スープの話

自分の気持ちに気づいた🐯と、何にも気づかない🚬のスモ(→)←ロ
いろいろ終わった数年後の世界 謎時空

スープの話

 ローは、少し痩せたスモーカーの肩を眺めた。
 生涯現役であろう男の肩は、まえまでなら骨よりも筋肉と鉄でできているんじゃないかと思うくらい、固さと張りがあった。なのに、今は骨もあったのかよ、とわかる角張りがある。それを痩せたと捉えるのはローくらいで、他の連中はスモーカーに、
「歳を取っても相変わらずだな」
 と笑うくらいでしかなかった。
 ヤニのせいか、と思ったが、そういうわけではなく単純に年齢だろう。世界に、年相応という言葉が似合わない連中がはびこる中で、こうして知り合いがゆっくり年齢を重ねるのを見られることは、平和の象徴のようでもあった。
(視線に気づかねェのも、それもまた平和か)
 見られていることも気づかず、新聞を広げて頬杖をついている男は、もともと白い髪を一度だけなでつけ、再び紙面に没頭する。かまわれたいとも特に思ってはいない──今は食事中でもある。
 口元に葉巻がないのは珍しい。食事を摂っていたから当たり前だが、それほど珍しい姿なのだ。
 ローは大きなおにぎりを頬張りながら、あごひげのある口がときどき尖ったり、また戻ったりするのをおかしく眺める。新聞に、良くないことやほどほどに良いことが書かれているんだろう。スモーカーはいつも、その一つ一つが自分に関わりがあるかのような反応を見せる。けれど口では、
……んなことはねェ」
 と言って、押し黙る。
 海軍が海の全てを守れるわけではないし、海賊も海の全てを知れるわけではない。海はいつもころころと表情を変えるから、二人ともずいぶん海を渡り歩いてきたというのに、いまだに新しいことに巡り会う。

 今食べているこのおにぎりは、スモーカーが握った。陶芸が趣味だというその手はしかし料理はそこまでうまいわけではなくて、時折ローが訪ねたときについてきたベポが、恐る恐る教えることもある。
 とある日の、
「キャプテンも料理うまくなったらいいんじゃないかな」
 とはベポの言い草だ。ローはなんで、と問うと、だって、と口を開いた白クマは、その柔らかい毛のついた頭をかきながらうめいた。
「だって、きっと嬉しいと思うよ」
 それを言われて、ローは数秒黙ったあとに「はあ?」と大きく情けない声をあげた。ベポはびっくりして慌てて船長室から去っていった。
(どこが、嬉しいってんだよ、あいつが)
 海賊嫌いのあいつが、海賊の作った飯をうまいと思うのか。
 ベポの言わんとしていることはわかった。わかったが、納得はいかない。
 それにあいつは、おれがなにかをしたって、どうなっていたって、なにも言わないだろうし、望まないだろう。そう思っていた。

 けれど。
「隈が薄くなったな」
 新聞から顔を上げて、スモーカーが声をかけてきた。ローは食べかけの米粒を皿に落としてしまって、驚いた顔のまま止まった。「おい落としたぞ」とスモーカーが言って、皿の上に視線を寄越す。
 ローは、思わず自分の目の下をなぞった。隈など気にしたこともなかった。昔、ペンギンやシャチに「キャプテン寝た方がいいって!」と呆れられても、あまり睡眠不足だとは感じていなかった。朝起きて顔を洗うとき、おざなりにしか鏡を見ないから、隈がどうだ、頬のこけ具合がどうだ、とはもとより気にしていない。
 けれどここ二年、たしかに二人からあまり小言を言われなくなった。

 ──ここ二年というのは、スモーカーが家を買ってからの期間と一致する。約三ヶ月に一度、ひどいときには半年会わないこともあった。
 それでも訪ねると、なにも言わずともロー用の寝床(ただのシングルベッドだからやや縦に狭いのが難点だ)がいつの間にかできていて、疲れている体はふらふらとそこに身を預けて眠る。
 朝起きればこんなふうに飯が用意されていて、ローが咀嚼をしている間はスモーカーはタバコを吸わない。食べ終わった食器はローがキッチンまで行って片付け、スモーカーの読み終えた新聞を読む。さっきまで読んでいた男の手の跡よりも小さい己の手に、自分だってそんなに小柄な男ではないのにな、と思う。そのときにはもう換気扇の下かベランダの隅にスモーカーは移動していて、煙を上げながら遠くを眺めていた。
 そういう日を二、三日過ごしてすっかり体力も回復し、無言のままスモーカーの家から出ると、ローは不思議と船の中でも良く眠れた。ハートの海賊団と知りながら、無謀な挑戦をする海賊たちが襲ってきたあとでもだ。血の気がたぎる夜を迎えても、あの煙の匂いと、柔軟剤の香りなんてちっともしないベッドと、料理の味を思い出すと、性欲なんかは一気にしょぼくれて、代わりに腹が減って眠くなる。
(枯れたのか? おれは)
 それとも。ローはありったけの可能性を考える。
 面倒な敵だった? 腹が減りすぎていた? 眠かった? 疲れていた? 多忙だった? どれもローの中でしっくりこない。
 単に、あのシングルの狭苦しいベッドと、無骨な手で作られた料理を、なんというか、恋しい、などと思うようになるとは自分でも思ってもみなくて、誰にともなく舌打ちをし、天を仰いだ。
(おれも歳をとった)
 この感情が老化によるほころびだとか、そういうものではないと知りつつ自分に言い訳をして、ローはタバコを吸ったあとの煙を吐く真似をするように、ため息をついた。
 ──それから、ローにしては案外素直に行動するようになった。
 仲間たちに、
「ちょっと行ってくる」
 と言う。たいていふらふらと近くの海やはたまた遠い海をまるで飛ぶように渡り歩く。落ち着かない自分の気持ちを鎮め、鎮まりきったころにこの街に着く。
 広がるのは民家と廃屋が半々の背の低い建物ばかりの土地だ。木々は控えめに葉をつけていて、もうすぐ秋だから紅葉もしているが、それもあまり期待できるような鮮やかさではない。グランドラインの端、名もないような島にひっそりあるここは、また何名かの若者が遠くへ船出してしまうらしく、いよいよ過疎化が進む。スモーカーのような精悍な人間は頼られることも多いだろう。
 だから行くのはいつも、スモーカーがやっと仕事や頼まれごとを終えた夜中だ。
 スモーカーの家のドアをノックする。すると、明かりがついている家に迎え入れられる──それは、ローにとって久しく成し得なかったことだ。そんな些細なことを毎度小さく叶えてもらい、なにも言わずに家の中へ入ってベッドで休む。
 鎮めてきた気持ちが頭をもたげるのは、スモーカーが呆れたように布団をかけるとき。飯を作りながら、「お前の分」と皿を持ってくるとき。適当に干された洗濯物の中に、自分の衣類を見つけたとき。

 この気持ちはずっと心の中でくすぶっていればいいと思っていたのに、スモーカーがローの小さな変化に珍しく、本当に珍しく気づいたものだから、顔が赤くなるのを止められなかった。
(あれは、)
 ふとスモーカーの、新聞紙で隠れていた親指に目がいった。
 今日の朝食はおにぎりとスープで、あのスープはどこか遠い昔、友達に初めて馳走になったスープの味に似ていた。ベポがスモーカーに教えたのかもしれない。
 野菜と肉のたっぷり入ったスープは、それなりに調理の手間がある。スモーカーの親指には絆創膏が貼られていて、その手間をかけた名残だと思うと、体が熱を帯びてくる。自分だってそんな小さなスモーカーの変化に気づいている、という事実にローは無自覚なまま、熱のせいにして最後のおにぎりの一口を食べた。
 頬をいっぱいにしてごまかすように飲み込むと、
「詰まらすなよ」
 と幼い子どもをあやすように言われた。無愛想なのにそう感じるのは、果たしてどうしてなのか。
 スープはまだ手付かずのままで、これからのんびり楽しもうと思っていたのに、ローはどんな気持ちでこれを飲んだらいいのかわからない。わからないまま、スプーンを手の内でもてあそんだ。
 まだ湯気の立っている美味しそうなスープは、食べられるのを待っているようにも見えた。