大胆な雨男と慎重な晴れ男

大学生でテスト明け、付き合っている二人。あらふね君が雨男、ほかりが晴れ男という独断と偏見に基づいたお話 事後表現あります
(ほかりは釣りを楽しみにしてないわけじゃなくて、あらふね君の方が楽しみ度合いが高かった、というだけです)

『大胆な雨男と慎重な晴れ男』

 ときどき、穂刈の髪をセットしてやることがある。俺自身は髪型にそこまでこだわりもないし、キャップをかぶってしまうからワックスをつけてどうにかする、なんてこともない。だから最初は新鮮で、穂刈の髪にワックスをつけすぎたり、つけなさすぎたりしていた。近頃は適量もわかったし、ずいぶん扱い慣れて、朝の支度に時間もかからなくなった。
 今日は雨で、外へ出かける用事もない──というより、用事をこの雨でなくしてしまった。東さんに聞いたおすすめの場所に、川釣りにでも行こうと準備をしていたら、昨日から天気が急変して川が増水した。だから穂刈の髪はセットされていなくて、やわらかな猫っ毛がドライヤーの風を受けて、目の前で揺れている。
「大丈夫か? 体は」
 しばらく髪の毛をぼんやり眺めていたから、穂刈からかけられた言葉の意味もうまく処理できなかった。ようやく意味をわかって「大丈夫だ」と相づちを打つ。
 ドライヤーの温かい風が手の甲をなでた。雨の匂いが消え、もうすぐ穂刈の髪は乾いてしまう。

 ──さっき、雨を見にいった。川釣りができなかった代わりに、少し外の空気に触れたかった。この間まで晴れていてじゅうぶんに外の空気はわかっているはずなのに、雨の日の外、という特別感を知りたかった。
 穂刈が止めて、制した。けれど俺は、
「行きたい」
 と言った。
 気がれただとか、そういうのじゃない。子どものころは合羽かっぱを着て、長靴を履いて、よく外に出歩いていたというのに、大人になれば全くそんなことはしなくなった。それがもったいないと思ったのだ。大学の試験期間明けで、気分が大らかになっていたのかもしれない。
 穂刈はもう止めなかった。止めない代わりに、そっと手を繋いで一緒に外に出てくれた。雨に当たって髪も肩も背中も濡れた。ラバーブーツなのに内側に水が入ってしまって、靴下を履いていないから奇妙な感覚がした。
 帰り際、水たまりに何度も何度も波紋を作る雨を見つめた。ときどき気泡を大きく一つ作っては消していた。こんなに降る雨は珍しくて、せっかく休みの日なのにな、と思ったけれど、「ああ、休みだからか」と納得もした。雨男が川釣りを楽しみにしていてはいけなかっただろうか。大抵、休日の予定を立てるのは穂刈で、俺はそれになにもかも便乗していただけだから、お返しにとたまに予定を立ててみたらこうなってしまった。
 穂刈は怒らないで、びしょ濡れになった体を二人で浴室に押し込め、俺の体に真っ先にシャワーを当てた。全身が痛いくらいだった。
 俺が、
「せっかくだったのにな」
 とぼやくと、しばらく考え込んだあとに、
「のんびりしてろってことじゃないか、家で」
 と笑っていた。
 テスト期間のせいで会えていなかった体は触れ合うと否応なしに期待をして、二人でシャワーを浴びながら感じた熱は冷えた体を温めてくれたし、最終的には湯船に浸かってのぼせるほどキスをした。下半身はだるいし、狭い浴槽の中だったからあちこちは痛いし、それでも穂刈は満足そうに喉を鳴らしていて、雨に当たって良かったかも、と頭をなでてやりながら思った。雨男で良かったと感じたことは穂刈に出会うまでなかった。だから俺からいつもより声を少し大きくして、
「もう一回するか?」
 と尋ねた。声を張らないとかすれているから、聞こえないかもしれないと気遣ったのに、穂刈は目を丸くして、次いで戸惑った顔をしていた。
「平気なのか、体」
 と逆に気遣われ、この男がやけにゆっくり時間をかけて俺を慣らした理由をなんとなく察した。
 大粒の雨の中で一度体は冷えているし、湯船でだって温まった、というよりも、体を酷使したという方が正しい。なるべく負担をかけないように、やけにやさしい手つきだった理由はそれか、と焦れったさにもだえた先程を思い出して顔を赤らめた。
「平気だ」
 けれど俺はそう言った。そう言って、とっとと着替えのために浴室を出た。穂刈の心配そうな視線が、さっき浴びたシャワーの湯よりも背中に痛かった。

 だからこの髪が乾いたら、ベッドへ行くか再三聞かれるんだろうな、と思っていたが。
「荒船」
 やわらかなのに、毛の一つ一つは少し硬さのある髪質の男が、ドライヤーで乾かされながら話し出す。
「なんだ」
「もうすぐ晴れるぞ、外は」
「天気予報でも見たのか?」
「いや、勘だが」
 勘。俺は面食らった。
 日頃、直感よりもデータや分析に目を通すことが多いから、そういう人間にもともと備わっている不思議な感覚に左右されることを俺は少しためらうことがある。だったら雨男、だなんていう言葉も鵜呑みにしてはいけないとは思うが、こればかりは小さいころから付き合ってきたものだからどうしようもない。
「でも今から晴れても、増水が収まらねぇと、川釣りは無理だろ」
 そういう意図で話を持ち出したのか? と首をかしげたら、穂刈は「そうじゃなくて」と俺を見上げた。俺はドライヤーを切る。
「気持ちいいだろうな、日が当たる布団の中でするのは」
 あとは耳横の髪を乾かすだけなのだが、穂刈は俺の足の間に座ったまま、デカい図体に関わらず身軽にこちらを向いた。
 穂刈の体越しに見える窓の外は、まだ雨が降っているが、どうやら雲間は薄くなり始めているらしい。風が吹けば雲が流され、太陽が現れてきそうだ。雨音もだんだん小さくなってきている。そのうちいよいよ空は明るくなり始め、本当に穂刈の言う通り、晴れの兆しを見せる。
 寝室、というには手狭な空間だが、あの部屋はちょうど今頃の季節、暑いくらいの西日が差す。その日が陰るまでを飽くまで眺められる窓際にベッドがあって、眠るころには太陽の匂いがする。それは穂刈からいつも感じる匂いによく似ていた。
 俺は、もしかして、と聞いた。
「お前、休みが相当楽しみだったのか?」
「当たり前だろ」
 一ヶ月ぶりだからな、休みが被ったのは。穂刈が屈託なく笑うと、風呂上がりでまだちょっと湿っている髪が下りてこいつの目頭に当たる。
「でも加減はする」
 穂刈はそう言って、俺のひざに顔をくっつけた。太ももに穂刈の唇が触れると、さっきの熱がまた蘇って背筋が震える。
 やがて光は窓から漏れ、寝室のドアの隙間から線状の明かりが伸びた。けれど、雨音もまだかろうじてパラパラと聞こえる。天気雨というやつか、と俺は思いながら、現金な天気と俺たちの気分にうっすら笑ってしまった。