか」
……誰が泣くか」
 ローは、ベッドでくぐもった声で抗議しながら、スモーカーの珍しく葉巻の匂いのない体に夢中でしがみついた。スモーカーは手荒ではなかったが、やさしくもなかった。痛みを分け合い、殻に閉じ込められるように抱かれた。ローは薄暗い殻の中で、こぼれていった命を思った。
 命には熱がある。昼間、熱がなくなっていく体をずっと抱きしめていたからわかる。それと反対に今、自分もスモーカーも、堪えようのないもどかしい熱を帯びているからわかる。いくら雨が降り注いでも、血が失われても、目の前の男の熱がなくなることがローには想像できなかった。
 ……だからいまだに、生まれ変わってもスモーカーのことを思い出すのは、あんなにも熱かった男の命が滑り落ちた瞬間を知ることができなくて、信じきれていないんだろう。きっとどこかで生まれ変わっていると思うのも、あのときただ一度だけ感じた熱をずっと引きずっているからかもしれない。

 ◇

(満席かよ)
 一週間後、映画館はレイトショーだというのに混雑していた。
 いつもは後方通路側で席を二つ予約し、隣に誰も座ることがないようにしていた。わずらわしい気遣いをしたくないからだ。しかし今日は不運が重なってできなかった。仕方なく通路より少し遠ざかった席に座り、飲み物をすする。
 開始まであと二分ほどで、会場は満員近くなる。ざわめいた人たちがそれぞれの椅子にようやく腰を落ち着けるころ、ローはあらかじめ買っていたパンフレットの表紙を眺めていた。
 ──パンフレット越しに人の姿が見え、ローは顔を上げる。暗い館内でもわかる真っ白い髪だ。体格のいい体はコートに隠れてはいたが、顔の傷ははっきり見えた。ローは腰のあたりがむずむずしてくる。本能のようなものが体内で蠢き、
(どの出口から逃げるのがいちばんいいか)
 と算段を立ててしまった。
 厄介なやつに見つかっちまったな、とまで考え、自分をわらう──今はもう、海軍が海賊を追いかける時代ではないというのに。
 男はどんどん近づいてきて、座席番号を確認したあと、ローの顔を見て眉間にシワを寄せる。それはローに出会ったときのいつもの癖で、ちっとも変わらない。
……どこまで覚えてる?」
「少なくとも、てめェが元海賊だってことはわかってる」
 あまり大きくはない声で、しかしはっきりと男──スモーカーは言った。
「じゃあおれほどは思い出してないってことか」
 隣に座ったスモーカーの肩が触れた。まだコートを着ているから、彼が今どういう体温なのかはわからない。
……お前は、どこまで覚えてる?」
 そっくりそのまま返された言葉に、ローは口の端を吊り上げた。これだってきっとスモーカーから見れば「前世と全く変わらねェ」とでも感じるだろう。案の定、スモーカーがふたたび眉をひそめている。
「少なくとも、このあと飯に誘っても断られない関係ではあるってことと、」
 開演の静まりを迎え、映画館は暗闇に包まれた。スクリーンのライトがスモーカーの顔を照らし、それがローをたった一度抱いて別れた夜と同じく精悍な顔つきをしていることが、たまらなく心臓を締めつけた。
「てめェが勝手に死んじまったときの話をしながら、おれに酒を奢る義務があるってことは、ちゃんと覚えてるぜ」
 穏やかに音楽が鳴り、今日最後の映画が始まる。おわるころには終電が近く、うすら寒い気温が体中を刺すだろう。けれど今夜は肌寒くないかもしれない。ローは偶然触れたスモーカーの指先から、生きている熱を感じた。
 締めつけられた心臓が涙を流そうとするが、そんなものは灯された火によって蒸発してしまった。