絵の話

モブ海兵がある日陶芸品を見た話 作った人と、その人が陶芸品に絵をつけるようになったいきさつにたどり着く話です
ロ〜は最後にちょっとだけ

絵の話

 今日見たのは湯呑みだった。
 中将以上の幹部たちに資料を届けると、何人かの部屋にはいつもどこかに一つ陶芸品がある。
 直属の上司であるモモンガさん曰く、
「作ってくれと頼み込んでな、昔もらった」
 だそうだ。
 一体誰が作っているんだろう。裏表をひっくり返しても名前はない。
「身近なやつだぞ」
 と言われるが、陶芸が趣味の人なんていただろうか? 俺は首をかしげながら部屋を出た。これから歩く長い廊下が、答えに果てがないことを表しているようだ。赤いカーペット敷の床を歩きながら、下を向いてぶつぶつ言いながら進んだ。
 モモンガさんの口ぶりから察するに、さして難しくない問題であるのは間違いない。けれど俺は、海軍の幹部たちの性格や趣味を完全に把握しきれているわけではないし、「あなたがお作りになったんですか?」と一人一人に聞いて回るほどの内容でもない。
 そのうち目のまえに大きな足が見え、慌てて上を向いた。
「し、失礼しました。考え事をしておりまして」
 すぐに敬礼をする──相手はがっしりした体躯に葉巻を二本咥え、煙が天井に届くほどだった。
 叱られるのを覚悟でごくりと唾を飲むと、その人は気にしていない様子で、
「疲れてんならとっとと休め」
 とだけ言い、横を通り過ぎていった。
 海軍中将であるその人の、広い背中に書かれた正義の文字が揺れるのを見送りながら、ふたたび考え事に沈む。
 身近なやつ、身近な人──俺にとっては、今出た部屋の主であるモモンガさんか、その部下の人たち。おつるさんやガープ中将はたしかによく会うが、ああして執務室に入るほどではない(そもそもガープ中将は執務室にほぼいない)。それから今すれ違ったスモーカー中将。たしぎさん。そして少佐や大佐の面々を頭に思い浮かべる。
(まさかこの中に陶芸をするような人物が?)
 一番当てはまりそうなのはモモンガさんかおつるさんあたり。でもモモンガさんは、自分で作ったものを遠回しにもったいぶって言うことはないだろう。きっと少し照れながらも「自分で作ってみた」と言ってくれるに違いない。
 俺はあごに手を当てながら、ようやく終わる廊下の扉を開いた。
 回廊から見える外は、分厚く太った雲を背負って、重たい雨を降らせている。温厚な気候のときが多い海軍本部だが、こうして恵みの雨は時折やってくる。これがなければ農作物は育たない。
 食堂へ向かうと、雨の恩恵を数ヶ月まえに受けたであろう採れたての野菜が、厨房に大量に転がっていた。巨大なボウルでサラダを作る女性が、スパイスを振りかけている。
「ああ、あんたかい」
 そう言って彼女は額の汗を拭うと、一心不乱に料理をしていたせいか、暑い暑いとうめきながら窓を開けた。幸い風向きのおかげで雨は吹き込んでこない。
 いつも食べている定食を頼んで、席につく。忙しそうに働く人たちの中──ふと違和感を覚えた。
 厨房の隅にも、無数にある皿の中に一つ、違う風合いの皿があった。さっきモモンガさんの部屋で見た湯呑みと焼き具合が似ている。そして扱いやすいサイズで、少し小ぶりに作られている。
「あれが気になる?」
 問いかけられて頷くと、女性は待ってましたとばかりに話してきた。
「びっくりしたよ、さっきここを退職する従業員のための皿を持ってきてくれたんだ」
 彼女の話では、老齢の女性が一人、腰を痛めたからこの職場を退しりぞくらしい。歴史あるこの本部の中でもかなり古株の人間だ。
 合点がいった。この食堂へ続く道は一本しかない。あの長い廊下で、俺は一人としかすれ違っていない──あの人が、スモーカー中将がこれを作ったなんて。
「丈夫そうだし、絵もついていてね、きれいだよ」
 見るかい? と尋ねられ、返事をするまえに背を押された。まだ料理を二口しか食べてないのに。
 厨房のそばに寄ると、嬉々ききとして女性がカウンターに皿をそっと置いた。
 中将が作ったとはにわかには信じがたいが、なるほどやはり既製品ではなく、人の手で作られたものだとわかる。わずかだが、ところどころにまばらなゆがみがあって、丸みもある。中央にかけて風景画がえがかれていて、色鮮やかだった。
「これはどこの景色だい? って聞いたら、知らねェ、だってさ。見たこともない場所らしいよ。よく描けるもんだよね」
 新鮮な驚きが何重にも降ってくる。さらに上からかぶせるように、彼女は話し出す。
「退職するその人は、スモーカーさんを若いころからよく知ってるからねえ」
 女性は笑いながら、恰幅かっぷくのいい体を揺らした。
「クザンさんが、まだ悪ガキみたいだったスモーカーさんを連れてきたらしいよ。お腹減らしてて、この食堂でがつがつ食べてたって」
 よく嬉しそうに思い出話をされるのよねェ、と彼女はしゃべりたいだけ話し、さっさと自分の仕事に戻ってしまった。あとに残された俺はじっとその皿を眺める。
 穏やかな海と島が見える絵は、贈った人の故郷を描いたんだろうか。

 すっかり冷めた定食を食べ終わり、後片付けをして食堂を離れる。
 午後は訓練だったが、途中で上官に会い、頼まれごとをされた。それがちょうどスモーカーさんの執務室への届け物だった。中将の執務室は訓練場へ行くまでの通り道にあるから、快諾した俺は、手に荷物を持ちながら歩く。
「失礼します。荷物を預かりました」
「入れ」
 ノックと名乗りを忘れず、俺は中へ入る許可をもらった。彼は俺たちに強要することはないけれど、入室マナーはきちんとしている人なので、自然とこちらも気を遣う。
 部屋に入ると葉巻の匂いが漂った。書類を見比べながら、一本の葉巻をゆっくり吸い込んでいる。書類を眺める目つきは険しく、面倒くさそうで、横に走る文字を見るのも億劫なんだろうとうかがえる──訓練まえに厄介な書類をどうしても片付けなくてはならなくなった、というところか。
 頼まれた荷物を置くと、ソファのまえに置かれた年代物のローテーブルに、手紙や絵はがきが置いてあった。
(これは……
 手紙はずいぶん多かった。色違いの便箋が何枚もあって、封筒にはきれいな石のかけらやドライフワラーが入っている。拙い文字で一つ一つに説明がくくりつけられ、俺はすぐにそれが子どもの字だとわかった。
 ──スモーカー中将が数年まえ、パンクハザードから帰還した折、船には子どもが乗っていた。それもかなりの人数で、栄養状態が偏っていたり、大部分が治療済みではあったが覚醒剤服用の疑いがある子どもが多かった。親たちからの非難は相当だったらしいが、それでもこうして手紙が送られてくるのだから、子どもたちにとって彼らが大いなる救いであったことに間違いはない。
 私物の少ないこの執務室に、唯一設けられている棚にはガラス瓶やトレーがあって、ここにあるのと同じような石や花が置かれている。これからますます増えるであろう贈り物を、あの強面の中将はそれでも大事にとっておくのだろうか。
(今日は本当に、スモーカーさんの意外な一面ばっかり見る日だ)
 俺は荷物をほどきながら、今度は横にある絵はがきへ目を移す。
 北の海出身の人間なら誰もがわかる、高波が描かれた荒々しい岬の絵はがきだった。
 俺もノースの出だから、この風の強い岬のことをよく知っている。灯台の光だけを頼りに船乗りがここへ向かって進むのだが、たどり着ける者は数えるほどしかいない。それなのにこの絵はがきはよく売れる。行くことができない思いを、はがきを買うことでどうにか満たすのだろうか。
 これだけは、子どもたちからの贈り物としては異質さを感じる。
(きっと違う人から送られたものだ)
 でも、じゃあ誰から? 差出人はわからない。メッセージもない。ただ走り書きで、ここの住所とスモーカーさん宛だということ、そしてこのはがきがどこの場所かわかるように記されただけ。
 荷物を置くのにそれらをどうしても避けなくてはならないから、子どもたちからの手紙と差出人不明の絵はがきをテーブルの端へずらした。荷物の中身は書類の束、グランドラインの海図が数枚、そして新しい葉巻がケースごと。ローテーブルにもともとあった石や可憐な花にそぐわない、無機質で愛想のないものばかりが置かれる。
 ずらしてみて初めてわかったが──絵はがきは、どうやら一枚ではなかったらしい。はがき以外に写真もあった。灯台の描かれた新しそうなはがきの下に、数枚重なっている。
 古びたものがほとんどで、スモーカーさんはこの絵はがきや写真を送ってくる主と、相当長い間やりとりをしているらしい。
 その古い一枚の内、見覚えのある風景があった。
「これ……あの皿の……
 俺は思わず声を出してしまった。スモーカーさんは耳がいい、すぐに気づいてこちらを見る。
「す、すみません。さっき実は食堂で皿を見せてもらいまして」
「あれか」
 書類にサインをする手を止めて、中将は短くなった葉巻を口から離した。煙が舞い、宙を泳ぐ。
「どっかの誰かが、絵を送ってきやがるからな」
 送ってくる人物の見当はまるでつかないが、中将の様子を見る限り、悪く思っているわけではなさそうだ。
「それで、絵を描き始めたんですか?」
「まあ、時間の許すときだけだ」
 たしかに食堂で見せてもらった皿は、絵がなければ贈り物としては少し寂しかったかもしれない。彼もきっと、そう思って絵を足したんだろう。
「絵付けは、まえからやっていたんですか?」
「もう結構経つな」
 どうしてそんなことを聞く? とばかりに俺を見下ろしていた中将に、慌てて弁明する。
「モモンガさんの湯呑みにはなかったので……
「つけてくれ、って言われたのか?」
「いいえ」
 上司の面子めんつを保つため、俺は大きく首を振った。
「あの人にあげたころは、まだ絵を描こうなんて思ってもいなかったからな」
 そう言って中将は、口元に新しい葉巻を咥えシガーカッターを開いた。そのたくましく骨太な手が、筆と絵の具を持って彩色するのか、と俺は思わずじっと手を見てしまう。無骨な指が、カッターで器用に葉巻の先を切るように、絵も流れるように描きあげるのだろうか。
 スモーカーさんがなにをきっかけに筆を取ると決めたのかは、この何枚もの絵はがきと写真だけが知っている気がした。
 俺はそろそろ退室しよう、と顔を上げる。
 ──まるで春風のように空気が揺れた。窓も開いていないのにどうして、と思っていたら、俺のまえにあるきれいな石が一つ、手品のように消え失せる。青白い光に包まれて、石と引き換えに一枚の写真が落ちてきた。
(これは、あの悪魔の実の──)
 以前、話だけは聞いていた。
 この青白い半円状の光に包まれれば、心臓を抜き取られ、体を真っ二つに切断される。船さえも持ち上げ、落とせる脅威だと。
 だから俺は、この能力がもっと派手で、激しいものだと思っていた。怒りや狂乱に満ちていると。
 それなのにこんなふうに静かに、ましてや海軍中将の執務室に届けるためだけにひそやかに使われるとは。石の代わりにそこから生まれた写真が、テーブルの上にそっと降りる。
 スモーカーさんも俺と同じように、突如現れた写真を見つめていた。けれどその目は俺と同じ様相をしていなかった。葉巻の煙がゆらりと揺れる。彼は手袋をはめた手でそれを持ち上げると、裏面を見てちいさく「東へ行ったのか」と言った。俺の視界の先に、わずかにイーストブルーの文字が見える。
 もしも今度、スモーカーさんが陶芸品を作ることがあれば、それにはこの東の海が描かれるだろうか、いや、さっきの灯台かもしれない。それとも、まだ描かれていない風景があるかも。
 この悪魔の実の能力者は写真を送ることで、その景色を一緒に眺めているつもりになりたいのか。それともスモーカーさんが、絵を描くことで共に見ているつもりになりたいのか。
 俺はわからないまま、青白い光が淡く消えるのを見ていた。